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鳥羽伏見の戦いで敗走してきた新選組をはじめ旧幕府軍は、本営として定められていた 淀城に入城しようとした。しかし、城門は堅く閉ざされて入ることができなかった。 当時、藩主・稲葉正邦は幕府の家老として江戸にいた。 淀藩は、譜代として、徳川・旧幕府軍の一員として、薩長の新政府軍と戦うはずであった。 しかし、留守を預かっていた家老・田辺権太夫は、徳川を見限った。 新政府軍に寝返ったのである。 淀城大手門を守っていた田辺治之助は、旧幕府軍の兵 数人が城内に乱入したことへの 責任を負い自刃した。 田邊治之助君記念碑 子爵稲葉正凱書 慶応四戊辰年正月三日鳥羽伏見ノ役当時我カ淀藩主稲葉正邦公ハ 幕府ノ老中職トシテ江戸ニ在リ因テ藩士ハ堅ク城門ヲ鎖シテ留守 ス其大手門ハ者頭役田邊治之助君ノ守ル所ナリ五日後退セル藩兵 門内ニ闖入シ来ルモノアリ守兵直ニ之ヲ拒ミ出シタルモ時偶々城 中ニ在リタル君ハ此ノ報ヲ聞クヤ守門ノ責任ヲ痛感シテ自刃ス其 壮烈ナル実ニ士人ノ典型ト謂フベシ 今ヤ士道頽廃責任観念ノ缺如セルノ際今年恰モ七十周年ニ相当ス ルヲ以テ我等同人君ノ高風ヲ欽慕シ相謀リ碑ヲ建テ其事実ノ梗概 ヲ記シ後世ニ伝フト云爾 昭和十二年九月 日本の合戦 No25に、
「旧幕府軍を裏切った淀城主」という記事が載っていた。 家臣の裏切りを江戸で知った稲葉は新政府軍に恭順し、 江戸城の明け渡しに尽力したそうだ。 |
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淀城は戊辰戦争東軍戦死者埋骨碑を探しにいくついでによく行きました 駅前ですし近いですね 淀古城は妙教寺内に碑がありますね
2005/12/15(木) 午前 7:52 [ 丹波守博介 ]
久々に淀に行ってきました。今回、妙教寺へは行かなかったのですが、6、7年前に行ったときに見た碑はよく覚えています。榎本武揚の書でしたね。
2005/12/15(木) 午後 9:05