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9月27日(木)
 
 明日28日(金)から二年生修学旅行パラオコースが出発します。
 
 28日に山梨校へ宿泊し、29日(土)に山梨校生徒と合流し、靖国神社を参拝し、成田空港からパラオに向けて出発します。
 
 靖国神社では、我が国の為に戦い、尊い命を捧げられた246万余柱の英霊に対し、慰霊の誠を捧げます。
 
 パラオ共和国は、日本から約3000Km南にあり、200の島々からなる小さな島国です。
 
 地上の楽園と言われるほど海が奇麗で、今では世界有数の観光地になっています。パラオは第一次世界大戦まではドイツ領でしたが、大戦後の1914年から大東亜戦争が終わる1945年までの約30年間、日本の委任統治下になりました。その間日本は、道路、橋、病院などを建設しインフラ整備を行い、さらに学校を作って教育にも力を入れました。
 
 大東亜戦争中では、ペレリュー島は日本軍の重要拠点で滑走路も持っていました。米軍はこの島を占領しフィリピン奪取の拠点にしようと日米両軍の激戦地となりました。
 1944年9月15日、米軍海兵隊を主力とする28,000名が上陸を敢行します。
米軍は当初2〜3日で島を占領するつもりでしたが、日本軍は隊長の中川州男大佐率いるペレリュー島守備隊が徹底抗戦し、戦いは二か月以上に及びました。最後は11月24日、追い詰められ食料も弾薬も尽き、中川大佐が自決、玉砕しました。
日本軍の死者は一万人を超えました。
 中川大佐は、事前に原住民をパラオ本土に退避させ、パラオ人に一人の死者も出しませんでした。戦いが終わり、島に戻ってきたパラオの原住民は、日本軍の慰霊のために神社を建立しました。これがペレリュー神社です。
 ペレリュー島には日米両軍の戦車や日本軍の戦闘機の残骸が残っています。
 修学旅行では、全員でペレリュー神社を参拝し、神道式の慰霊祭を行います。
 
 パラオは1994年10月1日、アメリカから独立しパラオ共和国になりましたが、大変親日的な国です。国旗も日の丸に似て、青地に黄色の丸で「海に満月」をイメージしています。
 
 今年は私が団長で、牧之内先生と能登空港キャンパスから生徒25名、山梨から生徒10名、と鈴木先生で合計生徒35名、教員3名で行って来ます。
 10月4日に日本に帰って来ますので、そのまま山梨校に滞在し、能登空港キャンパスから移動して来る全校生徒と合流し、80周年記念航空祭に参加する予定です。
 
 
 

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