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NHKの大河ドラマで「八重の桜」で、新島八重(手紙では八重子とも名乗っている)のことが取り上げられているけど、その旦那さんである、新島襄は群馬県ゆかりの人です。(NHKは、全く見てないので、どんな話なのか知りません。)
今日は、上毛かるたの、「へ」 を紹介します。
【上毛かるた・・・「へ」 何が平和なのか、わからないまま丸暗記してました。】
同志社大学を作った人だよって教えられたぐらいで、本当は、どんな人なのか知らないというのが群馬県人の99%なんじゃないかなぁ
ウィキペディアで調べたら、箱館(函館)から、密航してアメリカに渡ったというとんでもない奴じゃん(笑)
まぁそれは、いいとして、上毛かるた、ゆかりの地を訪ねたのは2011.10.30のことです。
この日は、群馬県安中市にある江戸時代からの杉並木を見に行ったんですが、途中で新島襄旧宅の看板を見つけたので、ちょっと寄り道してみました。
安中市の生まれだと、ついさっきウィキペディアを見るまで信じていたが、安中藩の江戸屋敷で生まれたとあるから、東京の人なんですねー(笑)
でも、旧宅ということで、安中市に住んでいたことはあるようです。
【安中市指定文化財 新島襄先生旧宅】
それから、安中市にある新島学園(高校)が、新島襄が作った学校です。
さすが、キリスト系の学校、ちゃんと十字架がありますね。
【新島学園高等学校】
学園敷地内に、新島襄の胸像ぐらいあるんじゃないかと、キョロキョロ探したけどありません。
で、玄関をのぞいてみたら、いましたよー
学園の関係者に話を聞いてみたかったが、この日は休日だったので、誰にも会えませんでした。・・・・・・つまり、無断撮影ってことさ
【ガラス越しなので、写りはイマイチですね】
この学校は、進学校なんですが、成績上位者は同志社大学に推薦で入れるって聞いたので、大学入試に苦しまないなら、岩魚もこの学校に行こうかなぁなんて考えたことがありました。
成績上位者に限られるということは・・・・岩魚が、トップクラスになれると思い込んでたところがオバカだった証拠ですね(笑)
前橋市にも新島襄の関係する学校で、共愛(きょうあい)学園(女子校)というのがあります。
共愛学園は、もともと中学・高校の一貫校で、岩魚が子供の頃、共愛学園って、お洒落で可愛い女の子が多いけどズベ公(不良の子)が多いって聞いていました。
これが、とんでもない誤解で、とってもいい子ばっかりの学校で、何かのイベントの時にボランティアを募集すると、共愛の生徒さんたちは積極的に参加してくれます。
話がドンドン脱線しちゃいましたが、新島襄のことを本当は知らないから、なんにも書けないってことさ(汗)・・・・・・ごめんちゃい
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上毛かるた
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このところ、ブログの更新がやや手抜きになっております。(汗)
毎日、パソコンに向かってゲームなんぞはしているんですが、どうも色々と考えがまとまらないのは、花粉症のせいで集中力が途切れているんだと自分では思っています。
みなさんの記事は、もれなく見ていますが、コメントが追いつかないのは、花粉症のせいで考えがまとまらないため読み逃げになったりしていますが、どうかご勘弁を。
↓ ここからタイトルの上毛かるたです
上毛かるたの順番どおりに、ブログで紹介しようと思っていましたが、3番目の「は」・・・「花山公園つつじの名所」には、ちょうどつつじの季節に行ってないので、写真がありません。
そこで、取り置きの写真で、今後はランダムに紹介できるものからと方針変更です。
今日は、4番目の「に」・・・「日本で最初の富岡製糸」です。
【明治時代の女工さんって、こんな感じだったのかなぁ】
今、富岡製糸工場を、世界文化遺産に登録しようと、地元では盛んにアピールしています。
みなさんも、「文科省からユネスコに申請する。」なんてニュースを聞いたことがあるでしょう。
正直言って世界文化遺産に推薦するのは、ほかの12の文化遺産に比べるとちょっと気が引けるけど、まぁ地元が盛り上がっているから、応援してあげましょう。
【日本の世界文化遺産】
以下の写真は、5年前2008年8月のものです。
【正面入口を望む商店街】
さすが、田舎っぽいでしょ、ちょっとショボイです。
【正門】
【見学料は、500円もします
【入口で地元のボランティアの人(ジサマ)が案内人になって、待ち構えています】
【工場入口】
【工場内部・・・当時の機械には、保存用にビニールがかけてあります】
5年前に行った時は、それほど写真というものに興味がなく、色々な所をそれらしく写そうなんて気がなくて、大した写真がありませんが、本当は日本の近代化の礎を築いた場所なんですよねー。
江戸から明治になって、当時の日本の輸出できるものといえば、生糸ぐらいなもので、それまで手作業で繭から生糸を取り出していたが、生産量を増やすため官営の工場を作って、日本の貿易を支えていたんです。
この工場で働いていた女工さんたちは、当初は、いい家のお嬢様たちだったということです。・・・・・・超花形産業だったからね。
昭和何年までかは知らないが、つい最近まで民間の製糸会社が操業していたんですよ。
岩魚が学生の時、この建物の2階から繭の袋を滑り台のようなものを使ってトラックに積むアルバイトをしていたことがあったんです。
だから、この建物の中をウロウロとあちらこちら歩き回ったことがあるんです。
現在は、保存のため入れない建物もありますし、すでに一部取り壊しています。
岩魚は、もし世界文化遺産になったら、みんなが入れない場所にも入ったし、すでに取り壊してしまった場所にも入ったことがあるという貴重な人間になるのです。
学生の時、印象深かった所は、女工さんたちの風呂場です。
大きなプールのような風呂場で、窓は立派なステンドグラスでしたよ。
プールと言いましたが水深1.2mほどのお風呂で、階段で降りて入浴し、そのまま湯船の中を10mぐらい歩いて行き、階段を登って入浴終了という一方通行のお風呂でした。
なんじゃそれぇ・・・・って、その時はずい分驚かされたお風呂だったので、妙に印象深かったのですが、残念ながら風呂のある建物は現在はありません。
前に、市役所の担当職員らしき人がいたので、風呂場はどこですか?って訪ねたら、なんのことか知らなかったんです。
市の担当職員も、建物にはおいそれと入ることができないらしく、まして、どんな建物がどの辺にあるのか知らなくて、昔を知る岩魚の話を聞いて(°д°)ビックリしてました。
岩魚のうろ覚えの記憶でも、本当にそんなものがあったのかどうか、今は検証できないのだから、大きなプールのような風呂場があったことにしておきます。
人の知らないことを知ってるって、なんて嬉しいことなんでしょう。
ユネスコに今は申請する段階ですが、もしかして世界文化遺産になったら、もっと嬉しいなぁ。
『みんなは、知らないだろうが、世界文化遺産の富岡製糸工場ですが、その昔ここには綺麗なステンドグラスの大きなお風呂があった。』って、得意そうに言っちゃうつもりです。
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上毛かるたの2番目は、「ろ」です。
【今まで、何をした人なのか、関心もなく、ただのジサマだと思っていた】
【かるたの裏には、説明があります】
てっきり、100歳を超えた、年寄りの農民のことだと思い込んでいましたが、改めてかるたの裏の説明を読んだら、経験豊富な人に「老」を敬称として付けただけのようです。
年寄りの意味じゃなかったんですね。
明治初期に、近代農法を教えた先生だった。
この人は、前橋市の北にある富士見村(現在は前橋市に合併)の人です。
旧富士見村役場の庭に銅像が建っていたのは、知っていました。
【村の偉人として、尊敬されていたようです】
では、生まれた家とか、記念に残っているのか?
お墓はあるのか?
そんな疑問が当然わきます。
で、近くの富士見図書館に行って、係りの人に聞いたら・・・・・。
その人の業績について書いてある本のことは知っているが、係員でも、生家とかお墓のことは知らないというのです。
年配の係員が、もしかすると、小学校の時に遠足でお墓らしきものを見たことがある、原小学校の裏の方だったという、あやふやな情報しか入りませんでした。
『遠足は大昔のことなので、今はよくわからないが、字で「原之郷」と言うところにお墓があるような気がする。』・・・この程度の情報です。
しょうがない、その人のあやふやな情報による大体の場所を聞いて、まあ近くまで行ってから、其の辺の人に聞くことにして、図書館をあとにしました。
まず、「原之郷」という信号まで行ってから、カーナビを拡大して、近くのお寺を探したら、信号から、それほど遠くないところにお寺があったので、お寺に行ってみたのですが、あいにく住職は出かけていて、留守番の中学生がいただけで、聞いても『知らない』と言うばかりです。・・・・もちろん、かるたのことは群馬県民ですから知っていたけどね。
お寺の近辺をあてもなくウロウロ回ったら、なんと「この先100m 群馬県指定史跡 船津伝次平の墓」の看板を発見しちゃいました。
【上毛かるたを真似て、富士見かるたなんていうのもあるみたいです(笑)】
お墓は、お寺ではなく、今は民家に囲まれた一画にありました。
道が狭いので、広い場所を見つけ、車から降りてお墓まで100m歩きました。
さらに、なにかエピソードでも聞かせてくれるような、お年寄りがいないかなぁと見回しても、誰もいません。
とりあえず、車に戻り、その前の家(かなり大きな農家)に入って聞いてみようと思ったら・・・・なんと、ズバリ生家だったのです。(敷地内に看板がありました。)
あいにく、留守で、今も普通に生活している家なので、写真は遠慮して撮りませんでした。
老農船津伝次平の故郷を訪ねたのは、2011年6月12日のことで、その時は図書館の人しか取材?できなかったけど、地元の誰かに話を聞くのはなんとなく心が弾むもんだ。
岩魚は、どこに行っても、いきなり誰とでも普通にしゃべれる、モノオジしない性格だと、友達から言われることがあります。
友達から、そんなことを驚かれたことがあったなぁ〜
まぁ、それはいいとして・・・・・・。
教訓その1
どんな偉人でも、時がたてば誰からも忘れられてしまう。
教訓その2
今、精一杯生きて行くのが大事なこと。 |
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上毛かるたの写真が溜まってきたので、そろそろ順番にアップしますね
一応、岩魚の中ではシリーズものということで、上毛かるたの書庫を作ってみました
上毛かるたは、いろは順なので、最初は『い』です
【伊香保温泉 日本の名湯】
伊香保温泉は、榛名山の中腹にあって、源泉は薄茶色の泥のようです
地元では、『黄金の湯』なんて呼んでいるけどさ
【石段の湯、とも言われています】
この石段の下を温泉が川のように流れ落ちていて、左右にあるホテル・旅館に引き込まれています
旅館の格によって、取り込める量が違います
この石段は、夜になると温泉の川がのぞけるように、ライトで照らされています
昔は東京からの新婚旅行でにぎわっていたらしいが・・・・ちょっと元気無いなぁ
旅館の数とかは、日本一と言ってもいいんじゃないかなぁ
温泉に泊まって、翌日は榛名山に登って、榛名湖でボート遊びが一般的なコースです
それから、帰り道を下ってくると、途中に水沢寺があり、正月ころは10センチぐらいの雪がアイスバーンになっているので、初詣は命懸けです
【水沢寺・・・・・白いのは、お線香の煙だよ】
その門前町は全てうどん屋となっているので、ツルツルシコシコの水沢うどんをいただくのがよい
一応、日本三大うどんということになってる
【突き当たりが水沢寺、伊香保温泉は右に回り込む方向にある】
【店によっては、温かいうどんもあるが、基本は、ざるうどん】
温泉が好きな人は、一度はおいでよ
伊香保の町全体が、昭和のニオイがするよ
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上毛かるた(じょうもうかるた)
群馬県は、その昔、上毛の国(かみつけのくに)と呼ばれていた
その名残で、今でも群馬県とは言わず上州(じょうしゅう)と呼ぶ人も多い
私鉄には、上毛電鉄(株)なんてのもあって、前橋市と桐生市を結んでいる路線もある
まあ、上毛という呼び方には抵抗がない・・・というか、この県のことが好きな人が多いのかも知れない
そこで、登場してくるのが、上毛かるた!
群馬県の人なら誰でも知っている、ご当地かるたなのだ
秘密のケンミンショーでも紹介されちゃいそう(笑)
この「上毛かるた」は、県内の観光地、偉人など紹介しているもので、小学校の時からなじんでいるから、いつの間にか群馬県のことを覚えていくのに役に立つ
正月ともなると県内の子供会などで主催するかるた大会もあるくらい、ここ群馬県ではカルタが盛んである
【上毛かるた】
この上毛カルタができたのは、戦後の話なんです
日本を占領したアメリカ軍の政策で、歴史・地理・道徳教育が禁止されたらしい
当時の人達にとって、せめて郷土愛を残したいという気持ちが強かったことと思います
そこで、子どもの遊び道具だからということで、占領軍も取り締まらなかったらしく、本当は教育的なかるたができあがった
そんな歴史がある上毛かるたなんですよ
なんで、今頃「かるた」のこと?って思ったでしょ
今、県民の中で密かにブームになっているのは、このカルタの場所を訪ねて行くこと
わざわざ、ガイドブックなんかも出ているんです
そうだ!発行元は、上毛新聞社(地元新聞)だ、ここにも上毛が(笑)
【ガイドブック】
岩魚も、休みになると、カルタのゆかりの地を訪ね、写真を撮っているんです(チョットしたマイブーム)
その地にふさわしい季節もあるので、全部の場所を回るまで1年はかかると思うので、ノンビリやります
これから、時々、紹介します
ところで、皆さんお住まいのところには、地元限定のカルタなんてありますか?
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