ここから本文です
岩井渓の自然と遊ぼ!
今まで使っていたカスタム背景が突如消えてしまったので、新たに作り直しました♪

書庫プロフィール

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

母ちゃん。。。

2/4仙台に着いたときは雪が降っていた。

イメージ 1



2/2(土)の夕方6時過ぎ、埼玉の姉からの携帯が鳴った。

「まっちゃ(弟)から今連絡があって、母ちゃんの意識が無いので救急車を呼んだから、
私もすぐ仙台に行くから」と・・・

嫁さんとお題目を唱えた。次女も帰って来て唱和した。


18;46弟が病院から電話をくれた。
「心肺は蘇生したけど意識が戻らない」

18:53また弟から連絡があった。
「呼吸が薄れて来た・・・」

19:17
「母ちゃん亡くなった。。。」
享年97歳







去年の3/29
父が亡くなった・・・





父と同い年の母、大正6年6月6日東京生まれ。父は大正6年5月1日生まれ。
母は関東大震災後、じっち(祖父)の郷里・仙台に住んだ。
終戦後、母は一人娘だったので父は岩井家に婿養子に入った。
そして、4人の子供を産み育てた。

私が中学を卒業した昭和46年。兄が大学を卒業し、
姉が高校を卒業し、弟が小学校を卒業した。
母はその年、全ての卒業式に参加してくれた。桜舞う春だった。

「私は一人っ子だったから、兄弟仲良くして欲しい」が、母の願いだった。

心配性の母だった。

気遣いが絶えない母だった。

自分の事は差し置き、他人の幸せを祈る母だった。

「負げでたまっが!」が信条の母だった。






式は家族葬・友人葬で行われた。


イメージ 2

母は亡くなる前日、デーホームで豆まきをして楽しんだそうな。
その夜は、弟が作ったカレーライスを食べた。
当日の朝は食欲が無く、またベットに入った。
昼は、レーズンパンとバナナとヨーグルトを食べ、また横になった。
夕食の準備をして、母を呼びに行く。起きたようだ。
台所で待っていたが、なかなか来ない。
再度見に行くと・・・
ベッドに腰掛けていた。

もう息はしていなかった。。。





通夜の夜は強風が吹き渡っていた。
風速28m/sだったそうだ。
この風と共に霊山に旅立ったのか・・・
翌日は抜けるような青空だった。



イメージ 3


告別式

イメージ 6

孫・ひ孫が整列して、代表で兄の長男がお別れの言葉を述べた。
「おばあちゃんとおじいちゃんが居なければ、ボク達は存在しません・・・
とても可愛がってくれて・・・」



孫達の寄せ書きです。

イメージ 4









母ちゃん、産んでくれてありがとう♪

母ちゃん、健康に育ててくれてありがとう♪

母ちゃん、愛してくれてありがとう♪

母ちゃん、心配してくれてありがとう♪

母ちゃん、励ましてくれてありがとう♪

母ちゃん、見守ってくれてありがとう♪

母ちゃん、祈ってくれてありがとう♪

母ちゃん、母ちゃん、ありがとうございました,(>д<) ̈, ̤ 。。。





イメージ 5

大晦日の弟のブログに載せてあった、母の画像。
たぶん、最後の写真・・・

仙台・与兵衛沼

仙台駅周辺の航空写真を見ると、緑が少ないなぁ・・・
(これは、震災前の航空写真です)

イメージ 7
仙台駅の北東部にこんもりとした緑がある。 
ここは与兵衛沼
(よへいぬま)
イメージ 1
親父に釣りに連れて行ってもらったことがある。


昭和40年 
小学5年生。
鉄砲町の三徳屋釣具店で二間半の継竿を買って、自転車で行ったのだ。
鉄砲町の実家からの距離、約3km。
子供心に、そうとう遠くまで来たように思えた。

当時、私が遊んでいた範囲は、家から半径1km程度だったろう。
雑魚釣りやガサ入れ出来る梅田川や清水沼が近くにあったからだ。
イメージ 8


沼に着いて、写真のヘラ師が並んでいる先の松林に自転車を止めて、
エサのミミズを近くで掘っていた。
当時、私的には釣りエサといえばミミズだった。

ここでの釣り物はフナかコイ、またはナマズ、ライギョだ。
タナゴも居ただろう。ここに二枚貝が居るというのは後年に知った。
ライギョは私的には未知の魚だった。
名前からして怖そうな魚。ライオンのような魚。雷の魚。
大きな口をした60cm以上に大きくなるヘビ柄の魚。
もしそんなのが掛かったら・・・興味と怖さが入り交じったエサ獲りだった。

エサ獲りを終えて自転車に戻って竿を取ろうとしたら、
自転車に備え付けていた買ったばかりの竿が無い!!
お袋が縫ってくれた竿袋に入った竿が・・・
盗まれた・・・!! 

じいちゃん=親父(子供が産まれてからは、そう呼ぶようになった)もその事を良く覚えていて、帰省して釣りの話になると、よくこの竿盗難事件の話をするのだった。

後年、全国的なブラックバスブームにともなって、この与兵衛沼もまた
バスアングラーの標的となり、密放流がされてしまった。


で、
鉄砲町の実家が区画整理の為に引越した先が、この与兵衛沼の近所だったのだ。
私が東京人となって、15年も後の事だ。


で、
この与兵衛沼の脇を通る都市計画道路「川内南小泉線」の建設地内に、
奈良時代から平安時代の窯跡(与兵衛沼窯跡)が発見され、
多賀城や陸奥国分寺に瓦を継続的に供給し続けた官窯であることがわかり、
古代の瓦生産、窯跡の変遷を考える上で貴重な窯跡なんだと。
イメージ 9


イメージ 10




で、この窯跡の発掘調査が行われ始めた2007に帰省した折り、
じいちゃんから手渡された物があった。
与兵衛沼を囲む森林や沢地を散策(キノコや山菜採り)するのが好きなじいちゃんは、
以前からここに遺跡があるだろうと思っていたそうだ。
その時に拾い集めた物の一部を見せてくれて、私にくれると言う。

イメージ 2


今は亡きじいちゃんが集めたであろう他の瓦などは、どこに仕舞ったのか・・・
納骨の時に弟に尋ねたが、知らないという。
床下にでも隠しているのかも知れないなぁ・・・

こんなものを集めたりするじいちゃん。
やはり、私はじいちゃんの血を受け継いでいる。


その後、この窯跡は埋め戻され、震災前に都市計画道路「川内南小泉線」は完成された
しかし、真新しいこの道路は震災によって、ヒビが入ったりもした・・・
イメージ 6




で、
去年の震災後の与兵衛沼は・・・

イメージ 3

水が抜かれていて、魚の姿は見られなかった。
梅田川に放流したのだろうか?




今春に訪れたときも
まだ水は入っていなかった。
イメージ 4

干上がった沼底を歩いてみた。
大量の二枚貝が干涸びていた・・・

イメージ 5

じいちゃんとの思いで多き与兵衛沼の復活を待っている・・・


過去の与兵衛沼ガサ記事


仙台でハーフマラソンがあった5月13日、私も帰仙していました。

ハーフマラソンに出場する為ではありません。

イメージ 1
3/29に霊山に旅立った父の納骨のためでした。


イメージ 2
父が楽しんでいた家庭菜園を弟が跡を継いで、
5/8に荒れ果てた畑の雑草を取り、
耕し肥料らしき物を入れ、やっとジャガ芋を植えたようです♪(^o^)ノ


朝、実家で父の手帳を見ました。
弟が父の遺品を整理する時に見つけた物です。
以前、父からちらっと見せてもらったものです。
5冊ほどありました。
私が産まれた時のは・・・この手帳だ。
イメージ 3
はじめの頁は昭和29年の元旦から・・・そして私が産まれた30年8月7日(土)晴れ。
う〜む、私の事が記載されていない・・・

仕事の事のみが記入されている手帳だからか・・・ちょっと寂しい。
おっ!仙台育英の校舎の屋根も父が葺いたのか! 
知らなかった・・・
私が育英に入学したときは、屋根瓦の旧校舎は、
クラブの部室として使われていて、2年の時には取り壊されてしまった。
イメージ 4
これは、瓦の枚数を計算した物か・・・?






お墓は蔵王連峰の南端の不忘山の麓にある公園墓地。
イメージ 5

桜の時期にはちょいと遅かったけど、
良い天気に恵まれて、自然が大好きな父の遺骨がこの地に納まりました。
きれいに整列した墓石は、全て同規格サイズの物です。
身分や家柄、見栄などを排した物です。
イメージ 6


暖かな日差しに、爽やかな千の風が吹き渡っていました。
不忘の地、ここに父は眠っていません…が、
不忘・・・私は朝晩手を合わせて父と会話します。




納骨の帰り、近くの遠刈田温泉で昼食&温泉


イメージ 7

満腹で・・・温泉に浸かれませんでした♪(^^;)


ここを流れる松川
イメージ 8

勿論、釣り!











やりませんでした・・・♪(^^;)










ガサもね♪(^^;)

父逝く・・・




多摩川土手の早咲き桜が満開になった3/29の午前中、埼玉の姉から携帯が鳴った。

「父の意識が無い」との弟からの連絡があり、これから仙台に帰る。とのこと・・・

昼過ぎ、弟から「父ちゃん、亡くなった」との報あり。胸が、胸が・・・


前日、なぜか父を思い出していた。
私 の一番古い記憶・・・
ゲタを履いた大きな父の足の上に幼い私の足が乗り、私の両手を後から父が支え、
家を出て表の通りの八百屋(駄菓子類も置いてあった) でお菓子(チューブ入りのチョコ)を
買ってもらった事。
三っつ下の弟が誕生する日で、産婆さんから家から出ているようにとの事で、
外に出されたと思う(た ぶん)。

それから、父が獲って来たコウモリを家の中で放した事。
ユリ根を採って来た事。それを母がホクホクに茹でて食べさせてくれた事。
どこからかカモを獲って(貰って?)来た事。
父の仕事(瓦屋根葺き職人)の現場を見に行った事。
いっしょに釣りに行った事。
父に食って掛かった事。
私が小さい時は星一徹のように、ちゃぶ台をひっくり返す怖い父だったが、
徐々に温和な父になっていった・・・等々

母が一人娘だったので、婿養子に岩井家に入った父だった。




翌日、やらなければならない仕事があり、4時の新幹線に家族で飛び乗る。

通夜はもう始まっていた。

イメージ 6


イメージ 1


故人と縁のない金儲け僧侶を呼ばない友人葬。
兄を導師として法華経・方便品寿量品を読誦し、お題目を唱えて追善回向した。
棺の中の収まった父の顔は少し口を開けて微笑んでいました。
イメージ 2




父は亡くなる前日、母とデイホームに行って楽しんで来た。
「春よ来い、は〜やく来い♪」と歌って来たそうな・・・

そして当日、コタツの中でうたた寝しながら・・・逝った。
享年96歳
大正6年5月1日生まれの94歳。

自転車に乗っていて車に引かれ飛ばされた事2度。屋根の上で感電したこと数回。
十数年前に心臓バイパス手術をして尚生命力満々の父だった。

しかし、昨年の大震災以降めっきり力を落としてしまった。
父の実家は宮城県南の亘理町。津波で大打撃を受けた地だ。
TVで惨事を視て、さぞや、さぞや胸が張り裂けただろう・・・
数ヶ月後、弟が亘理に行っみようと誘ったけど、行きたくないと断ったそうだ。




父の『もったいない精神』や『手の器用さ』『〇〇採取』『短気』などは、
そのまま私が受け継いだようだ。


『植物大好き』で庭いっぱいに好きな草木を植えていた。
しかし剪定などしないで、なるがままの自然状態にしておくのが、父の流儀!

2010の夏の庭と父

イメージ 4

しかし、枝が延び放題で邪魔な枝を弟が剪定すると、悲しい顔をしたという。


この日、紅白の梅が咲いていた。
イメージ 5

さて今後、その庭を弟はどうするか?
庭で成った青梅で梅干し梅酒を作ってきた弟なので、家庭菜園もしっかりやるに違いない。



以前、手帳にびっしり記された父の日記を見せてもらつた事がある。
そこには、父が屋根を葺いた東北各地の公立の建物名も記載されてあった。
その建物が当時のまま現存しているかどうか定かではないが、
その建物を父と一緒に車で訪ねる旅をしたいと密かに思っていた。
しかしその計画は叶わぬ夢に終わってしまった事が残念でならない。


イメージ 7
弟が、前日夜中に描いた『在りし日の父』の5枚組イラストが式場を飾っていた。




イメージ 8





イメージ 3

父ちゃん、ありがとね♪

当初、地震の規模を示すマグニチュードを8.8としていた今回の地震について、
マグニチュードを9.0に修正しました。
これは観測史上、世界で4番目の規模という事です。







昨日の午後、やっと仙台の弟と連絡が取れました。
埼玉の姉の情報では、実家は皆無事だったと言うことでしたが、
直接話す事が出来て安心しました。
母親が家財が倒れて膝を打ったそうだが、それほどのダメージは無かったらしい。
家の外壁に亀裂が入って、ブルーシートで覆ったという。
今でも停電中とのこと。
それから間もなく、家電にかけたらやっと通ずる事が出来ました。
元々実家の電話は黒電話タイプで電気を必要としない為、通じる訳なのですが、
混雑していて掛かりにくくなっていたのでした。
電話に出た母は元気でした。
津波が来なかっただけでも良かったと話していました。
近所の知り合い一家を自宅に泊めているという。
ガスもプロパンなので、煮炊きに支障は無く、近所にも配っているとのこと。
暖房は、石油ストーブがあったので大丈夫らしい。
夜はロウソク生活をしている。
兄とは直接連絡が取れないが、
避難民対策で地震発生直後から家に帰らず奮闘しているとのこと。

高校時代の友達とも何人かは連絡が取れたが、まだ安否が確認出来ない友人がいる。

嫁さんの実家の義弟も無事、停電中とのこと。
義姉は米沢でそれほどの被害は無かったそうだ。

東北のブロガーの無事も確認出来た。

クボッチの八戸の母親も無事だった。




イメージ 1

イメージ 2

ノビル
ノビルの栄養素で最も多いのが、ビタミンCです。
その含有量は100g中に60mg、イチゴとほぼ同じくらいの含有量です。
ビタミンCは肌荒れに効果的で、体調を整えるためにもビタミンCは必要な栄養素です。
春になると気温差が激しくなり、肌荒れを感じる人が多くなります。
からだの方も同じように、体調が崩れて風邪を引きやすくなります。
風邪を引くと血中のビタミンCの濃度が極端に低くなります。
これは免疫力低下にもつながってくるのです。
そのため、風邪を引いたとき、ビタミンCを多く摂ると良いと言われるのです。
しかしビタミンCは、体外に排出されやすく、意識して摂らないと一日の必要量を下回ります。
またストレスや喫煙によってもビタミンCは壊れてしまうので、
現代人はより一層摂る必要があります。
またストレスが増えると活性酸素が有害といわれる量まで増えてきます。
この活性酸素を必要な量に整えてくれるのがビタミンCです。

ノビルの臭いの成分は、ニンニクと同じアリシンです。
ですからニンニクと同じ臭いがします。
期待できる効果もニンニクと近いものがあり、強い殺菌力をもち、細菌やウィルスを殺してくれます。
またアリシンにはビタミンB1を含むものと一緒に食べるとビタミンB1の効果を倍増してくれ、
疲労回復を助け、スタミナもつけてくれます。
春先はからだがダルイという方も試しにノビルを食べてみてはいかがでしょうか?
もちろん風邪を引いている人にもおススメです。
体内に入ったウィルスを殺してくれ、スタミナをつけてくれるのですから。
その上、アリシンには食欲を増進してくれる作用もありますので、
体力もつき、風邪なんてすぐにどこかへ飛んでいってしまうでしょう。

  それにアリシンにはもう一つうれしい作用があります。
それは今流行のデトックス作用です。
アリシンには有害なミネラルを体外に排出してくれるはたらきもあります。
有害なミネラルを排出する方法としては、岩盤浴やリンパマッサージなどがありますが、
食べ物からのデトックスはお手軽に家でもできます。






で、ノビルを漢字で書くと野蒜

上記の画像にも出て来た、東松島の野蒜

ここには何度か行った事があります。
私が小学生の頃、近所の釣り好きのオジさんに連れて行ってもらいました。
高校のとき(仙台育英)は、学年マラソン大会があり、往路は野蒜海岸の砂地を走り、
復路は松林のアスファルト道を走ったものでした。
結婚して子供が出来てからも、夏の帰省した際はこの野蒜海岸で泳ぎました。


この野蒜が津波に飲まれて、200名もの方が・・・,(>д<) ̈

ご冥福を祈ります。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事