岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます

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 1996年に日本経済新聞の「やさしい経済学」で「隠れ借金」(http://www.iwamoto.e.u-tokyo.ac.jp/Docs/1999/KakureShakkin.html )というシリーズを執筆した。
 Twitterで黒木玄・東北大学助教が4月24日に,この拙稿を引用し,

【経済】1996年に岩本康志さん曰く「定率繰り入れの停止は,ストックの隠れ借金には積み上がらない」 http://bit.ly/ejVshq はい、国債整理基金特別会計への定率繰り入れの停止に御墨付が出てますよぉ(笑)。
http://twitter.com/#!/genkuroki/status/62065130468409344

とツイートされ,高橋洋一・嘉悦大学教授は25日に,

当時の担当者は私で話を聞いてくれたのにRT @genkuroki: 【経済】1996年に岩本康志さん曰く「定率繰入の停止は,ストックの隠れ借金には積み上がらない」 http://bit.ly/ejVshq はい、国債整理基金特別会計への定率繰入の停止に御墨付が出てますよぉ(笑)
http://twitter.com/#!/YoichiTakahashi/status/62372981711712256

とツイートされている。いずれにも間違いが含まれている。
 まず,国債整理基金特別会計への定率繰入停止に私が賛成しているというのは誤りである。
 1995年まで続けられた隠れ借金の評価を翌年にまとめたのが拙稿であるが,その最終節にあるように,私の評価は,

「会計の透明性を失われたこともさることながら,隠れ借金の最大の問題は,財政運営の目標を混乱させたことにある」

と否定的である。このような手法をとるべきではない,という私の考えは当時も今も変わっていない。黒木助教が引用した個所は,単に事実関係をのべているだけである。引用された文章の周辺は,隠れ借金の現れ方が複雑で,当時の議論で錯綜していたものを整理することを目的としている。
 つぎに高橋教授の書き振りは,私が高橋氏の説明を受けて拙稿を書いたかのようであるが,これは事実ではない。高橋教授と私の出会いは,氏が大蔵省理財局在職中の1998年1月のことであり,1996年の拙稿が高橋教授の説明の影響を受けるわけがない。

 ついでというわけではないが,震災復興財源として国債整理基金の定率繰入停止(ないし余剰金の取り崩し)が利用できるか,を簡単に論じておこう。
 定率繰入停止がストックとしての隠れ借金にならないというのは,粗債務が変化しないという意味である。一方,定率繰入停止分を支出すると,国債整理基金の資産が減少し,純債務は増加する。つまり,財政赤字が発生する。当然,財政赤字は財源ではない。ならば,そのことが明確にわかるように国債発行するのが,現行会計制度でのもとで透明性を高めるやり方だ。
 現在の公債償還ルールでは償還資金を国債整理基金に積み立てていくので,国は国債を発行し,国債を保有する形になる。こういう両建てが馬鹿馬鹿しいという意見には一理ある。しかし,この資産が財政支出に回せる財源と見なすのは不適当だ。「『霞が関埋蔵金』の使い方」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/231809.html )でのべたように,国債を買入消却することで,資産と負債の両方を減らすのが望ましい。
 定率繰入停止は,現行の公債償還ルールを放棄することになる。放棄するならば,それに変わる財政規律ルールと政府会計の改革が必要である。それが同時になされなければ,単に財政規律の放棄になる。これは財政運営の作成と予算制度改革のなかで考えていくべき課題であり,上記の拙稿はそのひとつの提言である。
 復興財源を考える場に予算制度改革を持ち出しては混乱するだけである。その場では現在の公債償還ルールを所与して枠組みをまとめればよい。公債償還ルールを改革するなら,適当な別の場で進めるべきだろう。

(参考)
隠れ借金
http://www.iwamoto.e.u-tokyo.ac.jp/Docs/1999/KakureShakkin.html

(関係する過去記事)
「霞が関埋蔵金」の使い方
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/231809.html

 復興国債の日銀引き受けが最近取り沙汰されていたが,ゼロ金利で貨幣量が増えている現在の環境のもとで国債の日銀引き受けから財源を得ようとすると,かりに国債と通貨の信認が揺らがないとしても,制御できないインフレが生じるだろう(注1)。これに対する「インフレが過熱するなら金融を引き締めればいい」という反論は,財源を得るということはそれが不可能であるという事実に気づいていない。貨幣を増やしたままにしないと財源にならないのだが,貨幣を増やしたままで金融引き締めはできないからである。別の角度から言えば,インフレを制御しようとすれば,国債の日銀引き受けは財源にならない。
 以上のことは,目新しい話ではなく,ゼロ金利解除のときに何が起こるかについて10年ほど前の金融政策の論争過程で明らかになっていることから導かれるものである。また,池尾和人・慶応大学教授が「既視感が漂うデフレ脱却論議」(http://agora-web.jp/archives/938282.html )で,ヘリコプター・ドロップ政策について論じていることと共通の背景をもつ(注2)。私の「貨幣数量説と流動性の罠」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35329635.html )とも趣旨が共通しているが,以下では財源の視点から論じ直してみたい。

 日銀が国債を引き受けることが財源になるというのは,おおむね以下のような考え方による。中央銀行は資産に国債,負債側に貨幣(日銀券と準備預金)をもつので,国債を引き受けると,その分貨幣が増加する。日銀が国債を引き受けることは,政府が貨幣を増加させるのと同じことになる(日銀が市場で国債を購入しても同様な効果があるが,今回の記事では日銀引き受けだけに関心をしぼる)。国債はやがて税を財源にして償還しなければならず,償還までの間に利子を払わなければいけない。一方,貨幣は償還する必要はなく,利子を払う必要もない。となれば,国債ではなく貨幣を発行することで,財源が生じそうである(注3)。
 以上の議論では貨幣が民間で保有され続けることが必要になるので,それが何を意味するのかを貨幣需要関数を使って考えよう。典型的な貨幣需要関数は

M/P=L(i,Y)

であり,Mは名目貨幣,Pは物価水準,iは名目金利,Yは実質所得である。PかYが増えて名目所得が上昇すれば,(名目金利がさほど変化しなければ)名目貨幣Mへの需要が増える。マイルドインフレが継続しているとき,インフレに合わせて増加する貨幣は償還されることはなく,政府の財源とみなすことができる。
 ところが,「貨幣数量説と流動性の罠」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35329635.html )で紹介した通り,1995年に政策金利が0.5%となる前の日本ではマネタリーベース(M)と名目GDP(PY)に安定した関係が見られるが,1995年以降は,この関係から大きく外れてMだけが増えている。今後デフレから脱却して金利が上がった場合に,貨幣の需要と供給が均衡する経済の姿がどのようになるのかは,この事実を踏まえて考えないといけない。若干面倒だが場合分けが必要である。まず,現在の貨幣需要がどうなっているかで,3つに分けられる。

(1)ゼロ金利を解除すると貨幣需要が1995年以前に見られた関係に戻る場合。このとき,ゼロ金利が解除された時点で最近の名目GDP水準と整合的な貨幣需要は,現在の水準よりも大幅に小さくなる。さらに,ゼロ金利の解除のタイミングで2つに場合分けされる。
(1a)ゼロ金利を早晩解除するならば,マネタリーベースを大幅に縮小させないといけない。このため,貨幣が償還されないという前提が崩れて,国債引き受けは財源とならない。
(1b)財源を得るためにマネタリーベースを縮小させなければ,名目GDPがそれと整合的水準(それは現在の名目GDPよりも非常に高い)になるまでゼロ金利を継続しなければいけない。それがいつまで続くかで,とりあえず2つの場合を考える。
(1b1)比較的短い時間で非常に高い名目GDPに到達するには,その間に猛インフレが起こらないといけない(注4)。
(1b2)マイルドインフレで非常に高い名目GDPに到達しようとすれば非常に長い時間がかかる。これはマイルドインフレが持続するので万々歳のように見えるが,この期間中はゼロ金利でなければいけないことに注意されたい。インフレターゲットを採用している中央銀行でも,物価の安定のためには政策金利を操作して経済の安定化を図っている。それでも,大きなショックがあったときには,インフレ率がターゲットの範囲を外れることがある。ゼロ金利を維持するというのは金利の操作という強力なツールを奪われたことになるので,そのもとでインフレターゲットをもつだけでターゲット内のインフレが実現できる,という考え方はご都合主義であり,とても根拠がつけられない。「インフレが加熱すれば金融を引き締めればいい」は通用しない。ゼロ金利を維持したままで,どうやって金融を引き締めればいいのか。結局は,日銀は物価の安定を図れなくなるだろう。
(2)じつは低金利が続いているうちに貨幣需要関数が変化(需要が増えている)していて,ゼロ金利が解除されたときに最近の名目GDPと整合的な貨幣需要は現在の水準とほぼ同じところにある場合。これは,マネタリーベースを縮小させることなく,マイルドインフレに着地できそうなので,日銀の国債引き受けで財源確保を考えている人たちには望ましい事態である。しかし,マイルドインフレにちょうど着地するように貨幣需要が変化していた,という考え方にはおよそ合理的な根拠はなく,やはりご都合主義である。
(3)貨幣需要がある程度変化していて,(1)と(2)の間にある場合。これは,15年以上もゼロ金利か,その近傍にあったので,金利が上がったときの貨幣需要がどこにあるのかはよくわからない,という慎重な態度である。本当にわからなければ何も言えなくなるが,まずは過去の経験(つまり1995年以前の貨幣需要関数)に沿った水準をおさえて,そこから幅をもって考える,というのが妥当な推論だろう。これが,「貨幣数量説と流動性の罠」において私が「1995年以前の貨幣の流通速度をもとにしているので,着地すべき名目GDPにはある程度の幅をもってみる必要はある」としたものである。何が起こるかは,定性的には(1)の場合の帰結があてはまる。

 場合分けが多くなったが,まともな金融政策の運営は(1a)である。他は,
(1b1)猛インフレ
(1b2)制御できないインフレ
(2)ご都合主義で,現実にはあり得ない
という帰結になる。
(1a)では,いま国債引き受けで増えた貨幣はゼロ金利政策を解除するところで国債に変わってしまうので,「貨幣が償還されないから」という財源の根拠がなくなってしまう。ゼロ金利の期間中は短期国債もほぼゼロ金利で発行できるから,「金利を払う必要がない」という財源の根拠もなくなってしまう。したがって,物価の安定が図れても,日銀引き受けが財源にはならない。「貨幣が償還されない」を貫くと,(1b)のように物価の安定化が図れない。

 経済学のなかでは,マイルドインフレでの通貨発行益と通常の税とをどう組み合わせて財源調達するかという議論(注5)はあるが,制御できないインフレは経済の混乱が大きくて,比較の対象にならない。
 以上,復興国債の日銀引き受けは,流動性の罠にある現在の日本の状態では,財源にはならない。したがって,復興財源は通常の手段,つまり現在か将来の税でまかなうことになる。震災は稀なショックであるから,ある程度長期に分散した税で財源調達するのは,「課税平準化」[2011年6月5日追記:「平準化」を「標準化」と誤記していました]と呼ばれる合理的な考え方である。つまり,国債を発行して時間をかけて償還していくことになる。ただし,今後に高齢化が進行することを考えると,償還期間は最長でも20年間程度だろう。償還期間は復興予算の規模との兼ね合いで決まるべきものである。増税はいますぐである必要はなく,現状の混乱期を避けて2年程度後からでもいいだろう。
 復興計画の作成では,復興のために何をするかを考えることが先である。復興構想会議にはそれが期待されていたはずである。それが最初から増税が注目を集めてしまうのは,会議の不手際である。軌道修正が必要だ。

(注1)
 今回の記事では,日銀引き受けが国債や通貨の信認を損なうことはないと考えている人の意見の問題点を扱うので,信認が損なわれないとの前提で議論するが,これは戦略的仮定であって,私の意見ではない。[2011年6月21日追記:「信認」の誤記を修正。]
「財政法第5条(日銀の国債引き受け)について」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33213494.html )でのべた通り,私は,国債の日銀引き受けに反対である。日銀引き受けの禁止は,財政規律を保つための防ぐ安全装置であり,それを外すメリットはない。
(注2)
厳密なモデル分析の基礎を与えるものとしては,Ball (2008)がある。
(注3)
 貨幣が償還されない前提で,貨幣の増加が財源とみなせる議論は「通貨発行益」の標準的な議論である。このことは,「通貨発行益」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html )で説明した。
(注4)
 ただし,これは「ハイパーインフレーションの理論」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32519668.html )で示した,ハイパーインフレーションとは違った現象である。そこでは,国債は市中で消化できずにすべて中央銀行が消化せざるを得ず,貨幣の増加が中央銀行にとっては外生的な財政赤字で決定されている。今回の記事では,貨幣の量は財政赤字とは関係をもたない。
(注5)
 例えば,2006年にノーベル経済学賞を受賞したフェルプス教授の研究(Phelps, 1973)。

(参考文献)
Laurence Ball (2008), “Helicopter Drops and Japan’s Liquidity Trap,” Monetary and Economic Studies, December, Vol. 26, pp. 87-105.
http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/english/me26-7.pdf

Edmund S. Phelps (1973), “Inflation in the Theory of Public Finance,” Swedish Journal of Economics, Vol. 75, No. 1, March, pp. 67-82.
http://www.jstor.org/stable/3439275

(参考)
「既視感が漂うデフレ脱却論議」(池尾和人)
http://agora-web.jp/archives/938282.html

(関係する過去記事)
「ハイパーインフレーションの理論」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32519668.html

「財政法第5条(日銀の国債引き受け)について」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33213494.html

「通貨発行益」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html

「貨幣数量説と流動性の罠」
ht

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 4月12日の菅直人首相の記者会見には愕然とした。
 東北地方太平洋沖地震から1か月。指導者が国民にメッセージを発する重要な機会だ。会見は,首相と政府が何をしたのか,についての菅首相の説明から始まった。
「大震災発生直後に、私はまず人命の救済を考え、自衛隊に出動を命じました。」
 そして,救助・救急に当たった自衛隊,警察、消防、海上保安庁,被災者支援に当たった自治体,企業,NPO,国民,外国への感謝の念がのべられる。しかし,その続きが
「いよいよ復旧に入らなければなりません。そして復興に向かわなければなりません。」
には耳を疑った。
 災害が起こったときに政府はたくさんのことを短時間にやらなければいけない。そのために「防災基本計画」から始まるマニュアル群が存在する。防災基本計画では,災害予防,災害応急対策,災害復旧・復興の順に流れ,現在は災害応急対策の時期だ。その活動は,

発災直後の情報の収集・連絡及び通信の確保
活動体制の確立
救助・救急,医療及び消火活動
緊急輸送のための交通の確保・緊急輸送活動
避難収容活動
食料・飲料水及び生活必需品等の調達,供給活動
保健衛生,防疫,遺体の処理等に関する活動
社会秩序の維持,物価の安定等に関する活動
施設,設備等の応急復旧活動
被災者等への的確な情報伝達活動
二次災害の防止活動
自発的支援の受入れ

が列挙されている。避難所へ必要物資を届ける,衛生状態を保つ,仮設住宅を早期に用意する等,今やるべき仕事ははっきりしている。しかし,これだけの規模の災害でそれらを迅速にこなすのは難事である。ロジスティックス(兵站)が最大の課題だ。こうしたときの組織は指揮系統を明確にして,規律をもって機敏に行動しなければいけない。平時を想定した法令・前例がボトルネックになればそれを突破していくのが,政治が本来すべき仕事だ。
 最も重大な災害への応急対策を取り仕切る緊急災害対策本部が今回はじめて設置されたが,その本部長である菅首相は原発に没頭し,すでに報道されている通り官邸が機能不全に陥り,供給活動をはじめとした被災者の生活支援に十分に手が回らず,被災者を苦しめている。
 菅首相が問題の根源であることは,記者との質疑応答のなかでも確認できる。「一体、何のためにその地位にしがみ付いていらっしゃるのか」との厳しい質問に対して,首相は
「先ほど来、申し上げていますように、震災が発生して、即座に自衛隊の出動をお願いし、多くの方を救済いただきました。また原子力事故に対しても、大変な事故でありますから、それに対してしっかりとした態勢を組んで、全力を挙げて取り組んできているところでありまして」
と返答している。演説を補足する機会を与えられながらも,現在やるべきことで滞っている被災者の生活支援が出てこない。「救助・救急」と言わず「人命の救済」と言っているから,防災の基本も頭に入っていない。

 Twitterで,ある方から「復興よりも財政が大事と考えている政治家、著名人、マスコミが被災者を窮地に追い込んでいると思います」という意見をいただいたが,現状では的外れである。(「復興よりも財政が大事」という捉え方自体が的外れだが,それはとりあえず措くとして)復興財源を議論することで,いま被災者を苦しめることは不可能である。復旧・復興の財源調達はつぎの段階ですべきことであって,被災者への応急の支援から速やかにバトンを受け取れるように,いま議論しているのである。がれきを撤去しなければ被災地再建は始められず,このような大震災では一朝一夕には片付かない。だから今月にまとめる予定の補正予算に本格的復興の経費を計上したとしても,執行は無理である。そのため当面すべきことの経費を計上するように準備されているのであり,国債発行をしないために復興予算を抑え込んでいるわけではない。
 復興に手を尽くすのは当然の前提であるが,被害規模の把握もできておらず,再建の構想もまとまってない現状は復興予算全体の規模を固める段階にはない。これは,もう少し時間をかけてもまだ間に合う。ただし,いつ頃までにそれをまとめるのか,応急対策がどう進行していくか,のスケジュールを示すことは重要だ。先が見通せることは,被災者が当面の苦しい生活を耐えることの大きな助けになるからだ。

(参考)
内閣総理大臣記者会見(2011年4月12日)
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201104/12kaiken.html

防災基本計画(2008年2月,中央防災会議)
http://www.bousai.go.jp/keikaku/090218_basic_plan.pdf

千年に一度の意味

 今回の震災が財政にどのような意味をもつか考えてみよう。
 自民党の中川秀直氏は1日のブログ(http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10848167123.html )で,復興債の日銀引き受けを支持し,「1000年に一度の大震災と津波に加え、原発災害が起こっている今が財政法第5条の「特別な事由」でなくして、何が特別な事由なのか」とのべている(注1)。しかし,財政の対応は千年に一度のものでなくていいだろう。
 千年に一度というのは,日本海溝(北米プレートと太平洋プレートの境界)で発生した巨大地震として今回の東北地方太平洋沖大地震と西暦869年の貞観地震の類似性が指摘されたことに由来している。極めて大きなエネルギーを発するプレート境界地震は,日本列島近辺では他に相模トラフ(北米プレートとフィリピン海プレートの境界)と南海トラフ(ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界)で発生する。相模トラフでは2300年程度の周期の元禄型関東地震(直近のものは1703年の元禄地震)と200〜400年周期の大正型関東地震(直近のものは1923年の関東大震災)がある(注2)。首都圏に近いことから,発生すれば首都圏に大被害が生じる。南海トラフでは,東南海・南海連動地震が110年程度の周期で発生する[(直近のもとは1944年の昭和東南海地震と1946年の昭和南海地震):2011年4月5日追記]。これに東海地震が連動すると,さらに大きな地震になる。人口集中地帯が地震・津波に襲われるので,被害は今回の東日本大震災を上回るだろう。南海トラフでの地震では浜岡原発の危険性はかねてから指摘されている。また,阪神・淡路大震災のような直下型地震は,日本中いつどこで起こるかわからない。
 大規模な震災被害は,千年よりもはるかに短い間隔で生じるだろう。
 では,復興にどれだけの財政支出が必要になるのか。今回の震災ではまだ正確に積算できてはいない。原発事故の被害はまだ先にならないとわからないが,20兆円に達するかもしれない。かりに20兆円程度だとすると,国内総生産(GDP)の4%程度になる。巨額の財政需要が生じたといえるが,大規模な景気対策をすると(自動安定化装置の分も含めて)1回の景気後退の局面でこれを上回ることは起こる。つまり,財政需要から見ると,震災復興は極めて大規模な景気対策を打つのに相当するが,景気対策の周期は千年に一度ではなく,十年から数十年に一度のものになるだろう。
今回の震災復興のような規模の財政需要は,短い周期で発生するものだといえる。

 千年に一度の対応は要らないというのは冷静すぎると見えるかもしれないが,これには他にも理由がある。私は以前より高齢化の進展で増加する社会保障費をどう財源調達するかという問題を考えていた。昨年発表した,福井唯嗣・京都産業大学准教授との共同研究(http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/10j035.pdf )では,2050年までに医療・介護保険のための公費負担額がGDPの4%程度増え,その後も20年程度増加を続けると推計している。震災復興は1回限りのGDPの4%だが,こちらは毎年の4%である。一定の前提を置いた予測なので幅をもって見るべきだが,かなり控え目に見積もっても,高齢化にともなう財政需要というのは今回の震災復興経費が2年に1回発生するようなものである。その状況でどう財政を運営するのか,という問題にわれわれはもうすぐ直面するのである。
 以上のことを念頭に置いて,千年の一度の地震に対する財政の対応を考えないといけない(注3)。

(注1)
 ブログの日付は4月1日だが,エイプリルフールではないと思われる。
(注2)
 固有地震の周期については,地震調査研究推進本部ホームページの説明にしたがった。
(注3)
 震災復興経費をどう財源調達するかは,別の機会に論じたい。この記事は,それを取り巻く状況を整理したものである。

(参考)
「増税派のみなさんは30兆円規模の財源をどこから捻出するのか(中川秀直)」(2011年4月1日)
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10848167123.html

「地震動予測地図ウェブサイト全国版」(地震調査研究推進本部)
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/index.html

「医療・介護保険の費用負担の動向」(岩本康志・福井唯嗣,RIETIディスカッション・ペーパー)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/10j035.pdf

 quantity theory of moneyは直訳すれば貨幣数量理論だが,貨幣数量説と訳されている。これは,貨幣量が物価を決定することを主張する理論である。貨幣M,物価P,実質所得Yとして,これらに
   MV=PY
という関係を考える。この恒等式で定義されるVは貨幣の(所得)流通速度と呼ばれる。
 Vが一定であると考えるのが貨幣数量説である。すると,貨幣と名目所得は比例関係にある。実質経済成長を考えなければ,貨幣の増加は長期的に実体経済には影響を与えないならば,物価を上昇させることが言える。実質経済成長があれば,それに見合う貨幣の成長は物価を安定的に保つと言える。Vは金利によって変化するが,長期的には安定していると考えられ,長期的には貨幣量が物価を決定するとマクロ経済学の教科書には書かれている。
 日本で貨幣数量説が当てはまっているか,簡単な図で見てみよう。Mの指標は色々あるが,日銀の政策に関係づけるために,ここではマネタリーベースをとる。下の図は,1970年から1995年までのマネタリーベース年間平均残高(横軸)と名目国内総生産(GDP,縦軸)の相関を示したものである(注1)。この期間に貨幣と所得はほぼ比例関係にあることがわかる。Mが10兆円程度のときにはPYは100兆円強で,Mが40兆円程度のときにはPYは400兆円強となっている。
イメージ 1

 1995年以降,わが国の政策金利は0.5%を上回ったことはない。この期間にはゼロ金利政策と量的緩和政策がとられた。マネタリーベースと名目GDPの関係を1970年から2009年までに延長して示したのが下の図である。量的緩和時にMは100兆円を超えることになったが,1995年までの関係が予測するように名目GDPが1000兆円になることはなかった。
イメージ 2

 ゼロ金利を含む非常に低い金利のときに貨幣が増えても物価も所得も上がらないことは,「流動性の罠」と呼ばれ,これも昔からマクロ経済学の教科書で説明されていた現象である。
 以上の図から言えるのは,「金利が正のときは貨幣数量説が妥当するが,金利がゼロのときは流動性の罠に陥り,貨幣数量説は妥当しない」という事実である。教科書に書かれている通りのことが日本で起こったわけである。

 つぎに,デフレを脱却して,適切な実質成長と物価上昇が実現する経済に着地するには,どのような道筋を描けばよいか,について以上の図が示唆することを見ていこう。
「日銀の国債引き受けによってレジーム転換が生じて,マイルドなインフレが実現する」という考え方については,レジーム転換が生じるか否かがそもそも問題だが,かりにレジーム転換が生じたとしてもそのような都合の良いレジーム転換は存在しない。最近のマネタリーベースは100兆円程度だが,かりに日銀が20兆円国債を引き受けたとして,Mが120兆円に増えたとすると,それに対応して着地すべき名目GDPは1200兆円を超えるだろう(1995年以前の貨幣の流通速度をもとにしているので,着地すべき名目GDPにはある程度の幅をもってみる必要はあるが,以下の議論に本質的な影響はない)。2010年の名目GDPは479兆円だから,1200兆円というのは数年のうちにマイルドインフレで到達できる数字ではない。つまり数年間で適切な水準に着地するなら,それまでは猛烈なインフレになるだろうし,マイルドインフレで着地しようとすれば,何十年かかるかわからない。[2011年6月21日追記:それほどの長期間,ゼロ金利のままでインフレをコントロールすることは現実的に無理である。この点を当初に記述していなかったため,意図が伝わりにくかった。なぜ現実的に無理かは,「復興国債の日銀引き受けはそもそも財源か?」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35427897.html )でくわしく説明している。]「Mを増やしてマイルドインフレの実現」というのはまったくの妄論である。
 市場は以上の事実を理解しており,ゼロ金利政策の出口ではMの縮小が必要なことを見通している。ゼロ金利からの追加的緩和を得るための「時間軸政策」とは,出口において金融緩和を継続することを市場に期待してもらい,その効果を今に「前借り」するものである。これをMで表現すると「将来にMを減らすのだが本来減らすものよりも減らすものを少し減らす」ということになる。わざと支えるように書いてしまったのだが,よく読んで理解してもらいたいが,そういうことである。以前に「『インフレ目標』をめぐるネット議論の陥穽」で「現在にお札をするだけでは効果ない,将来にお札が増えることを皆が信じると効果がある」と書いたが,将来の貨幣を増やすといっても,その貨幣量は今の貨幣量よりも減っていなければならない。Mを使うことの複雑さは,将来の政策を市場に期待してもらおうという時間軸政策の意図にとって障害となる。金利を使って表現することの利点は,将来の政策の説明が簡明になることである。つまり,「ゼロ金利解除のタイミングを遅らせる」という一言で上記の「減らす4連発」と同じ意味のことを説明できる。また,現在の貨幣を増やすことに効果がないという「流動性の罠」の事実も,現在の貨幣を増やしてもゼロ金利で同じこと,という形で理解しやすくなる。

 貨幣数量説と流動性の罠という,昔からマクロ経済学の教科書に書いていることが日本で現実に起こっていることを確認すれば,国債の日銀引き受けがデフレ脱却に何の意義もないことはすぐわかることである。そして,それは財政規律の喪失という弊害をもたらす。このことは震災の前でも後でも変わらない(注2)。

(注1)
 マネタリーベースは日本銀行の時系列統計データ検索サイトからダウンロードした。名目GDPは,「1945年のGDP」で説明した手法で筆者が接続した系列である。
(注2)
 日銀の国債引き受けが復興財源として意義があるか否かは別の論点になるので,震災復興の問題として別の機会に取り上げたい。大筋としては,引き受けた国債はゼロ金利を解除するときに売却しなければいけないので,国債を市中で発行することと同じことになる。

(参考)
日本銀行時系列統計データ検索サイト
http://www.stat-search.boj.or.jp/index.html
(ここからマネタリーベースにたどりつくときに,皆さんはどうしていますか? 私は「統計別検索」の「日本銀行関連(BJ)」に入り,「メニュー検索」から系列を指定していますが,どこに何があるか事前にわかってないと使えないやり方で,初心者に説明するにはあまり適切でないように感じています)

(関係する過去記事)
「『インフレ目標』をめぐるネット議論の陥穽」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32325439.html


[2011年6月21日追記]
(関係する記事)
「復興国債の日銀引き受けはそもそも財源か?」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35427897.html

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