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「喉を開けましょう」
……って言われたこと、ありませんか?
確かにあっちの人(「欧米の」って意味です。決して「黄泉」ではありません)が歌うのを聞くと、日本人が民謡や演歌を歌ったり、ポップスを歌うのと全然違って聞こえます。そう、私たちが力いっぱい歌おうとすると「喉を絞って力の限り」歌ってしまうんです。それに比べてあっちの人は喉の「力が抜けて」「開いて」いる感じに聞こえる。
ですから、歌のレッスンや合唱団のヴォイストレーニングなんかでは、たいてい極初期の段階で「喉を開けましょう」って言われちゃう。で、一生懸命「喉を開いて、軟口蓋を上げて(しつこいですね)、力を抜いて……」ってやって。それで歌えるようになった人は……幸せです。
ですが、僕が見た不幸なケースは、
弱くて小さな声しか出せない
フォルテや高音で、どうしても吠えているようになる
焦点のぼやけた「ダンゴ声」
声が体にまとわりついて離れていかない(飛ばない)
さらに可哀想なのは、
目を見開いたまま表情が固まっている
みなさんは当てはまりませんか?
【「開ける」と「閉める」は同じ……?】
僕も実際「喉は開いている」と思います。パヴァロッティやフレーニだって、歌っているときの喉は「開いている」と言っています。そこに異存はございません。
でも、僕は「喉が開いている」時は同時に「閉まっている」とも考えています。
ん?どういうことだ?
では実験です。(なんて唐突な展開)
1.まず、右手と左手のそれぞれ人差し指同士を引っ掛けてください。
2.指同士を引っ掛けたまま、両ひじを地面と水平に肩と同じ高さまで引き上げてください。
3.できるだけ、ひじ−指−ひじがまっすぐ、水平になるようにしてください。
4.そして、両方のひじをぐーっと引っ張ってください。
ほらぁっ!!(……ってなにが?)
ひじを引っ張る動きが「喉を開け」ようとする力
で、重要なのは次!
指、痛くないですか?
ギリギリと締まってきていませんか?
そうです!ここが声帯。
つまり、「喉を開ける」のは「喉を閉める」ための作業だったんです。
「閉める」ために「開けて」いた訳です。
もう少しだけ正確な言い方をすると(これも本当に正確とは言えませんが……)
声帯を合わせるために、伸展さていたということになります。
もちろん、声帯を合わせる=指の締まり
伸展=ひじ です。
イメージとしては、2本のゴムを合わせて引っ張ったら(伸展)、2本がぴったり合う(声帯)、と言う感じでしょうか。
物事は表と裏の両面から見なくてはいけません、なんて道徳の教科書のようですが。
完全無欠の善人や、非の打ち所のないような悪人(日本語の使い方が間違っていますね)なんていません。どんな人にも光と影があって、それで社会が成り立っているんです。物事を一面的に見るのではなく、全く別の視点、観点から見てみると、いままで違和感を感じていたことや、本質的には理解できなかったことが、ふっと見えてきたりします。
「喉を開ける」も同じです。「開ける」だけでは不十分だと、僕は思います。「閉まる」というか「合う」感覚が根本にないと、力のない、ぼやけた、エッジの立たない声になってしまいます。
さて、ここまで熱弁しておきながら、実は僕が考える「声作り」の中では、今回の内容は「枝葉」の部分。ですが、あまりに神格化された(そんなこと考えたこともないわ、とか、もう古いわ、などと思える幸せな人もいるかもしれませんね)「喉開け」について、僕の考えをどうしてもまとめておきたかったのです。実はもう一つ同じような趣旨で書きたいことがあります。それは次回にでも。
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