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動物性たんぱく質は摂り過ぎに注意しましょう。 たいてい中性脂肪になって体内に溜まっていってしまいます。 この動物のたんぱく質が最後に脂肪だけ、体内に残ってしまうのは まるで動物のカルマ(業)が、人の体内にとどまろうとしてるかのようです。 でもたまには、おいしいお肉もたべたいものです。 胃のない私でさえ、時々お肉をいただきます。 そういうときでも、こんなマッサラな磁器の皿は、肉のカルマさえ落としてくれるような気もします。 爽やかな朝日に照らされると萎えた心も洗われるように、この皿は、 作り手(柴垣六蔵)の無垢な精神と炎の洗礼を善の光として受け継ぎ、 肉のカルマを中和させるかのようです。 気のせいでしょうか。 |
柴垣六蔵
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そのうち一番年上の柴垣六蔵さんは、土の博士。土のことよく知っている。 人の人生にさまざまな生き様があるように、その土にはその土の生き方があるのを知っている。 |
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陶芸家柴垣六蔵さんの白磁のうつわの魅力をどのように表現したらいいのかたいへん難しい。 サラっとした白でありながら、深い白です。 磁器は薄手で釉が薄いと光が透けますが、柴垣さんの白磁は、透けるか透けないかのぎりぎりで、 簡単に透ける器にない気品があり、ぜんぜん透けない器の武骨さもありません。 画像にすると白磁は、特にのっぺりと見えて魅力を伝えにくいものですが、 みっつほど簡単な料理を載せて撮影してみました。 ところどころに鉄粉が付いたのか小さな黒点も見えますが、 女性の柔肌のほくろのようで、白い肌あいがなおのこと魅力的に感じてしまうのは私だけでしょうか |
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さて、先日病気快癒のお礼参りに、江ノ島に行った。 以前から、江ノ島のクオリアみたいなものが好きで、よく出かけるのだ。 修験者の修行場だったという霊験あらたかな場所である と同時に、柔らかな優しい気をも漂わせている。 ここでは、はじめての経験であるが、おみくじをやってみた。 上のが弁天様(江ノ島神社)ので、下のが、お不動様(江ノ島大師)のだ。 どっちも、どっちだが、良いに越したことはない。 特に “冬が過ぎて春来る”というメッセージは大病のあとだけにうれしい。 こんなチョット商魂にも似たヘツライも、なんとも江ノ島らしいような気がするのです。 これは、参道の最初の大きな狛犬の台座一部です。 江ノ島とは、いわば こんな ほっとかされたクオリアなのです。 ものすごく古くて神聖な場所と世俗的な観光地が、混在したまま放置されているのです。 私は、なんかそんな江ノ島が好きなのです。特に大病してからなのですが、 なんとなく好きなクオリアみたいなものを、すごく大事にしたいなぁって感じます。 それをまた、この江ノ島で再認識したようです。 そういえば 先日初めてお会いした陶芸家 柴垣六蔵さんの工房も、 なんとなく好きなクオリアに満ちていたのが思い出されます。 床の朽ち具合と染み、そこに無造作に置かれた焼き物たち そのなんてことない風景が、鮮明なクオリアをもって胸をついてくる。 鍛錬の果ての緩みを、柴垣六蔵さんの焼き物はもっている。それは なんとなく江ノ島の“神聖なゆるみ”と似ていると思ったのだ。 人は張り詰めてばかりじゃ生きられない。緩んでなんぼって思いがする。 そういえば、弁天堂の拝観料をもらうおばさんは、
巫女のかっこはしていたが、すっかり熟睡していた。 |
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近頃、胃がん再発防止のため、とても食事には気にかけているが、 先日の美濃方面、陶芸家訪問の旅では、 やっぱり健全な生活と食事に関して考えさせられました。 と 言うのは、今回お会いした三人の作家は、ほんとうに人格、仕事ぶりに優れた方なのですが、 これがまた、とても素敵な食生活をされているなぁと感心したのです。 最初に伺ったのは、初対面の柴垣六蔵さん。下は工房で作品を拝見したところ。 私は柴垣さんを陶芸家の中の陶芸家の一人だと思っていたが、 お会いして、その気持ちはさらに強くなった。その見事な仕事の詳細はまた別サイトに譲るにして、 この工房から、ご自宅へとお邪魔したときに受けた感動を、ここでは披露しよう。 まず奥様がどくだみ茶を入れてくださった。 工房でお話していたときに、がんのことをしゃべったので、早速準備して カラダにやさしいものをくださったのだ。 なんとうれしいことか!どくだみ茶が五臓六腑に染み渡る感動! もちろん庭先でどくだみが採れるのだろう。 それから 奥さんは自家製パンを出してくれた。 これが、またうまい! 自然酵母の香りが、全身の細胞を生き返らせてくれる。 ほんとうにうまい。こんなうまいものを、食べている柴垣さんを羨んだほどだ。 庭には、野菜やハーブを栽培していて、収穫のときにそれを食べる。 それが、格別にうまいのだそうだ。ほんとうに羨ましいと思った。 真っ当な人は、真っ当な物をしっかし食べている。
また、言い換えれば、 真っ当な食べ物が、真っ当な人を作る。 つくづくそう思ったのだ。 |
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