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天正十二年四月、信長亡き後の天下を争う最後の戦い。
小牧長久手に家康を屈服させるべく、羽柴秀吉は
美濃から尾張への道を進軍していた。
途中、長良川右岸の合流点、墨俣(すのまた)に
小振りの、というより砦の櫓に毛の生えたほどの
小さな城があった。
ちょうど四月でもあり、城の周囲の桜が満開であった。
「二十年前、信長様に命ぜられ、木曽川を北に渡って」
「この城を築いて、それをいただいた。」
「今日は、信長様より天下をいただくために、南に渡る」
「桜も、わしを祝ってくれているわ」
この時期の秀吉は上機嫌が続いている。・・・・
現在も安八郡墨俣町の長良川右岸、犀川合流点に
城が建っていて歴史資料館になっている。
そしてこの城の周囲と、土手を一キロほども続く
桜並木は、岐阜県のなかでも桜の名所として有名で
この季節には花見の客でごったがえすのだ。
・・・・・この話には大嘘がある。
信長が美濃攻略のため長良川・木曽川合流点の墨俣に
出城を築いたのはどうやら史実らしいが
その場所は、現在の墨俣ではない。
この墨俣から1キロほど下流に、長良川左岸から
合流する境川がある。
木曽川は、小牧長久手の戦いのころは
この境川を本流として長良川を合流していたのだが
戦いの二年後の大洪水で流路が変わり
今の川筋に本流が移って現在にいたっている。
秀吉が木曽川をプレハブの木材を流して一夜城を
築いたなら、その城は今の境川合流点のあたりか
その下にあるはずで、今の墨俣一夜城址より1キロあまり
下流にあったはずである。
そして、当然ながら桜並木の堤防などは
江戸期明治期以後の河川改修の結果、土手が安定しているから
できることで、秀吉がそれを目にすることは
無かったはずである。
(江戸期の大規模河川改修、木曽長良分流工事の際の
(堤の並木は「松」であり、桜ではない
・・・・・そんな歴史の瑣末な出来事とは別にして
この墨俣の桜並木のほかにも
この長良川、木曽川、揖斐川とその支流、
輪中地帯の堤防には何処も桜並木が多く
暖かな陽気の春には、ひとつ桜でも、と
近くの川縁に気軽に行けば、どこでも花見なのだ。
「桜々、桜の先に、一夜城」
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此方こそ下手なプログへ訪問頂き恐縮であります、今後も宜しくであります。。
2006/3/29(水) 午後 3:53 [ giapponese05 ]
はじめまして。埼玉所沢にいても、当地の勉強させていただくことになります。
2006/3/31(金) 午前 6:46 [ 部屋住みツトム ]
一夜城に 太聖 3.31 「 確かさは 桜の下に流れてる 兵どものまたのまた夢 」 子供の頃に、目を輝かし聴いて、見て思い出のある、 一夜城の話し、有難う御座います。
2006/3/31(金) 午後 2:33
giapponese05さん、こちらこそよろしく。です。 じじい同士で、ゆったりと行きましょう。急ぐことはありませんから。
2006/3/31(金) 午後 6:07 [ j_jilow_2nd ]
ツトムさん、いらっしゃい。あれこれ思いつきですから 勉強などと言わないで楽しんでください。よろしく。
2006/3/31(金) 午後 6:11 [ j_jilow_2nd ]
太聖さん、ご訪問ありがとうございます。五七五が拙いので、ちょっと恥ずかしいです。
2006/3/31(金) 午後 6:12 [ j_jilow_2nd ]
精密な時代考証、なーるほど、と読ませてもらいました。現実と歴史的幻想が交じり合っていて、最後のしめとして、見事に決まってると思いました、最後の句。
2006/4/1(土) 午前 10:13
のきたろうさん(で良いですか)。コメントありがとうございます。 なぁに、たいしたことかいてないです。針小棒大にしてるだけですよ。 また来てください。
2006/4/1(土) 午後 7:50 [ j_jilow_2nd ]