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非伝統的金融政策に踏み出した中央銀行の業務は, リスクのある資産を保有し,通貨を発行する となっている。これを仮想的に2つに分割してみる(それを部局A,部局Bと呼ぶ) 部局A リスクのある資産を保有し,国債を発行する 部局B 国債を保有し,通貨を発行する となる。 そして問題は,部局Aのしていることは金融政策なのか,財政政策なのか,である。政府を見渡すと,部局Aのような業務をしているものとして財政投融資がある。ここまでが,「金融政策と財政策(その1)」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33497773.html )のおさらい。 財政投融資や政策金融の独立性という概念はない。それは,金融的手段をとっていても財政政策であると理解されているからである。では,中央銀行の独立性に基づき,日本銀行が独自の判断で財政政策をおこなっていいのか。それは,憲法83条に抵触する。例外とする根拠を憲法に求めることは無理のようであり,そうすると,中央銀行の判断で財政政策を実行していいと法律で決めることも,憲法違反となって無効となる。 つまり,非伝統的金融政策を実行しようとすれば,それは財政政策ではないと定義するか,財政政策だと認めて財政政策と同様の手続きを踏むか,のどちらかの道をとらないといけないことになる。そして,後者が望ましい。 前者の道をとり,「財政政策ではない」として,伝統的金融政策の流儀で実行したらどうなるか。将来にその資産価値が減じるリスクがある資産を保有し,実際に中央銀行のバランスシートが痛むと,中央銀行の利益が減少する。大規模な資産の減価が生じると,債務超過の事態もあるかもしれない。 そのような事態になった場合は,中央銀行のバランスシートを回復するために,財政支出が必要になるかもしれない。当然に,中央銀行は何をやっているのだ,と批判が出てくるだろう。中央銀行が勝手に国民負担を作りだしたのだから,中央銀行に独立性を与えること自体が問題になるだろう。つまり,中央銀行の独立性が及ぶ範囲を広げることで,結果的に中央銀行の独立性が損なわれてしまい,伝統的金融政策の実行にも支障が及ぶ事態が招かれる。 中央銀行の独立性が重要だと考える中央銀行家は,そのような事態になることを避けたいので,リスクのある資産を買う非伝統的政策に踏む込むことを躊躇する。政策決定の独立性が与えられているのは伝統的金融政策の範囲(部局Bの業務)に限定して,部局Aの業務は財政政策として国会で判断してくれることを希望するのである(注2)。 大規模な非伝統的金融政策に踏み切ったのは,米国連邦準備制度(FRB)である。その動きを伝える『バーナンキは正しかったか?』(デイビッド・ウェッセル著,朝日新聞出版)を見ると,FRBは積極的に資産買い入れをしたかったわけではなく,そうせざるを得ない状況に追い込まれていったことがわかる。本来は財政当局が動くべきものを,破綻金融機関の処理体制が十分でない,議会が認めない等の理由で,金融システムへの深刻な打撃を避けるための他の選択肢がなく,FRBがやむなく資産を買っていった。カウンターパーティーリスクによって流動性が失われた資産を購入したので,現状でFRBのバランスシートが毀損したわけではない。しかし,巨大に膨れ上がった中央銀行のバランスシートを見て,中央銀行の力に畏怖を覚えた議会は,中央銀行の監視を強めることを検討している。今年5月に日銀で開催されたコンファレンスでのバーナンキ議長の講演論題は「中央銀行の独立性,透明性,説明責任」であり,バーナンキ議長がこの機会で中央銀行の独立性が保たれることの重要性を訴えたのは,このような環境が背景にあると解釈できる。 しかし,バーナンキ議長の講演ではインフレ目標に関する発言に注目が集まったように,中央銀行のこのような考えは,中央銀行の外側では理解が十分に浸透していないようだ。 そこで,「非伝統的金融政策は財政政策」という中央銀行の主張を「非伝統的金融政策をやりたくないことの言い訳」と政府が受け取って,圧力をかけて政策の実行を強制したらどうなるか。資産価値が毀損した場合,今度は政府が国会の承認なく,国民負担が生じる事態を引き起こしたことが問題になるだろう。結局,中央銀行の判断でも,政府の判断でも,財政民主主義が損なわれたことが問題になる。 以上のように,政府の一機関がリスクのある資産を保有して,国民の負担が発生する事態を招く行為を,専門家が決めるならば,国会の関与がなくてもいいということにはならないだろう。(少し脱線して個人的意見をはさませていただきたいが,財政の研究者としては,専門家で合議して決めた方が,議員が国会で決めるよりも,良い選択ができると信じている。しかし,国家の強制力で集められた税金の使途は,国民が関与して決める,つまり国民が選んだ国会議員が決めるべきであるという財政民主主義は,それよりも優先するものである。国会議員が専門家の見解をよく勉強して,賢明な選択をしてもらうことが大事である)。 日銀によるリスク資産の購入は,FRBにくらべると,ずいぶんと「ささやかな」規模であった。日銀は2002年に銀行が保有する株式を購入することを決定し,約2兆円の株式を購入した。これは前例を見ない政策であり,賛否両論を呼んだ。2009年には1兆円規模での株式の購入を再開した。手続き的には,日銀法43条を使い,政府との協議の上で,この政策を実行した。かりに損失が出れば政府と日銀の立場は危ういものになるので,そのリスクを背負った上での判断である。 こうした実績の積み重ねた結果,規模は小さく,リスクの程度の小さい資産を購入することで,国民負担が生じるリスクを小さくし,それが顕在化しなれなければ結果オーライ,いう形がなかば場当たり的に確立されてしまったようだ。 しかし,この方式を突き詰めて考えていくと,大きな課題が2つある。 第1は,なぜ日銀が財政政策を実行しなければいけないのか,である。そもそも日本の場合,政策金融機関が部局Aに近い業務をおこなっている。すでに政策金融機関が存在しながら,なぜ日銀も政策金融機関のような活動をしなければいけないのか。事業仕分けで質問されても,きちんと返答できるような回答が必要だが,議論は整理されていないようだ。 また,政府が対応できることは日銀にやらせることはないだろう。2002年の日銀による株式購入時,政府は銀行等保有株式取得機構を設立し,同様の政策を実行していた。政府がきちんと銀行危機に対処していれば,日銀による株式購入は必要がなかったといえる。 日銀が関与するなら,政策金融機関が株式・社債の購入や融資をおこない,その債務に政府保証をつけて日本銀行が資金を供給するという方法が考えられる。これは,政策金融機関が部局A,日本銀行が部局Bの役割を果たすということである。日銀の業務が部局Bの範囲にとどまることがねらいである。 政策金融機関の存在は,外国との比較で念頭に置くべきものである。例えば,米国のサブプライム危機では,米国の政策金融機関といえる住宅金融機関が危機の震源地であったので,中央銀行自らが資産の購入主体になった。 第2は,現状のデフレ脱却策には使えないだろう。ここで期待する政策効果は,民間部門にあるリスクのある資産が安全資産に置き換わることで,経済主体の行動が変化する,という考え方で,ポートフォリオ・リバランス効果と呼ばれる。しかし,中央銀行が背負えるリスクが制限されていれば,自ずと政策効果も制限される。 突き詰めていくと,日本銀行がリスクのある資産を買う手段は中途半端な位置にある。あまり突き詰めて考えられていないともいえる。しかし,中央銀行の独立性が損なわれないように,金融政策と財政政策の境界について,もっと多くの人が関心をもち,明確な境界線を引くことが重要だろう。 そして,政策金融機関でできることはまずそこでやるべきである。それでは対応できないような大規模な金融危機であれば,米国のように中央銀行が主体となることが必要となるかもしれないが,日本経済の現状はそのような事態にはない。 (注2) では,部局Bの業務は財政政策ではなく,金融政策とするのはなぜ妥当なのか? これは別の機会に論じたい。 (参考) 日本銀行法 (他業の禁止)第43条 日本銀行は、この法律の規定により日本銀行の業務とされた業務以外の業務を行ってはならない。ただし、この法律に規定する日本銀行の目的達成上必要がある場合において、財務大臣及び内閣総理大臣の認可を受けたときは、この限りでない。 2 第7条第4項の規定は、前項の認可について準用する。 (参考文献) Ben S. Bernanke (2010), “Central Bank Independence, Transparency, and Accountability,” http://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20100525a.pdf |
経済・経済学
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非伝統的金融政策を議論しているときに,財政政策のことが話題にのぼる。「『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html )でも,「中央銀行がバランスシートにリスクを負うことは財政政策であるとの認識が必要」と書いた。中央銀行のとる政策なのに,なぜ財政政策の話になるのか。不思議に思われる方もいるかと思われるので,今回と次回の記事ではそれを説明したい。 |
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前回の記事「通貨発行益」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html )では,ゼロ金利の期間中だけ国債保有増加を増やすことは,通貨発行益を増やさないことを示した。また,満期まで国債を保有すると通貨発行益が生まれる(長期債が償還される途中でゼロ金利が終わると考えている)。 |
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通貨発行益(seigniorage)とは,現金通貨(貨幣)の増加分である(注1)。これは経済理論上の概念であって,会計基準でこれを利益として表示しているわけではない。なぜ「益」と呼ぶかというと,以下のような理屈になる。 中央銀行は国債を資産に,貨幣を負債にもっている。話を簡単化するため,自己資本を捨象して,両者が等しいとしよう(負債側には準備預金があるが,これには利子がつくので,国債と同様の資産と見なして,資産・負債の両側からのぞいて考えることにする。かつては準備預金に利子がつかなかったが,その場合は貨幣として扱うことになるので,例えばBuiter [2007]はマネタリーベースの増加分と定義している)。政府は国債を発行するが,これを民間は国債と貨幣の2種類の資産で保有することになる。国債は償還期限が来たら,返済しなければいけない。貨幣には償還期限はない。貨幣経済が続く限り,返済する必要はない。したがって,中央銀行が保有し続ける国債は返済する必要がないので,政府の収入と考えてよい。なお,中央銀行が貨幣を減少させた場合,それは負の発行益,つまり「発行損」であることを押さえておこう。 通貨発行益は,別のとらえ方もできる。中央銀行は,資産側の国債の利子を得るが,負債側の貨幣には利子を支払わない。政府から見ると,中央銀行に利子を支払うが,これは納付金になって政府に還流してくる。t期に短期債(1期で償還される)を購入して貨幣をΔM増加させ,その後も償還された資金で毎期短期債を購入して,増加した貨幣を維持すると,t期以降の利子節約分は, となる。無限の将来にわたる,この節約分の割引現在価値は, で表わされる(実質価値を考える場合には実質金利で割り引く必要があるが,実質価値を実質金利で割り引くことと,名目価値を名目金利で割り引くのは同じことである)。この括弧のなかを変形すると, となる。つまり, が成立するので,通貨発行益は,中央銀行が保有することによって節約される国債の利払費の割引現在価値になる。 マネタリーベースの増加が一時的な場合の通貨発行益も同様に考えることができる。例えば,t期にマネタリーベースをΔM増加させ,t+2期後に同額だけ減少させると,2期間の利子節約分の合計は, となる。つまり,t期の貨幣増加の発行益からt+2期の貨幣減少の発行損を引いたものが,一時的な貨幣増加の通貨発行益である。 以上の計算の金利は短期金利である。そして,ゼロ金利のときには利子節約額はゼロである。ゼロ金利期間中だけ貨幣を拡大する(ゼロ金利解除までに元に戻す)場合は,通算の通貨発行益はゼロである。短期債対象のオペをした場合,中央銀行はゼロ金利の資産をもつわけだから,利子節約額がゼロなのは納得いただけるだろう。 さて,短期金利はゼロでも長期金利はゼロではない。いまの10年物国債の流通利回りは約1.3%である。2009年度補正後予算では,一般会計の利払費は8.4兆円である。日銀が長期国債を保有すれば,その利払費は政府に還流するので,利払費の節約になるのではないか,と思われるかもしれない。しかし,それは正しくなく,ゼロ金利の期間中だけ長期国債を保有しても,通貨発行益はゼロである。 数値例で確認しよう。t期とt+1期の2期間を考えて,t期の短期金利はゼロ,t+1期の短期金利は5%としよう。t期の短期債を100円で購入すると,期末に利子ゼロ,元本100円が償還され,t+1期の短期債は100円で購入すると,期末に利子5円,元本100年が償還される。つぎに,2期間の長期債があり,t期末にx円の利子,t+1期末にx円の利子と元本100円が償還されるとする。この国債の当初の価格が100円となるようなxを求めよう。そこで,t期末=t+1期初の市場価格をP円とする。t期にこれを100円で購入すると,期末に利子x円が支払われ,元本の価値はP円である。短期債で運用しても長期債で運用しても利回りが等しくなるように裁定が働くと,
100=x+P
となる。t+1期にこの長期債をP円で購入すると,t+1期末にx円の利子と100円の元本の償還を受け取る。短期債で運用しても長期債で運用しても利回りが等しくなるように裁定が働くと,
105/100=(x+100)/P
となる。これらの式からxは100/41=2.439…,Pは4000/41=97.56…と求められる。さて,日銀がt期に利率が約2.4%の長期国債を100兆円購入すると,その利払費である約2.4兆円が節約できているように見える。しかし,日銀がこの国債をゼロ金利が終わるt期末に約97.6兆円で売ると,利払費に相当する2.4兆円の売却損が出てしまう。 このように債券間で金利裁定が働いている場合には,どちらの債券をオペの対象にするか,で中央銀行のキャッシュフローは変わらない。つまり,短期債対象のオペでも長期債対象のオペでも,政策としての効果は同じである。これはWallace (1981)で公開市場操作のModigliani-Miller定理と呼ばれたものである(注2)。 さて,かりに日銀が利払費2.4兆円を納付金として政府に納めたら,どうなるか。最初に十分な自己資本がなければ,2.4兆円の国債の売却損の結果で日銀は債務超過となるだろう。債務超過になるのは,通貨発行益ではないものを,あたかも発行益のようにして政府に還流させてしまうからである。 (注1) 『新しい日本銀行−その機能と業務(増補版)』(日本銀行金融研究所編)では「貨幣」とは硬貨を指し,銀行券と硬貨を総称して現金通貨と呼んでいる。今回の記事での「貨幣」は経済学での用語法に合わせている。 (注2) 将来の金利が確実であることを前提に説明したが,不確実な場合でも,この性質が成立することがWallace (1981)で示されている。 (参考文献) Willem H. Buiter (2007), “Seigniorage,” Economics: The Open-Access, Open-Assessment E-Journal, Vol. 1, 2007-10. http://www.economics-ejournal.org/economics/journalarticles/2007-10 Neil Wallace (1981), “A Modigliani-Miller Theorem for Open-Market Operations,” American Economic Review, Vol. 71, No. 3, June, pp. 267-274 |
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日銀の国債引き受けが議論になっている。これについて,「財政法第5条で国会の議決があれば可能である」といわれているが,実際の条文は, |





