幕末・明治の史跡

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

妻籠宿

イメージ 1

元治元(1864)年11月26日、天狗党は妻籠宿と馬籠宿、そして中津川宿に分宿。
妻籠宿本陣には武田耕雲斎が宿泊した。

イメージ 2 イメージ 3

この夏のはじめに木曽路の天狗党史跡に行くことを決め、
関連して急きょ読み始めた島崎藤村の「夜明け前」。

幕末の木曽路に生きた島崎藤村の父「青山半蔵」のことを綴った小説だ。
幕末の志士達の話もいいが、こういう庶民の話も面白い。

なぜだか、以下のくだりが一番印象に残っている。

小鳥の名所として土地のものが誇る木曽の山の中でも、あんな年はめったになかった。
(中略)
アトリ三十羽に、茶漬三杯食えば、褒美として別に三十羽もらえる。
もし又、その三十羽と茶漬三杯食えなかった時は、あべこべに六十羽
差し出さなければならないという約束だ。

「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著より

鳥がたくさんとれた嘉永二年に、鳥と茶漬けの大食い大会があったという話、
木曽の山を車で走っているときに、ずっと、その話ばかりが頭に浮かんでいた。

どうやって鳥を捕まえていたんだろう・・・
このあたりの主食は鳥だったのだろうか・・・

江戸時代へのタイムトリップを味わえた妻籠宿。
とてもいいところだった。
今度はゆっくり、のんびり訪れてみたい。

妻籠宿本陣

イメージ 4

「いづれ浪士は清内路から蘭へかかって、橋場へ出て来ましょう。
あれから私の家(妻籠宿本陣)をめがけてやってくるだろうと思うんです。
もし来たら、私は旅人として迎えるつもりです」

「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著より

イメージ 5 イメージ 6

妻籠宿脇本陣

イメージ 7 イメージ 8

開く トラックバック(1)

下諏訪宿

イメージ 1

下諏訪宿(しもすわじゅく)とは、甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点、中山道六十九次のうち二十九番目にあたる宿場。現在の長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり、難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた。古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている。

本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている。諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、広大な庭園を持つ知られていたが、現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができる。皇女和宮降嫁の際宿泊した。
脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業している。
旧称は下ノ諏訪。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本陣 岩波家

イメージ 2

明治天皇御小休処、和宮御宿泊処、中山道随一名庭園、である。

武田耕雲斎も宿泊した。

イメージ 3 イメージ 4

イメージ 5 イメージ 6

天狗勢は進んで、下諏訪宿に入った。宿場の者たちはみな逃げていて、人の姿はない。
幹部たちは、無人になっている本陣の岩波太左衛門の家と来迎寺に入り、他の者たちは
旅籠屋や民家に入った。

かれらは激しい空腹感におそわれていて、すぐに火をたいて炊飯をはじめた。家々には
洗った米がザルに入れたままになっていたり、焼き魚や煮物が食べ残されていたりして、
町の者たちがあわただしく逃げていってことをしめしていた・・・・。

(天狗争乱 吉村昭著より)

来迎寺

イメージ 7


藤田小四郎らが宿泊した。

場所: 長野県 下諏訪町横町( 地図

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事