JABOTABEK RAILNEWS コラム

ジャカルタの電車を中心に、インドネシアの鉄道をご紹介しています。

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イメージ 1
ジャカルタコタ駅を出発する、旧東京メトロ有楽町線7000系7122編成
 
ご訪問、ありがとうございます。このブログは、このたび個人的都合(日本への帰国)により更新を停止いたしました。親サイトである「JABOTABEK RAILNEWS」も含め4年間のご笑覧、誠にありがとうございました。
 
 なお、これまでお世話になった現地鉄道ファンへの恩返しの目的も込め、今後は日本の鉄道の素晴らしさを海外ファンに紹介する、以下のブログに活動の場を移すことといたします。
 
 どうか、よろしくお願い申し上げます。
 
 
 先日、地元英字紙に、政治・法務・治安担当調整相事務所に勤務するN氏(記事では実名)と名乗る人物による、首記に関わる記事が寄稿されました。内容は「個人的見解」とされていますが、事実上、政府上層部が日本製中古電車の導入をどのように考えているか窺い知ることのできる、貴重な資料と考えられます。政治・法務・治安担当調整相は、運輸省など一般省庁の大臣の上位に君臨しており、現在その任にあるジョコ氏は、ユドヨノ大統領と国軍士官学校時代の同期という、側近の一人です。中古電車の導入が政府中枢まで判断が委ねられる課題であったことが想像され、今日まで旧東京メトロ7000系の営業運転が開始されないことと、無関係でないかもしれません。それでは、前置きが長くなりましたが、以下、記事要約をご覧下さい。

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 「政府の中古ディレンマ」

 インドネシア政府は本年、国営のインドネシア鉄道を通して、4月の10両に始まる合計90両の日本製中古電車導入に着手した。これらは80年代に製造された冷房車両で、中央(ボゴール)線、スルポン線に投入され、混雑緩和が期待される。

 結果として中古電車を購入することになったが、この導入は政府内部に大きな議論を巻き起こした。「何故、中古なのか」、「何故、最新性能を有する新車でないのか」、「何故、先進国で時代遅れとなったものに、国家予算を使うのか」である。

 反対意見は、「スクラップ」の購入は必然的にメインテナンスコストを増大させるというもの、また、真っ黒な排気ガスを吐き出す中古バス、過積載で沈没する中古フェリーのような厄介な問題を引き起こすのではないかとの懸念もある。一方、賛成意見は、低コストの割には質が高いというものである。

 答えは、運輸省の限られた予算にあった。2010年の運輸省予算は16兆ルピア、これは国家予算の4.8%にすぎず、かつ70%は人件費で消えてしまう。そのため、施設などへの予算は限られる。最終的に政府が中古電車導入を決定したのは、新車導入よりはるかにコストが低いからである。中古電車の価格は輸送費を含め1両当たり10億ルピアであるのに対し、国営鉄道車両会社で製造される車両のコストは15ないし20億ルピアに達する。限られた予算の中では、中古電車購入を選択せざるを得ない。

 しかし、「これでは国内産業が育たない」、「国内で新車を製造すれば、少なくとも国外へ資金流出しない」という反対意見も根強い。最終的に政府が用意した回答のひとつに、「新たな商品開発の時間的余裕を確保すること」が挙げられる。300両の電車が必要であるとして、国内で短期間にどうやって製造するのか。

 ところで、どのような理由であれ、購入した製品は安全性とコンプライアンスの面で、Euro II emission standard などの認証を受ける必要がある。また、国内産業を保護する必要もある。例えば、フェリーのように、エンジンは輸入しても船体は国産化するなどの措置が必要である。さらに、中古製品購入には、スペアパーツやメインテナンスのこともあらかじめ考慮すべきである。事故を起こさないため、中古品の寿命について知っておくことも必要であろう。

 予算の制約は時に中古品の購入を余儀なくさせるが、市民の安全確保が購入前に最も考慮されるべきことである。
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 いかがでしたか。多方面から考察された、冷静かつ現実的な意見であると思います。乗客の安全確保を第一に考えていることも、正しい判断と言えましょう。付け加えるとすれば、2000年以来導入されている日本製中古車両の良好な運行実績が挙げられます。メインテナンスの困難さから廃車となった車両は1両もありません。逆に、最新式の車両はメカニズムが複雑すぎ、却ってメインテナンスに支障をきたす可能性があります。かつてVVVFインバータ制御方式による当時最先端の新車導入を行い、後に整備に難儀した歴史が想起されます。現場で何が起きているかをこの目で見ることも、重要だと思います。
  
 
 今回は、インドネシア鉄道HPの一部である、「インドネシア歴史遺産鉄道(Indonesian Heritage Railway)」のご紹介、その最終回です。同サイトに記述されたインドネシアの鉄道遺産のうち、引き続きジャカルタ首都圏のものをご紹介します(写真は筆者撮影)。

(4) パサールスネン駅
イメージ 1 パサールスネンの由来はオランダ統治時代の1733年、当時の植民地政府によってこの地に、月曜日に市が立てられたことに始まります。「パサ−ル」とはインドネシア語で市場、「スネン」は月曜日を表す「スニン」が変化したものです。その後、市は連日開催されるまでに発展し、主に中国系住民が多く住む地域となりました。また、独立後も引き続き、商業活動の中心として活況を呈しています。

 パサ−ルスネン駅は、市場へのアクセスのために、バタビア(ジャカルタの旧名) - ブカシ間を結ぶ鉄道上で1887年に開業しました。開業当時は臨時駅に過ぎませんでしたが、乗降客の増加に伴って後に正式の停車場に昇格、1925年に新駅舎が落成しました。

 右上写真は、パサールスネン駅舎

(5) ボゴール駅
イメージ 2 ボゴール駅は、オランダ統治時代にバタビア(ジャカルタの旧名) - Buitezorg (ボゴールの旧名)線の終着駅として1872年に開業しました。その後乗客の増加に伴って1881年に駅舎を新設、現在では、ジャカルタ - ボゴール間だけでなく、ボゴール - スカブミ線の乗客も利用する主要駅として成長しています。駅は市中心部のNyi Raja Permas 通りに面し、敷地5955平方米を擁しており、入口、出札、管理部門などが入るメインビルディングと、プラットフォームを覆う付属建築物の2つの建物から成っています。

 右上写真は、ボゴール駅舎

インドネシア歴史遺産鉄道のHPアドレス:http://indonesianheritagerailway.com/
 今回は前回に引き続き、インドネシア鉄道HPの一部である、「インドネシア歴史遺産鉄道(Indonesian Heritage Railway)」のご紹介です。このサイトに記述されたインドネシアの鉄道遺産のうち、ジャカルタ首都圏のものをご紹介してゆきます(写真は筆者撮影)。

(3) 電気機関車ESS3201号機
イメージ 1 この機関車は、1925年にタンジュンプリオク - ジャティネガラ間が電化されたのに合わせ、インドネシア初の電気機関車として導入された、ESS3200型と称される機関車のうちの1両です。ESSとは、当時の鉄道名、Elektrische Staats-Spoorwegen を表していいます。この形式の電気機関車は、当時6両(3201〜3206)製造されましたが、現存しているのは、この3201号機のみ、オランダのWerkspoor 社で制作され、Heemaf 社の765kw パワーユニットを搭載しています。長らく地元の人たちから、「ボンボンちゃん(Si Bon Bon)」と呼ばれて愛されてきました。

 1930年には、電化区間がBuitenzorg (現在のボゴール)まで延長されたのに伴い、タンジュンプリオク - ボゴール間の運用に就き、環状線でも客車を牽引して活躍しました。その後、1976年にジャカルタ首都圏の鉄道が電車化されるまで、約50年間にわたり就役しました。第一線を退いてからは、長らくインドネシア鉄道マンガライ工場に放置されていましたが、インドネシア鉄道保存協会の手で修復が施され、2007年に完工しました。2009年4月から9月までタンジュンプリオク駅で展示され、ユドヨノ大統領夫妻による視察の栄誉を受けた後、再びマンガライ工場へ戻され、現在もそこに保存されています。

 右上写真は、タンジュンプリオク駅にて展示中のESS3201号機です。

インドネシア歴史遺産鉄道のHPアドレス:http://indonesianheritagerailway.com/

 インドネシア鉄道HPの一部に、「インドネシア歴史遺産鉄道(Indonesian Heritage Railway)」というサイトがあるのをご存知ですか。2009年に開設されたこのサイトには、有名なアンバラワ保存鉄道を始めとするインドネシアの鉄道遺産が網羅されており、英語版もあります。今回から3回に分けて、このサイトに記載されているジャカルタ首都圏の鉄道遺産について、他の資料からの情報も交えてご紹介します(写真は全て筆者撮影)。

(1) ジャカルタコタ駅
イメージ 1 ジャカルタコタとはジャカルタ市を意味します。この駅は、オランダ植民地時代にはBeos、あるいはBatavia Zuid の名で知られていました。Beosとは、Bataviasche Ooster Spoorweg Maatschappij (東バタビア鉄道)の略、Batavia Zuid とは南バタビア(南ジャカルタ)の意味です。何故「南」バタビアと呼ばれたかと言うと、この駅とは別に、ジャカルタ - ボゴール間を結ぶ他の鉄道会社ターミナル、「北」バタビア駅も存在していたからです。

イメージ 2 植民地時代の1870年ころに先代の駅舎が建設されましたが後に閉鎖、1926年になって現在見られる建築物として復興建設が始められました。そして1929年8月19日に工事が完成、同年10月13日から正式に供用が開始されています。

 なお、駅舎は、オランダとインドネシアの建築様式が折衷された貴重な建物であるため、1993年に「歴史・文化建造物」に登録されています。

 右上写真は高い天井を有するコンコース、右下写真は、おそらく正式な正面入口(通常は閉鎖)と思われます。酷暑のジャカルタ市内にあって、風通しもまずまずで涼しく、気持ちのよい場所のひとつです。

(2) タンジュンプリオク駅
イメージ 4 この駅の存在は、19世紀末にオランダ領東インドによって建設されたタンジュンプリオク港と無縁ではありません。タンジュンプリオク港は、それまで使用されていたタンジュンクラパ港を移設する形で、新たなバタビア(現ジャカルタ)の外港として建設されました。ところが当時のタンジュンプリオクは、危険な森林と沼沢地域内にあり、南方に位置するバタビア市内への安全な輸送手段、鉄道が必要でした。タンジュンプリオク駅は、港とバタビア中心部を結ぶ鉄道の起点駅として1885年に建設されたのです。

イメージ 3 しかし、開設当時のタンジュンプリオク駅は今の駅より1km ほど北にありました。現在の駅舎の完成は1914年、General AFW Idenberg (在任1909 - 1916年)知事の時代に、Staats - Spoorwegen 鉄道会社の Ir. C. W. Koch を主任技術者に迎えて建設されました。工事は、ヨーロッパからの130人を含む1700名を超す労働者を必要としました。その結果、8面のホームを有する敷地と、アールデコとキュビスムの影響を受けた壮麗な駅舎が出現しました。同駅は決してジャカルタの中央駅ではありませんが、ここまで大規模な駅となったのは、港で客船に乗り換える欧州人たちの、待合場所としての機能を持たせる必要があったからです。

 その後1925年4月6日、ちょうど Staats Spoorwegen 鉄道開業50周年記念日に電化開業、1930年にはタンジュンプリオクからボゴールへ直通するEL牽引列車が営業を開始しました。この記念すべき電気機関車のお話は、次回といたします。

 右上写真は、ホーム入口にあるゲートと時計、下は大屋根に覆われた長大なプラットフォームです。20世紀初め、タンジュンプリオク港からジャワ島へ上陸した欧州人たちは、この光景を見て何を思ったのでしょうか。

インドネシア歴史遺産鉄道のHPアドレス:http://indonesianheritagerailway.com/

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