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「大人のウォーカー」3月号の特集は「司馬遼太郎の世界を歩く・没後10年特別企画」 本屋で見つけて中を見たら欲しくなった。 「西長堀マンモスアパートの風景」という一節がとても気になったからだ。 昭和34年12月〜39年3月まで司馬さんが住んだというマンモスアパート。 旧土佐藩の蔵屋敷があった場所に建っている。アパート正面には土佐稲荷神社がある。 司馬さんが住んでたのは10階の西側だったそうで窓の外には土佐稲荷神社が見えるという風景。 この土佐藩ゆかりの地で「竜馬がゆく」を書いたという。 とても感慨深い。 「新選組血風録」「燃えよ剣」もこの地で書いている。 奥に見えるのが司馬さんが住んでいたマンモスアパート 慶応4年(1968)2月15日、堺に上陸してきたフランス兵と、治安維持のため 駐屯していた土佐藩兵とが銃撃戦におよび、フランス兵11名が死亡した。 隊長・箕浦猪之吉らはフランス側の要求により切腹を命じられる。 そして、この土佐稲荷境内でクジ引きをし、切腹する20名が決められた。(堺事件) 長堀川(現・長堀通)沿いにあった土佐藩蔵屋敷は
明治初年に岩崎弥太郎が所有するようになった。 岩崎弥太郎の屋敷跡には「岩崎邸跡の碑」が建っている。 |
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わたしも大阪都心部で長年仕事をしてきましたが土佐堀にこんなところがあるとは知りませんでした。岩崎弥太郎の屋敷が大阪にあったことも初めて知りました。また寄せていただきます。
2006/2/6(月) 午前 9:10 [ ごくらく トンボ ]
私が土佐稲荷の存在を知ったのは数年前に司馬さんの「俄」や森鴎外の「堺事件」を読んでからです。でもこの界隈が蔵屋敷跡だったとは知りませんでした。今回、昔の司馬さんちも含めあらためて自分的新発見です!
2006/2/6(月) 午後 11:45