
【写真左から1〜3枚目:「珍来」閉店直後(涙)。裏を行くとそのまま「鳥もと」のトイレに出た。トイレは共用だったのだ。/4〜13枚目:「鳥もと」。「鳥もと」から閉店した「珍来」を望む。バス停から徒歩3歩(!)の立地。実は焼き鳥だけでなく、ヤッコ、煮込みなども絶品。最終日に向けて人が押し寄せていた。13枚目:私にとっての最終日。長年お世話になった店員さんと。これからは新店舗で。】
どうも、教員です。最初はちょっとエッセイ風に。。
--------------------
駅の階段を上がると、今日も、いつもの焼鳥屋から炭火の煙が上がっている。
馴染みのおやじさんたちが、おきまりの焼鳥とエダマメと酒で一杯。馬で当てた話や、仕事
のグチやらカミさんの悪口?やら、贔屓の野球チームの負け戦の話から政治ネタまで、何でも
ありだが、たまたま隣り合わせた客同士で意気投合して盛り上がったり、上司に連れてこられ
た新入社員らしき若い女性が、珍しそうに見回しながら「社会勉強」をしたり・・・。最近は、
女性グループが元気だ。
焼き鳥は時にレア過ぎるときもあるが、そういうときは「よく焼き」にする。鶏肉は、当然
ブロイラーながら国産・大山鶏を使用、下処理も串差しも店でする。チェーン店にありがちな、
串までブラジルで刺したものを輸入して解凍した焼き鳥や、高級店の「うちの焼き鳥は塩だけ
です」みたいな、妙な気取りもない。うまいタレを「だばだば」つけた、直球一本勝負の焼き
鳥がいい。
2〜3杯飲んだ後、ちゃんとメシを食っていなかったことに気づき、隣の中華料理屋に。
自然食とか、ご当地ラーメンとか銘打っているわけではない、ごくごく普通のラーメン屋。
ラーメンは、今はやりのコテコテではなく、あっさりした醤油ラーメン。チャーハンや「ロー
ピーライス(肉ピーマン定食)」や、ギョーザも手作りでおいしく、夏は冷やし中華がさっぱ
りして美味。冬は、ラオチューお燗で、体の中から暖まる。ボウルに盛った食べ放題のカクテ
キ、定食に付け合わせのポテトサラダも異常にウマい。
カウンターと2階席だけの小さな店には、夜遅くまでやっていることも手伝い、お客が途切
れることがない。
店の人たちは決して饒舌ではないが、何か暖かい雰囲気だ。一人で飲んで食べるだけで、何
となくほっとした感じに溢れる。落ち込んだとき、ただ、ここのラーメンを食べただけで救われ
たこともあった。
この駅前は、決して悲しい涙だけでなく、笑顔もうれし涙も交錯した不思議な空間なのである。
--------------------
上記は、もちろん実話です。
以前、このブログのhttp://blogs.yahoo.co.jp/iwashizemi/41321657.html で、私が日常的
に通っていた、そんな雰囲気の家族(的)経営の焼鳥屋と中華料理屋を紹介しました。
焼鳥屋さんの方は、私自身、楽しいといってはここで一杯、仕事がうまくいったといっては
一杯、うまくいかない悲しく、辛いときも一杯、杯を重ねてきました。何しろ、以前住んでい
たところに直行するバス停の目の前、駅から2歩(!)、バス停から3歩(!)、という驚異
的な立地条件?です。バスが出たと行っては一杯、終バスまで間があるといっては一杯。終バ
スを逃した、といってはタクシー待ちの間に一杯。嬉しいときも悲しいときも、ここの椅子に
座ってきたのです。
このお店の名前を明かせば、「鳥もと」といいます。
一方、中華料理屋さんの方は、「珍来」といいました。
アルコール抜きでご飯、という時の利用が多かったのですが、たまには野菜炒めや焼きそば
でビール、とか、ギョーザにピータンでラオチュー、というのもオツなものでした。ここも
「鳥もと」のほぼ隣だったし、トイレは「鳥もと」と共同でした。両店とも開店は1952年、今
年で58年目を迎えるという老舗でした。
もとより、ここ一帯は前の報告にもあったとおり、「戦後闇市」の香りが漂う一角だったので
す。
この2店のほかにも、果物屋さん、まんじゅう屋さん、そして最近できた立ち飲みショット
バー(ここはチェーン店でしたが、ワインが安いけどツボを押さえたセレクションで、ほかに
もシークアーサーサワーや、生ハムにチーズ、エリンギのソテーなどが旨かった)の5店が、
1950年代と21世紀の雰囲気をガッチャンコしたような、何とも言えない、素敵な雰囲気を醸し
出していました。
未来永劫、この空間が維持されれば、という淡い期待を持っていました。
何しろ、ここは、人工的に新しく作り出すことではできない、58年という長い時間と、その
間そこに集った人々の人生と息づかいの「堆積物」が熟成した、有機的空間だったからです。
この街の名物として、永久保存してもらいたい・・・そんな気さえしていました。
--------------------
ところが、残念なことに「珍来」は6月に、「鳥もと」は8月一杯で店を閉じました。「駅
前再開発」ゆえ、だそうです。
幸い、「鳥もと」は、きれいなお店と以前からの雰囲気のお店の2つに分かれ、ちょっと離
れたところに移転しました。幸いにして、一つの方の店に「闇市的」な流れは残されました。
しかし「珍来」の方は、完全に店を閉めてしまいました。直前まで予告もしなかったので、
私も閉店することを知らず、気づいたら店を閉めていた、という風情でした。マスターは静か
に店を閉じたかったのでしょう。
あの絶品ローピーライスも、ラーメンも、二度と食べることができないのです。もうこれか
ら、夜遅くこの街にいても、夜食はチェーン店の牛丼でも食べるほかなさそうです。。。嗚呼。
闇市の流れが奇跡的に残ってきたこの一角は、やはり権利関係で長年問題をかかえてきたそ
うで(常連客の証言)、ここに来て問題が「解決」して、急遽立ち退き、ということになって
しまったようです。
地元では、ここを更地にして広場にする、とか、鉄道会社がどこにでもあるようなつまらな
いビルを建てるとか、噂が飛び交っていますが、いずれにしても、珠玉の街の宝が消えてしま
ったことに変わりはありません。
今、「鳥もと」や「珍来」のように、戦後営々と仕事をしてきた町の小さな商店や、個性豊
かな家族(的)経営の飲食店の多くが、存続の危機にあります。そしてどこの街も、店じまい
した跡地には、中途半端な高層マンションや雑居ビルが立ち、その中には、どこでも見るチェ
ーン店ばかりが目立ちます。まるで宇宙人の基地のような、無機質きわまる街並みになってい
ます。
「人と人のつながり」に着目した理論をソーシャルキャピタルといいますが、58年間営まれ、
有形無形に作り出されてきた、あの「駅前のソーシャルキャピタル」は、今後、果たしてどこ
かで再生するのでしょうか。
高層ビルの中のチェーン店で、あるいは宇宙人の基地のような町のどこかで、そうした人と
人とのヨコのつながりは、果たして再生されていくのでしょうか。
私には、ちょっと難しいと思わざるを得ないのです。
とりあえず今日は、「珍来」「鳥もと」よ永遠に!と叫んでおきます。
※両店に関係するブログ。往年(涙)の店構えとメニューが紹介されてます↓
http://www.suginamiku-town.com/do/017/006/
http://saturn.jpn.org/weblog/archives/2009/05/08_2359.html
http://r.tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13056018/
http://p962c.hp.infoseek.co.jp/go_menya/t/chinrai.html
日大食品経済学科:地域経済論研究室/高橋 巌
|