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おはようございます。 もう過ぎましたが、3月3日。何かの日だと思い心にひっかかっていました。 「ひな祭り」「耳の日」ですよね。そのほかに・・。 【4年前までは岩手の三陸沿岸の「津波記念日」】だったのです。毎年、朝早くからサイレンが鳴り響き、津波避難訓練が行わてれていた日でした。ラグビーWCの開催決定のニュースで忘れていました。 ![]() ▼1933(昭和8)年3月3日午前2時32分に地震発生、30分ほどたって大津波襲来した日だったのです。岩手県沖を震源とするが起き、岩手県を中心に津波が襲来した日なんです。 ▼北は岩手県久慈から南は宮城県女川辺りまで。高さ12mぐらいの津波が襲来した日で明治津波は風化していたので「昭和8年の津波を記念日として設定」していたのです。 ▼『三陸海岸大津波』(文春文庫)著者の故吉村昭さんはの昭和編でこう書き始めています。「1896(明治29)年の明治三陸地震の大海嘯の後、1915(大正4)年に小さな津波はあったが、<その後、三陸沿岸に津波は絶えた。だが、昭和8年3月3日地震は3月3日午前未明に起き、30分ほどたって大津波が発生した。零下7.8度〜17.1度…積雪が海岸を覆い、さらに雪もちらつく、東北の3月はまだ冬だった」と・・。 ![]() ▼これまでに、一番大きかった津波は、岩手県では「明治三陸地震の大海嘯」です。震源は岩手県沖です。4年前の東日本大震災の津波を上回る津波だったのです。その証拠に田野畑村羅賀地区に津波石(岩)というのがあります。明治の大海嘯で海から流れて来た石と言うより岩があります。東日本大震災津波では、その石(岩)のふもとまで津波が達していますが。その石は動いていません。 ▼これが田野畑村羅賀地区(ホテル羅賀荘の200mほど裏)の明治29年三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」約180トン。標高28メートル)です。裏の家は311津波で大規模半壊して人は住んでいません。 震災瓦礫の撤去後の画像。(撮影:2011年4月20日) 震災前には、この前には民家が沢山あったのです。 ![]() ▼一方、311津波で新たなな津波石が多く発見されています。 やはり波の方向に大きな影響があるように感じます。 これは、同田野畑村ハイペ浜の岩です。大きなものです。これは近くの白亜紀の明治の津波で海岸まで運ばて波打ち際に合った岩です。 大きさは、約300トンの岩です。津波の力は凄いなあと思います。 ![]() ▼僕は、両親から昭和8年の津波の時の事を何度も聴いて育ちました。「誰しもが寝静まった、寒い夜で大きな揺れに、「津波襲来を確信した」と言っていました。山に逃げるときも積雪が30センチ以上あり、真っ暗な中をとにかく上へ上へと逃げたた。明るくなって見たら、逃げ遅れた人の遺体や集落が何もなくなっていた。」と・・。 ▼吉村さんは、田野畑村の名誉村民ですが、『三陸海岸大津波』では、村人からの聴きとった記述が多い所以です。その他に直木賞受賞作品の『星への旅』は、村の「鵜の巣断崖」が舞台となっている小説だからで、その縁で村の酪農家との縁が深く、日本ペンクラブの会長でもあり、多くの作家を連れて、牛のオーナーにていて、夏には毎年、その会員と妻の津村節子さん(芥川作家)を連れて訪れていましたから・・。津村さんは「311東日本大震災を吉村が見たら、大変嘆いたと思います」ということで、311発生後にベストセラーとなった『三陸海岸大津波』の印税を全て村に寄付してくださっています。参考:ブログ記事
「ずっと津波を気にかけていた」 吉村昭と三陸海岸(上)作家・津村節子その1〜田野畑村と長いお付き合い。(名誉村民)2011/5/30(月) 午前 9:15http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60645637.html![]() ▼平成の「東日本大震災」の巨大津波の被害は昭和8年をはるかに超えてしまいました。 自然はかくも測り知れない存在だということを突き
つけています。
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はじめまして(^▽^)
早速、幾つかページを見せてもらいました♪
教えて頂きたいのですが、参考にしているサイトとかあるんでしょうか?
不肖ながら私もブログは頑張っているのでアドバイス宜しくお願いします(*^_^*)
2015/4/24(金) 午前 5:27 [ ゆうこ ]