【31日に内閣改造・党役員人事…異例の国会閉会前日】 小泉首相は内閣改造と自民党役員人事を31日に行うことを決め、28日午後の自民党緊急役員会で了承を得た。同党は緊急役員会と総務会で人事を首相に一任した。首相は31日午後1時からの衆院本会議後、党3役を選出、その後、新閣僚の首相官邸への呼び込みを行う。同日中に認証式を行い、第3次小泉改造内閣が発足する。 (読売新聞 - 10月28日) いつもはあまり気にしないのだが、今回の内閣はどんな顔ぶれになるのかが気になる。 小泉首相は「改革意欲に富んだ人。適材適所」といっているが、楽しみでもある。 とくに外相と官房長官。大いに力を発揮する人になってほしい。 このニュースをきいて、なぜか、明治時代の初代内閣も気になってきた。 下記に簡単にまとめてみた。 幕臣の榎本、土佐の谷を除いて薩摩、長州。維新を達成するために幕末期にリーダーとして 活躍した人物ばかりだ。活躍というよりその達成のために暴れてきたツワモノたちだ。 当時、彼らにはとても口答えできなかっただろう。 森有礼は他に比べると真面目なタイプかな。 職名 名前(出身)幕末期の主な経歴など。 第1代 伊藤内閣−明治18年12月22日成立
内閣総理大臣 伊藤博文 (長州)=松下村塾出身。高杉晋作関与の事件にほぼ参加。ロンドン留学。 外務大臣 井上 馨 (長州)=高杉晋作とともに英国公使館焼討ちに参加。ロンドン留学。 内務大臣 山県有朋 (長州)=奇兵隊軍監として活躍。 大蔵大臣 松方正義 (薩摩)=生麦事件、寺田屋事件にも関係した。日本銀行創設。 陸軍大臣 大山 巖 (薩摩)=西郷隆盛の従弟。薩摩藩の精忠組出身。 海軍大臣 西郷從道 (薩摩)=西郷隆盛の実弟。薩摩藩の精忠組出身。 司法大臣 山田顕義 (長州)=松下村塾出身。村田清風は大伯父。日本大学創始者。 文部大臣 森 有礼 (薩摩)=慶応元年(1865)英国に留学、米国を経て明治元年(1868)帰国。 農商務大臣 谷 干城 (土佐) =武市半平太、坂本龍馬と親交があった。西南の役で熊本鎮台司令長官。 逓信大臣 榎本武揚 (幕臣)= 徳川幕府の海軍副総裁。函館戦争で土方歳三らと共に新政府軍に抗戦。 内閣書記官長 田中光顯(兼任) 法制局長官 山尾庸三 (長州) =高杉晋作とともに英国公使館焼討ちに参加。ロンドン留学。 |
幕末・明治
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【松山の露軍大佐石碑:「墓ではなく記念碑」藻利佳彦さんらのグループ発表 / 愛媛 】 「遺体は露に移送」 松山市御幸のロシア人墓地にある日露戦争で捕虜になった戦艦「ペレスベート」艦長、ワシリー・アルセーニェビッチ・ボイスマン大佐(1855―1905)の墓とされる石碑について「大佐の遺体は実際には同墓地ではなくロシアのウラジオストク市の公園に埋葬された可能性が高い。石碑は97人のロシア兵の名前を刻んだ記念碑だった」と東京ロシア語学院主事の藻利佳彦さん(52)らの研究グループが26日、発表した。藻利さんらは「事実を確認し、記念碑に戻すべきだ」と話している。藻利さんらによると石碑は松山市にあったロシア兵捕虜収容所で死亡した97人の名前、所属部隊、階級などを銅版に記して張り付けた記念碑として1906年に建てられた。だが、戦後に名前などを記した銅版が何者かにはぎ取られてしまったため、65年に市民らが「ワシリー・ボイスマン大佐之墓」と彫り、墓として扱われてきたという。藻利さんらはこれまでの研究から (1)記念碑だったのは写真が残っており明らか (2)大佐の遺体は遺族の希望でロシアに運ばれたことが遺体移送の許可証などの外交文書で証明される (3)96年にウラジオストク市の公園で同大佐と思われる遺体が発見された、などから、石碑は大佐の墓ではなく、記念碑の形に戻すのが適当、と説明した。 今年が没後100年になるボイスマン大佐は誠実な人柄が語り継がれている。同墓地については市民が保存会を作り、ボランティアで清掃活動などを続けている。管理する同市生活衛生課は「一部の骨は松山に残されたと聞いている。市民が墓を大事に思う気持ちを大切にし、現状のままで保存・整備を続けたい」と話している。同墓地は04年1月に小泉純一郎首相が視察するなど注目を浴びる機会も多い。研究グループは「大佐の遺体は火葬されていないので『分骨した』という話は根拠がない。今まで活動されてきた保存会の方々の気持ちを踏みにじるつもりはないが、墓でないものに墓と書いてあるのはやはりおかしい。以前の形に戻すべきだ」と話した。 (毎日新聞朝刊−9月27日) 【小村寿太郎:生誕150年で記念式典 遺徳を顕彰 / 日南 宮崎】 日南市出身の明治の外相、小村寿太郎(1855〜1911年)の生誕150周年記念式典が26日、日南市飫肥の国際交流センター小村記念館であった。奉賛会長の谷口義幸市長が「日露戦争を終結したポーツマス講和を成し遂げた小村侯の遺徳を顕彰したい」と式辞を述べた。式典は小村侯の誕生日に合わせて開かれた。外務省北米局北米第一課の夏目勝弘・地域調査官が、日南市とポーツマス市との20年間の姉妹都市交流について「150年以上にわたる日米間のきずなをよりいっそう強化するもの」と話した。 「歴史探偵」を自称する作家の半藤一利さん(75)が「陸奥宗光と小村寿太郎」と題して講演。半藤さんや日露戦争研究会の松村正義会長(77)らによるパネルディスカションもあった。ポーツマス条約締結後、油津に帰ってきた小村のために踊ったとされる飫肥城下町に伝わる泰平踊りも披露された。 県などで組織する「郷土先覚者銅像建設委員会」は、宮崎市の県総合文化公園に小村寿太郎の銅像を建設した。小村像は建設費2100万円で、6基目。 (毎日新聞朝刊−9月27日) |
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明治維新の立役者、西郷隆盛。当時なにがそんなに人を魅了したのかをはっきり示してくれる |





