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2012年の1月も半分過ぎました。今日もなんとか死なずに生きています。
昨年も政治家のあらゆる行動を批判しながらも、何かと忙しくてブログを書いておりませんでした。
一つの救いは大阪が大阪府・市民の切望のもとに歴史的な転換をし、前府知事の橋下市長が誕生したことです。
大阪に住んでおれば、誰でもあまりのひどさに我慢の限界を感じるはず。大阪に住んでいない人には想像できないほどの市政の頽廃と奢りがあった。これから大阪は、橋下市長のもとで「善悪」の常識的な判断を行うことによって、つまらない府市の観念的構造物を掃き清めていってもらいたい。
政治家は、何かあれば迅速に対応を判断し、決断すべき時には自らの命が狙われることがあっても決断しなければならない。菅前総理は大震災に際し、あらゆることが判断できなかったし、決断しなかった。
橋下氏とは対照的だ。防弾チョッキを着ながらの選挙演説をしていくことは大変だったと思う。また、SPの方も大変な緊張を強いられたと思う。
菅前総理は、大震災の後に火災が起こることは、阪神淡路大震災、奥尻島地震(北海道南西沖地震)の例をみるまでもなく政治家なら一刻も早く気が付かねばならなかったのに放置した。
また、原発の爆発があった時、即座に海外のサポートを要請し全世界チームを結成して、第二次爆発を回避すべきであった。爆発するまでに東電が能力的に事態回避能力がないと判断する材料は十分にあっただろう。
重大局面に普通の人より早く判断できないのは、政治家不適格だ。
涙を流しながら「私には判断できませ〜ん。誰か助けて下さい!」と言って能力ある政治家に交代すべきであった。
また、自分自ら原発に行くのは、自分が一国の総指揮官としての認識に欠けるし、また、菅総理を止められなかった枝野ほか、民主党のブレーンの脳みそは腐っていたとしか思えない。
このとき民主党はまさに烏合の衆であった。菅前総理、鳩山前総理とも政治家不適格者であった。つまり民主党は日本国の船長にはなりえない。
さて、血圧が上がり心筋梗塞を起こしてはいけないので、政治家の話は終わって、自分のことに戻ろう。
2012.1.10 6時半ごろ仕事中、左肩の渦巻くような軽い衝撃を共なう「コリ」を感じた途端、左首から左顎にかけて軽い痛みが走った。
「あっ」という言葉と共に5年前の1月の心筋梗塞を思い出した。当時は左肩の肩こりが数日続き、あまりにひどい肩こりに耐えかねて、駅近くのマッサージ師のところに行った。盲目の老人は「この肩こりは仏の肩こりではないな!・・・・何か原因は判らんが・・・」とつぶやいていた。
(もう一度、当時の状況を思い出してみよう。)
少しは肩こりが楽になったように感じて、その日は風呂に入って寝た。
朝5時前に心臓が痛くなって目が覚めた。いよいよやってきたか!心筋梗塞。
ニトロ舌下錠を1錠舌の下に入れる。体全身の血管が開くのを感じるとともに、痛みがなくなった。
それから5分後また、痛みがやってくる・・。
妻に「救急車を呼んで!」と告げた。妻が「ほんとうに呼んでもいいやね!」念を押した。「頼む!」
7,8分後に、救急車のサイレンが近づいてきた。自宅のそばまで来るとサイレントを止めた。
3人の救急隊員に担がれながら、救急車の中に。
病院の指示を聞いている様子であった。
病院に運ばれても、心臓内科の女医はたいしたことがないように思っているようであった。
なぜなら僕があまりにも冷静であったからだ。
「ニトロを2回服用して、痛みがなくなったけれども、また痛みが出てきました!」
ウ〜ンと言いながらニトロのスプレーを口中に噴霧した。
「痛みがなくなりました!」といった。
まだ、治療体制をとってくれない女医。
「また、痛くなってきました!」というと、またスプレーをした。
「痛みが取れました!」と言うと、
今度はしぶしぶ手術室に運ぶようす。明らかにカテーテルをするほどではないと判断している様子であった。
手術室に入って、右鼠蹊部に局所麻酔の注射をした。動脈を切ってカテーテルを挿入。
手術台の上部に何代かのモニターがあって、医師はそのモニターを見ながら挿入する。勿論、このモニターは自分からも見えるので、血管内をカテーテルが突きすすんでいくのが見えた。血管の狭いところはカテーテルの先からニトロを吹き付けて、血管を広げながら進む・・・
女医が慌てだした。他の医師もバタバタし始める。
「ほとんどの血管が詰まっている!」(心臓の表面には3本の血管があってそれが詰まりかけている。この時よりさらに8年ほど前の心筋梗塞ですでに右冠動脈末端部分の組織が壊死しているのだが・・)
数分後医師チームが交代。血管内科の医師チームから今度は血管外科の医師チームだ。
「バイパス手術をします。ちょっと待って下さい。」
で、全身麻酔をする。左足切開して足内側の血管をとり、その血管をバイパス用の血管として3本を用意。胸部ろっ骨を切断して、心臓の手術。
一本一本冠動脈の血管を接合していく。冠動脈縫合手術が終了したら、肋骨が開かないようにワイヤーで3か所締め付ける。そして手術終了。あとはICUへ。ICUは生存に疑問がある患者が運ばれるところ。8年前はCCUだ。
そこで、夜中いろいろなことがあった。霊たちの饗宴である。にぎやかだった。霊は怖くないので何をするのか見学していた。
2日後やっと普通病棟に。
と、まあこんな状況でした。
で、先日のことに戻ると・・・
顎の痛みがあったので、ニトロを舌下に。
同時に人参牛黄も服用。どちらの薬も免許証と共に携帯しているのだ。
不整脈も出始めた。
しばらく休憩していたが、この状況は良くないと思い、自宅に。
痛みはなくなったが、不整脈はひどくなり、23時頃就寝。
短距離走をやったあとのように心臓が踊っているので寝れない。
心筋梗塞が一部の場所でもあれば、発作後4〜6時間後に心臓は止まる。
「ああ、死ぬときは痛みがなく、眠るように心臓が止まって欲しい・・」と意味不明なことを願いながら
自己催眠もやってみる。冠動脈だ新たに形成されて、心筋梗塞部に血液を送るように感じるのだ・・心臓の血管は全て太くなって、多くの血液が心臓の隅々まで行きわたっている・・・
そのうち、眠ってしまった。
次の日に出来るだけ暖かくして病院へ。
「カテーテル検査も2年ほどやっていないので、やる方がいいね」
で、カテーテル検査をする為に2012.1.24(友引)に入院することが決まった。
また、その様子も逐次報告したい。なぜなら、最後のブログになるかもしれないからだ。
10日ほど何の記入もなければ、川を渡ってしまっているはず。
8年ほど前にカテーテル検査で心臓が止まった時は、川までいかないところで「心臓マッサージ」で医師に起こされた。「だれや! 良い気持ちやのに、うるさいな・・・」と思いつつ目が覚めた。
思わず怒ってやろうと思った。
「お前のおかげで、イイ気持ちのところに行けたのに、起こされて気分が悪い!」
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はじめまして。
私も頻脈の不整脈があり、それは良性なのですが、介護と無知な兄弟姉妹と話すストレスで心臓に痛みが・・・。
一昨日、ニトロペンを頂き、痛みが来たら舐めるように言われましたが、脳血管障害と起立性低血圧もあり、服用は半分ずつ失神しないようにと言う注意をうけました。
経過をみて、カテーテル造影検査です。
母より私が死にそうなので、介護も卒業することにしました。
おこずかいを送るだけで十分でしょう。
ストレスって、怖いですね。
2012/1/22(日) 午前 0:55 [ mikako ]