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中山道の中で最大の難所といわれた和田峠にある、旅人に粥と焚火を施行していた休憩所。 嘉永5年からこの地にあったというから、天狗党もこの前を通ったに違いない。 建物の脇には湧き水が出る蛇口があって近所の人も水を汲みにきていた。 飲んでみたら、とても冷たくおいしい水でした。 場所: 長野県 小県郡長和町和田峠接待(地図) 天狗党は朝六時ごろから十時ごろにかけて和田宿を出発。
宿役人の調べでは、総勢1017人、乗馬70頭、小荷駄馬74頭、大砲(車台付)8門、 堂々たる隊列を整え進軍した。 午後三時頃、右手の干草山の頂に天狗の先鋒隊が赤旗と白旗とを打ち立て、敵陣に接近して 砲撃を開始し戦端を開いた。 藤田小四郎の三番隊150人が幅2メートルほどの中山道を正面から攻めあがる。 松本、高島連合軍も一斉に火ぶたをきり轟音が山々にこだまする・・・ (天狗党追録 室伏勇著より) 浪人塚場所: 長野県 諏訪郡下諏訪町樋橋(地図)
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幕末・明治の史跡
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天狗党千百数十人は追討軍の夜襲を気にしながらも、和田宿で久しぶりに
疲れをいやすことができた。 宿場の人々が天狗党に対して好意的な態度で接してくれたからであった。 しかし、天狗党にとってはこの先の和田峠越えが心配であった。 すでに松本藩が峠を越えた桶橋村で諏訪勢と合流しており、その際 諏訪より手伝いを出して、松本軍の陣替えを済ませた・・・・ (天狗党追録 室伏勇著より) 和田宿本陣天狗党総大将 武田耕雲斎はこの本陣長井家に宿泊。 三年前の文久元年に「和宮」が宿泊したという上段の間をすすめられたが、 耕雲斎は恐れ多いということで違う部屋に宿泊したそうです。 場所:長野県小県郡長和町(地図)
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岩倉具視 幽閉中、密かに薩摩の大久保利通、土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎ら志士たちが この宅に出入りし、王政復古の密議を行っていた。 岩倉具視の退隠所は、北側が畑になっている。南は村道に面してうらぶれた通用門があり、
杉垣のむこうに比叡山が見える。敷地は思ったよりひろく、四百坪もありそうである。 宅地は赤色の塀でかこまれ、ところどころ崩れおち、一部が杉垣になっている。 その杉垣から、中岡は犬のようにくぐってなかにはいっていった。 家は小さい。 近在の百姓が隠居所として建てたもので、六畳、四畳半、三畳しかなかった。三畳の間には 下僕の与三が寝、六畳の間であるじの岩倉が起居しているらしい。 (これがさきの中将の家か) とおもえば、いかにも先帝の勘当をうけた罪人の身とはいえ、中岡はあわれを催した。 司馬遼太郎『竜馬がゆく』より |
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坂本龍馬をはじめ幕末の志士に影響を与えた男
河田小龍 土佐高知の生まれ。吉田東洋に従い京都へ上り狩野永岳の門に入る。 嘉永3年土佐に帰り、同5年、ジョン万次郎の帰国に際し小龍は彼と起居を共にし 漂流談を絵入りで綴り「漂巽紀略」と題して土佐山内家へ献上した。この五巻の本は、 万次郎が後に幕府直参になり江川太郎左衛門の手付となり、やがては日本外交の陰の 力となるきっかけとなった。 小龍の友人、土佐藩医師 岡上新輔の妻"乙女"の縁から、坂本龍馬は「漂巽紀略」を知る ことになる。 嘉永7年11月、龍馬は小龍を訪れた。 龍馬は時勢について知り、武備開港の必然を悟り、対外政策の要を学んだ。 (幕末維新京都史跡辞典より) 場所:京都市北区等寺院北町
等持院墓地内(立命館大学構内を通過して入る) |
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足利三代木像梟首事件 江戸時代後期、幕末の文久3年(1863年)2月22日に、京都等持院にあった室町幕府初代将軍足利尊氏、 2代義詮、3代義満の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒された事件である。 犯人は平田派国学の門人である三輪田元綱、師岡正胤とされ、会津藩士も関与。足利将軍3代を逆賊とする罪状が掲げられた。それまでの天誅は、開国派や公武合体派であった個人を狙ってのものが大半であったが、この事件では足利将軍の木像を梟首することで暗に倒幕の意味を持つものとして重視された。 事件は江戸で公募された浪士組の上洛直前にあたり、挑発的行為とも考えられている。京都守護職の松平容保は犯人捕縛を命じ、浪士の一斉蜂起も懸念されたが、1863年4月には犯人は逮捕され、8月には処罰される。事件後は浪士取締りが強化する。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 等持院
臨済宗天龍寺派。足利尊氏の墓所としても知られる。 足利尊氏は、1341年(暦応2年)に現在の柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その二年後の1343年、現在の等持院北町に別院北等持寺を建立した。尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になった。 場所:京都市北区等寺院北町(地図) 足利尊氏公の墓 |





