【写真左から1〜2枚目:1泊目の本多さん宅/3枚目:消費者のオーナー制ぶどう畑/4〜6枚目:2泊目の加来さん宅と加来さん夫婦,周辺は「日本の田園風景」そのもの。/7枚目:安心院町を一望にする展望台下から】
どうも教員です。
遅れに遅れていた原稿書きの一部がやっと終わりました(関係者の皆様,申し訳ありません)。
一息つく間もなく,今度は諸々のたまった事務仕事に専念しなくてはなりません。今週も,3月1日に学会研究会,3月以降も会議に,それが終わるとすぐ卒業パーティに卒業式。そのすぐ後には新入生がやってきます。
長いな〜,と思っていた春休み(といっても休めるのは学生の皆さんだけです)も,あとちょっと・・イヤハヤ早いものです。トシを取ると時間の過ぎるのが早いとはいいますが,最近はなんか加速度的ですね。逆に,仕事のスピードが遅くなっているだけかもしれませんが・・(汗)。
さて,授業がない間の教員の重要な仕事は,出張です。学科の先生方も海外出張が続くようですが,私はプロジェクトの最終年度末なので,海外に出歩く予定はなし。こういう合間を縫って,前から行ってみたかった調査先にセッティングができましたので,出かけてきました。
行った先は,大分県宇佐市安心院町(旧安心院町)。「あんしんいん」と書いて「あじむ」と読みます。
ここは,今日隆盛を見ているグリーン・ツーリズムの「発祥の地」といってもいいところ。学科の講義で「グリーン・ツーリズム論」を担当している私とすれば,もっと早く訪れるべき場でしたが,やっと念願が叶いました。
もちろん,私が講義で言っているように,「広義のグリーン・ツーリズム」は昔からあるものですから,何も安心院が発祥ではないのですが,今日広まってきたグリーン・ツーリズム,という意味では,日本で先駆的な実践を行ってきた地域です。
1990年代初頭,ドイツ・フランスをはじめヨーロッパ各国では,農村のあるがままの資源を利用したグリーン・ツーリズムが定着していましたが,日本はというと,旅館業法や消防法など様々な関係法規が多く,簡易な農家民宿を開業することは困難でした。「調理場を2つに分けなくてはならない」とか,「スプリンクラーの設置義務」とか,ハードルが高かったわけです。「親戚の家に泊まるような」「ありのままの農家で過ごす」というヨーロッパで広まっていたグリーン・ツーリズムを実践しようとしていた,NPO法人・安心院グリーン・ツーリズム研究会:宮田会長らは,早い時期から「会員制」で都市住民と農家に泊めるという形で実績を積み重ね,いい意味での?規制緩和を現場先行型で誘導してきたのです。
宮田会長によれば,「国や県とは喧嘩し通しだった」「グリーン・ツーリズムと簡単に言うけど,喧嘩をしなくては実現できなかったんだ」ということになりますが,そのような緊張関係をつくりながらも,しかし「この道に間違いはない」「これから農村の生きる道はこれだ」という強い信念で進んできた結果,利用者のあまりの好評さや世論の後押しなどにより,県を動かし,国も動かしてきたというわけです。ここが最も重要なことなのかもしれません。
さて,今回は,その宮田会長や市役所支所でのヒアリング調査のほか,本多さん,加来さんのお宅での「農泊」を満喫しました。
どちらのお宅も気取らず飾らず,親戚の家にいるような気軽さで,本当に久しぶりにのんびり過ごすことができました。仕事も持っていったのですが,お陰で?捗ることなく,むしろ短い田舎生活を満喫する気分に浸っていました(で,冒頭に書いたように「遅れて」しまうのです・・ゴメン)。
このほか,日大(学科は違いますが)の後輩:サークル・農問研で一緒だった中津留茂君が近所にいると聞いたので,昼間会いに行ってきました。
彼は,前に紹介した僕の友人・田下氏の農場等で援農経験のあと,旧安心院町で有機農業を志し就農するも,リタイア。その後,地区を売り物にした地産地消の店に勤めたあと,今はドジョウを飼いながら,様々な地域興しに関わっています。もう20年振りくらいでしたが,元気そうで何よりでした。
こういう厳しい状況では,様々な立場の層がネットワーク型の形で力をあわせていく必要があります。安心院やその周辺では,確かな「力」が集まっているように感じました。大いに勉強になった次第です。
今度は,ぜひとも学生を連れて訪れたいと思っています。
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