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九月・・・晦日に、このサイトに帰ってきた。
フェイスブックに投稿する回数が増え、投稿すると、アフターケアが必要になり、blogの投稿が減る。 勿来が、急を告げている事が認識されはじめた。合掌 |

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こんにちは、ゲストさん
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九月・・・晦日に、このサイトに帰ってきた。
フェイスブックに投稿する回数が増え、投稿すると、アフターケアが必要になり、blogの投稿が減る。 勿来が、急を告げている事が認識されはじめた。合掌 |
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とうとう、自分の首を自分で締めはじめた。
信頼関係すら、否定しちゃ社会は、成り立たない! 日本には、馬鹿が相当数。居る様だ。原発事故関連記事で、フェイスブックの強制閉鎖です。不思議なのは、何処のプラウザにアクセスしても、フェイスブックの強制閉鎖の画像が登場する。それって、バイオレンスでしょう?俺達は、スマホでも、pcでも、タブレットでも、不法介入できるぜ?で、何処のプラウザにも、フェイスブックのログイン拒否の画像を送り付ける。誰と喧嘩しているつもりか?あぁ〜、馬鹿は死ななきゃ直らない・のワンパターンか?ガッカリ・・・いや〜、Yahoo!ジャパン効果・・・バッチリ・・・二時間足らずで、フェイスブックが開通しました。まっ、そんな訳で、黎明に向かってゴー。合掌 |
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静岡県の友人が、宮城県に赴き、撮影した一本松を掲載しました。 何故?一本松が遺されたか? ・・・ 国の永遠なる存在に貢献する心を、愛国心と言う。 イカレタ爺ぃ共の、偏見の身代わりに先んじて死傷する行為とは、無関係な心である。 君が代は、千代に八千代に〜、の詞は、外人の翻訳だと、千回も八千回も、人生を体験する様に、捉えられるが、これは間違いである。 日本という国を構築する、ラウンド的発想である。 事実、日本国を「敷島」と美称する。 「敷島」の淵源は「磯城島」であり、しきしまと読む。 磯は、清音でなる五十音、いそね・であり、城は代で築く島とされる。 一説に、五十音も、五重構造でシンクレティズ厶、深層主義(通底する統一性)とも? ここで、思い出される言葉が、・・・ 盤根錯節に遇わずして、何を以って利器を別たん・・・・であろう。 そう、ラウンド構成には、貴公子流離潭(きこうしりゅうりたん)的要因が求められるのではないか? 日本という国を構築するには、花鳥風月にも成って自然崇拝、自然参加の心を養う意味である。 一代は、自然な国のラウンド的な責務を全うして、一代とするのである。 小学校唱歌の一月一日に、この精神は込められている。 ♪歳の初めの 試しとて 終わりなき世のめでたさを 松竹立てて門ごとに 祝う今日こそ楽しけれ♪ ♪初日の光 差し出でて 四方(よも)に輝く 今朝の空 君が御影に 比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊けれ♪ ちゃんと、二番の歌詞に「神様」との「比定」が載せられている。 一番の歌詞には、はっきり終わり無き世・・・と永続性を堅正、顕彰している。 知らない振りは、国策を冒涜しているんじゃないかな? ラウンドについて、愛国心を交えれば、丸いとか、一回りの意味を用い易いが、後輩の行く末を案じれば、医療現場用語のラウンド、回診の意味を用いて、個々の心のケアをする意味を私は選ぶのである。 この心を失うを、落魄(らくはく)と言う。 魂魄の義は、魂は、あの世と言う浄土を目指し、魄は、この世に留まり修正を重ねるを言う。 もう一度、復唱すると、愛国心とは、国が永遠に存在する為の心です。 合掌 |
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北は孤高、南は指導の方位とされ、菩薩に到るまでは、全て妄想とする教義により、完成の意味を私有することなく、指導的に留める配慮を促すのである。 唯一孤高の祖師を仰ぐ事で、偏屈な強要と出会わずに済むのである。 御本尊は、銅像、木像、紙切れ、紙上に坐すのではなく、唯一孤高の孤塁を守っているのである。 孤塁は、曼陀羅世界への誘いであり、5042巻の経典世界への誘いであり、自他共にある法悦の世界への誘いでもあろう。 銅像、木像、経典、紙切れ等は、正法世界への接点である。 銅像、木像、経典、紙切れ等は、人語の渦中にあり、人語を超えた世界が悟りと言われる。 法華経で、人語を超え一字一句に悟入すれば、精進の道は、難道でなくなり、易道となり得るのである。 支配とは、支えを配る事です。 支えとなる箴言を多く共通項とする配慮でもあります。 立法の精神が活かされず、心中死する強要がある法律や、解釈が見受けられます。 諸行無常なる悟りを、単語と思う粗忽者が、居る様なので、単語ではなく、箴言(しんげん)として頂きたく、一筆、沿えます。 心を鍛えるに、箴言の数が増す必要があります。 箴言とは、戒めの言葉、教訓の意味を持つ言葉です。 テンションなる外来語を、常套語にするのも、どうかと案じています。 箴言の数が無いテンションなど、噴飯物です。 急いで、箴言の数を増やす事が、レーゾンデートル、自己の存在理由と成る筈です。 諸行無常は、諸事諸般への敬意であり、労りであり、優しさでもある筈です。 何か、行く先の無い「弄(いじ)り」ができる事が、先輩風と混同されている。 そんな風潮など、無駄、必要ありません。 先輩風とは、頗(すこぶ)る自愛の大事を含み、孕み、抱えた風です。 この風を帆に受けなければ、舵を操れない・・・と自覚する風であろう! 自分という船を、港に泊まらせるには、風の行方と、舵を操る技術が必要です。 ・・・・・・ う〜ん、旗のなびく姿ってある種の感動を覚えませんか? 仏教では、悟りを得た事を近隣に知らす為、旗を振ったそうです。 刹那とは、刹と言う旗棹を振った瞬間を意味します。 諸行無常の中、近隣に知られる程の大義、悟りでなければならない極意? そこには、歴然とした相互の悟りの格差が存在する筈です。 さて、貴方は、ここまで徹底しますか? 世界の歴史は、創造主のパッチワークだと思った事はありませんか? 自分を奮い立たせる試練の数が、旗への感動に連なるのです。 日本の国は、陰と陽に分けると「陽」のファクターがはたらく国と知ってますか? 対して中国は、「陰」のファクターがはたらく国です。 陰と陽を、粗略に扱わぬ様、「呂」と「律」の大義がはたらく国とされ、日本は、「律」のはたらきの国です。 「律」の、はたらきの国ゆえ、ヘイトスピーチなど、ある筈がありません。 白地に赤く? 日の丸、染めて? 無地に染めるって、自己努力の意味。 基本的に、日輪信仰を意味し、日本の国を「扶桑」の国とも言います。 「扶桑」とは、桑の神木から日輪が昇る事です。 桑は、一文字で仏教を意味します。 相と言う漢字の、木偏は、この「扶桑」を意味します。相の字だけの決め事です。 白地に赤く?・・・白は、拒絶を意味し、赤は、分解、分け解す、意味です。 自己形成の大義を意味し、他人の言動に振り回されず、分け解す作業の国振りなのです。 もう一つ、説があり、こちらも意味深です。 蝋燭の燃えた姿を俯瞰して、白くて丸い蝋燭に、正四角形ではなく、長方形を見出だし、変動的な炎の動きを、円に納めるスキルを求めるのだとも? ボキャブラリの補完も、人生の意味です。 丸の中に、四角が内在し、正視は未だ持ち合わせず、重宝を意識する人生観の達成を志すとも。? いずれにせよ、目は心の窓。 中国にも、日本にも、正法眼蔵と言う著作があります。 目力を、間違えて喧伝している様なので、老婆心ながら、書き沿えてみました。 明日は、八が二つ並ぶ暦。 八を、国構えに入れて「四」になります。 盂蘭盆も近い時節、夢夢、逆行に惑わされぬ様、御自愛ください。合掌 |
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フェイスブックは、意外に享楽主義の編集をやっているんですね? 意味ありげな僕の投稿は、ダッダッーと訳の分からん享楽主義投稿が介入し、捜せませんよ! 僕の基本情報も、出鱈目な情報を掲載され、修正ができないのです。 どうせなら、世界を救済する救世主と基本情報を掲載してくれれば、余計な説明は要らないのだけど? 僕、いつのまにか?インドネシア人になっていて、インドネシアからの友達希望が殺到してます。 住所も、勤務先も、インドネシアに登録されている。俺って、秘密工作員かな?な〜んちゃってと思える。 だとしたら、エージェントだから、工作活動費が貰えるかも? 急いで、取り引き銀行をグルグル、廻ったが通帳の残高は、お地蔵様でした。 話は、お地蔵様に辿り着いたが、お地蔵様が音楽を司る解説は、誰もしない。 大塚の庚申塚は、芸能界関係者が詣でるパワースポットだが、巣鴨の地蔵通りを抜けた所に、大塚の庚申塚が存在する。 縁と書いて、よすが・と読む。 止める・で「よす」そして「我」。 我流は、駄目のコールサインかも?う〜ん、 話は戻って、フェイスブック。 架空の情報を、僕に当て嵌める? これって、もしかして陰謀? 弄(いじ)り願望が、行政のキャリア組に見受けられるとは、聞いていたけど、廉恥が無きゃ政策も譴責逃れの悪手だわさ? 何十年か前に、日本一億総白痴化を憂いた文化人が居ました。 我執を脱皮しない面々が、まだ居ますよ? 気をつけてください。 一説に、机上の空論が好きなデスクワーク諸君が、今の日本は、テレビ文化、以降、パソコンの普及とあいまってモニター文化と勘違いして、個々の情報を弄り文盲扱いする馬鹿が、相当数、組織の皮を被りデータベース化できる妄動に明け暮れてます。 まっ、基本は信念あっての社会だから、杞憂は必要ないかも? モニター弄りは、社会現象とも言える昨今、一体、何を捜しているのやら! 捜し物は、足を使え! これが、仏教では具足戒とされ、具足戒を守らない僧侶は、仏教の部外者、門外漢とされる。 当たり前でしょう! 一音多義の伝統しかない世界。 一音多義なるがゆえに、祖師の弁活は「一瀉千里」・いっしゃせんり・なのである。 敢えて、弁活の字を用いて、弁えを活かすと読んで頂く配慮である。 一瀉千里は、川の流れの速さを意味するが、祖師の弁活は、もっと速いのである。 基本に、個々の苦悩を知り尽くしているのだから、個々の救済に簡単に到達する弁えなのである。 真言宗の空海も、心の作用を、まず習う必要を感じ、五重唯識を説く法相宗の信仰を経て順次に三論宗、天台宗、華厳宗を経て、真言宗の修行に入りなさいと説いている。 この偉業を、崇敬する所に仏教の修行の意味がある。 一音多義の祖師を、訪ねる為の足なんだから! って、言うと、祖師を訪ねない面々は、まだ自分の足じゃないんだね? ・・・・・・ 桜鍾青年隊は、基本的に神道より古い「古神道」を伝える団体です。 神道より、古い事は勿論、よりグローバルにして、よりロマン(浪漫)的なのであります。 青年が学ぶモットーは、三耕の儀、すなはち「自分を耕し、人を耕し、国を耕す」なのであります。 何故?耕す事がモットーなのか? 神道では、木の信仰と、土の信仰が具体的になる訳でして、古神道になりますと、土を耕す意味を問い続けるのであります。 仏教の教えは、禅を介在させないと大意を得られません。 禅は、以心伝心、不立文字、教外別伝を以って禅の初心とされます。 以心伝心は、自己の表現を改める修行です。 以心伝心の、心が二番目と四番目にありますが、、これは外界を認知、認識する過程に於いて、ありがちな受動性でもあります。 子を持つ親の常として、子の成長と返事の出来不出来が気がかりなのですが、返事の「事」は「神様」の世界を意味し、「神様」の世界と、自己の世界との「比定」を習うのが、そもそもの返事の意義なのです。 文字にすれば、十の世界と、八の世界、合わせて「木」の字になります。 神社の原形は、杜です。 土の置かれた意味合いが、少しは理解頂けるのではないでしょうか? この以心伝心の二番目と、四番目に置いた未整理な心を禅の作法で頭に拝するのであります。 二番目の心の位置は、何となく理解できるが、四番目は、どうしてか? それは、日本語の語尾の修飾性を問わないとダラダラ、桝目の抜けた笊(ざる)で、篩(ふるい)にかけて、大小を問うズボラになる危惧からです。 ゆえに、桜鍾青年隊は、土を耕す理想を掲げるのであります。 自己の二番目、四番目の認知、認識が、未整理なので、改耕を迫るのであります。 まっ、人生や、言葉を本当に愛すれば誰しもが辿り着くゲートでもあります。 禅では、念頭から整備し、話頭、語頭、字頭と順次に自己の宇宙大の自己究明を行います。 それも、これも、接心のプロが居て整合性が可能性を帯びるのであります。 桜鍾青年隊・・・夏季 寄附口座 八千代銀行・西池袋支店・普通預金口座 口座番号・0401114 口座名・・・桜鍾青年隊・・・です。 合掌 |
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