JABOTABEK RAILNEWS コラム

ジャカルタの電車を中心に、インドネシアの鉄道をご紹介しています。

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インドネシア唯一の鉄道趣味雑誌「Majalah KA」の10月号にJABOTABEK鉄道の車両検査に関する記事が掲載されていました。普段あまり目にしない情報と思われますので、ここにそれをご紹介いたします。
 
 ジャカルタ首都圏の全ての電車は、定期的に検査を受けなければなりません。それらは、毎日行う検査、月に一度、半年に一度、年に一度行うもの、そして2年に一度行う全般検査から成っています。このうち、毎日、月に一度、半年に一度、年に一度の検査は、デポック、ブキットドゥリ、およびボゴールの各「車庫」で行い、一方、2年に一度の全般検査は、原則としてマンガライ工場で実施されることになっています。このほかマンガライ工場では、車両の改造と、他の「車庫」では簡単に修理できない重大な故障車両の修理も担当しています。例えば、台車、ギアボックス、電動機そして車輪の修理です。
 
 ところが、近年車両数が増加したにも関わらず、マンガライ工場の検査スペースは12両分しかないため、最近では同工場で全般検査を受ける車両は、非冷房エコノミー車と、旧都営地下鉄三田線6000形に限定、残りの車両は担当人員をデポック車両基地に派遣した上で、同車両基地にて全般検査を実施しています。
 
 ところで、これら車両検査によってメインテナンスされている、ジャカルタ首都圏の電車の稼働率は、一体どれくらいでしょうか。同誌に20106月現在の稼働表が掲載されていましたので、過去に私が収集したデータも含め、手元で稼働率の推移を集計してみました。結果は下表のとおりです(表右下クリックで拡大可能)。
 
 インドネシアにおいては、車両稼働率は、(実際に稼働している車両数)/(稼働可能な車両数)で表されます。「稼働可能な車両数(Siap Guna = SG)」とは少々誤解を招きやすい表現ですが、実際には在籍数に近い数字です。現況では、稼働不可能に陥り「保管」扱いとなっている、Holec50両を除く全ての車両が、「稼働可能な車両」として登録されています。一方、「実際に稼働している車両(Siap Operasi = SO)」からは、全般検査に入っている車両などは除かれているようです。
 
この表からわかることは、JABOTABEK 鉄道が新製車両として導入した、Rheostat(抵抗制御車)、Holec、Hitachiの稼働率が近年大きく落ち込んでいることです。特にHolecは、現在(2010年)、稼働率わずか31%です。全製造数128両のうち、26両がKRDE(電気式気動車)化され、50両がスクラップ同然で「保管」状態、これらを除く52両が「稼働可能な車両」で、そのうち16両しか「実際に稼働している車両」が残っていません。なお、日本製中古車両については、一部の形式で、20106月時点で数字上低い稼働率が記されていますが、201011月現在、旧JR103系は100%、旧東京地下鉄東西線5000系と旧東葉高速鉄道1000形は、それぞれ80%の稼働を確認しています。
 
RheostatHolecなどのエコノミー非冷房車の置き換えが急務であることが、この表からも理解できます。
 
以上、JABOTABEK 鉄道の車両検査と稼働率について記しました。
 
 
 (冒頭写真は、デポック車両基地の検査ピットに入った旧東急85008608編成)
 
 
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JABOTABEK鉄道の車両稼働状況と稼働率
 
 

続発する感電事故

JABOTABEK 鉄道で、また痛ましい事故が発生しました。20101016日午前74分、中央線インドネシア大学駅構内で、ボゴール発ジャカルタコタ行き上りエコノミーの屋根に乗車していた乗客がパンタグラフに触れ感電死、遺体の収容に740分まで要したため、朝の通勤ラッシュ時の同線ダイヤは大きく乱れました。地元警察によれば、犠牲者は少年と見られています。
 
 ジャカルタ首都圏では、このようなニュースが後を絶ちません。日本の都市部で鉄道自殺が相次いでいるのと対照的に、インドネシアの首都ジャカルタでは、屋根乗車による感電死が相次いでいるのです。メディアによれば年間の感電死者は20名、「屋根乗車はジャカルタ名物」などと言っていられない状況が、そこにはあります。
 
 インドネシア鉄道、KCJともに、これまで屋根乗車を防止するため、何度も対処してきました。私が記憶している中でも印象的だったのは、2008年2月から行われた、屋根乗車する乗客へのカラースプレー噴射です。この様子は、日本のテレビニュースでも報道されたと聞いています。また、罰金を厳格に適用するなどの措置が取られたり、集中取り締まり期間が設けられたりしました。しかし、いずれも「喉元過ぎれば何とやら」で、長続きした試しがありません。
 
 私は以前、屋根乗車する人に、「何故、屋根に乗るのか」インタビューしたことがあります。彼の答えは単純明快でした。
 
1.涼しいこと
2.座れること
3.運賃を支払わなくてよいこと(検札が来ないこと)
4.スリなどの犯罪が無いこと
 
 近年、特に深刻なのは、朝ラッシュ時の想像を絶する混雑です。今や日本から導入した中古電車によるエコノミーACも超満員、場合によっては扉を開け放したまま走行しています。輸送力は完全にパンクしており、しかも状況は悪くなるばかりです。屋根乗車を支持することはできませんが、心情的にはその行為を理解できなくもありません。解消には、車両の増備はもちろん、複線あるいは複々線化、マンガライやジャティネガラのような「ボトルネック」駅の立体化、信号システムの改善、駅システムの改良などなど、やるべきことは山積しています。
 
 ジャカルタの電車から、感電事故ゼロの日々が来ることを強く願っています。
 
 
下の写真は、「屋根乗車して横たわる人々」 ご安心ください。タオルを枕代わりに使用していることから、「寝ているだけ」と思われます。通過中のエコノミー電車をガンビール駅ホームより撮影
 
 
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JABOTABEK 鉄道の名物を挙げよ」と私が言われたら、ベスト3くらいに入りそうな物に、トレインミュージシャンがあります(ちなみにトップと2位は、日本時代の方向幕を掲げて走る中古電車と、ドアを開け放して走行し屋根乗車もありのエコノミー電車でしょう)。私もこれまでいろいろな街を訪れましたが、「電車」内に非合法ミュージシャンが現れるのは、ジャカルタとリスボン(ポルトガル)くらいです。
 
さて、そんな珍しい非合法ミュージシャンのいるジャカルタの電車線の中でも、ボゴール駅は活動の最も盛んな所です。近年、当局による規制が厳しくなり数を減らしてはいるものの、週末ともなれば常時数組が出没、駅構内に歌と演奏の絶えることはありません。どうして、ボゴール駅にはミュージシャンが多いのか、あまり真面目に考えたことはありませんが、以下の理由が思い当たります。
 
1.JABOTABEK 鉄道の本線格路線の終点であり、電車発着本数が多く、折り返しのための停車時間が長い。
2.比較的海抜が高く涼しいので、音楽活動がし易い。
3.そもそもボゴールには音楽好きが多い
4.ジャカルタ中心部から遠く離れた郊外にあるため警備が緩く、ミュージシャンに対しても寛容である。
 
1・2・3は、理由としてはかなり怪しいのですが、4は確からしいかと思われます。その証拠に、例えば同じ終着駅でも、タンジュンプリオクやスルポンは「撮り鉄」に対して非常に厳しいのですが、ボゴールでは、私はこれまで一度も警備員さんから注意を受けたことはありません。
 
 さて、そんなボゴール駅である日のこと、私は折り返し停車中のジャカルタコタ行き急行に乗車し、発車を待っていました。車両は旧東急田園都市線85008608編成、発車まで残り2分、ドアはホーム側、ホームと反対側とも開放されていました。その時です。ホームと反対側のドアから、男性3人組のミュージシャンが乗り込んできました。いずれも二十歳そこそこの若者、編成はボーカルと思しき1名、パーカッション1名、そして鍵盤ハーモニカ(と言うか「ピアニカ」と言うんでしたっけ、小学校で習ったあれです)1名です。ボーカルらしきお兄さんが、一言二言短い挨拶を行った後、直ちにパフォーマンス開始、聞き覚えのあるインドネシアンポップスが始まりました。
 
が、正直言って、あまり上手くない。こちとら、もう3年半近くジャカルタの電車に乗り、数限りないミュージシャンを見てきました。自慢じゃないが、耳が肥えています。特にボーカルは調子外れ、NHKのど自慢なら「鐘ひとつ」です。「あ〜あ」とがっかりした頃、急行電車の発車チャイムが鳴り始めました。
 
「これで、さっさと撤収してくれるだろう」と思いホッとしていると、お兄さんたち一向に止める気配がありません。「まさか、乗車したまま演奏を続けるんじゃ」と心配していると、次の瞬間、パーカッションのお兄さんが、楽器をドアから車外へ出しました。この時点で発車チャイムはもう鳴り終えています。続いて、ボーカルのお兄さんが歌いながらホームと反対側の開放されたドアへ移動しました。こちらを向いて横綱の土俵入りのような姿勢を取り、腰を落とし股を拡げ、左手左足でドアが閉じないよう押さえています。しかし、まだ歌っています。続いて、鍵盤ハーモニカのお兄さんも演奏を停止、パーカッションのお兄さんと共に何やら大声で話しながら、キャンディの空き袋を持って、車内集金(*)を始めました。この時点で電車は、ノッチ1と思われるゆっくりとした加速度で発車しました(ジャカルタの電車は、ドアが閉じなくとも平気で発車します)。
 
5秒、10秒(多分) 電車はノッチを上げ、次第に速度を上げてゆきます。ボーカルが押さえるドアを除き、他のドアは全て閉じられました。しかし、まだボーカルはドアを押さえて歌い、パーカッションと鍵盤ハーモニカは集金しています。「おいおい、本当に降りられるの、ドアを押さえているボーカルのお兄さん、危ないよ」と、冷や冷やさせられます。
 
さらに5秒〜10秒(これまた多分)経ったでしょうか。「これ以上、速度を上げたら、どう考えても飛び降りられない」というぎりぎりのその瞬間、まず集金の二人が助走をつけて、押さえられたまま開放されていたドアから次々ジャンプ、しかし、まだボーカルは歌っています。
 
そして、さらに12秒後、ようやくボーカルが、歌を止めました。続いてドアを押さえている左手とは反対側、すなわち、自由が利く右手をさっと挙げて乗客に挨拶、この時既に、外の景色は流れるように走り、私の動体視力では線路脇の物体も認識できなくなるほど加速していました。そしてそして次の瞬間、ついにボーカルは後ろ向きのまま、華麗にジャンプして降車して行ったのです。 ... さらに12秒後、「バターン」という大音響とともに、自動ドアが閉じられたのでした。
 
私はこの間あっけにとられ、我に返るまでしばらく時間がかかりました。あのお兄さん達は、一体何者なのでしょう。ハッキリ言って、ボーカルも演奏も失格ですが、発車間際の危険なパフォーマンスだけは凄い。超々一流です。でも、良い子は絶対にマネをしてはいけません。「ミュージシャン」じゃなかった、訓練を積んだ「スパイダーマン」のお兄さん達だけができる技なのですから
 
 
冒頭写真は、ボゴール駅で出発を待つ、旧東急田園都市線8500系8608編成、パクアン急行ジャカルタコタ行き(右)
 
 
(*)パフォーマンスに対する支払いは、あくまで任意です。払う人もいれば、払わない人もいます。支払う場合、多くの人が1,000ルピア(約11円)程度を、キャンディ空き袋に投入しているようです。ちなみに、この日、私は支払いませんでした。
 
 
 

古レールの世界

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先日、JABOTABEK RAILNEWSをご覧いただいた、ある日本人の方(仮にO氏とします)から、思いがけないメイルを頂戴しました。O氏は私の「歩き鉄」を記録したフォトギャラリーNo.20をご覧になり、その中の護輪軌条の写真に注目、インドネシアには同様の「古レール」が、他にもまだ色々とありそうなので、折りに触れて紹介して欲しいとのことでした。
 
私は、「古レール」というものの存在について、薄々は知ってはいました。例えば、電車通学していた少年時代に、京王井の頭線の下北沢駅(あるいは明大前駅だったかもしれない)のホーム支柱に「KRUPP 190XXの部分は失念)」と刻まれたものがあり、これがドイツ、クルップ社で190X年に製造されたレールであると何かで読んだことがあったからです。しかし、その支柱は、いつの間にか撤去されたため、すっかり記憶の彼方に消え去り、その後、私が「古レール」を意識することはありませんでした。ところがO氏によれば、日本国内には氏を始め「古レール」に熱心に取り組む愛好家の方々がおられるとのことです。その日本の古レール研究は、昭和54年(1979年)頃から本格的に開始され、既に相当のレベルまで達しているとのことでした。ただ最近ではやや行き詰まりを示しているとのこと、これを打破するには海外の古レールとの比較研究が必要とのご意見です。
 
ところで、フォトギャラリーで紹介した写真には、「KRUPP 1880」と刻まれており、これを、「ドイツ、クルップ社1880年製ではないか」と記したのですが、研究歴10年のO氏によれば、概ね間違いないようです。さらに、私が撮影した写真が他に何枚かあったため鑑定をお願いしたところ、驚くべきことが分かってきました。例えば、冒頭の写真は「KRUPP 79.10.」と刻まれているように見えますが、これはクルップ社で、187910月に製造されたもののようです(西暦の上2桁省略は頻繁に見られるとのこと、10が10月を示すかは議論の余地あり)。そして何と、日本国内で見られるクルップ社製レールの最古の物は1880年製であり、これより古い物は見つかっていないとのことでした。つまり、冒頭写真のレールは非常に貴重なものである可能性があります。
 
一方、本欄一番下に掲げた「鉄製枕木」写真中の「H-WENDEL 1926」の刻印については、フランスのヴァンデル(ウェンデル)社のもので、日本でも1920年代になってから入ってきたメーカーだそうです。鑑定では他に、ベルギー製の鉄製枕木も確認されました。
 
思えばインドネシアの鉄道は日本に遡ること5年早い1867年に開業、その後近代化が遅れたことから、相当量の古レールが残されている可能性があります。O氏によれば、インドネシアの鉄道はオランダ主導で建設されたものの、オランダ製のレールというのは聞いたことがなく、イギリスやドイツあたりのレールを導入していたのではないかとのことです。そして、記念すべき初代レールは、開業2年前くらいに製造されたはずと推定、これが正しいとすれば、インドネシアでは1865年製の古レールが発見される可能性があります。
 
私はO氏の古レールに関する知識に感心するとともに、日本の古レール研究の行き詰まり打開のために、海外の古レールに目をつけるという「発想の転換」に心を打たれました。同時に、インドネシアの鉄道を楽しむための、新たな「ツール」を身につけた嬉しさで、とても満たされた気分になりました。「古レールのどこが楽しいの?」と思う方もおられるかもしれません。しかし、レア物から年代物まで、何かを収集して分類し、その歴史を知ることは、とても楽しいことなんだろうなあと、私は思いました。
 
鉄道趣味とは、本当に奥の深いものがありますね。
 
 
冒頭写真は、ドイツ、クルップ社で1879年に製造されたと推定される「古レール」(現在は護輪軌条)、下の写真は、フランス、ヴァンデル社1926年製造の現役「鉄製枕木」、いずれもボゴール-スカブミ線で撮影
 
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JABOTABEK最古参の車両

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ジャカルタの電車に乗っていると、外国人乗客は珍しいらしく、良く地元の人々から声をかけられます。とりわけ、私が日本人の鉄道ファンと分かると、彼らから多くの質問を受け、これに答える羽目になります。以前にもコラムに記しましたが、最も多い質問は、「今乗っているこの(日本製中古)電車は、何年製ですか?」というものです。そして、私が「19XX年製です」と答えると、彼らの反応は決まっています。「そんなに古いのですか!こんなにきれいなのに!」というものです。
 
実際、日本から導入された中古電車は、JABOTABEK独自で新車として導入した車両と比べて、そのメインテナンスの良さは一目瞭然です。新車には日本からの輸入車両も含まれるので、このメインテナンスの差が「日本で運転(メインテナンス)されていた期間の長さ」によることは明らかです。さてそれでは、そのメインテナンスの良い日本製中古車両の中でも、最も車齢の長いものはどれでしょう?
 
答えは、旧東京メトロ東西線5000系です。とりわけ、冒頭写真の5809車を始めとする東急車両・川崎車両製の9両は、1966119日竣功という古い歴史を誇っています。もちろん、ジャカルタ首都圏の全電車の中でも最古参車両です。19661月と言えば、東京オリンピック開催から13カ月後、日本がオリンピック後の経済的低迷を脱し、「いざなぎ景気」と呼ばれる高度成長を開始した、記念すべき年の始めに当たります。当時、東西線はまだ高田馬場・九段下間のみの部分開業で、5809車を始めとする2次車は、同年3月の中野・高田馬場間、および九段下・竹橋間延伸開業に向けて増備されたものでした。以来、既に45年近くが経過していますが、現在もなお美しい車体を保ち、元気に活躍しています。
 
さて、(以下個人的なお話で恐縮ですが)私が初めて5000系に乗車したのは、1969年のことでした。当時の私は小学生、杉並区内の井の頭線沿線に住んでいました。この年、荻窪の近くの区立科学館で、毎週土曜午後に科学教室が開催されることになり、理科好きだった私は、担任の先生にお願いして、これに参加することにしました。荻窪へは井の頭線で吉祥寺へ出て、中央線に乗り換えて通います。そこで初めて5000系に出会いました。
 
当時の5000系は7両編成(同年中に、一部89両化されたと記憶)、東西線中野・西船橋間が全通したのに伴い中央緩行線を三鷹まで乗り入れ、吉祥寺にも姿を見せるようになっていました。国鉄線内を走る見慣れぬステンレスカーに私は興奮し、これに乗る楽しみを味わうため、ますます頑張って科学教室へ通ったのは言うまでもありません。ちなみに、この教室で学んだことの一部がその後自分の職業選択にも繋がっており、言い換えれば私の人生は5000系に出会ったことで、「こうなった」とも言えるのです。
 
さて、5000系一番の思い出は、何と言っても「ウェーン」という動物の鳴き声のような、(当時の)コンプレッサー(CP)の作動音です。AR-2型ロータリーCPが搭載された車両は、振動が少なく快適なのですが、初めて乗車した時はこの「ウェーン」に驚かされました。が、後にはすっかりお気に入りとなり、この音を楽しむため、わざわざCP搭載車両を選んで乗車したのを覚えています。
 
二番目の思い出は、大型の扇風機です。当時、我が地元の井の頭線に3000系冷房車2編成が登場、中央線では残念ながらそこまでのサービスは期待できませんでした。けれども、東西線からやって来る5000系には(おそらく3次車以降で)直径50cmの大型扇風機が搭載され、強力な首降り送風が可能でした。この送風は私のお気に入りであり、暑い夏も快適に科学教室へ通うことができたのでした。
 
5000系は、1964年の一次車登場から2007年の東西線引退まで43年間、日本の経済成長を支えた陰の主役の一つでした。中央線、総武線沿線の大勢のビジネスマンを毎日都心のオフィスへと運んだからです。冒頭の「快速・大手町」表示は、そんな5000系の、誇らしい栄光の日々を今に伝えています。
 
最後になりますが、5000系にはJOBOTABEK導入後、新たな「誇らしい」歴史が加わりました。導入直後の200774日、スルポン線複線化完工に伴う記念列車に抜擢され、ユドヨノ大統領一行を乗せて同線を駆け抜けたのです。「大統領閣下の電車」として充当されたのは、第66編成ではなかったかと思われます。残念ながら以後、インドネシア共和国大統領がジャカルタ首都圏の電車に試乗される機会は、ありません。ファンとしては、公共交通機関整備のため、是非また乗車していただきたいのですが。
 
東京メトロ東西線5000系 − いつまでもジャカルタ首都圏で活躍してほしい車両のひとつです。以上、JABOTABEK 最古参の車両について記しました。
 
 
冒頭写真は、JABOTABEK最古参車両の一つ、「快速・大手町」表示の第59編成5809車(ボゴール電車区にて、20101010日撮影)、下の写真はJABOTABEK導入直後の第66編成5016車他8連(パルメラ・クバヨラン間にて、2007721日撮影)
 
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