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ほんっとに、おバカなマスコミ。
それに踊らされる政治家はもっとおバカ。
いやちょっと待て。
踊らされているのはマスコミのほうか。
今回の「ゆとり教育転換」、教員は怒ってるんだろうなぁ。僕が教員だったら、髪振り乱して叫んでると思う。やる気なくなるよ、まぢで。こんなことくらいでやる気なくなる僕なんかは、まだまだ教員になれないんだろうなぁ、仮面社会人の僕。
さて、本題
僕が大学生の頃。といってもたかだか5、6年前だけど、ちょうど学習指導要領の改訂の時期で、「学力観の転換」が叫ばれてた。「知っていることの量」じゃなくって「知ろうとする力」とでもいうのかな、ある事象に辿り着くまでの過程とか、考え方だとか、思考の組み立て方だとか、もっと言えば精神的な「粘り」だとか、「結果に行き着こうとする力」がすなわち「学力」である、と。指導要領を賑わしてる「生きる力」のことですね。(「生きる力」の定義も曖昧だけど……)
僕、この考え方、すごく好きで。……って個人的嗜好かいっ。
でも、社会に出てみて実感してるのは、結局は「何を知っているのか」なんて誰も見てはいないってこと。確かに仕事で付き合った殆どの人は、「学歴」って多かれ少なかれ興味あるみたいだし(勿論かく言う僕だって、全く興味ないって言えば大嘘になる)、掛け算や足し算ができなかったり、新聞に出てくる漢字が読めないってのは困る。だけど。仕事してて大事なのは、「結果」なのであって、つまりは結果に行き着こうとする力、気持ち、なんだって。やり方なんて人それぞれだし、答えなんて1つじゃないけど、結局、いろんなやり方で攻めていって、結果を勝ち取ったもんが偉いの。
「レモン」「梅干」「すこんぶ」
いま、口の奥からじゅわ〜って唾液出た人、手挙げて。
匂いかいだり、レモン絞って汁が散らばっておかあさんにおこられたり、昆布だと思って食べたおにぎりの中身が梅干でびっくりしたり、手についたすこんぶの白い粉舐めたりした人は、手を挙げてるはず。でも、辞書的な知識はあるけど、実物を見たことも触ったこともない人だったら。きっとこの今の唾液の理由を説明するのはすごく骨が折れる作業だと思う。で、説明しても、絶対に、僕らのこの感覚、分からないと思う。
何が言いたいの?
簡単なこと。あまりに陳腐で笑われるかもしれないけど。
知識だけ増やしても、ダメだってこと。「分かったつもり」って勘違いが増えていくだけで、本当に「分かった」「知ってる」ってことにはならない。服汚したり、指切ったり、すりむいたり、おいしいと感動したり、悔しくて悔しくて涙流したり、死ぬほど笑ったり、そんなこと繰り返しながら、「実感」しながら得た知識がどれだけあるか。
そりゃ、学者や研究者になる人間には高度な知識は必要かもしれない。とにかく薄っぺらでもなんでもいいから、たくさんの知識が必要なのかもしれない。でも、学校は「研究者製造機」じゃない。高度な知識は、上級学校で身に付けたらいい。
殆どの子どもは、しがないサラリーマンになって、おとうさんになって、おかあさんになるんだ。
って考えたら。
何が必要か。
ちょっと熱くなってしまいました。
それでは。
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