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5月4日(土)

4月29日、昭和の日に大阪で「昭和天皇の御生涯」と題して、講演しました。
普段、本校の道徳訓育の授業で昭和天皇について話している内容も含め、御製を紹介しながら話しました。

 世の中も かくあらまほし おだやかに 朝日にほへる 大海の原(大正11年 皇太子時代)
ふる雪に こころきよめて 安らけき 世をこそいのれ 神のひろまへ(昭和6年 満州事変勃発)
あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を(昭和8年)
静かなる 神のみそのの 朝ぼらけ 世のありさまも かかれとぞおもふ(昭和13年 前年 支那事変勃発)
西ひがし むつみかわして 栄ゆかむ 世をこそ祈れ としのはじめに(昭和15年 日独伊三国同盟締結)
峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらえと ただいのるなり(昭和17年 大東亜戦争勃発直後)

昭和天皇は常に戦争に反対されていましたが、天皇の御心に反し、時の陸軍が独断で満州事変を始め、支那事変も天皇の御心に反して始められ、昭和天皇は戦争の終結に努力されましたが、政府が日・独・伊三国同盟を結び、日米戦争へと突っ走って行きました。
当時、大日本帝国憲法下で立憲君主国の君主として、昭和天皇は内閣の閣議で民主的に決まった事に対しては、個人的に反対であっても裁可するしかありませんでした。(独裁政治や専制政治ではありません)
日米戦争を避けるため、近衛内閣は昭和15年12月から昭和16年4月にかけて親米派の民間人を使い、日米外交交渉を行い、昭和16年4月「日米諒解案」が米国より示され、近衛総理はもとより、東条陸相、及川海相もこれで日米戦争は避けられると喜んだそうです。しかし、それを「日・独・伊三国同盟」を締結した松岡外務大臣は強硬に反対し、日米交渉は暗礁に乗り上げ、近衛内閣は解散し東条内閣が誕生するに至り、米国の態度は豹変し、11月にハルノートを突き付けられ、日米戦争に突入します。
 昭和16年9月の御前会議では、陸軍から帝国国策遂行要領が示され、①に戦争準備、②に外交努力が示されていたので、昭和天皇はご意見を述べられ、外交努力を①にし、戦争準備は②にするように示され、明治天皇の平和を願われる御製「四方の海 みなはらからと 思う世に など波かぜの たちさわぐらむ」を二回朗誦されました。
しかし、政府は米国から最後通牒ともいえるハルノートを突き付けられ、天皇陛下の反対を押し切り、開戦に踏み切りました。

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