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神戸空港開港

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■関西3空港時代、開く 旅客や見物客らで活気 神戸空港開港

真新しい滑走路から一番機が飛び立ち、関西三空港時代の幕が開けた。十六日朝、開港した神戸空港。神戸と全国七都市とを結ぶフレッシュな空の玄関口は、午前中から旅客や見物客らで活気にあふれた。華々しい開港記念式典の傍らでは、構想から実に四十年を費やした歳月の重さをかみしめる関係者も。関西国際、大阪国際(伊丹)の両空港とのすみわけも課題となる中、新空港は、さまざまな思いを乗せた旅立ちとなった。
午前七時過ぎに離陸した日本航空(JAL)1342便。一番機とあって、同社では通常の二百六十一人乗りを、四百七十二人乗りのジャンボ機に切り替えて対応したが、ほぼ満席の盛況ぶりとなった。会社を休んできたという東京都文京区の会社員、竹内康夫さん(42)は「二カ月前から予約してチケットを手に入れたので、搭乗前からわくわくしています」。神戸市西区の会社員、藤岡里栄さん(20)は「チケットをとることができてラッキー。新鮮な空港は気持ちがいいですね」。
日航では、同便に地元ゆかりのスタッフを多く乗務させた。阪神大震災を兵庫県宝塚市の自宅で経験した油谷謙二機長(47)は、羽田空港に着陸後、「(飛び立った際に)震災で地上交通が寸断されたことを思いだしました」と話した。
一方、八時過ぎに着いた東京・羽田からの全日本空輸(ANA)便の朝田貴明機長(38)は「コンパクトな空港で着陸しやすかった」。到着ロビーでは、旅客一人ひとりにチューリップや搭乗記念証などが手渡された。
運航開始に先立ち、午前五時五十分からターミナルビル二階の出発ロビーで行われた開港式では、神戸市の矢田立郎市長が開港宣言。兵庫県の井戸敏三知事は「ようやく新しいスタートを切ることができた。利便性が高い空港としての役割に期待する」と話し、一番機で東京に向かった。
また、見物客は午前十時までに約四千人が詰めかけ、屋上の眺望スペースでは、愛好家らが離着陸する飛行機に向け、熱心にカメラのシャッターを切った。
神戸市灘区の一柳佳世子さん(60)は「歴史的な瞬間を写真に収められて大満足」。空港内の洋菓子店「KOBEDELI」の宮永敏英店長(27)は「自慢のシュークリームが飛ぶような売れ行き。この調子で毎日にぎわってほしい」と話した。

≪逆風続きの「40年」≫
まだ高度経済成長期だった昭和四十一年に「関西新空港」の構想として飛び出した神戸空港の青写真。以降は、断念、再燃、さらには震災、反対運動と、地方空港として四十年後の開港に至るまでには文字通り紆余(うよ)曲折の歴史を踏んできた。
騒音問題が深刻化していた大阪国際(伊丹)空港に代わる新空港の建設が模索された昭和四十年代、「神戸沖」は常に最有力と目されてきた。が、四十八年、当時の神戸市長選での対立構造を背景に、宮崎辰雄市長(故人)が「空港建設反対」を表明。後に宮崎氏は「一生の不覚」と悔いた。
ところが、地元財界などからの強い要望を受ける形で、五十年代中ごろから空港建設への動きが再燃。旧運輸省は、空港建設を一度“袖にした”神戸に冷ややかだったが、平成三年になって、ようやく国の第六次空港整備五カ年計画で「予定事業」に組み入れられた。
さらに、七年の阪神大震災をへて、空港の必要性を疑問視する反対運動が高まり、十年九月には、市民団体などが建設の是非を問う住民投票条例制定に向けた有効数約三十万人分もの署名を提出。条例案は市議会で否決されたが、神戸空港建設は、まさに逆風にさらされ続けた歴史だった。

≪神戸空港開港までの経緯≫
昭和
41年5月 兵庫県、神戸市が淡路島北部に関西新空港構想を発表
48年3月 宮崎辰雄神戸市長(当時)が10月の市長選をにらんで空港反対を表明
49年8月 航空審議会が関西新空港について、泉州沖が最適と答申
57年3月 兵庫県議会総務委員会が新空港建設促進の請願を採択
平成
2年5月  神戸市が神戸空港基本計画を策定
3年11月 第6次空港整備5カ年計画で予定事業に組み入れられる
6年12月 国予算に「着工準備予算費」計上
7年1月  阪神大震災
9年2月  運輸相が飛行場設置許可
10年9月 市民団体などが空港建設の是非を問う住民投票実現に向けて住民投票条例制定を求める署名簿を提出
    11月 神戸市議会が住民投票条例案を否決
11年9月 着工
18年2月 開港

(産経新聞) - 2月16日

■低運賃で需要掘り起こし=幹線への成長に期待―神戸空港

16日開港の神戸空港について、航空業界は、
「神戸市とその周辺には300万人の顧客が控え、ビジネス・観光とも潜在力が高い」
(新町敏行日本航空社長)として、幹線への成長を期待している。
同空港には、日航、全日本空輸、スカイマークエアラインズの3社が乗り入れを予定。
いずれも新幹線を下回る運賃を打ち出し、航空と鉄道の間で激しい競争が起きそうだ。 
(時事通信) - 2月15日
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関西で3つ目の空港が誕生した。
飛行場の選択肢が一つ増えたということになる。
三宮から「ポートライナー」で最短16分。
初年旅客319万人と見込んでいるそうだ。

建設にかかった費用3140億円。返済目途は立っていないらしい。
騒音問題、半径25kmに各空港があるため複雑な路線で事故の心配など、
いろいろ問題がとり挙げられているが、利用者の多くは選択肢が増えたから嬉しいのでは。

今住んでいる所からは伊丹空港が一番近い。が、
神戸空港の方が安ければ神戸を利用するかも知れない。
新幹線よりも神戸空港の方がトータルで安ければ利用するかも知れない。
東京行くときは、スカイマークのスカイバーゲンが一番お徳!行くときは是非利用したい!
でも、いつ東京行こう・・・。しばらく未定・・。

個人的に残念なことは「神戸−福岡」が無いこと。
せっかく運賃安いのに帰省時に利用できないではないかああ・・・(涙)

■神戸空港
■スカイマーク神戸線 羽田−神戸 10,000円(スカイバーゲン5,000円)
■ANA国内線 羽田−神戸 (開港記念特割) 9,500円
■JAL国内線 羽田−神戸 (開港記念特割) 9,200円

桂小五郎潜居の宿

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木戸松菊公遺蹟
京都蛤御門の変(元治元年七月)の後、桂小五郎が身を隠していた宿(当時松本屋)である。
彼は出石の広戸勘助・直蔵の助けで但馬に落ちのび出石に潜伏していた。しかし、追手の追及厳しく、九月には母と娘タキが営む当館に身を移している。そこでタキの一心なる世話を受けたという。
彼が隠れていた部屋と「朝霧の晴れ間はさらに富士の山」と墨書された板戸は、大正十四年の北但大地震で焼失している。
ここに建つ記念碑は、直蔵の息子正蔵の尽力により出石郡教育会が建てたものである。
昭和三十八年春、司馬遼太郎は「竜馬がゆく」(希望の章)の取材と執筆のため、つたやに滞在している

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つたや旅館
往昔、当地は但馬國城崎郡湯島村といい、畿内貴顕の
湯治場であった。桂小五郎、蛤御門の変ののち遁れて
ここに潜み、当館にて主人母娘の世話を受けたという。

司馬遼太郎 記

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桂小五郎が滞在した部屋は「桂の間」として再現されている。

男は用心ぶかい眼でじっと見つめていたが、やがて堀田の好人物そうな笑顔に、多少警戒を解いたのか、
片頬でちょっと笑った。それが、男惚れしそうなほどあざやかな表情だった。
「碁でも打ちませんか」
「ええ」
男は、障子を閉めた。
夕食後、堀田は男と基盤をかこんだ。

・・・
ほどなく城崎湯島村の松本屋の娘タキが、身籠ったことをきいた。
そのころは、桂はすでに城崎にいない。

司馬遼太郎「幕末 "逃げの小五郎"」より

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桂小五郎はじめ、西郷隆盛、勝海舟、山県有朋の書も展示されており
歴史好きにとっては嬉しい旅館だ。


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