想ひ

いえ、何ね…人生を少しばかり歩いてきた男の戯言ですよ。

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あの日のライブ

一昨日、二十数年来の友人が来てくれた。
かつて、まだ昭和の90年代前半に実行委員会形式で一緒に野外コンサートを組んだ仲間だ。

当時ライブコンサートのシーンにあまり恵まれていなかったこの山陰。
当時の市町村や各メディアにも働きかけて白い砂浜でのライブを画策した。

計画を練り、県の予算も頂戴して各委員が足で回り経費を捻出した。
そして1993年の夏、海岸にステージを作り明日はライブというところまでこぎつけた。

そして当日、降水確率30%の予報は悪く転がり、現実は厳しく雨にたたられた。
地元建設業の知人の協力により急遽会場を多伎町公民館に移し予定をすべてこなしたが
野外での開放感あふれるコンサートの思いは生煮えの状態で残った。
実行委員は翌年のリベンジに意を強く誓っていったん分かれた。

そして一年の準備期間に地元の町興し団体『建多伎(ケンタッキー)倶楽部』の協力のもと
再度多伎町・多伎海岸の特設ステージに県内外から出演者を募り
念願の『漁火』を観ながらフォークコンサートを開催した。
この時の出演メンバーとの交流は後まで続くことになった。

この企画は三年目に後輩に託し、俺は出雲市主催の芸術文化祭の頭出しに携わった。
『Light Music Festival』は赤字に沈んだが
ジャンルを超えた音楽祭の運営に自分なりに心血を注いだ。
この企画は形を変えて今でもその名残が継続しているという。

さて、それから現店舗にステージを持ち馴染みの音楽シーンを続けてきたが
これも十年余の後今年7月に150回のライブコンサートを開催するところまできた。

すべて一人で準備し終わると協力していただいて元に戻す作業も
もう150回目になる。

実は昨年の夏、一時期俺は耳が聞こえなくなった時があった。
それがちょうど旧盆を過ぎた辺りで、厨房の温度が41度を超える日が続いた後だった。
耳鼻科も最終的には地元の基幹病院までたどり着いたが
最終的には元には戻らなかった。
きっと大切に抱えている脳梗塞もこれにはかなわなかったようだ。

何故150回に拘るのか…
同じ条件がさらに今年も続くようだと、どうも後がないらしい。
俺にとってはここが現在までの音楽活動・営業の分岐点になる予感がある。
まだ次のためにXデーを迎えるわけにはいかない。
これからが勝負!

さきの二十数年来の友人が来店の折ボソッとこういった。
「また…あのコンサートをやってみたら?」
そうだよなぁ…俺の夢でもあるんだけど、かつてのように一人で引っ張っていく力はもうない。
「やりたいね」
そういうのが精いっぱいだった。

今年7月の150回ライブの最終日、お恥ずかしながらソロライブをさせていただこうと思っている。
ひょっとしたらこれがこの店での、俺のラストコンサートになりそうだ。
もちろんこれで辞めるつもりはないが…
自分のパフォーマンスがどの程度か、それはよくわかっているから
その後は違った形の活動になるんだろう。

これからが勝負だ!

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Aちゃんへ

昨夜閉店後、オープンしたてのホームセンターを覗いてみた。

ほんの少し、印だけの品物をカートに入れセルフレジで精算しようとしていると一人の奥さんが声をかけてきた。
ハウスバンドの前のベースマンAちゃんの奥さんだった。

「おお、久しぶり!元気にしてる?」
「私たちは元気なんですけど…」
「どうかしたの?」
「Aは昨年3月に他界しました」
「・・・・」

言葉が出なかった。
何から聞いていいのか、何を聞いていいのかわからないまま少しの時間が流れた。

「仕事を終えて帰ってみると、こと切れていたんです」

淡々と話す奥さんの顔を少しの間見ることが出来なかった。
すぐには悲しみも寂しさもわいてこなかった。
ただ驚きで頭の中は真っ白に…

8年前だったか…
カウンターに一人の天然パーマのおじさんが話があると来てくれた。
彼との初めての出会いだった。
一回りも下の、あまり話が得意でもなさそうなAちゃんはしばらくしてボソッとこういった。

「ハウスバンドでベースをやらせてもらえませんか」
「丁度ベースマンに空きが出来たところだけど…やってみる?」
「いや、ちょっと練習などで聞いてもらってよかったらお願いします。」
「ハウスバンドに特別な練習日はないんだよ。じゃあ…リハの日に来てみる?」

そしてこの月のリハにベースを持ち込んで陰に隠れて聴いていた君がいた。
ベースが必要な楽曲であることはもちろんすぐに理解していたからことは早かった。

「じゃあ、今月から1曲参加でもやってみる?」

いい歳したおじさんが少年のような笑顔を見せてくれたのを覚えてるよ。
それからはメンバーが不足しているときでも欠かさず参加してくれた。

それから数年して彼はこういった。
「指が震えて…弾けそうにない時があるんですよ」

俺、ずっと前からわかってたんだよ。
でもうちのハウスバンドは人格を無視して演奏レベルを追及するグループじゃないんだ。

「一度診てもらった方がいいよ」
「うん…」

嫌がってたよなぁ…
それでも奥さんにも促されたことからかお医者さんに行った。

「糖尿病だって言われた。当分の間治療に専念しなきゃならないからバンドを辞めます」
「いいじゃん、辞めなくったって。『お休み』という事で籍は置いとくから治ったらやればいいじゃん」
熟考してそれじゃそれでお願しますって言ってくれたよな。
それから調子のいい時だけ呼びかけに応じて参加してくれた。

あるクリスマスライブの時、また1曲だけでも参加しないかとメールした時
「もう、バンドには興味ありませんから籍は抜いといてください」と返ってきた。

演奏在籍時メンバーの参加がなくAちゃんと二人でやるようになった時
「いいじゃないですか。不足なら俺がMTRで作ってきますよ」と励ましてくれた。
そんな君が「興味ない」なんてことあるわけないじゃん。

でも頑なな君の返事に仕方なくOKした。

それ以後、奥さんとはスーパーなどで偶然会って話をすることはあっても君の悪い具合は聞いていなかったよ。
だから顔を見せてくれとお願いしてたんだよ。
きっと…その時も俺のこの言葉は伝わってたんだろうな。
でも、顔を出せなかったんだろうな。

それから奥さんも職場が変わり会わなくなった。

そして突然会った昨夜のこの報告…
一夜明けて…ズシンと重い。
寂しいなぁ…

あの時「意地でも籍は抜かないぞ!」ってなぜ言ってやれなかったんだろう。

俺の親父は66歳で大腸がんが直接原因で亡くなったんだ。
そして俺もね、一か月前の大腸がん検診で引っかかっちゃった。
66歳だ…
勿論まだ良性とも悪性ともわからない状態だけど
こんな時に更に君の話は聞きたくなかったなぁ…

合掌はするけど…
どこに向かってすればいいんだろう。

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8月11日(木)・12日(金)の二日間
当店の駐車場は誠に申し訳ありませんが『有料駐車場』になります。
しかしレストラン営業は普段と変わらずさせていただきます。
苦渋の営業確保の対策ですので、何卒悪しからずご了承ください。

直ぐ近くの『出雲ドーム』では以前にも大きな音楽イベントが開催されました。
この時、当店の駐車場は無断駐車で営業がほとんどできなくなりました。
失礼な言い方ですが、なかなか無断駐車される方の多くは当店の利用はしていただけません。
ですからこの折に当店駐車場は駐車で満車になっても、事実上休業している状態でした。

また『無断での駐車はお断りいたします』との案内の張り紙を張らせていただきましたが
これへの答えは…この紙を当店の看板に張り付けてお帰りになるという事でした。
このことからやむを得ない対策を考えました。

当店には額面1500円の『お食事券』があります。
これをお先に買い求めいただいた方に駐車していただこうと考えました。
勿論このお食事券は当店で普通に1500円分としてお使いいただけます。
これが今回の『有料駐車場』の詳細です。

旧盆という事もあってなかなか厳しい条件の中でのビッグコンサート。
そんな中で当店も帰省になった懐かしいお客様への営業もしなければなりません。
何卒ご理解いただけますようお願いいたします。
なお、このお食事券での駐車のご予約は最高20台まで承ります。
ご遠慮なくおっしゃってください。
よろしくお願いいたします。

私は音楽が好きです。
本当は…このようなコンサートでの悪乗りはしたくありません。

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流れ着くもの

まだ俺が小学校の高学年だったころ、多伎町・久村海岸には一艘の難破船があった。
台風の際に座礁し、そのまま海岸に打ち上げられた朝鮮籍の船だった。
これを子供たちは『朝鮮船』と呼んで遊び場にしていた。

これだけ聞けば「『朝鮮船』とは聞き捨てならぬ」と卑下したことと誤解をする方も多いだろう。
しかしそれは違っている。
子供たちにとっては絶好の好隠れ家であり、愛情のこもった表現だった。

そもそもこの船は台風により座礁した当時、この久村の浜地区を中心にした村人が
命がけでロープを岸に渡し乗組員たちを救出したと村の長老から聞いていた。
戦争で失った相手への揺らいだ信頼がありながらもこれにおいては絆に近いものも感じたと…
同じ地区に住みながら、少しは誇りにしたものだった。

そして半世紀がたった今日では、同じ海岸に着くのはこんな美談ではない。
ハングル文字の入った使い捨てのポリタンクや廃棄された漁具、飲み干した後の空容器、挙句の果てには注射針などの医療器具。
これらはすべて韓国・北朝鮮のものだとは言わない。
しかし、目につく文字には殆どハングル文字がある。
海岸を歩いていて悲しさと腹立たしさが起こるのは俺だけだろうか。

一年に一度近隣住民総出で海岸清掃をする際にも目につき処分するのは同じようなもの。
大人になり、モラルも意識した後のこの結果は虚しいものだ。

交換留学などでの子供たちの交流の際には、ぜひこの実情を朝鮮半島の子供たちに見せたい。
これまでのことを非難するのではなく、これから後のモラルに期待しながら。
その子たちがさらに大人になり、少しでも何かを感じてくれることに期待する以外にない。

毎年労力と税金を使いこれらの漂流物を片付けているのは日本の各地。
とりわけ一番多いとされるこの島根県はそう裕福な自治体でもないけれど懸命に清掃する。
かの国は「島は俺たちのものだ!」と教える前に、海の名称を変えようと活動する前に
共有する海を綺麗に後世に残すモラルを教えたらどうだろうか。
人として問いたい。

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明日は定休日(リハ)

明日は定休日でノスタルジックライブのリハーサルの日だ。
一か月間クローズされていたステージも今夜開き、明日はセッティングをしてバンドメンバーを待つ。
気分が載らなかったこの数日も、奮い起こして楽しもう。

今月も半ばになって初めてのブログ更新になる。
この数日前に青春時代のある知人の他界もあって、何だか…何か一つ終わったような気もしていた。
そしてこの数日間に一つ決めさせていただいたことがあるんだ。

来月から『人参のおやじの我儘コーナー』と称して、毎回2曲ぐらいソロをやろうと思っている。
現在まで、自分のオーナーという立場から自分勝手な出演はやめようと避けてきた。
でも…一部のお客様から要望していただいた
「バンドもいいけど、じっくりソロも…」というヨイショの声を鵜呑みにして
どこまで続くかわからない自分のキャリアの中でやりたい曲を毎回2曲やらせていただくことにした。
チョイスした曲には、どなたが一緒に参加していただいてもいいようにしよう。
ない時は…ソロで…

バンドのヴォーカルは…時代を反映して少しずつ世代交代も必要なんだろうと思う。

今年はこれから益田市・江津市・大田市から松江市・安来市など県内の東西の幅広く
来ていただくお客様に出演者をご紹介しようと思っている。
もちろん初めて出雲市で演奏する方もいらっしゃる。
ご期待にお応えするべく準備は着々と進んでいる。

そんな中で「俺がやっていいんだろうか」などと一歩引いていたけれど
それも次回からわがままを言わせていただくことにしちゃったよ。
このところバンド曲が多かったもんなぁ…

ちょっとセンチメンタルな気分だな。

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