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岩井渓の自然と遊ぼ!
今まで使っていたカスタム背景が突如消えてしまったので、新たに作り直しました♪

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多摩川にサケ


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/35/ba/iwaikei55/folder/1201118/img_1201118_49456030_5?1258462711/


あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁ〜・・・・

大事な所でピントがボケたぁ・・・(;´д`)

おいっ、クボッチ!
今の、サケじゃなかったか?

へっ? 見てなかった・・・♪(^^;)






で、3日後のニュースで


と報じられた!

 狛江市を流れる多摩川の二ケ領(にかりょう)宿河原(しゅくがわら)堰(ぜき)付近にサケが遡上(そじょう)している。10日には、堰の手前で10匹前後が水しぶきをあげており、その下流では体長74センチの雄のサケが弱って浅瀬に流れ着いた。多摩川では30年近く市民の放流活動が続いているが、これほどまとまって遡上が確認されるのは珍しいという。(佐藤清孝、松村康史)

 10日午後、堰の手前の川面で、黒っぽい背びれが動いているのが見えた。10匹ぐらいはいるだろうか。川幅は約200メートル。北海道の標津(しべつ)サーモン科学館によると「大きな川で10匹程度も目視できるなら、実際にはかなりの数がいる可能性がある」という。

 近くに住む嶋村正博さん(70)は午前9時半ごろ、堰の約200メートル下流でも3匹が回遊しているのを見た。「70年間狛江に住んでいるが、初めて」。さらに下流の入り江では、繁殖後に弱って流れついたとみられる雄1匹を見つけ、間もなく死んだので引き揚げた。

 付近では10日ほど前から、サケの目撃情報が相次いでいるという。

 多摩川では80年代初めから、清流の象徴として稚魚の放流を呼びかけている団体があり、小学生らが授業の一環で放流するなどしている。狛江市の前任校から15年以上、児童と一緒に放流しているという世田谷区立砧南小の山浦弘子教諭は「これまでは1匹遡上してもニュースだったので、びっくり。子どもたちと見に行きたい」と話した。

 専門家によると、サケは4〜5年で生まれた川に戻ってくるが、回帰率は北海道で約5%。南ほど率が下がり、太平洋側の南限は千葉県と言われている。標津サーモン科学館の市村政樹学芸員は「多摩川の水質浄化や放流時の海の状況により稚魚の生存率が高まった可能性があるが、詳しいデータがないと何とも言えない」と話した。

 サケの放流をめぐっては「本来生息していない川に放すのは生態系を乱す」と反対する意見もある。また、水産資源保護法により、許可なく川で捕ることはできない。 
              [アサヒ・コム]


あっ、やはり あれはサケだったのかぁ!!

ということで、11/15も確認のため、再度見に行ったのだった。

しかし、その姿を確認する事は出来なかったのだが・・・・




私が矢口プロにいた時代。

「カムバック・サーモン運動」というのがあった


この運動は、河川浄化運動の達成度のわかりやすい指標として、また、環境教育の教材として、全国に波及した。
多摩川では、1982年に「東京にサケを呼ぶ会 (現:多摩川サケの会) 」によって稚魚放流が始まった。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/35/ba/iwaikei55/folder/1201118/img_1201118_49456030_6?1258462711/

高度成長で、汚濁が進んだ都市河川・多摩川をよみがえらせ、

再びサケが遡上する河川にしようとのキャンペーンを展開し、

サケをシンボルとした環境運動に広げていったのだった。

その後もこの運動は引き継がれて、サケの稚魚の放流は続いていたが・・・


再びサケが遡上する・・・?


多摩川に以前、サケは遡上していたの?


持ち込まない、持ち出さない、混ぜるな危険が生態系の原則ですから、

この運動に反対の方も結構いるようです。

「本来の分布域でない水系で放流されて水質改善の指標として利用されるサケや、それを環境教育の名の下に「良いこと」として押し付けられる子供が哀れである」と・・・


●放流に関わる生物多様性に対する問題点には下記のようなものがある。
    * 生息に適さない環境に放流した場合には,放流個体が短期間のうちに死滅するだけに終わる.  
    * 在来集団・他種・群集に生態学的負荷(捕食,競合,病気・寄生虫の伝染など)を与える.ひいては生態系に不可逆的な負荷を与えうる.  
    * 在来の近縁種と交雑する.その結果,遺伝・形態・生態的に変化し,地域環境への対象種の適応度が下がる.交雑個体に稔性がない場合には,直接的に在来・放流両集団の縮小につながる.  
    * 在来の同種集団が,遺伝的多様性(※3)が小さい,あるいは在来集団と異なる遺伝的性質をもつ放流個体と混合したり,置き換わることにより,地域環境への適応度が下がる.

●保全・自然復元のための放流は大きく3つのタイプに分けることができる.
    1) 再導入re-introduction:ある種がもともと自然分布し,絶滅してしまったところに,放流により集団を復元させようとすること. (対象となる種が生息地ですでに絶滅している場合,元の集団と遺伝的・生態的になるべく近いものを復元することが目的となる) 
    2) 補強re-inforcement/supplementation:現存の集団に同種の個体を加えること. (まだわずかな個体が生息地に残っているが,自力では集団が維持できない可能性が高い場合には,現存の集団の遺伝・生態的特性を最大限残すようなやり方で,個体を加える) 
    3) 保全的導入conservation/benign introductions:保全の目的で,もとの分布域外の適切な生息場所に,ある種を定着させようとすること.
  * それ以外の場合,つまり,絶滅の危険性が低い在来集団の生息場所に放流を行うことは,保全上の意義よりも悪影響が大きい場合があるので,放流以外の保全策を検討すべきである.例えば,分布生息状況や生息条件(水質,すみ場所,捕食者など)の調査,減少要因の解明,生息環境の保全管理と改善・整備,継続的な啓発活動などである.


『武江産物志』の河魚類には、[鱒魚(ます)]はあるが「サケ」はない。
江戸時代、多摩川には、サケは存在していなかった!!

現在のサケ天然分布の南限も利根川である。




多摩川に始めてサケの稚魚を放流したのは・・・


1877(明治10)年5月11日と23日には内藤新宿(現東京都新宿区)の勧農局試験場の

稚魚(那珂川で捕獲され鮭の受精卵)2千5百尾だった。ちなみに東京府は5月16日付けで、

「日本の水産業の繁栄を願ってサケの稚魚を放流したので、全員、どのような理由であっても

今までに見たこともないような魚(サケの稚魚)を捕ってはならない!」との稚魚捕獲禁止の諭達が出されている。

放流したのは、1843(天保14)年、加賀百万石の二百五十石取りの藩士、関沢安左衛門を父に持つ

“水産界のパイオニア”として評価された関沢明清である。

関沢明清は、1873(明治6)年のウィーンで開かれた万国博覧会に明治政府派遣団の一級事務官

として参加した。関沢明清には、博覧会の展示業務以外に、文明開化を推進するための大きな任務として

「貿易に関する調査」が与えられていた。

関沢は、博覧会のパビリオンの一つであったスエーデン・ノルウエー漁業館で水産加工品を目に止め、

同時にこれらの輸出収益の膨大なことに驚かされた。

そして次に訪れたオーストリア農業館にはサケの成長過程の標本が展示されていて、

サケの人工ふ化技術の存在を知らしめた。

1876(明治9)年に開催されたフィラデルフィア博覧会には事務官として再び参加した関沢は、

サケ・マスの人工ふ化技術を会得するとともに、カナダ産のサケの缶詰に注目し、

日本における水産業興隆の端緒を掴んだ。

   和田頴太著「鮭と鯨と日本人〜関沢明清の生涯」より



さて、大昔より多摩川にはサケは遡上してなかったのか?


その昔、縄文時代には東海、中部地方、和歌山県まで遡上していたのだった!!

縄文遺跡を見ると、サケの骨が発見されるのだ!!


では、多摩川ではどうだったのか?







多摩川本流の近く,平井川と秋川に挟まれた段丘上に位置したところに、

縄文初期の前田耕地遺跡がある。

その縄文集落の1軒からは,クマなどの動物の骨とともに、サケ科の顎歯(がくし)約8000点が

出土し,河川における漁労活動を示す最古の資料となっているのだ。


ってことは、

多摩川には昔、サケが遡上していたのだ!!


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/35/ba/iwaikei55/folder/1201118/img_1201118_49456030_7?1258462711/

ってことは、




再びサケが遡上する多摩川に!


というスローガンは、誤りではなかったということかぁ♪(^o^)ノ


ともあれ、サケが遡上するほど多摩川は、綺麗になってきているってことだ。

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