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第5回「新妻の誓い」 2月5日放送  

晴れて夫婦となった千代(仲間由紀恵)と一豊(上川隆也)は、これまでの空白を埋めようとするかのように二人きりの会話に没頭する。一豊から『一国一城の主になる』という夢を聞かされた千代は、同じ夢を追い、夫婦ともに歩む誓いを胸に刻む。その頃、天下布武の印を掲げ上洛の意気上がる信長(舘ひろし)は、秀吉(柄本明)の助言を入れ、近江・浅井氏の調略を考えていた。その手段となったのが実妹の市(大地真央)。信長のため、市は自ら浅井家との縁組みを申し出る。その市の突然の訪問を受け、驚く千代。命じられるまま、近江について懸命に話す。帰りがけ、市は、寧々(浅野ゆう子)に頼まれて千代が縫い上げていた小袖に目を止め、そのまま持ち帰ってしまう。
数日後、その小袖を着て山内家を再訪した市は千代を馬駆けに誘う。他人の知らない信長の優しさ、未知の相手に嫁ぐ不安を語る市を千代は力づけようとする。夫婦となるべき相手を決められない市はふびんだと一豊。しかし千代は、市によって戦が止められ、多くの命が救われる、それは戦に出るのと同じくらい大切なことではないのかと一豊に訴えるのだった。 
大河ドラマ「功名が辻」

今回初登場?ロンドンブーツの田村淳中村一氏役。
相撲の稽古をするところで出てきた。一豊とともに秀吉に仕える役だから、これから長いつきあいに
なるんだろう。意外と武士姿も似合っていたし自然な演技だったからよかった。

信長は稲葉山城を「岐阜」城と改め、次は「天下布武」を目標として上洛を目指すことを宣言。
それに対し秀吉は「まだ時期尚早かと思います」と言ってしまう。家臣のみんなそう思っていたが
言えなかった言葉。しかし、上洛の為の策はまだ考えてなかった。
信長は秀吉に一喝!!
秀吉はすぐさま状況を調査した。
この辺、すぐ調べたり動けるネットワークを日頃から作っている秀吉はすごいと思う。
見習わなければ。

一豊は近江に薬売りの格好で視察に出かけることになる。
その一豊に、千代は「ふな寿司」とっても美味しいから食べてみて!と勧めていたが、今回は食べる
シーンはなかった。ふな寿司を食べる顔が見たかった〜。

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一豊の父、盛豊が丹波の国で戦った時、背中にさした旗指物が奪われた。
そこで、近くにあった柏の木を折って指物として戦ったところ勝利した。
三枚の葉っぱだけ残っていた。そのことから「丸に三葉柏」を家紋にしたと伝えられてる。
「そういうことも聞いてないの?一緒にいながら!」

お市がけなげに政略嫁入りを決断した。
大地真央が嫁入り役ってのは無理があると思ったけど、あいかわらず美人で若さを保っている。
なんとかいけそう。信長の妹としてのイメージも合っているし。
嫁入り先の浅井長政は実際は若いが役者は榎本孝明だ。均衡がとれる。

時代が動き始めた。来週からますます面白くなりそうだ。

第5回で紹介された史跡など
岐阜城
立政寺
長良川の鵜飼い
第4回「炎の中の抱擁」 1月29日放送
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竹中半兵衛(筒井道隆)の庵で互いの胸の内を語り合う千代(仲間由紀恵)と一豊(上川隆也)。互いに思い合う気持ちを確かめるが、敵味方に分かれてしまった二人に思いをとげる手立てがあろうはずもなく、運命とあきらめ後ろ髪を引かれながら別れるより他なかった。ところが半兵衛はなぜか信長方につく事を決意、信長(舘ひろし)から、秀吉(柄本明)の配下として認められる。秀吉による美濃方の武将の調略も進み、いよいよ美濃の主城・稲葉山城を攻略せんとする信長軍。千代は養父・市之丞(津川雅彦)らとともに稲葉山城にろう城する。信長方では、城に攻め入れば女子どもも皆殺しにせよとの命令に、一豊は千代を思い、やりきれなさを感じていた。難攻不落の稲葉山城は容易に落ちず、焦る信長に半兵衛は、少人数なら城へ登れる小道があると手立てを示す。そして半兵衛は、一豊に、真っ先に城へ入り、千代を救えとささやくのだった。城内へ踊り込み千代を探す一豊。そして、自刃せんとする養父・市之丞を織田兵から守る長刀姿の千代を見つけ、間一髪でその命を救う。稲葉山城陥落後、城下の一豊の家に、母・法秀尼(佐久間良子)、弟・康豊(玉木宏)らが集まってくる。そして花嫁姿の千代も到着。千代・一豊の祝言がとり行われるのであった。 

稲葉山城が落ちた。
信長が「明日落ちなければ皆、なで斬りじゃ!」といった翌日に落ちた。
信長のような上役がいると、家来たちは必死でやらざるを得ない状況になる。
現代社会でもよくにた状況があるなあ〜とこのシーンをみて思った。
状況が難しくなればなるほど、ああいう風にいわないと部下はなかなか腰を上げないことが多い。
ただ、能力がある社長や上司のいうことなら一生懸命ついていくだろうが、実際そうでない場合が多い
気がする。信長になりたいのは分かるが、勘違いをしてもらっては困る。
ただ、部下も自分を秀吉や竹中半兵衛と勘違いしている者もいるから、どっちもどっちだが。

今回のみどころは、火がまわって落城寸前の稲葉山城で、プロポーズをしたところだろう。
千代の養父・不破市之丞の自刃をとめる形でのお互いの告白。
ありえない話と分かっていながらこの状況に感動してしまった。
そして、千代・一豊の祝言。
その夜、竹中半兵衛はそのことで眠られない様子だったし、六平太は影で涙目だった。
やはり二人も千代を好きだったということらしい。
なかなか、おもしろいじゃあないか。この設定。
焼け跡での不破市之丞は「お茶の水博士」みたいな髪してたし(笑)

57年前の今日、法隆寺金堂の壁画が焼けた。
法隆寺金堂内には、釈迦、阿弥陀、弥勒、薬師、飛天が描かれていたが、飛天だけを残し他は焼失。
解体修理の際に起きた火災だったという。(現在は模写が壁面を飾っている。)
それを機に制定されたのが1月26日「文化財防火デー」だそうだ。

【法隆寺の壁画焼損風化させぬと誓って防火訓練】

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法隆寺で行われた防火訓練、一斉に放水 
   
奈良県斑鳩町、法隆寺の金堂壁画焼損(1949年)を機に制定された文化財防火デーの26日、同寺で、再発防止を誓う法要と、防火訓練が行われた。
法要では大野玄妙管長ら僧侶13人が金堂と、焼けた壁画を保管する収蔵庫で読経。境内の鏡池で、寺の自衛消防団や町の消防団、西和消防署員ら約100人がホースで一斉に放水した。
57年前の火事は修復作業中に起きており、大野管長は「風化させず、今後も気を引き締めて、寺を守っていきたい」と、決意を新たにしていた。
(読売新聞) - 1月26日

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「法隆寺」と「金堂壁画(阿弥陀)」の切手

小学生の頃「切手集め」のブームがあった。
そのとき通販で法隆寺の切手を買ったことがある。(左側:1967年11月1日発行)
好きな切手の一つだ。
実家の押入れに今もしまってある。

法隆寺にまた行きたくなった。
今度は、じっくり金堂の壁画(模写)を見てみようかな。
第2回「決別の河」 1月15日放送 
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  一豊(上川隆也)は藤吉郎(柄本明)から槍の腕を見込まれ、信長に正式に仕官するまでの間、自分の側にいて身を守ってくれと頼まれる。一豊は、母・法秀尼(佐久間良子)を訪ね、信長に仕官する許しを得ようとするが、そこで千代(子役・永井杏)と再会する。千代は法秀尼を母のように慕い、法秀尼も千代と暮らすことを心の慰めとしていたのであった。千代は、亡き実母の縁を頼ってすぐにでも美濃へ出立するつもりだという。美濃は、信長が次に攻めるところ。危険だから行くなという一豊の言葉を千代は聞こうとしない。藤吉郎から明日にでも信長が美濃攻めに出るであろうと聞いた一豊は、千代の身を案じ、急ぎ、尾張と美濃の国境へと向かう。折しも千代は、河を渡り美濃へ入ろうとしていた。行くなと叫ぶ一豊に千代は言う。『亡きかか様が言いました。美濃の人間になれと』しかたなく一豊は千代を見送る。千代は死んだ母の姉の嫁ぎ先、美濃の不破市之丞(津川雅彦)の家を訪ねた。信長の美濃攻めが始まり、戦は美濃の智将・竹中半兵衛(筒井道隆)と藤吉郎の知恵比べの様相を呈してゆく。この戦さの中で藤吉郎は頭角を現し、寧々と祝言を挙げる。市之丞の元で美しい娘へと育った千代(仲間由紀恵)は、ある日半兵衛から墨俣への遠乗りに誘われる。そこは、美濃と尾張の戦にとって要害の地。奇しくも、幼い千代が尾張から美濃へと渡ってきた川があるところであった。千代は、河向こうの尾張側に一豊の姿を発見する――。 

第二回。大きなみどころはなかった気がするが、終盤に幼い千代はお姉さん千代(仲間由紀恵)
と交代した。素朴な千代が随分あか抜けた。竹中半兵衛(筒井道隆)もいよいよ登場。
まだ若いながらも敵方のの尾張に名を轟かせた男。戦国では絶対不可欠の男が出てきた。
筒井道隆は「新選組!」の会津候のイメージがまだ自分の中では残っているからなんか変な感じ。
落ち着いたやさしさがある殿様役はぴったりだったが、軍師半兵衛をどう見せるのか。
これから見ものだ。千代と仲良く馬で並走しちゃったりしてたが、まさか三角関係でもはじまる?
なんて予感が。次はどうなる。



第3回「運命の再会」 1月22日放送  
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 千代(仲間由紀恵)の元に幼なじみの六平太(香川照之)が現れる。千代を守るために来たという。故郷の村を焼かれた時、六平太は千代と生き別れになり、甲賀に流れ、そこで忍びとなっていたのだった。千代は『尾張にいる山内一豊様が無事かどうか調べてほしい』と六平太に頼む。藤吉郎(柄本明)は信長(舘ひろし)に対し、美濃攻略のために墨俣に砦を築き、そこを拠点として美濃の武将を調略すべきだと献策する。藤吉郎は見事に砦を築き、信長から秀吉という名を与えられる。その片腕となっていた一豊は織田家の配下・秀吉付きの武将として正式に認められる。
 ある日、藤吉郎は一豊を従えて美濃の竹中半兵衛(筒井道隆)を訪れ、信長につけと調略を試みる。半兵衛は、美濃を裏切るつもりはないと拒否するが、一豊は、そこで美しく成長した千代と再会を果たすことが出来たのだった。
 しかし、敵味方となり分かれてしまった運命の前にふたりは、親しく語り合う暇もなく、ただ見つめ合うだけであった。一豊はその日以来、千代のことが気になって仕方ない。様子のおかしい一豊に、家来の五藤吉兵衛(武田鉄矢)・祖父江新右衛門(前田吟)らも心配しきり。藤吉郎は半兵衛の調略を何度も試みるが、半兵衛の意志は固い。しかし、ある日半兵衛から、一豊を連れて来てくれとの書状が藤吉郎に届く。半兵衛の庵を訪ねると待っていたのは──。 

いよいよ秀吉が墨俣一夜城を築城した。建て方は今でいうプレハブのはしりともいうべき方法との説明。
あわただしくバタバタといつの間にか建ててしまってた。相手方の反応はどう次が楽しみだ。
第三回のみどころは、やはり題名どおり再会だった。
我ながらおっさんなりにドキドキした。
いきなり幼馴染の六平太(香川照之)が登場してきて、「仲間だけが知っている」みたいな「玉」か「木の実」?
を見せて千代(仲間由紀恵)を抱きしめたり。おいおい、そんな関係〜?なんて。千代がモテモテだ。
新しい名前を信長からもらったばかりの「秀吉」が竹中半兵衛に直接会いに行くとき一豊も連れていった。
二人の女中さんが茶を出すシーンで千代が登場。当然千代は一豊に出すなと・・・想像どおり一豊に行った。
そして、秘密の「玉」か「木の実」を手の平に見せた。
あの驚きの顔。
なんかおもしろい。大河なのに恋愛ドラマをしているのがよかった(笑)



第3回で紹介された史跡
郡上八幡城下町(千代の生まれ故郷)

イサム・ノグチ

今日のスマステで天才芸術家として特集されていたイサム・ノグチ。
日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、様々な差別や困難に立ち向かいながらも、
数々の作品を世に送り出し、「ミケランジェロの再来」と言われた天才芸術家。
そんなイサム・ノグチの波乱の生涯をクローズアップ!!
名前すら知らなかった自分をちょっと恥ずかしいと思いつつ、
忘れないために記録しておこうと思う。
でも、アカリシリーズは電気屋で見た記憶があるような。ちょっと救われた気分。

イサム・ノグチ


1904年11月17日、アメリカのロサンゼルス生まれ
母レオニー・ギルモア、 
父はアメリカで詩人として名を馳せた野口米次郎、生まれた時にはアメリカにいなかった。

母と日本へ渡り3人で暮らすが長く続かず母子だけになる。
神奈川県の茅ヶ崎で母と暮らす。
小学校では混血により風貌がちがうため「仲間はずれ」にされ「いじめ」られた。
ひとりで「石ころ」をけずるなどして遊ぶことが多くなった。
心配した母は、大工さんへ手伝いにだす。

13歳の時、母はアメリカで全寮制の建築学校が新たにできたことを知り、単身アメリカへ留学させる。
木彫りが得意なイサムはまたたくまに「東洋からやってきた天才」と人気者になった。
しかしその学校が経営上の理由で閉鎖。
しかし学校の校長先生がイサムを心配し、高校まで面倒をみてくれた。
手に職をつけないと生きていけないからと、先生は医者になることを進めた。

そして名門「コロンビア大学」に入門。
大学には、当時ノーベル賞候補といわれていた 野口英世 がいた。
野口は同姓のイサムを食事に誘いだし日本の話でもりあがった。
そして、「医学と芸術はどっちが大切ですか?」と英世に問う。
英世は「医者のできる範囲は狭い。芸術は広い」と言った。
これをきっかけにイサムは芸術家になる選択をした。

33歳
1938年、 ロックフェラーセンターのステンレス・スチール の作品が
レリーフ・コンペティションで一等を獲得。一躍アメリカの芸術界に躍り出た。

しかし、1941年日本が真珠湾に攻撃。大平洋戦争がはじまってしまう。
西海岸に多くいた日系人は強制的に収容所に入れられた。しかし、東海岸には日系人は少なく、
イサムはその対象にはならなかった。が、収容所に入ることを希望した。
日系人たちと理想のコミュニティをつくりたかったからだ。収容所にプールをつくるなどの提案
をアメリガ側にしたものの、結局実現しなかった。そのアメリカとの接近が収容されていた日系人
にたちは不審な行動に映りスパイと思うようになった。
居場所がなくなった。
心配した芸術家の友人の懇願により収容所を出してもらった。

そして暫くのち再び日本へ。
岐阜ちょうちんをヒントに照明デザインを開始。
「あかり(Akari)」シリーズ 

広島から 原爆慰霊碑 のデザインが依頼される。
デザインが出来あがり着工の直前になって委員会のひとりが断固反対。
結局採用されなかった。
かわりにイサムは友人の建築家を指名、丹下健三が携わることになった。

アメリカで、 ケネディ大統領墓所 のデザインの依頼がくる。
しかしこれも結局、混血との理由で委員会の反対にあい却下された。

1951年 女優・山口淑子(李香蘭)と結婚。

81歳
1986年、芸術界のオリンピックともいうべき
「ヴェネツィア・ビエンナーレ」のアメリカ代表 
としてただ一人選ばれた。
翌1987年にはレーガン大統領から
アメリカ国民芸術勲章 を授与された。
やっとアメリカで人種をこえて認められた。

1988年 日本で 勲三等瑞宝章 を受ける。
同年12月20日、ニューヨークで死去。享年84歳。


参考サイト:
もっと知りたい、イサム・ノグチ
イサム・ノグチ (フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia))

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