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イエス様は神様と私たちの架け橋になられたのですよね。
2012/9/17(月) 午後 0:53
橋は架けるより渡るほうが簡単ですね。橋を作る人は渡る人をイメージするのでしょうが、渡る人は橋を作った人のことは考えないのが普通ですね。
2012/9/17(月) 午後 7:02 [ dogmomo3 ]
ゆめちゃん、イエスさまは、橋に「なった」んですね、作ったんじゃなくて。
2012/9/17(月) 午後 7:55
じゅんこさん、私は自分が渡ることばかりに熱心で、作った人のことを考えていなかったかもしれないと反省しました。 あ、現実の橋ですけど、この写真は、まだ工事中の橋なんですが、とーちゃんは、設計のこととか、工事のあれこれに興味津々でしたよ。私は、ただ見て「すごいなぁ」としか思わなかったけど、とーちゃんは、強度がどうの、高さの基準がどうの、具体的にコメントしていました。それも、すごいなぁ、です。
2012/9/17(月) 午後 8:00
とうちゃんさん、、、、すごいなあ〜〜!!!
2012/9/18(火) 午前 0:08 [ dogmomo3 ]
いつくしみさんへ。 何時だったか、聖書に「橋」という言葉が記載されていないか検索したことがありますが、ヒットしませんでした。 日本人に親しみのある言葉が聖書に含まれていないことが意外でした。 「橋を架ける」は何かと何かをつなげるイメージがあります。 「橋を焼く」は退路を断つことになりますね。 神様に架けて頂いた橋を渡る者としては、この世に逃げる橋は焼く必要がありますね。 でも、焼いても焼いても、性懲りもなく架けてしまうのが人間の性(罪)なのでしょう。 しかし、神様に指摘頂いたこの世への橋は潔く焼く必要がありますね。
2012/9/18(火) 午前 0:46 [ ノブ ]
デニス・キンロー先生の本で「愛は排他的な面を持つ」ことを読んだことがあります。 神と私たちとの関係は結婚の関係に喩えられています。 結婚の愛の本質は排他的な愛で、二人の間に他者が入ることは許されません。 そこには、一本の橋があるだけです。 (字数が限られ、結婚の愛の一面だけを述べました。) そして、やっと本論に^_^;。 耳学問ですが、吊り橋を架ける作業は大変な作業なんですね。 特に、長く大きな吊り橋を架ける時は・・。 最初は川の両岸に細いワイヤを渡し、そのワイヤで次に少し太いワイヤを引っ張って渡す・・、それを繰り返し、大きな橋を吊れるほど太く強いワイヤにしてゆくとのこと。 そのように橋を架けることは、時間がかかり、危険が伴い、忍耐を要する作業です。 その橋を神様の方から、御子の贖いによって架けて下さったことは感謝なことです。(チョットまとまりませんでした。)
2012/9/18(火) 午前 0:48 [ ノブ ]
じゅんこさん、だって、職業ですから・・・
2012/9/18(火) 午後 6:50
のぶさん、聖書に「橋」ということばがないというのは、なるほど〜と思いました。川を渡る記述は、どれも、橋じゃなくて水の中をわたっていますものね。古代に橋は少なかったことでしょう。 そうね、この世(罪)にかける橋は、渡っちゃいけないかも。だけど、この世の人々とつながる橋は、どんどん渡りたい。 キリスト教の排他主義をなくしたい。
2012/9/18(火) 午後 6:53
教会の読書会のメンバーに国立大の名誉教授がいます。ご専門は「橋」。「橋のせんせ」と呼んでます。土木工学ですね。 いまでも、橋架けに行ってますよ、日本中。 それで、わたしも橋には架け方で、いろんな種類があるのを知りました。ちょっと、橋に興味がでてきたところです。
2012/9/18(火) 午後 7:48
すずめさん、橋の知識、面白そうですね。 とーちゃんも「余目鉄橋」に行った時、昔の人たちの技術と職人技に驚いていました。クレーン車がない時代にあんなもん、どうやって作ったんだろうね、橋は奥深いと思いました。
2012/9/18(火) 午後 8:03
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小川菜摘
シルク
浅香あき恵
イエス様は神様と私たちの架け橋になられたのですよね。
2012/9/17(月) 午後 0:53
橋は架けるより渡るほうが簡単ですね。橋を作る人は渡る人をイメージするのでしょうが、渡る人は橋を作った人のことは考えないのが普通ですね。
2012/9/17(月) 午後 7:02 [ dogmomo3 ]
ゆめちゃん、イエスさまは、橋に「なった」んですね、作ったんじゃなくて。
2012/9/17(月) 午後 7:55
じゅんこさん、私は自分が渡ることばかりに熱心で、作った人のことを考えていなかったかもしれないと反省しました。
あ、現実の橋ですけど、この写真は、まだ工事中の橋なんですが、とーちゃんは、設計のこととか、工事のあれこれに興味津々でしたよ。私は、ただ見て「すごいなぁ」としか思わなかったけど、とーちゃんは、強度がどうの、高さの基準がどうの、具体的にコメントしていました。それも、すごいなぁ、です。
2012/9/17(月) 午後 8:00
とうちゃんさん、、、、すごいなあ〜〜!!!
2012/9/18(火) 午前 0:08 [ dogmomo3 ]
いつくしみさんへ。
何時だったか、聖書に「橋」という言葉が記載されていないか検索したことがありますが、ヒットしませんでした。
日本人に親しみのある言葉が聖書に含まれていないことが意外でした。
「橋を架ける」は何かと何かをつなげるイメージがあります。
「橋を焼く」は退路を断つことになりますね。
神様に架けて頂いた橋を渡る者としては、この世に逃げる橋は焼く必要がありますね。
でも、焼いても焼いても、性懲りもなく架けてしまうのが人間の性(罪)なのでしょう。
しかし、神様に指摘頂いたこの世への橋は潔く焼く必要がありますね。
2012/9/18(火) 午前 0:46 [ ノブ ]
デニス・キンロー先生の本で「愛は排他的な面を持つ」ことを読んだことがあります。
神と私たちとの関係は結婚の関係に喩えられています。
結婚の愛の本質は排他的な愛で、二人の間に他者が入ることは許されません。
そこには、一本の橋があるだけです。
(字数が限られ、結婚の愛の一面だけを述べました。)
そして、やっと本論に^_^;。
耳学問ですが、吊り橋を架ける作業は大変な作業なんですね。
特に、長く大きな吊り橋を架ける時は・・。
最初は川の両岸に細いワイヤを渡し、そのワイヤで次に少し太いワイヤを引っ張って渡す・・、それを繰り返し、大きな橋を吊れるほど太く強いワイヤにしてゆくとのこと。
そのように橋を架けることは、時間がかかり、危険が伴い、忍耐を要する作業です。
その橋を神様の方から、御子の贖いによって架けて下さったことは感謝なことです。(チョットまとまりませんでした。)
2012/9/18(火) 午前 0:48 [ ノブ ]
じゅんこさん、だって、職業ですから・・・
2012/9/18(火) 午後 6:50
のぶさん、聖書に「橋」ということばがないというのは、なるほど〜と思いました。川を渡る記述は、どれも、橋じゃなくて水の中をわたっていますものね。古代に橋は少なかったことでしょう。
そうね、この世(罪)にかける橋は、渡っちゃいけないかも。だけど、この世の人々とつながる橋は、どんどん渡りたい。
キリスト教の排他主義をなくしたい。
2012/9/18(火) 午後 6:53
教会の読書会のメンバーに国立大の名誉教授がいます。ご専門は「橋」。「橋のせんせ」と呼んでます。土木工学ですね。
いまでも、橋架けに行ってますよ、日本中。
それで、わたしも橋には架け方で、いろんな種類があるのを知りました。ちょっと、橋に興味がでてきたところです。
2012/9/18(火) 午後 7:48
すずめさん、橋の知識、面白そうですね。
とーちゃんも「余目鉄橋」に行った時、昔の人たちの技術と職人技に驚いていました。クレーン車がない時代にあんなもん、どうやって作ったんだろうね、橋は奥深いと思いました。
2012/9/18(火) 午後 8:03