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岩井渓の自然と遊ぼ!
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書庫漫画家への道

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ぐるーぷ十字軍&がまろの会報
あほぉのNo.3が手元にある。
青焼きコピー誌だ。

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飛鳥恵子(本名・一○恵子)17歳、私と同じ高校2年生

仙台(多賀城だけど…)に、こんな上手いヤツが同い年で居たなんて
衝撃だった! w(・o・)w

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小5からストーリー漫画を描き始めて98作目だと。
この作品は6日間で描き上げたのかぁ・・・並の漫画家志望じゃ無い!

このあほぉのNo.3には、飛鳥恵子のもう一つの作品が収まっている。

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作/ みやなぎ.える
これまた一○恵子のペンネームだ。

S木先輩は高校卒業後、就職で上京して行った。
仕事をしながら持ち込み作品を描いて、
紛失してしまったが、何作か雑誌掲載されたことがあった。

S木先輩無き後『十字軍&がまろ』の運営は飛鳥のんが行っていた。

飛鳥は、高3の夏休みに上京して、吉沢やすみ、竹宮恵子に逢ってきたそうな。
門脇も高校中退して漫画漬け状態らしかった・・・

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’73年10月に飛鳥から貰った手紙では、
就職試験でこれから上京するという報告だった。
門脇もこの時一緒に上京するらしい。
そして、手紙の最後に
「なんか、貴殿はプロになる気がでてきたのでは…
そんな気がするのですが…」

と、あった。

そしてその頃は飛鳥を封印し
みやなぎえる』『里見龍太郎のペンネームを使っている。



飛鳥のん、そして門脇が漫画家になったかどうかは知らない・・・

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この記事に

前記事でも書いたように、
S木先輩は、育英のみならず、多くのプロを目指す漫画仲間を結集しようと
ぐるうぷ『十字軍』を作った。
S木先輩に、なぜ十字軍なのか尋ねたことは無かったが、
漫画家や出版社が集中している東京に、
宮城県から進攻するということと理解していた。

もちろん私も参加した。
育英ではもう一人、矢内達と同学年の門脇が居た。
彼は育英漫画愛好会(I.M.A)には入っていなかった。

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デッサンがしっかりしてる! 
プロを目指してるのが頷ける w(・o・)w すげぇ!!


その『十字軍』にあるグループが合併してきた。

その名は『がまろ
私と同学年の女子高生二人で作ったグループだ。

門脇が描いた、そのがまろの二人の漫画がある。

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がまろの囚人番号001 飛鳥恵子
  同   囚人番号002 のん


この囚人番号001の飛鳥恵子の画力にはびっくらこいたw(・o・)w

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これは、地元新聞の河北新報の読者欄で「らくがき板」というコーナーがあり、
読者のイラスト等が掲載されるのだ。
私も何度か送って掲載された。
その中には矢内くんのイラストも!
そして 飛鳥恵子!!!

彼女から頂いた手紙やハガキ、
そこにも生き生きとしたペンタッチのイラストも描いていた。

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オオー!!! w(・o・)w すげぇ!!
筆も達筆!


十字軍がまろが合併して
ぐるーぷ十字軍&がまろが誕生♪(^o^)ノ

その活動が、河北新報で取り上げられた♪
昭和47年9月15日付け

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この記事によると・・・

漫画に青春をかける
プロを目指してただひたすら描く

名前つけるのも漫画的
「私、小学一年生の時がGペンの持ち始め。
5年生の時にもうサイボーグの出るSFものを描いていたわ」
と、内心 "早熟の天才”を自負している(?)のは、
『がまろ』の発起人の一人、多賀城市八幡 三◯学園女子高2年、一○恵子さん、
通称「飛鳥(あすか)」
もう一人の発起人、多賀城市下馬、聖○学園高校2年、片桐の◯子さん、
通称「のん」。
二人が初めて会ったのは5月のある日。
英雄、英雄を知る。
「あなたプロをめざしてんの? 私も」
たちまち意気投合。「同盟しちゃおう」
どうせつけるなら大きい名前がいい。
正式名称は宮城漫画同盟、MMD。
「愛称 どうする?」「漫画的なのがいいな」
頭悩めて二人でデパートをブラブラしてたら催場で
「がま口大バーゲン」「がまろ?」よくよく見たら「がま口」のこと。
「これがいい!」

根性がなくてはとても
 会員集めは、仙台市内のハンバーグ店を歩き回り、
壁に貼ってあるテレビ局へのリクエストカードの中から秀作を厳選
「漫画に青春を賭ける意志なきや?」と
 はがきを送り、たちまち囚人番号025に達した。
会則はただ1条「やる気の無いものは去れ!」

そこで育英高校の有志から同盟申し入れ。
「プロを目指す」ことで成立、『がまろ・十字軍』になった。
会長は同校3年、鈴木○春君。通称「ケハル」、17歳。漫画理論家。
「漫画はメルヘンだ。ポエジーだ。ぼくらの夢だ。
O・ヘンリーのリリシズムを漫画で表現したい」
というのがモットー。
 「漫画って、読む人にとっては娯楽だけど、ライターにとってはそうじゃない。
“総合芸術”よ。筋書きは小説家の構想力.構図にはカメラマンの眼。
描写には画家の力。表現法は演出家の才能が必要。
Gペン持つ手がヨロッと揺れて、苦心の線がグニャリ曲りでもしようものなら、
ああ、悲劇のヒロインが一転、ギャグの三文役者。
"むずかしきは表現!” この悩み、芸術家の苦悩と同じじゃない。
根性なくてはとても!」と、飛鳥が一席。

もっと勉強しなくては
「締め切りが迫って来ると、徹夜になります。
学校の試験の時は、もちろん徹夜する気になんかならないけど、漫画は別。
眠る時間がもったいなくて」と、のん。
しかし、勉強はサボらない。
「知識が無いと漫画は描けないんです。絵柄だけきれいでも、
これからの漫画はストーリーがよくなくてはだめ。
最近の少女漫画みたいに、どのページ開いてもラブシーンばかりというのは、
勉強してないからです。
もっとこう、人間の深みに迫るようなペーソスやユーモアをつかまなくては」
と二人。
だから授業中に漫画を描いたりはしないという。
 みんなの夢はもちろん一流のプロ漫画家になること。
そのために早描きの練習もする。
月産百枚、一日4時間の製作時間を決めて必ずペンを握る。
会報あほぉの作品の裏に、飛鳥はこう書いた。

 締め切りに迫られて、徹夜してグロッキーになって、
ブッ倒れるまで漫画を描きつくして…。
そんな苦労が ”快楽” に感じられるようになったとき、
その時初めて『漫画家志望』と名乗りを上げることが出来るんじゃないか


 そして二人はつくづく思う
漫画家になるって、
決して漫画的じゃないんだわ









この記事に

私が仙台育英に入った時、部活は美術部だった。

その美術部の一年先輩にS木先輩が居て、
漫画も描いていると言うので親しく付合うようになった。

S木先輩は美術部ではないSさんと漫研の様な活動もしていて、
育英の「家庭通信」(タブロイド版4頁)に、イラスト・カットを描いていた。

そこで、私もその仲間に入れてもらった。

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その後S木先輩は生徒会長になり、その力で漫研・育英漫画愛好会を作った。

その育英漫画愛好会(I.M.A)に二人の新入生が入って来た。

Y内くん(矢内)とY田くん(山田)だ!


また、S木先輩は近所の先輩みっちゃんとも漫画を描いていた。
そのグループ名は「東北漫画なんちゃら?」だったか
「東日本漫画なんちゃら?」だったか、忘れた・・・

そんなS木先輩は、育英に限らない漫画グループ『十字軍』をも立ち上げた。

そんなことで、S木先輩は育英漫画愛好会(I.M.A)には来なくなった。
といっても、部室が有る訳でもないので・・・

2年生の時私は美術部の副部長になっていた(2年生部員は20人ほど居たが…)
が、私を中心に育英漫画愛好会(I.M.A)が活動し始めた。


育英の「家庭通信」↑のイラスト・カットも皆で描いた。

とりあえず、会報や会誌を作った。
(I.M.A)だから『ナウ』という会報。

「ナウ」なんて今では死語か・・・

学校の輪転機を使わせてもらった♪(^o^)ノ
もちろん紙は藁半紙(ざら紙)!
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3年の時、私は美術部の部長になっていた。

が、育英漫画愛好会(I.M.A)二代目会長にもなっていた。

文化祭の時は何日も徹夜して、セル画に描いて8mmアニメ作品を作った。
(矢内くんが「私にも写せます」のフジカシングル8を持っていた)
通常1秒間24コマのところ、8コマで撮影した。
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このセル画の絵では無く、浅田美代子の『赤い風船』の歌に合わせたアニメだった。
そのセル画は紛失し、写した8㍉テープも紛失してしまった。。。

その時の肩こりが尋常ではなく、クラスの友達に肩たたきをしてもらった。

普通にトントンという肩たたきでは効き目が無く、ドンドン、グリグリと
やってもらった。
そのお陰で、今では肩を回すとグリッグリッと音が鳴るようになった♪(^^;)


私が高校を卒業して上京した後は、矢内くんに会長を託した。
その年に、私の弟育英漫画愛好会(I.M.A)に入って来た。
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この写真は、その夏に帰省した時のもの。

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彼らと会うときは、いつも
名掛丁入り口の仙台書店が集合場所になっていた。
有名漫画家の原画展やサイン会なでもやっていた仙台書店だ。
立ち読みも許されていた。

そういえば、この仙台書店で、漫画同人誌を作るというので、数頁の漫画原稿を
矢口プロに入った年に帰省した際に持ち込んだことがあったが、
あれは、どうなったんだろう?
仙台書店はとうの昔に閉店している。





高校を卒業した山田くんが、矢口プロのアシスタント募集に応募して、
合格を得て矢口プロのスタッフになる。
それに乗じて私も矢口プロに入ることになることは、
以前の記事で書いてある。

矢内くんは大学卒業後、仙台の映像制作会社に入りCMディレクターとなり、
独立して現在に至る。

山田くんは、矢口作品の重要なサブキャラとして紙面を飾っていた。
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現在は仙台近郊に家を構えて、畑違いの仕事をしている。


東京に居るのは・・・私だけ

彼らとは帰省する度に、弟も交えて会っている♪(^o^)ノ











この記事に

デザイン学校時代の漫画仲間に田中くんがいて、

一緒に同人誌を作った。

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その頃田中くん早坂七瀬』『三村けいを名乗っていた。



同人誌みだれがみ』VOLⅣ(4.5月合併号)

B6サイズで青焼きとゼロックスコピーの併用。
合併号ということで、54頁
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長尾さんはその後チーフアシスタントとなり、独立して
漫画家長尾ともひさとして活躍している。


この同人誌には、矢口高雄先生も寄稿してくれた。
「泥縄の漫画家」という文章。
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この頃から私は、日中はデザイン学校、夕方から夜中朝近くまで
矢口プロのアシスタント。
それから帰って学校の課題作成。と多忙な日々が続いたのだった。


田中くんはデザイン学校を中退。

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かつらぎ龍太』とサインされたカットイラストの原画が、
『みだれがみ』関連の資料の中に入っていた。
これも田中くんのペンネームだったのか?

なかなか会う機会が無くなり、このグループみだれがみ
自然消滅して行ったのだった。



この頃、相模原の漫画愛好家が作った赤ちょうちんという同人があった。

この時期の同人誌は、ほとんど青焼きコピーで製本したものだった。
ゼロックス(コピー)はまだまだ単価が高かったため、青焼きが一般的だったのだ。
青焼きする原画は、トレーシングペーパー(トレペ)にペンで描いたもの。
スクリントーンも貼る事も出来、薄墨もOK。ただホワイト修正が出来ないため、
もし、はみ出したり間違ったりした場合は、
その所をナイフでカットしなければならなかった。
そのため慎重に描いたものだった。


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この同人誌を見てみると、
三村けいとして田中くんが参加していたのだった。
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早坂未紀になる前の美少女イラストだな。
空の星は、ホワイトが使えないため、
トレペにベタしたあとピンホールで星点を描くという技法を使っている。
十字に光る星は、カッターでカットしてセロテープで止めたんだな。




その後、田中くんは少女漫画家の和田慎二さん(スケバン刑事)のとこの
アシスタントになったようだ。
その後、村上もとかさんのとこのアシスタントになる。
それはから直接聞いたように思う。
それが田中くんと連絡を取ったのが最後だ・・・


そしてたまたま書店で見かけた「アニメージュ増刊」の
「ザ・モーションコミック」で、田中くんの作品を見かけて、

おおーーーっ!! 頑張ってるんだぁ♪(ノ^o^)ノ
と思ったもんだ。



’90年になってからはその名前も聞かなくなった・・・


青春時代の友よ!元気でいるだろうか?

当時の写真が出て来た♪

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これは、たぶん西武池袋線の「ひばりが丘」にあった、
みっちゃんのアパートで撮ったもの。
みんな夢を追い掛けて、貧しいながら生き生きしていた♪(^o^)ノ

S木先輩とみっちゃんはもその後、郷里の仙台に帰って行った・・・
私が帰仙した際、飲んだりしている。
もう二人は漫画からは足を洗った。
以前は、「田中くんどうしてるかな?」という話も出たが・・・


この記事に

デザイン学校時代の漫画仲間に田中くんがいて、

一緒に同人誌を作った。

グループみだれがみ
田中くんは上十条の三畳アパートに住んでいて、
私も度々泊まりに行った♪(^^;)



その田中くんは、その後プロになって
『早坂未紀』
としで活躍してた

1980年代末には引退し、漫画界から姿を消したという・・・





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少しずつメンバーが増えて来た♪(^o^)ノ



同人誌みだれがみ』VOLⅢ

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この月に高校の漫研の後輩、山田くん(三条のぼる)が矢口プロに入社。
私も一緒に矢口プロに入った。


S木先輩は某ダイエーでPOPを書いていて、出版社に持ち込みもしていた。
その先輩のみっちゃんは、板井れんたろう氏に師事していて、
出版社に持ち込みをしていた。



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つづく



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