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場所は津軽富士見湖の直ぐ傍で、築120年の豪農の民家を移築したものだ 一般公開されていて誰でも自由に見学できる 重厚な木戸を開けて中に入った、玄関は懐かしい土間 引き戸を開けるとさらに土間で、板敷きの囲炉裏が有る居間から奥座敷が見える 大溜池や岩木山が見える奥座敷の隣に床の間が並んでいる 屋根裏部屋への階段は垂直に近い、下りる時は怖かった 帰りがけに玄関脇の金庫を二つ発見!扉を開けて驚いた!札束が詰まっていた(嘘) 当時豪農だった主がヒバの原木を買い、三年がかりで完成したと書いてあった。
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津軽の歴史
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太宰治の小説「津軽」のクライマックスに、母と慕う乳母タケに逢うシーンがある 村の小学校で運動会を見ていたタケに三十年ぶりで再会を果たした場面の銅像 小説「津軽」の像記念館・展示していた子供の頃の太宰治 館内のスクリーンに映し出された「タケ」の映像 太宰治の長女「津島園子」の絵画(左の花の絵) 太宰治 昭和二十三年、東京玉川上水で愛人山崎富栄と入水心中、三十九歳。 作家の津島佑子は次女。 衆議院議員津島雄二(旧姓上野)は、太宰の長女津島園子の夫で 自民党の最大派閥津島派(旧橋本派、旧竹下派)の会長。 作家の太田治子は愛人太田静子との間にできた子である。 三兄の津島文治は金木町長、青森県知事を歴任。文治の長男津島康一は俳優。 四兄の津島英治もまた金木町長。英治の孫の津島恭一は元衆議院議員。
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十三湖から小泊方面に少し行った所に一際目立つ赤い鳥居が有る 鎌倉時代から室町時代にかけて国際貿易港として栄華を極めた十三湊 一大港湾都市へと発展させた中世北日本の覇者「安藤氏」の隆盛の時代を偲ばせる |
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今日は野暮用のついでに森田村の道の駅によってみました 本館の隣に茅葺屋根の民家を移築したそば屋が有ります 店名「萱のしずく」 「木造茅葺一部二回建て、建築年代は約100年以上前、当時の津軽地方を 代表する規模の大きい茅葺農家(地主)住居です。 大小11の部屋をもち武家の格式を取り入れ、台所・常居・座敷に段差が あり天井が高くなっています。 木材はおもにヒバ・けやきで、すじかいを用いず、すべて貫を使用し 釘も使っていません。」 旧 増田家 、この地の苗字帯刀を許された庄屋だったのだろう! ここは津軽民謡「弥三郎節」の発祥の地 内容は、貧しい農家の"嫁いびり"を唄ったものです! ♬一つぁえ〜 木造新田の下相野〜村のはんずれこの〜やさぶろぁえ〜ありゃやさぶろぁえ〜♬ ♬四つぁえ〜 夜草朝草欠かさねど〜 つける油こも〜 つけさせぬ〜ありゃやさぶろぁえ〜♬ 十五番まで有ります!
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太宰治の出生地「金木町」(現在、五所川原市)は津軽平野のほぼ中央に位置し これと言う特徴も有りませんが、どことなく都風にちょっと気取った町だ。 斜陽館(重要文化財)は赤レンガの高い塀に囲まれ一階11室、二階8室合わせて 254坪に及ぶこの豪邸は、太宰治の父、津島源右衛門が明治40年に新築した。 棟梁は弘前に数々の洋風建築の名作を残した「堀江佐吉」です。 太宰治は明治42年(1909)この家に生まれた。
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