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20年ほど前のことだ。世間話をする程度の知り合いの方を地下鉄の改札口のところで偶然見かけた。身なりはきっちりとしており、顔色も特に悪くなかったのに、顔を見た途端「あ!死んでる」と思ったのである。同時に、その自分の驚きに半信半疑である自分にも気がついた。なぜ感じたんだろう・・と思っていた。

冷静に見ても、歩く姿勢は普段と変わりなく、また顔に死相が漂っていたのでもない。ただ顔を見た瞬間そう思っただけである。当時、その方が最近まで病気で寝込んでいたとか、癌で余命幾許もない、というような話は全く聞いたことがなかった。

翌日、その方が突然死したとある方から聞いた。今でも、世の中には不思議なことがあるものだと妙に心に残っている。

人間存在に付随しているものの中で、単純に「形」あるものを肉体、「形のないもので生命にリンクしているもの」を魂(魂と思考、精神の個別の定義付けをしたり討論するする気はない)とに便宜的に分ければ、寿命が尽きるということは、事故であれ病気であれ、肉体と魂がほぼ同時くらいに終わることなのだと思う。

つまり、「死とは」肉体の生命反応が終末を迎えるときに、魂も肉体外へ出る現象だと考える。

幽体離脱とは、肉体に健康上何の障害もないのに、魂が肉体を抜け出る現象である。
小さい頃、幾度か幽体離脱を経験した。

小学生5年のとき、友達と話している最中に幽体離脱が始まった。友達と「自分」と「その2人を見る自分」である。意識の中心は上から見下ろす自分、つまり「その2人を見る自分」で、友達と話す「自分」が内容を考えて話したり笑ったりしているとき、「その2人を見る自分」も同じことを感じ、考えながら、同時に友達と「自分」の話す2人の姿を見ているのだ。

この現象は、自分に対して完全な集中力を持ちながら、同時に、自分周辺に対する神経が完全であるときに起こる現象のように思う。単なる意識過剰の状態を言うのではない。「その2人を見る自分」は、2人の上方に浮かびながら、俯瞰(2人の横に脚立を置いて登り実際の目で2人を見るように)しているのである。

「その2人を見る自分」はこの現象に非常に興味を持ちながら、「その2人を見る自分」はどうして霧のような存在でありながら思考できるのかということを考えていた。その霧のような存在、「その2人を見る自分」には形ある肉体も脳も存在しないのに、どうして周りの状況の判断や友達との話の内容を考えることが出来るのであろうかということだ。

この霧のようなものは、幽霊と共通する部分がある。つまり実体を持たないのに思考出来ることである。
幽霊が怖いと思う最大の要因は、「実体のある脳」がないのに何かを思考して、表情を変えたり、気持ちを伝えたるすることであろう。そして、幽霊は霧でありながら、人以上に存在感を感じさせる。

誰もいないところで、「あれ誰か来たのかな?」と思うとき、大抵この「霧」が来ている。

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小額6年の時、進駐軍のジープに跳ねられた白い脊椎が肩から出ている首無し老人を見たことがありました。三日ほど食事が喉を通りませんでした。
ところで、
逗子市で安物デジカメで金星日食の撮影に成功しました。
前回の金冠日食と同様曇天での撮影でした。
両方ともブログに載っています。

2012/6/6(水) 午後 2:57 パパイヤ


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