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日本銀行が2001年から2006年までとった「量的緩和政策」は,3つの政策が複合されたものである。1つは,「時間軸政策」。金融緩和を将来にわたって続けることを表明して,長期金利を低下させることがねらいである。2つ目は,「純粋な量的緩和」。日銀当座預金額を増加させ,マネタリーベースを増加させることである。3つ目は,長期国債,社債,株式等の伝統的なオペの対象でない資産の購入である。 |
経済・経済学
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Twitterで,デフレ脱却のために望ましいと私が考える政策とは何か,という旨の質問を受けた。 |
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金融政策でインフレを起こせる,という主張で使われる「バーナンキの背理法」だが,その問題点は誰かがネットで適切に解説しているかと思っていたが,どうもそうでもないようなので,私なりに整理してみる。
ここで考えられているのは,「ヘリコプター・ドロップ」という政策である。これは,(1)政府が国債発行で財源調達して,現金を家計に支給する,(2)中央銀行が貨幣を増発して,その分の国債を買う,という2つの政策を組み合わせたものである。丁寧に全部いうと長くなるから,「現金が増えて,家計に行き渡る」ことが起こっているので,ヘリコプターで貨幣をばらまくような政策だと,短く言うことにしている。
さて,バーナンキの背理法は,「こういう政策をとってもインフレが起こらないと仮定しよう」というところから出発する。「するとお札を刷ることで財政支出が全部まかなえることになり,無税国家が生まれる。無税国家は現実にはありえない。これは矛盾だからインフレが起こる」と続く。
じつは,最初の「こういう政策をとってもインフレが起こらないと仮定しよう」が問題だ。その裏では,「こういう政策がとられなければもちろんインフレが起こらない(デフレのまま)」というのが前提になっている[2010年4月1日追記:ここで「裏」と使ってしまったのは,不注意な表現であった。論理学の「裏」を指す意図ではなく,一般的な用語法として,「暗黙の前提」という意味であった。本文は残しておくが,追記の形で訂正しておく]。しかし,これは,現在の常識的な予想に合わない。現在の予想は,現状のデフレは2年以上続くが,やがては(何年後かは人によって違うが)デフレは解消する,というものである。
つまり,バーナンキの背理法は,出発点で現実と違う状況を考えているので,そこから先の議論は現状の政策立案の役に立たない。そして,現実的な想定のもとで将来にどういう政策がとられるのかが明確でないと,市場関係者も国民もどういう予想を抱いていいかわからなくなるだろう。
ここで話を終えてもいいが,折角だから,ヘリコプター・ドロップによらずとも,いずれはインフレになるという前提のもとで,話を先に進めてみよう。
理解を深めるために,ヘリコプター・ドロップではなく,日銀が国債を大量に買う(供給オペをおこなう)政策を最初に考えてみよう。そして,その政策ではインフレが起こらないが,政策とは別の要因で(例えば,景気の自律的回復で3年後に)インフレが起こると想定してみよう。当初にゼロ金利だとして,国債を大量に買うと,マネタリーベースが大きく膨らむ。インフレが起こったときにはゼロ金利を解除することになるだろうから,適正なマネタリーベースの水準に戻すために,当初に大量に買った国債を市場に売却しなければならない。これは,かつて日銀がとった量的緩和政策を解除する過程に似ている。量的緩和政策時に貨幣を大幅に増やしても,それに見合う物価上昇はまったく起こらなかったわけだから,量的緩和政策と同様のことをすれば同様に物価は上がらない,と市場は予想するだろう。その結果,この政策によってインフレが起こらない,という仮定と矛盾しない帰結が得られる。
つぎは,ヘリコプター・ドロップに移ろう。日銀が購入した国債分のお金を家計に配る点が,上の量的緩和と類似の政策との違いになる。しかし,この違いの部分は,じつは財政政策である。だから,財政政策の効果がどうなるのか,と考えるとよい。財政政策を実行してもゼロ金利が維持されるなら,クラウディング・アウト効果(金利が上がって投資が減少することで,所得への影響が低下すること)を心配する必要はない。つまり,財政政策の所得への影響が最大限に出る状況である。大規模な財政政策(例えばよくいわれるような,国民1人当たり20万円,総額25兆円の定額給付金)をやれば,財政政策としての効果はあるだろう。
さて,この財政政策の財源はどうやって負担することになるのだろうか。インフレが生じたときにゼロ金利を解除すると,当初に日銀が購入した国債のほとんどは市場に売却しなければならなくなるだろう。財政政策の財源となった国債は日銀から市場に戻ってくるので,通常の財政政策のように,その国債をどう償還するのかが問題になる。そして,その国債の負担は財政政策が起こすインフレによって解消するなどとは,マクロ経済学の教科書には書いていない(注1)。国債を償還するなら,その財源(おそらく増税)が必要になるのである。
バーナンキの背理法は現実とは違う仮定から出発することで,この国債償還の部分を,インフレが起こってめでたしめでたし,といって隠している。景気対策を主張するときに国債の償還をぼかす人はよく見かけるが,それの変種のレトリックである。しかし,インフレでめでたしめでたし,と思っていたら,結局は普通の財政政策と同じく財源を負担することになったというのであれば,それは騙されているということである。
財政政策を実行するのなら,財政政策を実行すると正直にいうべきだろう。そして,そのことを自覚して,政策の是非を判断する必要がある。
(注1) まず,財政政策が実行される不況のときは,そもそも物価が上がりにくい。しかし,多少は物価が上がると考えてもいいだろう。
かりに物価が上がったら,国債の実質価値はそれによって目減りすることは事実である。しかし,同時に名目金利が上昇して利払費が増える分だけ国債が増発されると,それが相殺される。実質金利が変化しないと,インフレ率の上昇分だけ名目金利が上昇する。このため,もしすべての国債が短期債だとすると,インフレによる国債の実質価値の目減りを利払費の上昇による国債の増発がすべて相殺してしまうだろう。実際には長期債の金利は動かないので,その分の利払費の上昇がない個所だけが,インフレによって国債が償還された分になる。
(注2) 「政策がとられなくてもやがてインフレになる」状況と,「政策をとらなければデフレが永続する」状況では,政策の議論がまったく異なると考えていいので,区別することが非常に重要である。文献を読む場合にも,どちらの状況を議論しているのかに注意する必要がある。
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ハイパーインフレーションの原因は巨額の財政赤字にあると考えられている。数%のインフレ率の変動は,需給の関係で生じると考えていいが,年率3ケタや天文学的数字のインフレを同じ理由で説明するのは無理だ。ハイパーインフレが発生したときには,経済が混乱する種々の出来事が起こっているので,その原因は突き止めにくい。財政赤字原因説が支持を得たのは,Sargent (1982)の貢献によるところが大きい。彼は,欧州の有名なハイパーインフレが「終わった」原因が財政収支の改善にあったことを突き止めたのである。 国債の信用力が失われて市場が国債を買わなくなり,中央銀行が引き受けるようになると,ハイパーインフレの道を歩み始める。ハイパーインフレという異常な状況がいとも簡単に生じることは,数式を使った方が理解が早まると思うので,以下のような簡単なモデルで説明する。モデルの後に,ハイパーインフレがどういう状況なのかを,文章でまとめる。 ある国が財政赤字を出し続けて,市場の信用を失い,財政赤字(国債の純増)Dをすべて貨幣の増刷(通貨発行益,ΔM)でまかなうようになったとする。Mはマネタリーベース,Δは時間で微分することを表す。つまり, ΔM=D となる。名目GDPをYとする。対GDP比で書くと, ΔM/Y=D/Y となる。分数の微分の公式から Δ(M/Y)=ΔM/Y−(ΔY/Y)M/Y が成立するが,これを用いると, Δ(M/Y)=D/Y−(ΔY/Y)M/Y となる。マネタリーベースの対GDP比をm,財政赤字の対GDP比をdと書くことにする。 市場の信用をなくすくらいなので,この国の財政赤字は将来も持続するものとする。つまり,dはずっと一定の値をとるものと考えよう(ここは大事な想定)。 名目GDP成長率はインフレ率と実質成長率の和だが,非常に高率のインフレ率を考えたいので,年率数%の実質成長率は,ここでは無視しても差し支えない。つまり,インフレ率をπとして, ΔY/Y=π が近似的に成立するものとする。すると, Δm=d−πm が導かれる。政府の実質債務(かつマネタリーベースの実質残高)の増加は,財政赤字からインフレ税(πm)を引いた額になる。 インフレ税とは,現金を保有していると,インフレによってその実質価値が目減りする形で,政府の債務を減らすことに貢献していることを意味している。インフレ率が高くなると,現金の保有者はできるだけ早く貨幣を手放そうとする。つまり,貨幣の流通速度が上昇する。たとえば,貨幣需要関数が, で表わされるとすると, となる。ここでα>1である。 このときの,Δmとmの関係を示したのが,下の図である(α=2の場合の双曲線を示している。使用した作図ソフトの制約から,Δmをdm/dtと書いているが,ご容赦を願いたい)。 貨幣の実質残高mの動きには,3つの可能性がある。 (1)まず,ΔmがゼロとなるA点。これはmが変化しないことを意味するので,mがA点にいれば,その後もずっとそこにとどまる。つまり,経済ではインフレ率がずっと一定で続くことになる(mが一定だからπも一定)。 かりに財政赤字がGDPの5%(1年間の名目GDPが500兆円なら25兆円)だとd=0.05。マネタリーベースがGDPの10%(1年間の名目GDPが500兆円なら50兆円)だとm=0.1。A点では,π=d/mなので,インフレ率は年率50%となる。 (2)最初にA点より右側に経済があったとしよう。すると,Δmが正だから,mは増加する。図ではより右側のmに動く。そこでもΔmは正だからさらに右に動く。つまり,mがずっと上昇を続ける。これは,インフレ率が貨幣の成長率より低いことを示している。 貨幣成長率は, ΔM/M=(ΔM/Y)・(Y/M)=d/m と書くことができる。dが一定でmが大きくなるということは,貨幣成長率は小さくなる。それよりも名目GDP成長率が小さくなっているから,インフレ率がどんどん小さくなる。つまり,デフレがどんどん激しくなっていく。 このような解は,「ハイパーデフレーション」と呼ばれるが,われわれの経済で生じることはないと考えられている。貨幣は消費者の資産でもあるが,資産をもつ動機は将来に消費するためである。貨幣の実質残高がどんどん増加して,莫大な資産をため込むよりは使ってしまった方がよいとどこかで考える。そのため,デフレで貨幣残高が蓄積していく状態は消費者の行動とは矛盾する。こういう現象が現れないように,物価が調整されると考えられる。 (3)最初にA点より左側に経済があったとしよう。すると,Δmが負だから,mは減少する。図ではより左側のmに動く。そこでもΔmは負だから,mは減少し,さらに左に動く。つまり,mがずっと減少を続ける。これは,インフレ率が貨幣の成長率より高いことを示している。上の数値例だと,A点のインフレ率が50%だから,それよりも大きなインフレ率になる。 貨幣成長率はd/mだから,dが一定でmが小さくなるということは,貨幣成長率はどんどん大きくなっていく[2010年4月1日追記:「mが大きく」と誤記していたので,訂正する]。インフレ率はそれよりも大きく,時間とともにどんどん大きくなっていく。この解が,「ハイパーインフレーション」と呼ばれる。 モデルは以上であるが,その意味するところは以下の通り。 政府が資金調達を貨幣発行に頼るようになり,その後も財政赤字を維持し続けると,ハイパーインフレが生じる可能性が高い。 ハイパーインフレが生じてしまう理由は,通常とは違う政策ルールがとられているからである。通常の政策ルールでは,通貨発行益は中央銀行の金融政策の判断で変動する。財政赤字は,それとは別に財政当局の判断で決められる。国債が市場で消化されていれば,通貨発行益と財政赤字が別々に決められていても問題はない。上のモデルの状況はこれとは違う。中央銀行は国債を引き受けざるを得ないので,通貨発行益は財政赤字に等しくなければいけない。つまり,中央銀行には金融政策の裁量の余地がなく,物価は財政側の事情によって決定されている。 この状態では,中央銀行にハイパーインフレを何とかしろと迫るのは,無理な相談である。もし貨幣の成長を抑えると,政府は財政赤字の資金調達ができなくなり,財政破綻するからだ。中央銀行は,「財政破綻」か「ハイパーインフレ」かの2つの選択肢が与えられたもとで,ハイパーインフレをやむなく選択している。マイルドインフレにする選択肢は存在しない。物価に責任をもつのは,中央銀行ではなく,政府である。 ハイパーインフレを終息させるには,政府が借り入れをしなくてもいいように財政収支を大幅に改善し,デノミか新しい通貨の発行でもう一度,通貨の信頼を取り戻すことが必要になる。 (注) 大学院レベルのマクロ経済学の教科書でのハイパーインフレの説明は,Romer (2006, pp.538-547), Obstfeld and Rogoff (1996, pp. 515-530)にくわしい。伝統的にはCagan (1956)の貨幣需要関数を用いることが多く,最終的には高いインフレ率で安定する解が得られる。ここではGutierrez and Vazquez (2004)の貨幣需要関数を少し変更したものを使っており,従来の教科書的説明とは少し違ったものになっている。 (参考文献) Philip Cagan (1956), “The Monetary Dynamics of Hyperinflation,” in Milton Friedman ed., Studies in the Quantity Theory, Chicago: University of Chicago Press, pp. 25-117. Maria-Jose Gutierrez and Jesus Vazquez (2004), “Explosive Hyperinflation, Inflation-Tax Laffer Curve, and Modeling the Use of Money,” Journal of Institutional and Theoretical Economics, Vol. 106, No. 2, June, pp. 311-326. David Romer (2006), Advanced Macroeconomics, 3rd Edition, New York: McGraw-Hill/Irwin. Sargent, Thomas J. (1982), “The Ends of Four Big Inflations, in Robert Hall ed., Inflation, Causes and Effects, Chicago: University of Chicago Press, pp. 41-98.
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池田信夫氏が私のブログ記事(「【感想】『日本経済復活 一番かんたんな方法』」http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32335301.html )を引用して飯田泰之氏に質問(「飯田泰之氏への質問」http://agora-web.jp/archives/937467.html )したため,飯田氏と私の間に論争があるようにも思われるかもしれないが,それは大きなものではない。 |





