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ブカシ線のブカシ駅は、ジャカルタ中心部からの電車線終着駅です。また、ここから先、バンドン・スラバヤ方面への非電化区間を行く中長距離列車との共同使用駅となっています。ホームは島式2面4線、内側2線をKCJ (PT KAI Commuter JABODETABEK) の電車が、外側2線をインドネシア鉄道の中・長距離列車が使用しています。頻繁な電車・列車の発着に伴い、駅構内の線路容量は限界に近い状態にあります。
しかし、この駅には利点もあります。それはホームが長いことです。20m車でおおよそ14両分の有効長があります。その結果、電車の「縦列停車」が可能なのです。冒頭写真は、同駅2番線手前に旧都営地下鉄三田線6000形6281編成6連、その先に旧JR東日本103系E20+E22編成8連が停車しています。前者は折り返し後発のエコノミーACタンジュンプリオク行、後者は折り返し先発のエコノミーACジャカルタコタ行です。空きとなっている3番線には、この直後にジャカルタコタ発のエコノミーが到着しました。
この日はダイヤが乱れていたための臨時措置かと思われますが、分割併合を伴わない2つの列車が縦列停車するシーンは、日本ではほとんど見かけません。特に、8両編成と6両編成電車という比較的長い編成の電車が縦列停車するというのは、聞いたことがありません。
多くのことに言えるのですが、(良く言えば)フレキシブルと言うか、(悪く言えば)いい加減と言うか、何でもありなんですね。
下の写真は、同一番線で顔を合わせた、旧JR東日本103-384車と旧都営地下鉄三田線6281車
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「命を大切に」と題したフライヤーは、2007年制定の鉄道規則23号について解説するとともに、2009年から2010年にかけての事故犠牲者数を掲載、さらに通勤時間帯のポケット時刻表の役目果たす内容となっています。表紙には、東京メトロ7000系7122編成が描かれ、屋根乗車による感電と転落の危険性がイラストされています。そして鉄道規則173条として、鉄道の安全、秩序維持は社会全体が負う義務であることが記されています。
次に表紙を開くと、いくつかの注意事項がイラスト入りで具体的に示されています(下の写真、右下クリックで拡大可能)。例えば183条では、屋根乗車、機関車乗車、乗務員室乗車および貨車乗車などの禁止について記されており、207条として、これらの規則を守らなかった者は、3か月以下の禁固および、または1500万ルピア以下の罰金が科せられるとのことです。続いて、線路内への立ち入りや線路を鉄道輸送以外に使用することを禁じた、181条について説明、199条では上記と同様の罰則が記されています。さらに、投石による車両破壊などの行為を禁じた180条についてもイラスト付きで記載、これを破った者への罰則として197条では、人を死に至らしめた場合には、最長15年の禁固となることなどが解説されています。
そして、衝撃的なのが、同ページ右下にある事故統計です(上の写真、右下クリックで拡大可能)。それによると、2009年のジャカルタ首都圏の事故犠牲者は、死者40名、負傷者10名、2010年は7月から10月の4ヶ月間で、死者10名、負傷者8名と記されています。メディアなどによると、ジャカルタ首都圏の屋根乗車による感電死者数は、年間20名とされていますので、事故死者の実に半分が感電死であることがわかります。また、負傷者の定義は明白でありませんが、鉄道事故の場合、負傷するよりも、死に至るケースの方が多いと推定されます。これらの数字は、もう少し大々的に掲載しても良かったのではないでしょうか。
フライヤーの最後には、通勤時間帯の中央線ポケット時刻表が印刷されており、保存版として持ち歩きできるようになっています(下の写真、右下クリックで拡大可能)。時刻表を加えたことで、乗客が折に触れて鉄道規則を読むことができ、なかなか良いアイデアだと思います。
以上、ジャカルタ首都圏の鉄道事故防止に向けた、フライヤー制作の取り組みについてご紹介しました。このような地道な取り組みが、事故の撲滅につながることを願っています。
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ジャカルタ首都圏の鉄道が来月24日で電化開業86周年を迎えます。JABOTABEK RAILNEWSでは、これまでジャカルタ首都圏における鉄道の歴史について、詳しい解説をしたことはありませんでした。そこで、これを機に今回は、ジャカルタ首都圏鉄道史について述べたいと思います。
インドネシアにおける鉄道の歴史は古く、その開業は日本より5年も早い1867年まで遡ります。しかし、当初の開業区間は現在の首都ジャカルタ近郊ではなく、中部ジャワ(現・第4地域事業部管内)のスマラングダン – タングン間の延長25kmでした。その後、1871年9月15日、現在のジャカルタコタ – ガンビール間に、ジャカルタ近郊としては初の鉄道が開通、続いて1872年にガンビール – ジャティネガラ間、翌1873年にはジャティネガラ – ボゴール間が一気に開通、現在の中央線が全通しました。
続いて開通したのは、タンジュンプリオク線のジャカルタコタ – タンジュンプリオク間で1885年、さらに、ブカシ線のジャカルタコタ – ブカシ間が1887年、タンゲラン線のドゥリ – タンゲラン間が1899年1月、ドゥリから西線タナアバン、スルポン線、パルンパンジャンを経由してランカスビトゥンまでが同年10月、西線タナアバン – マンガライ間が1922年、そして環状線北部のアンケ - カンプンバンダン間の開通が1923年などとなっています。
上記のとおり、現在のJABOTABEK鉄道線が、非電化でほぼ全線開通した後、オランダ植民地政府は1923年から電化工事に着手、翌1924年12月24日、タンジュンプリオク – ジャティネガラ間が電化完工、電気機関車牽引による客車列車が運行を開始しました。当時活躍した電気機関車には、スイスSLM、BBC社製3000型、ドイツAEG社製3100型、そしてオランダWelkspoor社製3200型があります。このうち、現存するのは3200型3201号機1両のみです。また、同じオランダWelkspoor社製、Westinghouse社製およびGeneral Electric社製電車も運用されていました。電化工事は、その後、タンジュンプリオク – ジャカルタコタ間が1927年、ジャカルタコタ – ボゴール間が1930年に完成しています。
このように、当時アジアでは先端を行く電気鉄道システムを作り上げたジャカルタ首都圏でしたが、インドネシア独立後は新たな電気機関車・電車の導入もなく、次第に輸送力が低下してゆきました。そんな中1976年、インドネシア政府は、日本製電車、現在のKL3-76系を導入し、近代化に着手しました。その後は、引き続き新型電車の導入に努める一方、2000年には都営地下鉄から冷房付き中古電車72両を贈呈され、現在の日本製中古電車全盛時代の礎が築かれたことは、ご存知のとおりです。
冒頭写真は、ジャカルタ首都圏で最も早く開通したジャカルタコタ - ガンビール間(現在は、高架線)2007年12月1日撮影、下写真は、ジャカルタ首都圏の電化に伴い導入された電気機関車3200型3201号機、2009年4月18日タンジュンプリオク駅にて撮影
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去る10月2日に中部ジャワのプタルカン駅で発生した列車衝突事故の状況について、インドネシアの鉄道趣味雑誌「Majalah KA」11月号に記事が掲載されましたので、要約してご紹介いたします(本欄最後に見取図掲載)。
事故はジャワ北線のプタルカン駅で、午前2時30分に発生しました。同駅はジャカルタ方面からの複線区間がスマラン方面への単線区間に変わる接続駅であり、構内は3線からなっています。事故当時、同駅3番線には、ジャカルタ・パサ−ルスネン発スマラン・タワン行きセンジャ・ウタマ・スマラン号下りビジネスクラス116列車(以下、スマラン号)が停車中でした。これは、単線区間からやって来る、クディリ発ジャカルタ・パサ−ルスネン行きセンジャ・クディリ号上りビジネスクラス101列車(以下、クディリ号)と2時32分に交換するためです。この時、クディリ号は2番線を通過することになっていました。
一方、複線区間の下り本線では、スマラン号を後続するジャカルタ・ガンビール発スラバヤ・パサ−ル・トゥリ行きアルゴ・ブロモ・アングレック号エクゼクティヴクラス4列車(以下、ブロモ号)が、プタルカン駅に接近、本来であればクディリ号が同駅通過後に1番線に進入すべきところ、場内信号機の停止現示を無視して、3番線に進入、スマラン号に追突しました(別の報道によれば、衝突時の速度は時速52km)。
この事故で、追突されたスマラン号の客車1両(K2-91505)が破損、1両(K2-91547)がスリップ(?)し、1両(K2-91506)が脱線しました。一方、ブロモ号を牽引していたディーゼル機関車(CC20340)も故障しました。この事故で34名が死亡、26名が負傷しました。事故後、1番線のみを用いて、列車運転を再開、2番線には救助用クレーンが設置されました。スマラン号は4時、ブロモ号も7時に(事故車両を切り離して?)運転を再開しました(インドネシアでは、事故車両も現場点検だけで運転再開するんですね)。
ところで、この事故のわずか5分後の午前2時35分、中部ジャワのジャワ南線プルウォサリ駅でも別の列車同士の衝突事故が発生、1名が死亡、4名が負傷しています。まさに、魔の刻としか言いようがありません。双方の事故で亡くなられた、合計35名の方々の冥福をお祈りいたします。
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10月26日から始まったジャワ島ムラピ火山の噴火に伴い、中部ジャワでは大きな被害が出ています。11月5日未明には、南斜面で大量の火砕流が集落を襲い新たに64人が死亡、死者は合計122人に達しました。政府は、避難勧告地域を山頂から半径20kmへと拡大、避難民は10万人を超えたとみられています。
この噴火の影響で、ジョクジャカルタのアディスチプト空港は航空機離発着を全面停止、閉鎖に追い込まれました。火山専門家は過去100年間で最大規模の噴火と発表、噴煙は高さ3.5kmに達し、航空機の運航を妨げています。降灰は400km離れた西ジャワ州ボゴール近郊でも観測されるなど被害が広がっており、首都ジャカルタへも接近しています。この影響で6日には、成田発ジャカルタ行の日航機がカリマンタン上空で成田へ引き返しました。7日は欠航となり、週初めからジャカルタ出張を予定していたビジネス客に大きな影響が出ています。航空機が火山噴火に弱いのは、アイスランドの火山噴火で欧州の航空便に欠航が相次ぎ、大混乱に陥ったニュースが記憶に新しいと思います。今回も同様の状況になっているようです。
一方、航空便の相次ぐ欠航をよそに、鉄道輸送へはこれと言った影響は出ていないもようです。このため地元メディアは、旅行客が鉄道に殺到、ジョグジャカルタトゥグ駅では本日(7日)、二カ所しか開いていない出札口に800人の乗客が乗車券購入の長い列を作っていると報じています。センジャウタマ号でジャカルタへ戻るというある乗客は、本日分は売り切れで購入できず、明日に期待すると話していました。インドネシア鉄道では、ジャカルタ-ジョグジャカルタ間の全ての列車を2両増結しています。また、同鉄道第8地域事業部(スラバヤ)は、避難民の移動と救援物資輸送のために、荷物車両1編成を被災地へ派遣すると発表しています。
このように、火山噴火に対しては、航空輸送の弱さと鉄道輸送の強さが対照的な結果となって表れています。同じ地殻変動による災害でも、地震と火山では、運輸業に与える影響は全く逆であることを改めて認識させられました。
冒頭写真は、ボロブドゥール遺跡から見たムラピ山、遺跡から山頂までの距離は、約30kmです。下の写真はアディスチプト空港前(マグウォ)駅を後にする、ジョグジャカルタ発ソロ行のプランバナン急行(KRDE = 電気式気動車)です。ともに2009年撮影
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