児童文学と音楽の散歩道

♥ 子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれたネコパパ庵からお送りします

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年末年始に娘夫婦が滞在。こんなブルーレイ・ディスクを持ってきていたので見せてもらいました。
 
イメージ 1


 
インサイド・ヘッド』(Inside Out
 
2015年公開のアメリカ合衆国のコンピュータアニメーション映画。ピクサー制作、ディズニー配給。
ピクサーはディズニーのCGアニメを一手に引き受けているプロダクションです。
従来のディズニー路線とは方向性の違う部分もあるようですが、CGアニメの苦手なネコパパは、あまり見ていません。
ただ、この作品には関心を持っていました。


アメリカ合衆国では2015619日、日本では2015718日に公開された。人間の感情を題材としたアニメ映画。原題の"Inside Out"は「裏返し」という意味である。
11歳の少女ライリーの頭の中に存在する5つの感情たちヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。ライリーの誕生や成長と共に生まれた彼らは、彼女を守り幸せにするために日々奮闘。だが、ライリーを悲しませることしかできない「カナシミ」の役割だけは、大きな謎に包まれていた。
ある日、ライリーは父親の仕事の都合(新会社を作るため)で生まれ育ったミネソタの田舎町を離れ、慣れない大都会サンフランシスコへ引っ越す。不安定なライリーの心は感情たちにも大事件を巻き起こし、ライリーの思い出が詰まった"思い出ボール"に触れようとしたカナシミと、それを止めようとしたヨロコビがボールを吸い込むチューブへ吸い込まれて、頭の中の司令部から消えてしまう。
2つの大切な感情を失ったライリーは危機的な状態になり、このままでは心が壊れてしまう。はたして感情たちは、ライリーを救うことができるのだろうか?
そして、カナシミに隠された、驚くべき「秘密」とは

 
心の内部の感情を擬人化して、キャラクターを与えたという発想がユニークで、
予定調和路線の多い従来のディズニーアニメとは、一線を画した作品です。

擬人化された感情はヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミの五つですが、
実際に活躍するのはヨロコビのカナシミの二つにほぼ限定され、
主人公はどう見てもヨロコビの方。
ですから、物語は紆余曲折あり、カナシミが展開の要になっているとはいうものの、最終的にはヨロコビの勝利に向かうことが約束されています。

もうひとりの重要な登場人物として、ライリーの「心の友達」ビンボンが登場します。
彼はライリーの危機を救う重要なキーマンとして活躍し、彼女の心の成長に伴って消滅していきます。
本作のクライマックスの一つは、このビンボンとの別れの場面。
娘はこの場面でぐっときてしまったと言っていました。
 
ネコパパは、ちょっと期待をもっていたのです。
大評判の『アナと雪の女王』には、あまりピンとこなかったのですが、あれで興行収入が伸びれば冒険もできる。作家性のある作品も生まれるのではないかと思ったのです。
けれども見終わった感想としては、さほど心が動かされることはなかった…というのが正直なところです。

その理由をネコパパなりにまとめてみることにしました。

まず、感情の擬人化がいささか単純であること。
着眼点は面白いけど、結局これはディズニー得意の「主人公の助力者」小人や小鳥たち、ポットや雪だるまなどのパターンをあまり抜け出ていない気がしました。
ディズニー風脚色の特徴の一つとして、主人公の周りにはいつもちいさな応援団がいて、画面をせわしなく、忙しく動き回り、笑いを取る役回りを演じたりする。
でも、それは結果的に主人公の人格を覆い隠し、類型化するのにも役立っている…

次に、リアルな世界の登場人物の存在感が薄いこと。
本編の主人公は、本当ならヨロコビやカナシミではなく、ライリー自身のはずです。
リアルな世界の彼女は12歳。
何かの事情で、生まれ育った郊外の自宅が突然売却され、都会の古ぼけたアパートに突如引越してしまう状況になります。
ライリーの両親にも、苦悩や決断が当然あったはずですが、
引越しの理由も、そうなるに至った事情を娘にきちんと説明したのかどうかも不明のまま、物語は進んでいきます。
環境の激変にもかかわらず、両親はライリーに類型的な父親と母親として接するだけです
両親には名前すら与えられていない。
この状況は、家族3人それぞれにとって「人生」の危機のはずです。
それが、観客には「人生」でなく「環境」の変化としか受け取れないような展開になっている。

新しい環境にどうしても馴染めないライリーは、それを両親に相談するでもなく、生まれ育った町に「家出」する決心をします。
荷物を整え、長距離バスに乗り込みます。
その間、脳裏では、感情たちのドラマが展開し、これまでに築き上げてきたライリーの「心の中の町」が次々に倒壊していく。息を呑む展開が繰り広げられます。
しかし「インサイド・ヘッド」の住人の活躍で危機は回避され、ライリーは家出を思いとどまるのです。

確かによく出来ている。
外からはそうと見えない日常の行動の中に、大きな葛藤のドラマがある。それをこんなにカラフルで精妙な映像として描き出し、楽しいエンターテイメントとして見せてくれるのなら、素晴らしいじゃないか…
 
でも…ひねくれ者のネコパパは思います。

登場人物が「かけがえのない人生」を持つ存在として立ち現れてこない、
人生の描かれない物語は、物語というよりも「たとえばなし」「寓話」ではないでしょうか。
だからいけない、ということではないですよ。
その分「表現」「見せ方」の点では、抜群の技を見せてくれるのですから。映像ならではの効果は充分上げています。
けれども、児童文学作家なら、これをきっと「順応」のドラマではなく、「変容」のドラマと見て、悪戦苦闘するのだろうな…とどうしても思ってしまうのです。

「家出」を題材にするなら、思いとどまるのではなく、たとえ小さなものでも「決行」させようよ。そこから見えてくるものが変わるかもしれない。
カニグズバーグの『クローディアの秘密山中恒の『ぼくはぼくであること』のように。
「心の友達」とは、別れるのではなく、形を変え、人生の同伴者として折り合いを付けていくあり方を模索してはどうでしょう。
カニグズバーグ『ぼくと(ジョージ)あるいはル・グウィン『影との戦い』のように。ゲドの「影」が「心の友達」なのか、と反論されそうだけれど、私はそうだと思いますよ。
ビンボン…私には、彼こそが児童文学であり、アニメであり、ファンタジーであり、映画であり、生涯を通して人を支えるもの…「物語」のメタファーと感じられました。
だとしたら、彼の消滅は、ディズニー・プロにとっては一種の自殺行為みたいなものですよ?
 
インサイド・ヘッド』、
私には「まだまだ物語は始まらない」作品と感じられました。
 
 

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ディズニーの長編アニメは、つい先日、ディズニー・チャンネルで「シンデレラ」を放送しているのを見て、感激を新たにしたばかりです。
ところが、最近はディズニー・アニメをまったくといいほど見なくなったのは、どうも私がピクサーの映像をあまり好まないところがあります。

私が、リバイバルではなく封切りで見た最初のディズニー・アニメは「わんわん物語」で、今回調べてみたら6歳の頃に見たようです。
この頃からラブ・ストーリーを好むマセガキであったようで、ご紹介のストーリーを読ませていただくと、その頃に戻っても、きっとつまらないと感じたような気がします。

2016/1/11(月) 午後 6:22 gustav_xxx_2003 返信する

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グスタフさん、孫のテンコが「プレーンズ」という飛行機を擬人化したディズニーアニメが大好きなので、その先駆といえる「小さな郵便飛行機ペドロ」をネット動画で見せたのです。
擬人化された飛行機が、たった一機でアンデス山脈を超え、郵便物を受け取って戻ってくる途中悪天候に見舞われる…ナレーションは結構うるさいけれど、飛行機ペドロにはセリフはなく、躍動的な動きと表情のみですべてを語っていきます。わずか10分あまりの短編ですが、それはもう見事なもので、しなやかな動きそのものが生命を感じさせるのです。孫にせがまれて何度も見ましたが、全く飽きないばかりか、見るたびに凄みを増してきます。
制作は1943年!!大戦のさなかにこれを制作したディズニープロの志は、同受け継がれたのか、と考えてしまいました。

2016/1/11(月) 午後 9:38 [ yositaka ] 返信する

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