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坂村真民先生の言葉に
<尊いのは頭でなく手でなく足の裏である
一生人に知られず一生きたない処(ところ)と接し
黙々としてその努めを果(はた)してゆく>がある
教育とか躾(しつけ)とか言われるものは
<足の裏>と同じだと想う
大人になった自分を支えるものは
幼いときに
お母さんから
お父さんから
あるいは
おばあちゃん、おじいちゃんからうけた
躾だ
言い換えれば教育だと
つくづく感じる
装蹄師(そうていし)という職業がある
馬の蹄(ひずめ)を削り、保護用の蹄鉄(蹄鉄)を打ちつけるのが仕事である
獣医すらあきらめた馬を
装蹄治療で治しレースで勝たせる
「馬の神様」と呼ばれる福永守さん
若いころは死んだ馬の足をもらってきて
解剖して足の構造を研究したり
馬一頭一頭に合わせるために
蹄鉄を自分が打ってつくる
そのうちに現代の名工にも選ばれる
彼は150名の弟子をもつ
77歳になっても弟子を厳しく叱る
「どこが悪い ? 見てわかるか
こんな蹄鉄つけて
お前は寝れば休めるが、馬はずっと立って痛みに耐えてるんだ!」
とにかく厳しい
「福永の弟子だった。でしばらくは客もつく
力がなければすぐ仕事もなくなる。
必死に学ばないとダメ」
「馬に呼ばれる装蹄師にならんと・・・」と語る
華やかなレースの影で
馬を支え続ける
裏方に徹する
<足の裏>の大切さと重なる
足の裏を見過ごしてはいないか
毎日の中に足の裏を見過ごしてはいまいか
例えば靴の脱ぎ方で子どもの心は見えてくる
私は見えているものですら
気づいていないことが多い
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うちの親父がいよいよ息を引き取るときに、親父の手を握ってその感触を確かめました。ごつごつとした頑丈な手には歴史が感じられ、この手になれるように俺がこれからは頑張らなきゃと思いを新たにしたことを思い出しました。たまに自分の手をじっくりと見ますが、まだまだ優しい苦労のない手ですね。温かくておっきくて厚みのあるそんな手になりたいです。
2007/3/6(火) 午後 1:22 [ まさし ]
躾を、民間企業として取り組んでいます。引き続き、情報収集の場としてこのブログ拝見させて頂きます。
2007/3/6(火) 午後 6:50 [ 職博 ]
足の形は一人一人違いますものね。育児書にも、「靴だけは兄弟姉妹のおさがりではなく、本人専用のものを勧めます」ってありました。上の子の形状が残っていると歩くときにも変な癖がつく可能性も、っていうことらしいですが。足の裏、大切にしたいですね。
2007/3/7(水) 午後 1:19
一番繊細な部分が一番過酷な箇所を担当し、さらに一番大事。でもなかなか気がつかない。生活の中で気を張って振り返るといっぱいあります。 何も知らず過ぎている自分は困り者ですね。
2007/3/7(水) 午後 4:59 [ おじさん ]
以前外国で、「いただきます」「ご馳走様でした」と言った時、それはどういう意味ですがと現地の人に聞かれ、返事に困ったことを思い出しました。英語では、私が知る限り近い表現の言葉がありません。そんな良い言葉、躾が昔からずっと残っているのが本来の日本。あまりのも身近すぎて気づいていない事が今も多いような気がします。このブログで自分が気づいていないところを勉強させていただきたいと思っています。
2007/3/7(水) 午後 9:45 [ 大歩危小歩危 ]