|
ジャカルタにおける鉄道建設は、Kleine Boom/ Batavia – Koningsplein間の開通(1871年)後も積極的に進められました。そして、2年後の1873年、Koningsplein(現在のガンビール)から南方、Buitenzorgまで延伸開業されました。今回はこの時点(1873年1月31日)の改定時刻表(指定ページの下半部)について解説します。
まず、延伸開業区間の終点、Buitenzorgですが、これは現在のボゴールを指します。上段にある上り列車時刻表を見ると、ここからジャカルタに向かって、チレブット、ボジョングデ、チタヤム、デポック、ポンドックチナ、レンテンアグン、パサールミングと言った、おなじみの駅名が並んでいます。次のMeester-Cornelisとは現在のジャティネガラ地域を指しますが、駅としてはマンガライのことと思われます。さらに、その下のPegansaanとは、現在のストリート名から判断すると、チキニのことではないかと思われます。このように、ボゴール延伸開業当初は、現在と比べて駅数がかなり少なかったようです。なお、表中、ここから下に掲載されている駅は、いずれも前回解説したものと同じです。
次にダイヤですが、列車運転本数は、一日7往復から9往復に増加、このうち増加分2往復は、いずれもBuitenzorg - Batavia - Kleine Boom間の直通列車に充当されています。一方、区間列車も、1往復を除き、従来の終点であるKoningspleinからMeester-Cornelisまで延長運転されるようになりました。その結果、運用は3編成になったものと考えられ、Koningsplein、パサールミングなどでは、単線のため、上下の列車交換が行われていたようです。
運転時間帯は、朝5時台から夕方の17時台です。所要時間は、Buitenzorg – Batavia、すなわちボゴール – コタ間が、最速2時間27分でした。この区間は現在、急行電車で約1時間であることから、当時の蒸気機関車牽引客車列車の走りっぷりが想像できます。なお、この改定ダイヤにおいても、一部列車の急行運転が続けられ、Pagansaan、サワーブサールを通過する列車が一部に認められます。
今から138年前の「パクアン急行」、どんな車窓が展開したのでしょうね。
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
以前、このブログでご紹介しましたが、インドネシアにおける初の鉄道開通(1867年、中部ジャワ州スマラン)は、日本(1872年)より5年も早く、ジャカルタ首都圏に限っても、その開通(1871年)は、1年早くなっています。インドネシアの鉄道ファンが開設しているHPの中に、ジャカルタにおける鉄道黎明期の時刻表が公開されています。そこで、これから2回に分けて、この時刻表について解説します。第1回は1871年9月16日設定のジャカルタにおける「初の鉄道時刻表」です。
この時刻表からまず分ることは、開業路線が、Koningspleinを起点としていたことです。これは、現在のガンビールに相当します。次に、列車の運転時刻を追ってゆくと、Krekot(現在のマンガブサール付近か?)から線路が分岐し、一方がKleine Boom(現在のスンダクラパの近く = ジャワ海に面したかつての港の近く)、もう一方が、Batavia駅(現在のコタ駅北側の歴史博物館裏?)に達していたようです。Krekotを境として、Kleine BoomとBataviaへ向かう2種類の列車があるからです。駅数は、全部で6、上記以外の途中駅として、Noordwijk、Sawa Besarがあり、前者は現在のジュアンダ、後者はその名のとおり、現在のサワーブサールを指しています。
列車運転本数は、7往復、このうちKoningsplein – Batavia、すなわちガンビール – コタ間が一日3往復、Koningsplein – Klein Boom、すなわちガンビール – スンダクラパ近傍が一日1往復、Koningsplein – Batavia – Klein Boom(Krekotでスイッチバック?)が一日3往復です。列車によっては、Sawa Besar、Krekotを通過し、急行運転するものがありました。また、この時刻表から判断すると、必要とされる車両は1編成のみであり、上下列車の交換風景は見られなかったはずです。
運転時間帯は、朝6時台から夕方の17時台です。所要時間は、Koningsplein – Batavia、すなわちガンビール – コタ間が、17〜24分でした。この区間は現在、急行電車で7〜8分であることから、当時は蒸気機関車牽引の客車列車が、のんびり走っていたものと推定されます。
今からちょうど140年前のジャカルタ … 想像すると、何だかとても楽しいですね。
|
|
今回は少々重い話題で申し訳ありません。
地元報道によれば、去る1月10日、スルポン線クバヨラン駅付近の踏み切りで、飛び込み自殺と思われる事例が発生、女性1名が死亡しました。身元は判明していません。目撃者の話では、この女性は、何度か踏み切り周辺を行き来した後、列車通過直前に踏み切り内に入ったということです。同様の事例は前日の1月9日にも中央線ドゥレンカリバタ駅付近で発生したそうです。
ジャカルタ首都圏の鉄道事故犠牲者で最も多いのは、屋根乗車による感電死です。2009年データでは、年間鉄道事故死者40人のうち、20人が感電死でした。一方、鉄道自殺は非常にまれで、ほとんど耳にしたことがありません。仮に二日連続で発生したとすると、異常事態といえます。「ネアカ」で「のんびり屋」が多いと思われていたインドネシアの人々も、経済成長や都市化の流れの中で、次第に心の問題を抱えるようになってきたのかもしれません。
ちなみに、日本のデータも調べたところ、鉄道自殺件数は、2008年度に年間647件もあり、このうち6割が首都圏で発生していました。内訳ですが、2006年度首都圏データでは、中央線が最も自殺者が多く20名、京浜東北線17名、山手線12名などとなっています。
果たして経済成長が本当に人々の幸福に繋がるのか、改めて考えさせられます。
|
|
ジャカルタの鉄道ファンに最も人気のある電車は何か、皆さんご存知ですか。
答えは東急8500系です。ある地元ファンサイトでは、冷房電車の人気ナンバーワンに輝き、東急8000、8500系の合計で全体の43%の得票を集めています。一方、別のサイトでは、東急8500系単独で日本製中古電車の人気ナンバーワンに輝き、全体の41%の投票を集めています。前者は、最近ジャカルタ首都圏に導入された東京メトロ7000系、「インドネシアの誇り」とされる国産のKRL-I系も含めた投票で得た得票率です。一方後者は、東京メトロ7000系や国産電車は含まないものの、東急8500系単独の得票率であることから、両者を考え合わせると、現段階で8500系が人気ナンバーワンであることが、推定されます。東急8500系がジャカルタで何故愛されるのか、周囲のファンに話を聞くと、「メインテナンスが良い」、「冷房の効きが良い」、「内装が良い」、「(ジャカルタ首都圏導入後の)カラーデザインが良い」などの答えが返ってきました。いずれも納得できるものばかりです。
さて、またまた個人的な話題で恐縮ですが、東京メトロ5000系、東急8000系に引き続き、今回は私と東急8500系のつながりについて、少々述べさせていただきます。
私が、東急8500系と「濃いつき合い」をしたのは、比較的最近のことです。90年代終わりから2000年代半ばにかけて、通勤でお世話になりました。その頃、私は小田急線千歳船橋駅近くに住んでいたのですが、同線の混雑を嫌い、東急田園都市線用賀駅へ出ていました。同駅から、ガラガラの下り電車に一駅乗車して二子玉川へ、そこで大井町線の上り始発電車(当時)に乗り換えて、着席して読書しながら、大井町経由で品川のオフィスへと通っていました。
当時の田園都市線、とりわけ半蔵門線、東武線との3者相互直通運転開始前の同線は、車両のバラエティが現在ほど多くなく、まさに8500系王国でした。現在ジャカルタ首都圏に在籍する8500系全編成(8604F、8607F、8608F、8610〜8613F、8618F)が、田園都市線で活躍していました。朝、用賀(地下)駅ホームで下り電車を待っていると、8500系特有の走行音が、トンネルを通して、はるか彼方から聞こえてきます。私の記憶では、ホーム到達70秒ほど前から、わずかながら音が聞こえ始めます。この段階では、まだ力行状態で、電動機の回転数が上がり、速度も上昇しているようです。8M2Tの大出力を有する8500系の走行音は、なかなか強烈で、唸りとなってトンネル内に響き渡ります。続いてホーム到着30秒ほど前になると、トンネルからホームへ向かって突然風が吹き始めます。「空気鉄砲」の原理で、走行する車両がピストンになって、強い風を起こすからです。この力強い音と風に接するたび、「8500系、今朝も気合いが入ってるな。私も、今日一日頑張ろう」とファイトが湧いたものでした。こんなことで仕事上のモティヴェーションが上がるのですから、鉄道ファンとは単純な生き物ですね。世の人事担当者の皆さん、「鉄道ファン」をもっと雇用しましょう。彼らをやる気にさせるのは簡単です。人気路線にオフィスを構えるとか、駅の見えるオフィスを確保するとか ... あっ、それでは気が散ってだめかも。
さて、先日、日本へ帰国する機会があり、久々に田園都市線の8500系に乗車してみました。さぞや懐かしい思いがするだろうと予想していたのですが、どうも様子が違います。「懐かしい」と言うより、「物珍しい」のです。思えばジャカルタ在住3年半、最早ジャカルタの電車の方が日常であり、東京の電車の方が、非日常になってしまったようです。渋谷寄り1号車を見ると、「ここは女性専用車だから、乗っちゃいけないな」と、ジャカルタ基準で考えてしまう自分がいることに驚かされました。極論すると、「日本人」ではなく、「外国人」の目で乗車している気分なのです。
東京の鉄道で、私を待ち受けていたのは、不思議な「逆転世界」でした。東急8500系、これから先も長いつき合いの中で、多くの発見があることでしょう。
冒頭写真は、ガンビール駅に停車中の8500系「偽の二子玉川」行き、下の写真は、「本物の二子玉川」駅に停車中の8500系
|
|
国家運輸安全委員会(KNKT)のクルニアディ委員長は、このたび2010年のインドネシアにおける鉄道事故について、事故件数50、死者60、負傷者189と発表しました。このうち10件が「重大事故」に分類され、同委員会は11件の提言を、運輸省鉄道総局およびインドネシア鉄道に対して行ったとのことです。
インドネシアにおける「鉄道事故」の定義は必ずしも明確ではありませんが、各種資料によると、件数は、2007年156件、2008年139件、2009年82件、そして2010年は上記のとおり50件でした。件数のみで言えば、年々減少しています。ところが、死者は、2007年34名、2008年45名、2009年57名、そして2010年は上記のとおり60名で、「右肩上がり」の上昇を続けています。このことは、多くの死者を出すような重大な事故の割合(あるいは件数)が増加していることを示しています。特に昨年(2010年)は、34名の死者を出した10月2日のジャワ北線プタルカン駅列車衝突事故が記憶に新しいところです。
問題点としてメディアで指摘されているのは、運転士、機関士の信号見落としなどによるヒューマンエラーを始め、その背景となっている保安施設の不備、運転士、機関士不足による超過勤務などです。また、これだけ多くの事故が発生しながら、2010年に国家運輸安全委員会が実際に調査を行ったのは、50件中10件のみ(提言は11件)であり、調査の行われなかった小規模事故や、事故となる可能性があった事例などが、検討もされずに見落とされているとの批判も見受けられます。
事故のない、安全、快適な鉄道に生まれ変わる日が来ることを願ってやみません。
下図は、2007年から2010年のインドネシアにおける鉄道事故件数と死者、対照的な変化を示している(データ:国家運輸安全委員会HP)。
|


