おいしいうた

いい歌をうたいましょう

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「コンクールで勝ちたいんです」
って言うと、決まって眉をひそめる人がいる。
音楽に「勝ち」も「負け」もないっていうのがその人たちの論理。
じゃあその人たちはコンクールに出ないのか、っていうとしっかり出てて。
すんごい成績を残していたりする。
練習見に行ったら音楽室に「コンクールまであと○日」って日めくりカレンダーがあったりして、
生徒も先生も、コンクールに向け血みどろの日々を送っていたりする。
コンクールに向けて新曲の委嘱して、ね。

っていうか、そんな先生がうちの県には、いる。

かっこつけんなよ。きれいごと並べんなよ。
音楽に「勝ち」も「負け」もない。そんなこと分かってます。
だけど「金銀銅」って「結果」は、勝ち負けを示す以外の何物でもない。

最終的には「勝ち負け」なんてどうでもいい、って思う。
そりゃ、「金」は「銅」より嬉しい。だけど。
すっげぇ頑張って、その結果が「銅」なら。
悔し涙流して、また来年頑張ればいい。

コンクールに「勝ち負け」は、ある。絶対に。
「勝ちたい」って思って、必死こくことのどこが悪い。
「いい音楽をしたい」って思って頑張ることの方が崇高なのか。


ちょっとヒートアップしちゃいました。
去年、高校生を率いて(高校生に導かれて?)コンクールに出場しました。目標は「勝つこと」「コンクールで金賞を取って名古屋コーチンを食べること」。そんな話を前述のえらーい先生にしたら、血相変えて「なんてことっ!」って。いや、僕にはあなたのほうがずっと「勝ち」にこだわってるように見えますが、って言ったら、さらに顔を赤くして激怒。「コンクールっぽくないせんきょくですねぇ」って言われましたもの、しっかり。それって、「勝てなそうな選曲ですね」ってことです。

って書いたら、ものすごい勝負にこだわってたみたいだけど、真意は違います。
いや、結果なんてどーでもいいんです。いや、名古屋コーチンは食べたかったですよ。でも、その程度。「金とりたーい」って本気で願って、本気で合唱に取り組んで欲しかったんです。本気で何かに取り組むことがないっていわれる高校生。何かに本気で本気になって欲しかった。そういうものを見つけてくれたらな、って。せっかく高校生と合唱を仲立ちにして向き合うんだから、合唱の中からそれを見つけてくれたら、ってのが根底にあって。あー本気本気って何回も。だせー文章。
なかなか「いい音楽をしよう」なんていっても、子どもにはよく分かりません。それより、「金賞取ろう」「名古屋行こう」って方が分かりやすいし、励みになる。って思って。

ところが。
練習を進めていくうちに、だんだん勝ち負けなんてどーでも良くなってきて。いい演奏したいね、この曲のよさが伝わる演奏をしたいね、自分たちが考えてるこの曲の世界が伝わるような演奏がしたいね、って自然になってきて。思わぬ副産物でした。

で、結果は。「銀」
すごく悔しくて、みんなで泣きました。
でも、僕の涙はちょっと嬉し涙で。
だって、悔しくて泣けるなんて素晴らしいことだと思いません?死ぬほど本気で取り組んで、その結果の悔し涙。あー半年やってて良かったな、って。

なんだか最後は思い出話のようになってしまいました。
ことしも、「本気」で頑張ろうね、みんな。

ぼいとれ

ぼいとれ(名)
ヴォイス・トレーニングの略。声楽、特に合唱において用いられ(独唱ではほとんどこの言葉を使わない)、指導者の考え方、流派、宗派によって、何千何万もの方法論があると思われる。かつては、暗く重い「立派な声」がもてはやされたが、近年は明るく軽い声がよい、という傾向にある。【用例】「明日は山田先生のボイトレだね」「えー俺、あの人のボイトレ、ちょっとよくわかんない」「いいのいいの、結局指揮するのは田中先生なんだから。田中先生はそこまで聞いてないって」

ボイトレ、本当にいろんなことを言う人がいます。って、これは「発声法なんて……」でも書きましたが、ボイトレになるともっと状況は深刻な訳で。1人が大勢を相手にするわけです。数学や物理の講義なら「ここがこうであるからしてこうなるのである」でいけるかも知れませんが、声はそんなわけにはいきません。ひとりひとりの素質も違えば、これまで送ってきた音楽体験も違う。だから、抱えている問題も当然違う。Aさんには「のどを開いて」といわなければいけないのに、Bくんには「のどをもっと閉めて」って言わなきゃならん、ってことだって、極端な話、ありうる。いや、よくある。結局声作りは1対1でないとできない、というのが僕の考えです。

……で。
僕が目指しているのが、「空気感のあるしっかりした声」
ふわっと浮いて、ホールでよく響く声。
のどだけが鳴っているんじゃなくって、体をしっかり共鳴させている声。
軽いんだけど、弱弱しくない声。

書けば簡単、でもいざ作ろうとすると難しい。結果論を言えば、腹式呼吸でもって声帯が振動する。そのとき余計な力が入らず、声帯は程よく伸展していなければならない、ってこと。なんだけど。
困ったことに、結果論じゃうたえないのです。いや、そういう結果論を増やせば増やすほど、きっとうたえなくなる。筋肉や、声帯や、横隔膜や、骨格や、そんな知識が「歌う」っていう運動の邪魔をする。体は、どんな素晴らしい研究をも凌駕する動きをしている。どんなに言葉を駆使したって、体がすることの「ほんの一部」だけしか説明していない。

……じゃあ。
どうしてるのか?
それは、また次回にまわします。(疲れました)

【お願い】
僕は趣味で声楽をやっているだけ、合唱指導も駆け出しのペェペェです。取り組みは多分に実験的な要素を含みますので悪しからず。声楽を専門的に学んでらっしゃる方、合唱指導を長年やってらっしゃる方、合唱団で実際にボイストレーニングに携わってらっしゃる方がいらっしゃったら、どんどんご意見、ご教授願います。

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木下牧子

正直、もう過去の人だと思ってた。
たしかに、あの「全日本合唱コンクール」で自由曲に選ばれることは、もうほとんどないかもしれない。
松下
三善
鈴木(輝)
高嶋
千原
コチャール
ブストー(もちろん順不同…笑)
なんかと比べれば、圧倒的に登場度は低い。そして、これが「過去の人」の原因。
でも。

1年間高校生と合唱をやってきて、木下作品がどれほど合唱人に愛されているのかを知った。木下作品を歌ったことのない合唱人は(曲を「鴎」「音楽」「いっしょに」「うたをうたうとき」「春に」だけに絞っても)きっとほとんどいないだろうし、この曲たちを今も大切に歌い続けている方も多いことだろう。もちろん、
音がさして難しくなかったり、
少人数でも取り組める小品が多かったり、
歌詞が、例えば高校や大学の合唱団の卒団やコンサートの〆として相応しいものが多かったり
ってことでついつい「お手軽ソング」的に歌っちゃう、って側面は否めない。
でも。

木下作品は決して「お手軽」なんかじゃないと思うし、1億歩譲ってお手軽だったとしても、それだけでこんなに多くの人が愛してるとは、到底考えられない。

……って、いまここで「こうだからだー」なんて答えを出すつもりはありません。凡人の僕が「あーだこーだ」ない頭をひねって書く文章よりずっとずっと、曲たちは輝かしいですから。うまく逃げましたかね。え?みえみえ?いいんです。

それにしても、木下作品、本当に難しいって思います。どれだけやっても終わりがない、っていうか。ある程度までは簡単に(……でもないか)いくんだけど、それ以上になかなかならない。センスと音楽観が問われる、みたいな。あんまり感情移入してうたうのも「何か違う」って思うし、そうかといって、さらさらと水のようにうたうのは全然おもしろくないし。

うーん。やっぱりお手軽なんかじゃ、ない。

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