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坂本龍馬をはじめ幕末の志士に影響を与えた男
河田小龍 土佐高知の生まれ。吉田東洋に従い京都へ上り狩野永岳の門に入る。 嘉永3年土佐に帰り、同5年、ジョン万次郎の帰国に際し小龍は彼と起居を共にし 漂流談を絵入りで綴り「漂巽紀略」と題して土佐山内家へ献上した。この五巻の本は、 万次郎が後に幕府直参になり江川太郎左衛門の手付となり、やがては日本外交の陰の 力となるきっかけとなった。 小龍の友人、土佐藩医師 岡上新輔の妻"乙女"の縁から、坂本龍馬は「漂巽紀略」を知る ことになる。 嘉永7年11月、龍馬は小龍を訪れた。 龍馬は時勢について知り、武備開港の必然を悟り、対外政策の要を学んだ。 (幕末維新京都史跡辞典より) 場所:京都市北区等寺院北町
等持院墓地内(立命館大学構内を通過して入る) |
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小龍先生のお墓は京都にあったのですね!でもなぜ京都??
2006/8/12(土) 午後 0:45 [ mks*eet*105 ]
mksweet1105さん>史跡辞典の記事の続きを省略してました(汗)。明治21年に京都に移り、山紫水明処に仮住まいしたそうですよ。琵琶湖疎水が建造されることになるとその工事状況記録画の依頼を受けて「琵琶湖疎水図誌」として宮内庁に献上したり。晩年は画家として、また塾も開いて京都で過ごしています。明治31年2月19日に京都で門人の見守るなか75歳でこの世を去っています。
2006/8/12(土) 午後 9:58
晩年は京都に住んでいたのですか!ありがとうございます。納得です☆かなりいろいろと功績を残されていたのですね〜。お墓、ぜひ行ってみなければ!!
2006/8/13(日) 午後 0:13 [ mks*eet*105 ]
mksweet1105さん>立命館の正門から左方向に進んでいくと墓所にたどりつきますよ。
2006/8/20(日) 午後 8:09