【左から1〜4枚目+8枚目:某駅前の焼き鳥屋は今日も人で一杯/5〜6枚目:隣のラーメン屋さんで老酒を飲んだ後、ウマイ中華丼でシメ/7枚目:下で話題の大阪「くいだおれ」2000年夏の写真が出てきました】
どうも教員です。
ゼミ用の教材作成で研究室に泊まり込んだ翌日の今日、さすがに疲れたので早めに帰宅することにし、自宅近くの某駅前でバスに乗ろうとしたところ・・相変わらず賑やかなバス停脇の焼き鳥屋さんの煙に吸い寄せられてしまいました(^^;;)。
「いつものヤツ」で軽く一杯。ちょっとご機嫌になり疲れが飛んだところで、隣のラーメン屋さんのウマイ中華丼でシメ。満腹+ほろ酔い気分でバスに乗り込み、家路につきました。
この2軒は、帰宅途中、これまで数限りなくお世話になってきたお店です。この某駅が、まだ戦後の焼け跡の色彩が残る頃からの名残を残す一角、そこにこの両店はあります。再開発からも逃れた、昔ながらの顔見知りの、「ここにしかない味の」家族経営の店。本当にほっとさせられます。
(※ラーメン屋さんはともかく、焼鳥屋さんの方は「家族経営」ではないかもしれません。しかし「個人経営」に近い形態であろうとは思います。)
バスを待つ間、寒いといっては一杯やり、ラーメンを食べて帰る。あるいは暑いと言ってはビールを煽り、冷やし中華でシメる。
時に、まとまらぬ論文のことで頭が一杯になって、気を落ち着かせるために焼き鳥を焼くカウンターでボーっと座っていたり、鮮やかな手つきで作られるチャーハンや野菜炒めの中華鍋を眺めながら、人生を考えたり(?)・・・。一方、家族や友人らと連れだってワイワイやるときにも、また知人にじっくり相談するときにも、随分と使ってきました。
両方のお店とも、必要以上に干渉されないので、気分のハイなときも落ち着いたときも、あるいはただ喉が渇き、また単に空腹を満たすときにも、いつも愛用してきたのです。
今の大学に転任以降、遠距離通勤になりなかなか営業時間内にたどりつけないこともあって、最近ではご無沙汰でしたが、久々に立ち寄った今晩は本当にほっとさせられました。
今日、学生と大学近くでのコンパを何処にするかという話をした時、某チェーン店を推薦する彼らに対し、私は「断じて地元の家族経営の店でやるように」と自説を述べました。
なぜか。地域に立脚する大学としては、地域にその利益を還元する必要がある、「地域経済論研究室」としては尚更である。しかるに、チェーン店でいくら飲み食いをしてもは利益は地域には落ちず、チェーン店本部に行ってしまい、地元は(バイトのく給料等は別にして)ほとんど潤わない。よって、なるべく家族経営の地元の店を選ぶべし・・と。
巨大な市場が日常的に我々を席巻し、グローバリズムが当たり前の世の中で、ひょっとするとこれは暴論かもしれません。
しかし、こんなことから社会を見ることもとても重要なことかもしれないのです。そして、農村・街場を問わず、経済単位としての「会社」ではない「家族経営」ということの意味を考える上でも。
そんなことを酔った頭で考えているうち、ふと私が非常勤先でお世話になった、故・沼田誠先生のことを想い出しました。
沼田先生は、日本経済史、とりわけ農村史の専門家で、その研究『家と村の歴史的位相』の中で小農論の系譜を踏まえて日本農村の姿をまとめたことで知られています。飲んだとき、日本の農村の話から、ロシアの小農論者・チャーヤノフとポランニーの関連する見解を聞いたことを、昨日のことのように想い出します。
もっとも、私は先生の学問的蓄積の足元にも及ばないままいつも全く議論にならず、学生のように「君は勉強不足だ」とよく叱られる有様でした。
全くお恥ずかしい話ですが、私も改めて勉強し直して、「家」「家族」「村」「農村」「小農」等々の話を大いに先生と語りたかったのですが、数年前の先生の急逝により適わぬ願いとなってしまいました。
そういえば、先日閉店が決まった大阪の名物「くいだおれ」は、「家族経営に徹しろ」「支店を出すな」が先代の申し伝えだったそうですが、閉店する理由の一つは、まさに「家族経営の限界」だったそうです。
「食いだおれ」解体の後、そこに立つのは、居酒屋チェーンXかファミレスYか、あるいはディスカウントチェーンのZか、はてさて・・・。
単に酔ったからではありません。やはり、「私たちがこの世の中で生き延びるため」に、改めて、「家」や「家族」のことをじっくり考えてみたいと思うのです。
今日は、久々にマジメモードと得意の?級グルメのチャンポンでした。ではまた。
日大食品経済学科:地域経済論研究室/高橋 巌
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