写真(サムネール方式)は左から、安岐町富永の宮畑神社の入り口の
1 石柱への幟の縛りかた
2 鳥居銘(左柱) 3 額束
4 鳥居銘(右柱) 5 鳥居右柱の裏側(銘の撰者名)
そしてここで大きく開いている写真が、神社の祭礼日・限定で立つ神幟(かみのぼり)です。
場所http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=33.31.33.145&el=131.37.36.466&la=1&sc=3&CE.x=257&CE.y=312
豊後聖人・三浦梅園(1723〜1789)が生涯を送った富永村の村社の祭日、11月29日・30日に、漢文の幟が立ちました。でも、神社の入り口の鳥居(大正14年建立)のところに1対、そして神殿へと100メートル進んだ奥の院に一対の、計4本です。
両子(ふたご)川を4キロくだると、道端にも神幟(かみ のぼり)をたくさん立てる糸永地区にいたるのですが、富永では神社の前だけのようです。
まずは鳥居銘から紹介。
(右柱銘) 忠魂擁護皇基固
(同裏)従三位元田肇書 夫力富清区 石工 溝部玉吉/石材寄附 丸尾直
(額束) [宮畑神社]
(左柱銘) 神徳光被億兆安
(同裏)大正十四年春建設 願主 故小野芳造翁資二
/小野初三郎/友成長二郎/岸田栄次郎/友成有/河瀬福也/小野清生
大正十四年(1925)ということで、今から80年前に立てられた鳥居。建設と奉納出資に尽力した方々の個人名まで文字を再現しようとしましたが、誤りがあるかもしれません(/は、改行併記の略)。
とにかく「忠魂擁護し 皇基は固し」「神徳光被し 億兆は安んず」との鳥居銘を揮毫したのは、国東半島来浦(くのうら・今の国東町)猪俣家の出身で、杵築の元田 直(なおし)の婿となった元田 肇(1858〜1938)。明治23年の第一回・衆議院議員選挙から当選し、大正期には逓信大臣、鉄道大臣と歴任しているとか。
そして、この鳥居の前の「旗立ての基石」にくくりつけられている「神幟」はこう。
(右)和協誓神明 昭和四十七年十一月/奉納 [個人同姓2名]
(左)泰平祷昊天 [同 右]
皇室へと神社がつながっていたことを強く感じさせる石の鳥居の銘文と同じではなく、時代的に平和祈願の調子が強く「和協[なること]を神明に誓ひ、泰平[なること]を昊天(こうてん)に祷(いの)る」とありました。
ちなみに、奥の古い鳥居は元禄十四年の記年で、銘も読み取りにくいのですが、たぶん右柱の銘は、
奉寄進鳥居一宇 右之意趣者天長地久國土安穏
式の、定形の漢文のように見え、額束(鳥居の中央上部の額の文字)は二行で「天神宮/歳神宮」。
左柱の銘が
于時元禄十四 辛巳 天四月吉祥日 當村名主 三浦喜左衛門源義定
惣 氏 子 中 敬 白
のように見えます。そして、7段ほどの石段を登ると、次の聯が。
【奥の院・神幟】
(右)洋〃霊徳洛四海 昭和卅四年七月吉日
奉納 [個人名別姓3氏]
(左)年豊而天下太平 [同 右]
昭和34年(1959)から同じ、のぼり旗を使っているのだから、これこそ神の霊徳なのか!
なお昭和42年刊『安岐町史』861〜866頁だと、神楽の奉納やら神輿の渡りやら行事が記録されているのですが、やはり担い手と資金難で、行われなくなってしまっているとのことです。
(2005.11.29 記録者…… iwami02 )
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