芳住 純の生活実感

こんなこと、皆さんも感じているでしょ?

マスコミ・報道

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日本民間放送連盟は、3月27日、関西テレビを除名する方向で調整に入りました。この動きは、関西テレビが全国放送する人気番組「発掘!あるある大事典2」に複数見られた、捏造問題に対しての制裁措置と受け止められます。

関西テレビには、以前より視聴者から放送内容に対し、おかしいのではないかとのクレームが寄せられていましたが、今般の不祥事発覚後、制作担当責任者は「(クレームは)有名税だと思っていた」と声明を出しました。

報道に携わる者にとって、確かな取材、責任ある報道は、命の綱です。ジャーナリストは、例え数ヶ月取材をした題材であっても、確証が持てないネタならば、発表・掲載を断念するものです。いい加減な内容を、パブリック(公)の場に出すべきではないと考えるからです。これは当然の判断で、徒労に終わるかも知れませんが、これがジャーナリストの誇りであり、生き様の証明となるものです。

新聞・テレビ報道では、毎日、情報を送出しなければなりません。記者は、社会的責任を自覚し、取材を行っています。社会部、政治部、外務省・警察・皇室プレスセンター、東証、芸能に張り付きの記者は、常に生の情報に接しています。「これは使えるか」という判断を、分単位で迫られます。腹が括れば、裏を取り、報道部デスクに原稿を送ります。それを毎日繰り返して、我々に確かな情報を送り続けています。

それだけに、現場にはプレッシャーがかかります。出稿できないとなると、紙面・番組が維持出来ません。

テレビ制作の現場では、少なくとも次年度分の目安を立て、1クール毎にクルーを立てて並行的に取材に入ります。NHKの場合、子会社のNHKエンタープライズと番組を共同制作しますが、民放の場合、多くは制作方針を決定した後、制作を外注します。外注先の制作会社は小規模で、人件費も安く、納期は短期間。

現場の労働環境は苛酷です。多額の旅費を使って取材に行っても、番組意図に合わないインタビューしか出来ない場合、取り返しがつきません。経費は、発注元の放送局ではなく、請け負った制作会社の持ち出しとなります。納期を守るのは至上命題であり、万が一落とすようなことがあれば、放送局は急遽他のテーマに差し替え、以後、落とした制作会社には二度と仕事を発注しません。

小規模の制作会社は、それが怖いのです。どうしても思うとおりの証言・検査結果が出ない時、発注先のディレクターによる指示書・仕様書どおり、事実を捻じ曲げてでも納期に間に合わせようという、とても悲しい行動に出ることは、想像に難くありません。事実、そうして捏造された番組が多数放映されました。

某民放では、土曜日午後1時30分、月1回のペースで報道番組を組んでいます。わたくしはこうしたスタンスに共鳴を示します。間に合わないならそれでいい。毎週、視聴率を取るためにウソをつき続けるような体質は、我々外部の人間から見ても、とても醜い。一部視聴者は、ウソの報道を信じ、納豆に走りました。受け手も自己責任がありますが、送り手には、報道に携わる資格が全く無いと言わざるを得ません。

今回も一部の処分で終わりなのでしょう。報道では、関西テレビのトップも、とても軽い処分で手打ちをすることになりました。これは外野の無責任な発言ですが、半年間全役員・制作局長・プロデューサー・担当ディレクターの報酬・給与を全てカット(無給)、という態度表明をすれば、民放連およびスポンサー、我々視聴者も、年季明けには「もう間違いはないのだな」と信頼して差し上げます。

これはわたくし個人の感情論であって、役員を除く職員に対する処置としては、労働基準法に抵触するものであることをお断りしておきます。

辛い現場の実情。視聴率至上主義は、商業報道である以上、避けがたいものです。しかし、責任者には、きちんと仕事をし、その職責を全うして、誤りがあれば身の処し方で潔くジャーナリストとしての姿勢を示して頂きたい。

「あるある」捏造問題の温床は、現在もなお残されています。

補記)関西テレビ社長は、自らの責任を明確にしないまま留任する意向を表明しました。

3月23日、ディスカウントストアに放火し、従業員3人の生命が失われた被告事件ほか数件の連続放火事件の審理において、裁判長は被告に対し、検察官の主張を全面的に認め、求刑どおり無期懲役を判示した。被告はこの判決を不服として控訴、マスコミは一斉に遺族の無念を報じました。多くのマスコミ報道の論調は、犠牲者および遺族の方に重点を置くもので、被告が人にあるまじき行為をしたにもかかわらず、法廷で被告が無礼な態度を崩さなかったと一方的に非難、反省する姿勢が見られないことだけを殊更に伝えました。わたくしは、実際に本件公判を傍聴したわけではありませんので、ここで被告の態度に対するわたくしの意見を述べることは不適切であるため、控えます。

戦後の我が国の刑事裁判制度、殊に刑事訴追の仕組みは、それまでの欧州型の治罪法とは大きく異なり、予審判事の制度は完全に廃止され、全面的に米国型の刑事訴訟法に刷新されました。その際、裁判に陪審員制度だけは導入されず、現在に至っています。これは、法的に無知な庶民を裁判に参加させることに躊躇を覚えたGHQの意向が反映されたものと思われます。明治以降の若き指導者たちは、英米流の“コモン・ロー”や“判例主義”が理解出来なかったため、専ら条文で臣民を統制管理しようとするドイツ・フランスの法制度を模して我が国の法体系を整備した歴史があり、戦後間も無い我が国の国民には、米国型の法制度は全く教育されていなかったので、これは致し方の無いことと言えるでしょう。

捜査段階から送検、起訴に至るまで、被疑者・被告には“推定無罪”の法理が適用されます。裁判が確定するまで、被告は無罪と推定されるというものです。我が国では、いわゆる三審制が採用されており、被告が判決を不服とした場合、上訴する権利が法令上保証されています。通常、一審は地方裁判所で行われ、被告が上訴すれば二審は控訴として高等裁判所で改めて行われます。その上で、憲法問題若しくは手続き上の違法がある等という理由で被告が上訴する場合は最高裁判所に上告して争うことが出来ます。この最高裁判示をもって、被告の有罪・無罪が確定します。勿論、その後、新証言・真犯人検挙・新たな物的証拠など、受刑者にとって重大な証拠が発見された場合には、再審請求をする道も残されています。但し、この場合は再審開始の決定がされるまで、推定無罪の法理は適用されません。

元々、推定無罪とは、陪審員制度の下に適合する考え方であり、起訴前に官憲から提出された全ての証拠を検分して起訴が適当かを判断する大陪審と、その後、本訴となった際に違法に収集された証拠あるいは風評、報道、法廷外で収集された被害者・遺族による証言等による偏った心象形成を一切行わない判断を求められる小陪審とを完全に分けるために設けられたルールです。小陪審は、大陪審が起訴相当とした案件について、推定無罪で臨まなければなりません。起訴されたからには、被告は疑わしい、という予断を一切持ってはならないのです。あくまで無罪の推定が働いているということを、裁判官は陪審員に対し、説明しなければなりません。

陪審員制度が無い我が国の場合、これに代わるものとして“起訴状一本主義”という法理が適用されます。初公判前に、検察は捜査資料・物的証拠など、裁判官に予断を抱かしめるものを一切起訴状に添付してはならないというものです。この点が、予審判事・大陪審との大きな違いです。

冷酷かつ悲惨な事件であればあるほど、マスコミは受け手である視聴者・購読者に対し情動的な報道をしがちです。実際、海外の報道に触れるにつれ、我が国のマスコミですら、ここまで言って良いのか、と疑問に感じるような内容が日々垂れ流されているのは確かです。

刑事被告には、上訴する日本国民固有の権利があります。判決確定まで、被告の有罪を指弾することは出来ません。マスコミは、判決確定まで被告に中立であるべきであり、地裁レベルで有罪判決が出たという事実関係を報道する範囲を越え、予断を持った報道をすることについては、これは如何なものかと、わたくしは報道関係者に注意を喚起するものです。

もっとも、自分の取材内容に絶対の自信があり、ピュリツァー賞を狙って、誤報覚悟でジャーナリスト人生を掛ける覚悟があるのであれば、ご自分の責任でお好きにお書き下さい。

テレビ・報道は、我々が社会の動きを知るうえで、とても重要な媒体です。世論を形成する基礎となる情報は、マスメディアによってもたらされます。

民間の放送・新聞報道では、例えば裁判所の法廷という公の場所で取材した内容でも、正確に伝えていません。また、公の文書に記述された内容も、一部削除しています。こうした悪しき慣習は、行政・官憲による報道統制を恐れてのものであり、視聴者・購読者への義務を果たしていると言えるかどうか、疑問無しとはしません。確かに、一部週刊誌や、スポーツ新聞では、好奇心を駆き立てるような見出し・紙面作りをしますので、こうした若干“勇み足”報道には、我々自身が注意する必要があります。

NHKのBSが放送している海外報道機関のニュースを、ご覧になったことはありますか。報道内容は、事実に基づいたものが大半ですが、中には有識者などの私的見解に基づいたものもあります。その場合にも、別の政府要人・有識者を同席させ、議論させる形を取ります。その内容は、一言一句、日本語に翻訳され、時には生々しい内容が含まれています。「本当に、こんな内容を放映しても良いのか」ということすらあります。子供に聞かせたくないような報道までされています。NHKは、それを忠実に翻訳し、躊躇無く放映しています。

これは、とても大切なことだとわたくしは思います。実際の事件・事故・紛争がどうであったかとは関係なく、他国で報道された内容を忠実に報道することは、我々視聴者にとって重要なことです。そこで得た情報をどう整理・理解するかは我々個々の責任で行われるべきことであって、我が国の報道機関が内容を検閲するような行為があっては、ジャーナリストとしての資質を問われなければなりません。我々が、少し前のイラク情勢を知る手だては、米国のプロパガンダ以外に「アルジャジーラ」という独立系報道機関からの衛星放送でした。

我々も“勇み足”報道に左右されるようなことはありません。全ての報道機関従事者に申し上げたいことは、自らの信念に基づく取材結果を踏まえた記事・報道は、恐れることなく全て我々に提供して欲しいということです。例え、目を覆いたくなるような内容でも、記者であるあなたや上司・会社が勝手に自主規制するのではなく、情報の受け手である我々に判断を委ねてもらいたい。もしそうした態度が、総務省等の行政による報道への不当介入を招いたとしたら、我々もあなた達とともに行動します。

但し、メディアが娯楽番組・記事等で、暴力を煽るような報道、性的情動を煽るわいせつな映像・表現をした場合は、わたくしはこれを報道の自由として認めません。

補記)BPO(放送倫理・番組向上機構)は3月7日、NHK・民放連と連名で、テレビ放送事業者に対する審査基準を見直し、独自の改革案を発表しました。

報道のモラル

小説・舞台・戯曲・映画・音楽・絵画・漫画等、分野は様々ありますが、表現者としては、皆同じ創作作業をしています。モチーフが得られたら、表現者は寝食を忘れて、全てのエネルギーを作品完成に向けて注ぎます。設定、取材、文献漁り・考証、草稿若しくはデッサン、絵コンテ若しくはデモテープ作成、興行主・スポンサー・あるいは編集者との交渉、著作権問題の解消、草稿の推敲。実作業に入れるのはその後です。それからは、工程表との睨み合いが続きます。締め切り・クランクアップまであと何ヶ月。ラッシュ・ゲラが上がれば通しのチェック。これは、表現者の宿命と言わなければなりません。

日々流れる情報。新聞・雑誌・テレビを問わず、締め切りに追われるのは、一般の表現者と変わりはありあせん。ただ納期が短いだけです。

このところ、報道記事の盗用問題が数多く取り沙汰されています。責任者である部長クラスまでが盗用記事を掲載するという事例まであるほどです。

盗用・盗作と模倣・模写とは、分けて考えなければなりません。どのような表現手法においても、最初は模倣・模写から始まります。優れた先達の作品を真似ることが第一歩です。文章にしろ、絵画・映像にしろ、それは同じです。そうした習作を重ねることによって、独自の作風に辿り着けることが出来る場合があります。これにはある程度の時間がかかります。一生、独自の作風を確立できない表現者も多数存在しているはずです。

パロディーについては、高度な創造活動を伴うものであり、別に論じられなければなりません。また、歌詞の一部改変が著作権法の禁止するものであるかどうかは、個々の事例に即して、検討されなければなりません。

新聞記事は、毎日が締め切りとの戦いです。一般に、取材記者は事実を正確に伝えるのが仕事です。その上に報道デスク、編集長・部長局長級の決裁権限を与えられた管理職が、記者の取材内容をチェックし、論説委員等の助言を仰いで即時に紙面に載せる判断をします。これは、テレビ報道でも同じです。

社説は、報道機関の姿勢を示すものであり、万が一、ここに根拠の無い、若しくは裏を取っていない情報に基づく論評を載せるようなことがあれば、その新聞社は潰れるでしょう。社説は、社運を賭けた、最も権威のある意見発信記事と言えます。

それは、レベルの違いはあるものの、記者・カメラマン・係長クラスの書く記事においても、基本的に同じです。彼らも表現者の一人です。取材をして、確証が得られない、若しくは曖昧な点があると判断した場合は、その日の夕刊若しくは翌日の朝刊に記事を掲載することを断念する勇気が必要です。それが、表現者の良心です。

ある新聞社のカメラマンが、「自分の原稿より優れていると思ったから」他社の記事を盗用したという事実が発覚しました。つい先日も、他社記事を盗用したコラム記事を掲載した新聞社が謝罪会見をしました。

新聞・テレビの不祥事がこれ以上続くと、報道機関に対する行政の介入を招かざるを得ません。戦前の治安維持法に基づく言論統制・弾圧の歴史を知る者は、現行憲法の下、絶対に報道の自由を侵されることがあってはならないということが、良く判っているはずです。

報道の仕事に従事する者に、ノルマを課すことがあってはなりません。しかし事実上、締め切りまでに出稿出来ない記者は社内的に高い評価を得ることが難しく、職制からの無言の圧力がかかることもあるであろうことは容易に想像できます。追い詰められた記者が選択する方法は、何でしょうか。

文章能力・発想力・行動力・構成能力・責任感・そして信念に欠ける者が、間違って出版・報道機関に就職してしまうというということも、記事盗用の背景にあると疑わざるを得ません。

記者であろうとカメラマンであろうと、他人の書いた文章を盗用することは、報道関係者である以前に、表現者として、許すべからざる行為です。

かつて、新聞には、情報の乏しい庶民を啓蒙する役割がありました。現在では、そうした色彩は薄くなりましたが、新聞・報道は、時代を越えて、我々にとって、欠くことの出来ない共有資源であることに変わりはありません。自由な発想、確実・正確な情報、為政者の意のままにならないという確固とした独立心。加えて、自分の書いた記事がオリジナルであるという表現者としての自負。それを在野が行うという志の崇高さだけが、新聞・報道を支える唯一かつ根本的な存立基盤のはずです。

報道のモラル。それは良心と信念により支えられて来ました。今、それが失われようとしています。

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補記)当論考では、テレビ局の制作する情報バラエティー番組の偽装問題あるいは報道番組での厚生労働相発言の不当編集問題については、盗用・盗作とは性質を異にすると考え、対象から外しました。

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