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岩井渓の自然と遊ぼ!
今まで使っていたカスタム背景が突如消えてしまったので、新たに作り直しました♪

書庫漫画家への道

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 矢口先生からのわざわざの要請・・・

 二つ返事でOKを出すべきなのだが・・・

 「あの〜〜先生。実は今、某デザイン学校に通っていまして、

  せっかく親が入れさせてくれたので、卒業してからではいけませんか?」

 と、答えてしまった・・。

 「うん♪分かった。待ってるよ!」


 漫画家への道。ちょっと見えてきた♪

 
 帰るとき頂いたボツ原稿。
   (え〜〜〜? なんでこれがボツ原稿なのぉ〜〜〜?)
   (ペン入れが終わり、後は消しゴムを掛けて、
    ホワイトとベタそしてトーンを貼ればイイ状態の原稿じゃん)
   (なんでわざわざ薄墨で、ダメな原稿にしちゃったのさ・・・。)
   (でも、消しゴムも入ってない原稿なんて、お宝じゃん♪)
   (後で分かったことなのだが、この頁はカラーの頁だったのだ!)
   * 画像2枚目が、描き換えられた正式なもの。

 ボツ原稿とはいえ、生原稿だ!! \(^O^)/ウレピ~~ウレピ~~ウレピ~~♪

 この日、帰るなりこの生原稿を模写した。それが画像3枚目

 帰り際、スタッフがこそっと教えてくれた。

 「矢口プロのバチヘビ探索隊は、漫画での話しで実際には行ってないよ」

 「え〜〜〜な〜んだ、そうだったのかぁ・・。」

 「でも、矢口プロ皆で矢口先生の実家・秋田には取材にいったよ」


 この後私達は、石井いさみ先生に会いに行った。

 矢口先生の「石井先生にヨロシク♪」との伝言を持って。


 石井先生のところは、矢口先生同様アポイント無しだったが、快く会ってくれた。

 漫画家の先生って皆、ファンを大切にしているんだなぁ。


 漫画家訪問の日が、夏休みのこと、ということは覚えていたがいつだったのか・・?


 石井先生に頂いた「竜が斬る」の生原稿には、しっかりと書いてあった!

 1974,8,21  

 そして「岩井君に」じゃなく、ペンネームの「風間真理君に」とある。ハズカシ~~!

 この日の夕食は、石井先生と共に食べたカツ定食。(←石井先生のおごりで〜す)

 帰り際、石井先生曰く

 「これで明日は、オレと同じウ○コをするな♪」

    (矢口先生と食べたカレーのウ○コは、どうなっちゃうんだ〜〜っ)



 私がデザイン学校を卒業して矢口プロに入るのは、翌々年の春になるのだが、

 半年後、あることが切っ掛けで、矢口プロに入っちゃうのだ〜〜!!

         ・・・・・・つづく〜〜!

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 私はこの頃、石井いさみ先生のキャラに系統していた。

 石井先生のアトリエは、大田区蒲田。

 私が住んでいたのは、葛飾の堀切菖蒲園。

 石森先生、竜の子プロは西部沿線。

 そして、矢口先生は世田谷の玉川田園調布。

 
 竜の子プロを後にした私たちは、渋谷で東横線に乗り換え「田園調布」駅で、降りた。

 矢口プロのある「玉川田園調布」に行くには、「田園調布」駅だと、思ったのだ。
(実際、玉川田園調布は自由が丘が近い)

 「田園調布」駅は、石井先生のバスケ漫画「青い鳥の伝説」に出ていた。

 「おぉ〜〜〜〜っ!漫画のとおりだぁ!」

 「やっぱ、高級住宅地はちがうなぁ・・。」「お屋敷ばっかだぁ・・。」


 なんとか、玉川田園調布の住所を発見♪

 カバンから、矢口先生の描いた「バチヘビ」の単行本を出した。

 この漫画の冒頭には、矢口プロのアトリエ風景が描いてある。

 「シャトウ自由が丘」が、矢口プロの入っているマンション。

 三人して、周りをキョロキョロしながら「シャトウ自由が丘」を探した。

 「あった、あった♪♪ここだぁ〜〜〜!!!」

 
 石森先生同様、矢口先生にもアポイントは取っていない。

 はたした、会ってくれるだろうか・・・

 今日は仕事、休みじゃないだろうか・・・


 とにかくインターホンを押した。(ドキドキ・・。)

 スタッフが出た。  

 「先生〜〜〜、ファンの人が来てますがぁ〜〜。仙台から来たみたいで〜す。」

 「おぅ、中に通してくれ」 (やったぁ〜〜♪♪)


 こ、ここで「釣りキチ三平」が誕生したのか・・♪♪

 このとき先生は、「毛バリの神サマ」の章を執筆中だった。

 「ちょっと待っててね。このコマだけ描いちゃうから」

 おおお〜〜〜〜っ、目の前で三平くんが生まれ出てきてるぅ〜〜〜♪♪♪♪

 すげぇ、すげぇ!! 私たちは、先生のペン先を凝視していた。

  (あれっ?先生の使っているペン、かぶらペンじゃない。見慣れたGペンでもない。何ペン?)
  (原稿用紙もケント紙じゃない。子供のお絵かき帳のような・・・)
  (筆先も尖っている。筆先ってロウソクの火で燃やして丸くするんじゃ・・・)
  (まんが家への入門書、石森章太郎著「まんが家入門」に書いてあるのと違うよ〜〜)

 「あっ、もう昼飯時だね、出前取るけど、君たち何食べる?」

 「え・・・私達にも・・・?」

 「ボクはカレーにするけど、君たちもカレーでいいかな?」

  (突然の訪問者に、こういうのって・・・アリ?って、感激〜〜ありがた〜い)


 「バチヘビ」・・一般的には「ツチノコ」と呼ばれていて、この作品が発表されるやいなや、

 全国的に「ツチノコ」ブームが、起きたのだった。

 この作品には、第一次探索隊から第三次探索隊まで矢口プロを中心に組織して、

 「バチヘビ」を捕獲する話だが、しかし探索隊は「バチヘビ」をGETできなかった。

 そこで私は先生に、

 「今後、第四次探索隊を結成するときは、是非私も参加させて下さい!」といったら、

 「いや〜、なかなか忙しくてねぇ」と、濁されてしまった。

 「あ、その単行本ちょっと貸して」

 私は、手に持っていた「バチヘビ」の単行本を、先生に渡すと、

 表紙をめくって、筆でバチヘビを描いてくれた。(うわ〜〜流石上手い!!)


 私は今日、自分の作品を持って来ていた。上京してから描いたものだ。
            (高校時代から風間真理のペンネームを使っていた)
 先生に見てもらった。
      ・
      ・   (ドキドキ・・。)
      ・
      ・
 「岩井くん、もし良かったらボクのスタッフになってもらえないだろうか?」
 
 「へ・・・・・・・・・・私がですか?」


          ・・・・・つづく


 

 

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 私が高三の時、学校帰りに友達と入った、お好み焼き屋。

 そこに、少年マガジンが置いてあった。パラパラと捲って目に入ったのが、

 この頁! 「釣りキチ三平」だ!“夜泣き谷の怪物”の章、左膳岩魚を釣るワンシーンだった!

 「わあ〜っすげ〜〜っ!!!こんな漫画、はじめて見た!」

 迫力といい、自然描写といい、今まで見たことのない漫画が、展開していた。

 
 当時私は、仙台育英高校の美術部の部長と、育英漫画愛好会(IMA)の二代目会長をしていた。

 小さい頃からの夢、“漫画家”♪

 漫画本を、いつも買う事が出来ない家庭(貧乏)で育った私は、

 兄が描いた漫画を模写することから、漫画の道に入っていった。

 7つ上の兄も3つ上の姉も、とても絵が上手だったのだ。(3つ下の弟も・・。)

 
 高三で、大学進学か就職かまだ進路は決めていなかったが、

 小さい頃からの夢、“漫画家”♪♪

 どうしたら、“漫画家”になれるのか・・・

 とりあえず東京に出よう!

 勉強もせず、多摩美を受けた。もちろん受かるはずもない。

 親に頭を下げて、上野にあったデザイン学校に行くことにした。
(ほんとに親には苦労を掛けました。親になってよく解ります)

 
 東京に出たその夏、育英漫画愛好会(IMA)の後輩二人が遊びに上京してきた。

 「よ〜〜し、漫画家廻りをしよう♪」ということになった。


 まずは同郷の、石森章太郎先生宅へ。(当時まだ石ノ森ではなかった)

 玄関前に、ド〜〜〜〜ンっと、実物大の仮面ライダーが立っていた。(おぉ〜〜流石〜♪)

 ドキドキしながらインターホンを押した。

 「あのぉ〜、石森先生のファンなんですが、宮城の仙台から来ました・・・。」

 出て来たのは、先生の奥様。仕事場に案内してくれた。

 スタッフが一人仕事をしていた。

 なんと!部屋の壁一面にトイレットペーパーが積んである。(あ〜〜っ買い溜めしてるぅ!)

 この頃、オイルショックが、まだ納まっていない時だった。

 トイレットペーパーは、漫画家にとっては必需品なのだ。
 
 その後、先生の部屋に案内される。

 何を話したのか記憶に無い。そうとう緊張していたのだ・・。

 石森先生は、色紙を出して筆でサラサラ〜っとサインしてくれた。

 そこには、右肩に「ジュン」左下に「石森章太郎」とあり、

 中央には「ジュン」が描いてある〜〜〜♪♪♪

 「ジュン」とは、虫プロが出していた月刊誌「COM」に連載していたキャラなのだ♪♪

  (ウレピ〜〜〜〜ッ♪♪)
  (後輩の二人には、「猿飛エっちゃん」と「星の子チョビン」を描いてくれた♪)

 
 この後、竜の子プロダクションにも行った。
 
  (キャシャーンやガッチャマンが好きだったので・・。)

 しかし、竜の子プロダクションにいった記憶が飛んでいるのだ。

 あまりにも、「ジュン」が・・・


 そしてこの後、「釣りキチ三平」の生みの親、矢口高雄先生と会うことになるのだ。


              ・・・・・つづく。

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