高橋巌ゼミブログ

農・食・地域・生活破壊の原発、TPP、改憲、全ての戦争策動、特定秘密保護法廃止!!311被災者支援を!【8.9万アクセス感謝】

高橋 巌【自然・旅・アウトドア】

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 本ブログの主催者高橋巌による、日常の自然環境への思いや、旅・アウトドア活動(山歩き、サイクリング、クロスカントリースキー、鉄道関係、その他)の記録(?)です。高橋巌のアウトドア系の履歴は、以下のとおりです。  【幼少より自然と旅、鉄道が大好き。自転車に乗れるようになったのが遅く、その分自転車にはまった。中学生より、山歩きのほか、ジュニアスポーツ車改造のサイクリング車による林道・峠越えサイクリングに傾倒。やがて、車道のない峠・山岳地の担ぎや山道走行の楽しみを知る。大学浪人の頃の『ニューサイクリング』誌投稿を機に「山岳サイクリング研究会」結成に参加、現在も会員。奥秩父や山サイ「聖地」の西上州に通う。一方で、当時はマイナーの極致・廃線趣味にはまり中学で「廃線研究会」を結成、林鉄や安比奈、奥多摩湖水根を探索。    大学時代は、ランドナー・パスハンターを駆って、単独で北海道・東北・関東・信州などの峠越えや長期キャンピングのほか、大雪山岳サイクリング、富士山頂自転車ダウンヒル、冬期長期北海道ツアー(1986年2〜3月:遠軽〜サロマ〜稚内)などハードな旅にもトライ。廃線サイクリング、農村調査・農作業サイクリングも行う。こうした旅で、地域経済・農業の実態や、自然破壊、原発建設の問題などに触れ、現在の本業につながる経験となる。    大学卒業後は、家庭菜園に親しみながら、クロスカントリースキー、テレマークスキーによるスキーツアーも始める。道北・北八ケ岳のクロスカントリーや、八甲田、月山、蔵王、吾妻、菅平、妙高、尾瀬、巻機、神楽などをテレマークで滑る。しかし30歳前後に膝を痛め、農地もなくなってアウトドア活動は年数回程度となる。         フィールドワーク等が本業・多忙のため、アウトドア活動の出動は減少しているが、ぼちぼちの復活をもくろんでいる。愛車(自転車)はハイダ製700C万能車。】
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【写真左から1枚目:横浜から乗車した「サンライズ瀬戸」/2枚目:快適な寝台内/3枚目:明け方の瀬戸内海を渡る/4〜6枚目:高松に着いた「サンライズ瀬戸」夢の明けた終着駅/7枚目:徳島に向かう「特急うずしお」/8枚目:市内の川は鏡のような写し/9〜12枚目:夜の市内。阿波尾鶏にJAZZ/13〜14,16枚目:眉山からの市内と山々の眺望/15枚目:阿波といえば・・】

 どうも、教員です。

 4年生の追いコン〜卒論の大ヤマが終わり、在校生の後期の講義・ゼミも終了して、成績の集約
が終わった・・・と思う間もなく、新入生を迎えるために数次の入試、そして新入生の受け入れ
と・・・毎年のことながら、息つく暇もなく大学教員ライフ?は過ぎていきます。

 しかし、研究分野がフィールドワークである身としては、大学に居るだけで仕事になるわけでは
ありません。この合間を縫って、何とか各地に調査へ出かけることになります。
 ちょっとうっかりすると、時間がどんどん過ぎて、出かける間がなくなってしまいます。いやはや・・。

 そんな中、今回は、四国の酪農関係の調査にでかけることになりました。
 今年度から、本学部・動物資源科学科の小林信一先生のご推薦をいただき、全国酪農協会さんの研
究会に参加させてもらっています。今回の調査は、この一環で行ったものです。
 宿題は、四国・徳島の酪農組織に関する調査でした。

 本業の調査について、詳しくは、まだまとめている途中なのでいずれ書くこととして、ここではそ
の道中のことを記そうかと思います。

 時間が限られていたので、今回は夜行列車を利用しました。昔、和歌山の仕事からの帰路に利用し
た「サンライズ瀬戸・出雲」(東京←→高松・出雲間)という特急列車です。私は、当然「瀬戸」の
方の利用になります。

 和歌山の時は、ただ寝るだけのための利用でしたが、この間に、全国の夜行列車はどんどん姿を消
し、東海道筋の定期夜行列車としては、この「サンライズ」が唯一の存在になってしまいました。
 車両は1990年代に誕生した電車寝台で、車内も実にゆったりして「北斗星」並みにシャワー室も
あるなどすばらしい列車であり、現在走っている定期夜行の中では「最後まで残る」と言われてい
るものの、何せ、この間の「JR」のやり方では、いつなくなっても不思議はありません。仕事が
タイトであったこともあり、今回はやむをえず、ホテル代わりに利用してみました。

 横浜から乗車。今回利用したのは、B寝台の「シングル」です。前回乗った同じサンライズの
「ソロ」よりも部屋は広く、まして、以前利用した場末感漂う「冨士」の個室寝台とは比較になら
ぬ快適さです(あれはあれで懐かしい世界でしたけども)。
 しかし、この「サンライズ」もオフシーズンとはいえ、利用率は高いとはいえません。やはり、
夜行バスに押されているようです。
 一昨年、青森に行くときに、夜行列車がなくなったのでやむをえず夜行バスを使いましたが、安
かったものの、ハゲシク疲れました。ゆっくりと過ごせる夜行列車と、身じろぎもできないバスで
は・・・気持ちも違います。まして、この快適な「サンライズ」とは。。

 しかしこのまま「市場」に任せるのみでは、夜行列車は全滅してしまうでしょう。
 折しも、地球温暖化で云々という話があるんですから、「地球に優しい夜行列車」に助成を出し
てでも存続させられないものかと、本当に思います。実際、ヨーロッパでは、支援で鉄道のシェア
を確保している部分もあるんですから・・。
 
 夜行列車とは思えぬ快適さに熟睡でき(夜行で熟睡できたのも久しぶりです)、早朝、高松へ。
高松に来たのは・・・もう10年ぶりくらいになるでしょうか。

 駅の喫茶店で資料を作り、市内で一仕事。その足で、徳島県石井町に移動して、本格的なヒア
リング。夕方、徳島市に戻り県庁へ。。。
 かなりハードな日程でしたが、関係者の皆様のご協力で何とかこなし、やれやれと初の徳島市
内の散歩となりました。

 実は、フィールドワーカーの私は、47都道府県全部足跡を残しているものの、唯一、徳島県だ
け「泊まったことがなかった」のです。「初徳島」で何をしようか、など、駆け出し新入社員の
初出張のようなワクワク感で、ホテルでガイドを眺めていると・・。
 「徳島名物:阿波尾鶏」という地鶏を食べさせるお店と、「この道40年」のJAZZバー、と
いうのが目に入りました。早速、足を運びます。

 まず阿波尾鶏ですが。。それなりに味わいがあったものの、そのお店のせいか、はたまた鶏の
特質なのか分かりませんが、正直いって、自分には油が「クドイ」ような気がしました。疲れて
いたせいもあると思うけど、B級グルメを自称する私が「食べずらい」というものは、あんまり
ないんですけど。。
 実はその後お会いした地元の方も「油がちょっと苦手」と言っておられ、自分だけではなかっ
たという感がありました(関係者の皆さん、ごめんなさい)。今度は体調がもっといいときに
食べてみましょうか。

 JAZZバーは、この道40数年の歴史と、ほろ酔い(?)マスターの「味わい」と、古いLP
レコードの量とそのサウンドと、何より思いっきりアナログな世界と・・・時間を超えた渋い楽
しみに浸りきっていました。
 しかし、その後お店にやってきた常連さんを含む団体さんで雰囲気は一変。大宴会となり、私
も初対面ながら混ぜてもらい、遅くまで楽しく過ごすこととなりました。いやはや、飲み過ぎま
したが、皆様、大変お世話になりました。

 徳島といえば阿波踊りですが、この影響でJAZZも盛んなのだとか・・人々のノリもよく、
なるほど!という感じです。

 翌日、打ち合わせ・資料整理の後、空港に行くまでの時間に、市内の眉山に登りました。とい
っても、ロープウエイでしたけど・・。
 でも天気もよく、市内が一望できる山頂の眺望を満喫できました。

 四国4県、それほど広くはないけどそれぞれ趣は違います。今回は、「初徳島」でしたが、狭
いと思う日本も、こうしてみるとまだまだ広いし、知らないことは一杯あるものです。

 最近は、仕事の旅ばかりになっているとはいえ、だから旅は楽しくやめられないものなのです。

                   (「研究・フィールド活動」の別項記事につづく)

               日本大学食品経済学科:地域経済論研究室/高橋  巌

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【写真左から1枚目:周辺の拡がる農地からは、狭山ヶ原と同様に大岳山や御前山が大きく望める。右には武甲山、写真にはないが、左には富士山も/2〜4枚目:「武蔵野」の原風景たる平地林の美しい姿。どこまでも続くかのような「森」の中の「思索の径」/5枚目:かつては土葬の伝統的な墓地まであった一面の農地は、耕作放棄地となりその向こうには住宅が/6〜7枚目:そして・・平地林の存続は危機的だ。ここはまだソバなどの「農地」への転用だからまだ良いのだが・・/8〜9枚目:厚い鉄板で覆われた資材置き場。「森」の至る所がこのようになりつつある。/10枚目:このような看板がなくなってもいいようにならないものか・・/11枚目:思索の「森」よ、永遠に】


 2010年初の書き込みとなります。皆様、大変遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いしま
す。
 年末〜新年は、仕事の遅れや諸事情により、ブログの更新どころではない状況でした。物理的にも、
精神的にも、ようやっとブログのページに向かうことができた次第です。

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 さて、生まれ故郷ではないのですが、前に書いた狭山ヶ原同様、私が子どもの頃からの馴染みの地
域を訪れましたので、その報告から・・・。

 このあたりは、典型的な関東の畑作地帯です。関東ローム層の地層による水不足のため、昔から水
田はありません。その代わり、どこまでも続く畑と平地林が素晴らしい地域でした。まさにそれは、
武蔵野の原風景ともいうべき光景だったのです。

 この平地林は、ナラ・クヌギなどの雑木林で、畑の肥料となる堆肥をつくるために欠かせない場所
であり、かつては、炭焼きなどの生活上必要な場所でした。そのため、以前はそのほとんどが美しく
手入れされ、秋〜冬には落ち葉を集める農家の姿がそこかしこにありました。
 深い平地林の中には縦横に小径が走っており、そこを歩くと、あたかもどこまでも「森」の中を歩
けるような拡がり感がありました。「思索の道」と称して散歩したり、自転車で走ったり、楽器の練
習に活用したり・・私にとって、まさに「こころの故郷」といってもよい大切な場所でした。

 ところが、農地減少などにより手入れされないまま放置される例が多くなり、やがて虫食い状に林
が浸食されるようになります。特に大きかったのが、相続の際に、農地と違って相続税が重くのしか
かることでした。
 そのため、農家がやむを得ず売却した林地(山林)が転売され、平地林はズタズタに切り裂かれて
いくのですが、その多くが市街化調整区域ということで住宅地にもできず、結果として、工事資材置
き場などに転用されていきます。

 例の「所沢ダイオキシン問題」は、実はこうした事情から発生したのです。
 すなわち、こうして転売された資材置き場(と称される)の至る所で、持ち込んだゴミ(産業廃棄
物)を勝手に焼却しはじめたのです。この焼却がダイオキシンを発生し、周辺の農地に降り注いだの
でした。ちょうどバブルの頃の出来事でしたが、ゴミを満載した車両と強面の連中が我が物顔に徘徊
し、異様な臭気と煤煙が漂っていたあのころの平地林と農地の無惨な光景は、私自身の身体がケガさ
れるような哀しい思いでした。
 幸い、今回取り上げる地域は、ゴミ焼きまで至らなかったものの、ズタズタになった平地林と、無
秩序な開発風景はご覧のとおりです。

 私の知り合いで、この平地林問題に精力的に取り組んだ人がいましたが、理不尽な制度・政策の壁
はあまりに高く、涙を飲みました。そして、さすがにゴミ焼却は規制でなくなったものの、この周囲
の平地林の無秩序な開発も止めようがない状況です。
 「コンクリートから人へ」を標榜する現政権が、この問題にも取り組んでくれることを祈るばかり
ですが・・果たしてどうなることやら。

 それでも残された(かつてからすれば)わずかな「森」の中を歩くとき、この間の疲れた心は、い
くばくか癒される想いがしたものです。うまい写真ではないですが、残された「森」の美しさを、皆
さんも写真でも確認ください。そして、もしよければ、みなさんもこのあたりを訪れてほしいと思い
ます。

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 今年も、このような「農・農村・食・環境」における現地・現場の厳しい情況を考える機会が、多
くなりそうです。
 力不足はもとよりですが、精一杯頑張っていきたいと思いますので、皆様のご指導・ご支援をよろ
しくお願いします。

                  日大食品経済学科:地域経済論研究室/高橋  巌

狭山ケ原にて

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【写真左から1枚目:狭山ヶ原全景。入間市加治丘陵の桜山展望台から。一面茶畑が拡がっている。/2〜3枚目:八高線車中から狭山ヶ原を望む(入間市側)。春に撮影/4〜6枚目:狭山ヶ原夕景。携帯での撮影のため小さいサイズです。ご容赦を】

 どうも、教員です。

 毎年9月から1月までの間、週1回、埼玉県飯能市の駿河台大学に非常勤出講しています。
 今の本務校(日大)に勤務する以前からの兼務で、途中1年のお休みを経て、今年ではや10年度
目になります。担当科目は「環境と農業」というもので、半年かけて農・食・環境をトータルに学
べるような内容となっています。

 この大学は、駅から離れた丘陵地にあるので、スクールバスで沿線各駅に出るのですが、そのう
ちのひとつの駅が八高線金子駅(入間市)で、その近辺に(私が通称している)狭山ケ原という、
入間市から青梅市にかけて拡がる広大な茶畑地帯があります。
 実は、「狭山茶」はほとんどがこの狭山ヶ原で生産されています(「狭山茶」の主生産地は、狭
山市ではなく入間市なのです)。

 武田鉄也がお茶農家を演じた、TBS系ドラマ「夫婦道」の舞台といえばお分かりでしょうか?

 厳密には、「狭山ケ原」という地名は、もうすこし街寄りの武蔵工業地帯のところを指すのです
が、昔から仲間内でこう呼んでいるうちに、この辺一帯の地名として、勝手に通称としてしまった
のです(すみません)。「おい、狭山ヶ原に行こう」みたいな。

 サイクリングを始めた頃、この狭山ヶ原は何とも魅力的なところで、年中通いました。
 1974年頃まで、今は舗装されバイパスとなってしまった「グリーンロード」も、白茶けた砂利が
拡がるダートの農道で、農耕車以外の車などほとんど走っていませんでした。
 また、今は防霜ファンが林立する茶畑も、当時は何も建造物がなく、その静寂さと大地の拡がり
感は、ここが本当に東京近郊かと思える圧倒的なスケールでした。
 茶畑であることに目をつぶれば、あたかも北海道のような雰囲気さえあったのです。

 西の方には、大岳山を中心に奥多摩・奥武蔵の山々が聳え、左(南)方面には富士山も控えてい
ます。特に、秋から冬にかけての山々の夕景は、何ともいえないもので、それをたたずみながら見
ていると、時間の経つのを忘れるほどでした。
 色々思い悩むときは、ここにやってきて、ぼんやりと夕景を眺めていたものです。

 今は、畑には防霜ファンや高圧鉄塔が建ち、狭山ヶ原中央を横切る「グリーンロード」も車がひ
っきりなしに走り、さらには圏央道がこの大地の中央を縦断してしまっています。
 昔を想い夕景を眺めていても、そこにかつての静寂はなく車の音がつづいている状況で、まさに、
あれからの30数年の年月を実感するのですが、しかし、基本的な景色、特に夕景の美しさは変わる
ことはありません。

 先日、ちょっと時間ができたので、金子駅から少し歩いて、久々にこの地に出向きました。変わ
らぬ景色の中で、深まりゆく秋をかみしめるように、夕景を眺めていました。
 これ以上、この景色が変わらないでいてほしい、田園風景が維持されてほしい、そう願っていま
す。

 ※同じく、この地を愛するサイクリストH.Kumaさんの、素敵なこの地の写真集「武蔵野自転車倶
  楽部」はこちら↓
  http://hkuma.com/mbc/


                 日大食品経済学科:地域経済論研究室/高橋  巌

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【写真左から1〜2枚目:塩の道の入口:大網集落/3枚目:大網の地蔵群/4枚目:吊り橋/5〜7枚目:山之坊集落の畑と重装備の?カカシ。かつて山スキーでアタックした雨飾山の景色は変わらないが、耕作放棄は進んでいる。/8〜10・13枚目:大峰峠。15%勾配はキツかった。11〜12枚目:やはり耕作放棄の進む集落を見ながら糸魚川へ。】

 さて、平岩駅から、姫川温泉を横目に一風呂浴びたい気持ちを抑え、大網集落までのひと登り。
舗装道路ですが、普段走っていないだけにちょっとした登りが応えます。寝不足に快晴故の暑さで、
早くもこりゃ大丈夫かな?状態。

 大網集落から、お地蔵さんの並ぶ姿に古道の趣を感じながら、いよいよ本格的な山道に入ります。
今日は、一般ルートということで、自転車を本格的に担ぐような「山岳サイクリング」のつもりは
なく、山道での自転車は「押し」中心のつもりでした。
 しかし、やはり夏ということで結構ヤブが繁茂しており、また、長雨のせいか結構ぬかるんで足場
が悪いこともあって、フロントバッグを付けた前輪を下にして、フレーム内のショルダーベルト付き
バッグに肩を入れて、のんびりと担ぐことにしました。これで行けるかと思って、しばらくはルンル
ン気分。深いブナ林に、汗も吹き飛ぶようです。

 ところが、ここで重大なことに気づきます。新調したM社のフロントバッグ、何とこうやって担ぐ
と、重みで前に落っこちてしまうのです!最初、木に引っかかったせいと思っていたのですが、何度
も落ちるので、やがて転んで足をくじく羽目に。
 よく見ると、構造的に「落ちるように」なっていたのです! かつてのフロントバッグは、ベルト
でハンドルバーにしばりつける形式でしたし、最近のキャノンデールのバッグでも、構造上、こんな
ことはなかったのですが・・・。
 このバッグ、そもそも、こういう山道へ持ち込んではイケナイもののようです。
 このM社のバッグ、このほかにも取り付け金具が旧式のものでないと私の自転車に付けられないと
か色々文句があったのですが、何か旅先でのこういう一件は、疲れを倍加させるものです・・がっか
り。
 フロントバッグを外して別に担いでいく手もあったのですが、予想以上に道が悪いし、帰った後の
予定など考えると、ここは無理せず引き返すことにしました。

 別ルートの林道経由で大網集落に戻り、さてどうしたものかと地図を見ていると、交通量の激しい
国道の西側を迂回するように幅の狭い車道が峠を越しており、これを使うと糸魚川へ抜けられること
が分かりました。
 事前情報はありませんでしたが、舗装道路だし問題ないだろうと思いそちらに変更。さっそくその
車道に入ります。
 峠の名は「大峰峠」。塩の道の西ルートの一部だそうで、塩の道を走るという今日の目的にもかな
います。やった、とばかり登りにかかりますが。。いやいやこれがキツイの何の。途中には15%勾配
もあって終盤は押しの一手。
 情けない話ですが、実は僕だけがキツイと感じているわけではないようで(以下のサイトでは、ラ
ンクは車道勾配最上級「E」クラスになってました:http://www.pass-hunter.com/1/1_j/1_j13.htm
ほっと?しましたが、まぁそのうち峠には到着します。

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 峠では、新旧2つのお地蔵様が迎えてくれました。峠道は雨飾山をはじめ山々の眺望が見事ですが、
峠自体の眺望はあまり得られません。しかし爽やかな風が吹き抜ける、気持ちのいい峠でした。
 もうここからは、ひたすら日本海に向けて下るのみです。

 この峠道、「迂回するように」と感じたのはまさにそうで、かの水害の際に迂回ルートとして急遽
旧道に沿ってつくられた車道だったのです。どおりで、勾配がキツイわけです。
 古いお地蔵様は、その際に下から移設したということで、新しいお地蔵様は車道開削の時に地元の方
々が新たに設置したもののようです。
 峠にはこれまた素晴らしく美味しい水場がありました。しばらくその水を飲んで、昼食を摂っている
と、軽トラに乗った地元の農家の夫婦が来られ、ポリタンクにその水を注いでいきます。こんな美味し
い水を毎日飲めるのは羨ましい限りです。
 このお地蔵様の話や、この地域のお話しなどを夫婦から伺います。これもまた旅の大事なヒトコマで
あるとともに、「職業」柄?大事なヒアリング?の場でもあります。

 「トウモロコシ持っていってよ。。あ、でも自転車じゃ無理か」「お気持ちだけ」「じゃ、さっきも
らったゼリー、その水場で冷やしておくから食べていきな」
 苦労して自転車で登った峠でかけられるこういう一声は、大げさでなく涙が出るほど嬉しいものです。
この感覚も、久しぶりに味わうものでした。

 爽やかな峠の思い出を背に、糸魚川へ。
 途中、塩の道で交易のあった古い集落で耕作放棄の進む田畑を目に焼き付けながら、かつて自然の猛
威をふるった姫川の急流を見つつ走り、無事に糸魚川に着きました。
 自転車ごと海に降りることができない地形だったので、展望台で夏の日本海を眺め、ビールを飲んで
から、サークル合宿やスキーの旅が懐かしい地、信越線・妙高高原を経由して長野回りで帰路につきま
した。

 いつも痛くなる左ヒザも、ハリ治療が効いたか?、最初からサポーターをしたせいか、距離が短かっ
たせいか、今回は暴れ出すことなく、快適なままに旅を終えることができたのはラッキーでした。

 また忙しくなりますが、何とか合間を縫って、自転車や山旅をコツコツやっていきたいものです。

 ※8/15(土) 8:35 平岩駅 → 8:55 大網〜地蔵群 → 9:30 引き返し地点 → 10:10〜30
        大網 → 12:15〜13:00 大峰峠 → 14:15 糸魚川市内
        (700×35c オールランダーバー、ガードレス。パッキング=フロントバッグ)
  
                    日大食品経済学科:地域経済論研究室/高橋  巌

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【写真左から1〜2枚目:夜行列車のお供。しかし、今年はこれでも眠れなかった。/3・7枚目:朝焼けの風景も夜行列車の魅力。白馬駅・信濃森上駅周辺の眺望は日本有数だけに、快晴の天候が嬉しい。/4〜5枚目:「ムーンライト」終点の白馬駅。輪行状態の自転車とM社のフロントバッグ/6枚目:南小谷からのキハ52・単行列車】

どうも、教員です。
 いよいよ8月も大詰め。夏も終わりかな、という風情になってきましたね。
 ※書いているうちに、9月になってしまいましたが。。(汗)

 この間、政権交代を始め、色々なことがありましたが、機会をみて、それらのことは書きたい
と思います。

 さて、この夏は、昨年に引き続き夜行列車+自転車の旅に出てきました。
 といっても、昔のような長期放浪は望むべくもなく、ささやかな夜行日帰りです。
 前のサイクリング(http://blogs.yahoo.co.jp/iwashizemi/43716600.html で報告)
からちょうど1年経った先日、昨年と同様に中央本線の臨時夜行列車「快速ムーンライト信州」
に乗って、また信州方面に出かけてきました。

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 夜行列車への想いは昨年も書きましたが、本当に独自の風情があります。

 しかし、もうかつて愛用した夜行列車の多くは、廃止されるか、臨時列車化され、思い立って
ふらっと乗ることはできません。
 かつては、周遊券を持った若者の旅人であふれた北海道の夜行列車も、道内発着便は既に全廃、
東海道スジでもフルートレインをはじめ、これは最後まで残るだろうと思われた「大垣夜行」
(ムーンライトながら)ですら、ついに季節列車になってしまいました。
 また、登山者で毎日賑わった中央線の夜行列車も、残念ながら現在は、臨時の全席座席指定列
車。日にちを決め、予め指定券を取らないと夜汽車の旅にも出られないのです。何とも不自由な
世の中になってしまいました。

 近年の新幹線・高速道路とそれを使った高速バスなどアクセスの改善や、ビジネスホテルの
進出などもあって、夜行列車は激減したのですが、夜汽車に乗る若者自体がいなくなった・・
そもそも【若者たちが旅に出なくなっている】、という実態も影響しているようです。
 北海道などはこれが結構決定的でしょう。

 これも前にも書きましたが、最近の若者気質や、娯楽の多様化〜携帯・ゲームなどの普及に加
え、厳しい経済情勢等々色々とあると思いますが、私は、ローカル線の廃止をはじめ、旧国鉄の
「周遊券」が廃止されたことが、若者の「鉄道旅再生産」という意味で、その源流を絶つ致命的
な失敗だったと思っています。
 やはり国鉄分割民営化の後強くなった、国内における若者の旅の「行き場のなさ」は、その後
の「旅をする若者」の再生産を妨げ、国内の「旅の衰退」を決定づけた一要因ではないでしょうか。

 ヨーロッパでも若者の「出不精」が一部で言われているようですが、それでもバックパックを
背負った各国の若者が、ユーレイルパスなどを使って長期の旅に出て交流している光景をみるた
び、どうして日本はこうなってしまったのか、という想いが強くなります。

 私自身、中央線や上信越方面の夜行は、山やサイクリング、あるいはサークル合宿という青春
の想い出列車でありましたが、いずれも定期列車はなく、今年乗った中央線夜行の「ムーンライ
ト信州」は夏休みの一時期だけ、かろうじて毎日運転となっています。

 しかし、たまには(1年に1度くらいは)夜行の山旅に、と思い立ち、過日、昨年は甲府から
しか取れなかった指定券が新宿から取れたこともあり、分解した自転車とともに「ムーンライト
信州91号」に乗り込みました。

  --------------------

 待望の夜行列車の発車で、心とこきめく瞬間です。・・ところが情けなく悲しいことですが、
すっかり山や自転車の旅・キャンプなどから遠ざかっているだけに、昔だったら熟睡できた夜
行列車も、今は体にキツイ状態になっているのも事実です。昨年より、車内放送は控え目でし
たが、この日は寝酒を飲んでもほとんど眠ることができないまま、朝を迎えました。

 そんな朦朧とした頭で、明けゆく窓の外の風景を見ていましたが、この日は快晴だけあって、
大糸線に入って北上するにつれ、アルプスのすばらしい山々が車窓からくっきりと眺められる
ようになります。思わず目が覚める眺望ですが、この朝焼けに染まる山々を車窓から眺められ
るというのも、夜行列車の旅の醍醐味でしょう。

 さて、「ムーンライト信州91号」を終点の白馬で降りた後は、南小谷まで乗り継いだ後、大
糸線非電化区間を走るキハ52に乗り換え、姫川温泉のある平岩まで行きます。
 この非電化区間は、日本のフォッサマグマの中心部を貫通する区間で、ダイナミックな渓谷
美で有名ですが、1995年7月の水害で、沿線の国道ともども大被害を被り、長い間不通となっ
ていた区間です。
 当時は、このまま廃線になってしまうのでは、という話もありましたが、関係者の努力で復
旧させました。しかし閑散線区のため、キハ52の単行(1両編成)の列車が一日数往復するだ
けになっています。かつては関西方面からも、臨時の山岳列車やスキー列車が乗り入れたのが、
夢のようです。
 もとより、南小谷までの大糸線ですら、新宿方面からの直通列車がほとんどなくなっていま
す。以前は、岳人を乗せた夜行列車や直通列車が、新宿から次々に到着していましたが、現在、
南小谷までくる直通列車は、1日1本しかありません。
 かつて高校生の時、栂池で行われた旺文社の受験合宿に参加したとき(全く勉強はしなかっ
たのですが:汗)、賑わう白馬大池駅に降り立ったものですが、今は閑散としており寂しい限
りです。                      

  --------------------

 平岩駅で自転車を組み立て、向かうは、「塩の道」の最北の峠・大網峠です。

 「塩の道」は、海のない信州に向かって塩が運ばれた古道で、現在の大糸線沿いのルートを
いくつもの峠を越えてつないでいます。一部は、走ったことがあったのですが、今回の夜行行
きを考える中で、最北の峠越えのあと、糸魚川まで走って日本海を見たい、という気持ちになり
選択しました。峠は車道ではなく山道ですが、整備されているという情報もあったので、押して
いける山道と判断、自転車も車道走行モードで、フロントバッグを装備していきました。昨年、
デイパックを背負って走ったおかげで(久しぶりの走行なので)腰とおしりに「きて」しまっ
たので、今年はM社のツーリング用のフロントバッグを新調し、いざ出陣となったのです。

 しかし、これが、当初ルートのリタイアの原因になるとは思いませんでした。。

                                     (つづく)

             日大食品経済学科:地域経済論研究室/高橋  巌


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