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大村益次郎像

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大村益次郎
文政7年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)
江戸時代後期の幕末から明治初頭の兵学者。
大村益次郎登場小説 
『花神』(司馬遼太郎) 
『鬼謀の人』(『人斬り以蔵』に収録、司馬遼太郎) 
『伊達の黒船』(『酔って候』に収録、司馬遼太郎)

明治二年二月、戊辰戦争の戦没者を祀る東京招魂社(現、靖国神社)の創建に際し、
社地選定のため同月十二日、この地を視察した事も記録に見え、靖国神社創建者と
しての功績は大きく、明治十五年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、
宮内庁から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。
(靖国神社 大村益次郎説明板より)

明治15年11月15日、大村益次郎の祭典の折、靖国神社宮司だった加茂水穂が大村の銅像の
建立を提案したという。大村像の像立委員会には徴収罰の元勲らが名を連ね、有栖川宮や三条実美
らの賛助を得て計画は進行する。像は戊辰戦争で大村が活躍した上野山内への設置も予定されたが、
明治21年5月、内務、陸、海軍三大臣の特別許可を得、幕末の討幕方殉難者や、戊辰戦争での
新政府軍戦死者を祀る、靖国神社への設置が決定した。
明治24年5月、石膏像が完成。次いで6月から小石原砲兵工廠で銅像の製作が開始され10月に
完成。除幕式は明治26年2月5日に盛大に行われた。
奇しくも、大村(当時は村田蔵六)が開いた私塾「鳩居堂」跡にほど近い。
(幕末維新江戸東京史跡事典より)

■地図:九段下駅から徒歩3分

神道無念流 錬兵館跡

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幕末三大道場のひとつ錬兵館があったところ。
錬兵館には、高杉晋作、桂小五郎、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、
特に桂小五郎は剣の腕前に優れ師範代もつとめている。

閉じる コメント(3)

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僕は「源義経」「秋山真之」「大村益次郎」(いずれも司馬小説の主人公ですが)が日本の天才3軍人だと思っています。近代の日本陸軍の基礎を作り上げた功労者にもかかわらず、知名度が低いですね。やはり後の陸軍の暴走から陸軍=悪の図式があるのにも一因があるようにも思います。木屋町三条には佐久間象三と大村益次郎の受難の碑が建てられています。

2006/5/12(金) 午後 11:45 獺祭庵

ukkeyさん>3人とも発想が個性豊かで当時としてはいづれも斬新ですね。大村益次郎が京都で襲われずに生き延びていたらどういう形になっていたかと思ってしまいます。大阪には「足塚」や「大村益次郎先生寓地址碑」「大村益次郎殉難報国碑」が建っています。

2006/5/14(日) 午後 4:29 iwaemon

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こんにちは。
ふじまると申します。
映画や文学のブログを書いています。
今回は司馬遼太郎原作の大河ドラマ「花神」の記事を書きました。
よかったら覗いてください。

2012/10/16(火) 午後 10:26 [ ふじまる ]


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