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先日、地元英字紙に、標題の興味深い記事が掲載されました。これ読むと、ジャカルタ首都圏を走る電車の光景が目に浮かぶようです。既にジャカルタの電車に乗車された皆様は、なつかしく思われることでしょう。一方、まだ乗車されていない皆様には、その雰囲気が良く伝わると思います。
以下にご紹介いたします。
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首都の最も活気ある地域のひとつに位置する広大なタナアバン駅に、けたたましい笛の音が響き渡ります(*)。
「スルポン、スルポン」
公衆トイレの案内人が、2階コンコースと地上のプラットフォームで列車を待つ乗客に対して叫んでいます(**)。午前11時、タナアバン – スルポン間で運行されているエコノミー電車が「キィーッ」という音を立てて停止すると、電車を待っていた人たちは肘で(降車しようとする)他の乗客を押し分けて電車に乗り込み、わずかな座席に突進しました。
片道1,500ルピア(***)の運賃では快適な旅は期待できません。窓は破壊され、ドアは開放位置にロックされているにもかかわらず、車内はいつもながら暑く、埃を伴う汚れた空気が入ってきます。ごみが床に散乱していますが、気にかける人はいません。
乗客が満員になる頃、靴磨き、ミュージシャン、物乞い、物売りの集団が車内に乗り込み、活動を開始しました。
「ヘアピンは、いかが?」
物売りが女子高生にヘアアクセサリーのセットを勧めます。彼女から拒否されていないとわかると、彼はアクセサリーが満載された板を見せます(****)。
「どれがお好みかな?赤いヘアバンド?イヤリングもいろいろあるよ」
「要りません」
女子高生が微笑みながら答えると、物売りは次の乗客のもとへ向かいました。
彼が道を空けるように去ると、今度はそこに、だぶだぶのTシャツとジーンズをまとった3人組のティーンエイジャーが、箒を持って現れました。彼らはすぐにしゃがみこみ、レジ袋、ティッシュ、吸殻、紙くずを掃き、そして乗客からは、小銭を受け取ることと引き換えに、あらゆる種類の廃棄物も引き取りました。何人かの乗客は、息が詰まるような巻き上げられた埃に悩まされましたが、それでも小銭を渡す以外の選択肢はありませんでした。車内清掃人たちは、車両から車両へと移動してゆきます。
ある混雑した車両では、体の不自由な物乞いの一団が、乗客にお金を無心していました。擦り切れたTシャツ、橙色の膝まであるショーツ、そして色あせた青いヘアバンドをまとったNyai は、曲がった足を引きずって、車両の床を進んでゆきます。塵と埃にまみれながら、彼女は一人の乗客の前に向かい、最終的にその乗客から、1,000ルピアを獲得しました。紙幣を受け取りながら、彼女は小声で祈り、微笑み、そして次の乗客へと向かいました。
「1日に30,000から45,000ルピアを稼ぐのよ」
スルポン駅のプラットフォームで電車がタナアバンへ折り返す10分間、33歳のNyai は物売りから恵んでもらったリンゴを頬張りながら語りました。1日を車内で過ごすわけではないとも。
「私が車内にいるのは、午前10時から午後2時までよ」
通勤電車内での物乞いは簡単だとも語りました。
「私は歩けないの。その私が、大勢の人でごったがえす市場の狭い通路を、歩きながら物乞いすることなんてできると思う?」
彼女は自分の不幸な身の上についても語りました。何年か前に夫に先立たれ、二人の男の子が残されたこと、長男は建設現場で働き、二男は小学校5年生であること…。
「私がこれ(物乞い)をしなければならないのは、長男の稼ぎが悪いからよ」
乗客にとって、物乞い、清掃人そしてミュージシャンの存在は、日常のものとなっています。中には、彼らから友人とされている人々もいます。
「私は、彼らがいても平気よ。ミュージシャンの一人とは友人だし。でも、今日は彼を見かけないわ。」
女子高生のFani は、物売りからスナック菓子を買いながら、そう言いました。
訳者注
(*)笛の音とは、多くの場合警備員が列車の接近を知らせるために、吹いています。
(**)公衆トイレの案内人は、駅のトイレを管理するともに、入口に箱などを置き、利用者からチップを受け取っています。利用者は、利用後に1,000ルピア程度(定額の駅もある)を支払います。「スルポン、スルポン」と叫んでいるのは、スルポン行きがこちらから発車すると言う意味です。
(***)1ルピア= 0.0091円
(****)ヘアアクセサリーは通常、透明の子袋に入れられて、全て縦長の板に貼り付けられています。物売りはこの板にひもを通し、肩に担いで車内を巡回します。
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いかがでしたか。日本の電車では考えられない光景ですね。せわしくやかましい駅構内、不潔な車内、そして、そこに現れる夥しい数の物乞い、物売り、ミュージシャン、清掃人、靴磨き等々…です。彼らは皆、生きることに必死です。けれども、どこかのんびりしたところもあって、貧しいながらも、楽しみやゆとりのようなものさえ感じられるのは、私の錯覚でしょうか。こんな独特の雰囲気が感じられるのは、ジャカルタが南国だからかと思われます。この気候風土によるものかと…。
「これと似た雰囲気を、以前にも感じたことがあるなあ」と記憶を手繰っていくと、ずっと昔に読んだ一編の小説を思い出しました。谷川健一作の「海の群星(むりぶし)」です。舞台は沖縄、漁師の親方に買われた「雇いん子」が強いられる過酷な労働を描いた物語でした。悲惨なストーリーが描かれていて、読んでいると気が滅入りそうなのに、背景が南国なので、何故かその独特の気候風土に心が癒される …そんな読後感が残ったことを覚えています。
ジャカルタ通勤電車の日常 ... それは厳しいけれど、どこかゆとりも感じられる、庶民の不思議な生活空間で繰り広げられていました。
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人々
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インドネシアの鉄道趣味雑誌である「Majalah KA」の12月号は、運転士(機関士)の特集号です。運転士(機関士)になるための訓練から、彼らの日常、インタビュー記事などが掲載されています。その中のひとつ、彼らを悩ます「沿線住民のバンダリズム」とおなじみの「屋根乗車」、そして「困った乗客」について、以下にご紹介します。
1. 投石
運転士めがけて投げられた石が腕に当たる単純な事例から、中には石が目に当たって失明した運転士もいます。また、投石によって割れたガラスの破片によって眼球を傷つけた乗客がいます。
「Majalah KA」誌編集者の経験では、ボジョングデ - チタヤム間で、制服姿の沿線の中学生たちが投石、客室のガラスが割れたのを見たことがあるそうです(幸い窓にはフィルムが貼られており、破片で怪我することはありませんでしたが)。一方、タナアバン機関区のヘリー機関士によれば、最も恐ろしいのはサッカーの試合が行われる競技場のそばを通過する時だそうです。両チームのサポーターが石の投げ合いをすることがあるとのことです。
2.屋根乗車
ボゴール電車区の指導運転士デディ氏によれば、混雑時の乗客による屋根乗車も悩みの種です。感電や転落はもちろんですが、屋根の強度も心配です。乗務員室窓をステップに使って屋根によじ登る、屋根上から乗務員室側に向かって、前方に物を投げるなどの迷惑行為も後を絶ちません。
3.暴力
前述のヘリー機関士によれば、試合前後にサッカー場へサポーターを運ぶのは、緊張を強いられるそうです。何故なら両チームのサポーターが車内で遭遇し、暴力沙汰になることがあるからです。一方、デディ運転士によれば、乗客が運転士に直接暴力を振るうこともあるそうです。彼の経験では、マンガライ、レンテンアグン駅に停車の際、乗務員室に近づいてきた乗客に平手打ちされ、あるいは顔面を殴打され、床に転がされたそうです。
何ともすさまじいですね。日本では考えられない運転士への脅威です。
投石については、私も中央線乗車中にパサールミング付近で遭遇、こぶし大の石がドア窓から入って来て、客室床に転がったのを見たことがあります。幸い車内が空いていたため怪我人はいませんでしたが、ドアの窓ガラスは、粉々になりました。最も安全なのは、「戸袋窓のない車両の戸袋部分の座席を確保すること」と悟りました。
一方、屋根乗車については、かつて新聞記事で「客車の屋根が陥没して怪我人が出た」との報道を見たことがあります。一体何人が屋根乗車すると、陥没してしまうのでしょう。客車の屋根は、そんなに軟弱に出来ているものなのかと疑問を抱いた覚えがあります。
暴力行為もすさまじいですね。運転士が恨みを買うとしたら、客が乗車中であるにもかかわらず電車を発車させた、非常制動をかけたなどの原因が考えられます。それにしても、平手打ち、殴打までしますかね。
インドネシアには、どちらかと言うと、のんびりとして穏やかな人が多いと思います。しかし、何らかのきっかけで一旦スイッチが入ると、公共道徳を守らなかったり、突然暴力行為に及んだりするのでしょうか。普段の彼らからは、1997年に発生しスハルト退陣のきっかけとなった暴動など、想像もできないことです。それはインドネシア人に限らず、我々人類がもつ影の部分かもしれません。最悪の場合、戦争まで行きついてしまうような…。
運転士さんの憂鬱は続きます。
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「JABOTABEK 鉄道の名物を挙げよ」と私が言われたら、ベスト3くらいに入りそうな物に、トレインミュージシャンがあります(ちなみにトップと2位は、日本時代の方向幕を掲げて走る中古電車と、ドアを開け放して走行し屋根乗車もありのエコノミー電車でしょう)。私もこれまでいろいろな街を訪れましたが、「電車」内に非合法ミュージシャンが現れるのは、ジャカルタとリスボン(ポルトガル)くらいです。
さて、そんな珍しい非合法ミュージシャンのいるジャカルタの電車線の中でも、ボゴール駅は活動の最も盛んな所です。近年、当局による規制が厳しくなり数を減らしてはいるものの、週末ともなれば常時数組が出没、駅構内に歌と演奏の絶えることはありません。どうして、ボゴール駅にはミュージシャンが多いのか、あまり真面目に考えたことはありませんが、以下の理由が思い当たります。
1.JABOTABEK 鉄道の本線格路線の終点であり、電車発着本数が多く、折り返しのための停車時間が長い。
2.比較的海抜が高く涼しいので、音楽活動がし易い。
3.そもそもボゴールには音楽好きが多い
4.ジャカルタ中心部から遠く離れた郊外にあるため警備が緩く、ミュージシャンに対しても寛容である。
1・2・3は、理由としてはかなり怪しいのですが、4は確からしいかと思われます。その証拠に、例えば同じ終着駅でも、タンジュンプリオクやスルポンは「撮り鉄」に対して非常に厳しいのですが、ボゴールでは、私はこれまで一度も警備員さんから注意を受けたことはありません。
さて、そんなボゴール駅である日のこと、私は折り返し停車中のジャカルタコタ行き急行に乗車し、発車を待っていました。車両は旧東急田園都市線8500系8608編成、発車まで残り2分、ドアはホーム側、ホームと反対側とも開放されていました。その時です。ホームと反対側のドアから、男性3人組のミュージシャンが乗り込んできました。いずれも二十歳そこそこの若者、編成はボーカルと思しき1名、パーカッション1名、そして鍵盤ハーモニカ(と言うか「ピアニカ」と言うんでしたっけ、小学校で習ったあれです)1名です。ボーカルらしきお兄さんが、一言二言短い挨拶を行った後、直ちにパフォーマンス開始、聞き覚えのあるインドネシアンポップスが始まりました。
が、正直言って、あまり上手くない。こちとら、もう3年半近くジャカルタの電車に乗り、数限りないミュージシャンを見てきました。自慢じゃないが、耳が肥えています。特にボーカルは調子外れ、NHKのど自慢なら「鐘ひとつ」です。「あ〜あ」とがっかりした頃、急行電車の発車チャイムが鳴り始めました。
「これで、さっさと撤収してくれるだろう」と思いホッとしていると、お兄さんたち一向に止める気配がありません。「まさか、乗車したまま演奏を続けるんじゃ」と心配していると、次の瞬間、パーカッションのお兄さんが、楽器をドアから車外へ出しました。この時点で発車チャイムはもう鳴り終えています。続いて、ボーカルのお兄さんが歌いながらホームと反対側の開放されたドアへ移動しました。こちらを向いて横綱の土俵入りのような姿勢を取り、腰を落とし股を拡げ、左手左足でドアが閉じないよう押さえています。しかし、まだ歌っています。続いて、鍵盤ハーモニカのお兄さんも演奏を停止、パーカッションのお兄さんと共に何やら大声で話しながら、キャンディの空き袋を持って、車内集金(*)を始めました。この時点で電車は、ノッチ1と思われるゆっくりとした加速度で発車しました(ジャカルタの電車は、ドアが閉じなくとも平気で発車します)。
5秒、10秒(多分) … 電車はノッチを上げ、次第に速度を上げてゆきます。ボーカルが押さえるドアを除き、他のドアは全て閉じられました。しかし、まだボーカルはドアを押さえて歌い、パーカッションと鍵盤ハーモニカは集金しています。「おいおい、本当に降りられるの、ドアを押さえているボーカルのお兄さん、危ないよ」と、冷や冷やさせられます。
さらに5秒〜10秒(これまた多分)経ったでしょうか。「これ以上、速度を上げたら、どう考えても飛び降りられない」というぎりぎりのその瞬間、まず集金の二人が助走をつけて、押さえられたまま開放されていたドアから次々ジャンプ、しかし、まだボーカルは歌っています。
そして、さらに1〜2秒後、ようやくボーカルが、歌を止めました。続いてドアを押さえている左手とは反対側、すなわち、自由が利く右手をさっと挙げて乗客に挨拶、この時既に、外の景色は流れるように走り、私の動体視力では線路脇の物体も認識できなくなるほど加速していました。そしてそして次の瞬間、ついにボーカルは後ろ向きのまま、華麗にジャンプして降車して行ったのです。 ... さらに1〜2秒後、「バターン」という大音響とともに、自動ドアが閉じられたのでした。
私はこの間あっけにとられ、我に返るまでしばらく時間がかかりました。あのお兄さん達は、一体何者なのでしょう。ハッキリ言って、ボーカルも演奏も失格ですが、発車間際の危険なパフォーマンスだけは凄い。超々一流です。でも、良い子は絶対にマネをしてはいけません。「ミュージシャン」じゃなかった、訓練を積んだ「スパイダーマン」のお兄さん達だけができる技なのですから …。
冒頭写真は、ボゴール駅で出発を待つ、旧東急田園都市線8500系8608編成、パクアン急行ジャカルタコタ行き(右) (*)パフォーマンスに対する支払いは、あくまで任意です。払う人もいれば、払わない人もいます。支払う場合、多くの人が1,000ルピア(約11円)程度を、キャンディ空き袋に投入しているようです。ちなみに、この日、私は支払いませんでした。
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前々回のコラムで、去る10月2日、中部ジャワのプタルカン駅構内で発生した列車衝突事故について述べました。その後、インドネシアを代表する高級日刊紙である「コンパス」に、この事故の背景を掘り下げた興味深い記事が掲載されました。標題は「運転士(機関士)生活の皮肉な話」、インドネシア語では「皮肉」”sinis”と「運転士(機関士)」”masinis”の綴りが近いことから、このような題名になったものと思われます。
記事にはどのような背景が語られていたのでしょうか。以下に、そのサマリーをご紹介します。
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10月2日の事故を受け、インドネシア鉄道(およびその子会社のKCJ)では箝口令が敷かれたらしく、誰もが取材に対して口が重くなっています。そんな中で40歳の電車運転士Aさんは、「近年乗客が増加し、それに伴って列車本数も増えたため、休暇が取り難くなった」とこぼしました。また、車両や、信号・軌道などの施設、人材の確保も遅れています。KCJでは運転士51名が不足、これは全体の30%に相当しています。56歳定年を過ぎても健康な者を引き続き雇用するなどの対策を立ててはいますが、十分とは言えません。
勤務時間超過も深刻です。一日の勤務時間は8時間ですが、長距離運転の機関士は5時間を限度に休憩を取る規則です。ところが、「ジャカルタ・スラバヤ間の長距離列車ではこの規則は守られていない」と機関士Eさんは語りました。
収入も問題です。運転士Yさんの月給は、わずか190万ルピア(約2万円)にすぎません。健康保険などの福利厚生制度も不十分で、病院で子供の治療を「この健康保険は適用できない」と断られることもあると言います。ちなみにブカシに住むA運転士は、奥様がお菓子を作ってこれを卸し、何とか生計を立てているそうです。
ディーゼル機関車では、騒音のため機関士が難聴となる問題が起きています。運転士・機関士の健康管理も大きな問題です。
しかし、このような状況下でも運転士・機関士は非常に重い責任を負わされています。機関助手のSさんは、「2007年鉄道規則23号では、事故の責任は全て、運転士・機関士が負わされることになる」と語っています。
ある機関士は、「今回の衝突事故では、機関士が居眠りをして、停止信号を見落としたのかもしれない。しかし、そのことだけでなく、機関士が勤務する鉄道システムについても良く見て欲しい」と語りました。
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いかがでしたか。この国の運転士・機関士さんたちが置かれている過酷な環境の一端が赤裸々に語られていますね。特に、5時間を限度とする長距離列車乗務が守られていないのは、事実であれば大きな問題だと思います。果して今回の事故を、「ヒューマンエラー」(運輸相)の一言で済ませて良いものでしょうか。
このような記事を読むと、先に私が紹介した鉄道詩(JABOTABEKの人々、No.7)が思い起こされます。そこに掲げた「運転士と古いロレックス」には、過酷な環境の中で大きな責任を背負って勤務する運転士さんの、それでもなお一生懸命に働く姿が語られており、改めて心を打たれます。今回の事故を契機に、文学のもつ力、洞察と先見性にも、私は再認識させられたのでした。
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レバラン(イスラム教の断食明け大祭)前の最後の日曜日と言えば、日本で言えば正月前の最後の日曜日に当たります。お祝い準備のため、多くの人々が新しい服や日用品を買い揃えようと、市場へどっと繰り出します。ちょうど東京で言えば、アメ横へ人々が殺到するのと似ています。そして、その日の午後、下り電車は買い物帰りの荷物を抱えた家族連れで、大混雑となります。
2両目に乗車余地を見つけて何とか車内に入ると、周囲の乗客が「ドアに体を挟まれないように、体をもっと引っ込めるように」と、盛んに私に注意してくれます。かつて日本に住んでいたころ、私は1年間だけ有楽町線で通勤したことがあり、はっきり言って「混雑したこの電車については、あなた方より私の方が詳しい」と言いたいところですが、いちいち説明するのも面倒なので、じっとこらえて、「はいはい、ありがとうございます」などと素直に従ったのでした。
さて、パルメラ駅を発車すると、軌道の保守が今一のため電車は上下左右にと揺れ動きます。そのたびに、あちこちから悲鳴に似た叫び声が聞こえて来ます。やがて私の周囲では、「ここに少し余地があるから、足をもう少し前に出すように」とか、「その荷物は棚にスペースがあるから、そこに置くように」などの指示が飛び交い始めました。それは何というか、見知らぬ同士の奇妙な連帯なのです。
やがて電車は、次のクバヨランに到着、ここからさらに乗客が加わり、いよいよ車内はぎゅうぎゅう詰めの超大混雑状態となりました。最早、身動き一つできません。そして、クバヨラン駅を発車後、「それ」は起こったのです。
初めに「それ」を試みたのは、私の近くに乗車していた小学校低学年くらいの男の子でした。車掌さんが、「スタシウン、ブリクットニャ〜、ポンドックランジ〜(次の停車駅は、ポンドックランジです)」と独特のイントネーションで車内放送すると、同じ抑揚で「ポンドックランジ〜」と真似しました。続いて「ピントゥクルアール、スブラ〜カナン(出口は右側です)」と放送が入ると、またもや同じ抑揚で「スブラ〜カナン」と繰り返します。その真似方が面白かったのか、やがてポンドックランジ駅が近づき、「スサートラギ〜、スタシウン、ポンドックランジ〜(間もなくポンドックランジに到着します)」と放送されると、今度は数人の乗客が一緒になって「ポンドックランジ〜」と真似しました。
車内が大ブレイクしたのは、そのポンドックランジ駅を発車した直後です。車内は相変わらず、不快なぎゅうぎゅう詰め状態でした。早速、車掌さんが、「スタシウン、ブリクットニャ〜、ジュランマング〜(次の停車駅は、ジュランマングです)」と放送した瞬間、車内のほとんどの乗客が一斉に、「ジュランマング〜」と繰り返したのです。続いて、「ピントゥクルアール、スブラ〜カナン(出口は右側です)」と放送されると、またもやほとんどの乗客が、同じ抑揚で「スブラ〜カナン」と叫びました。身動きひとつとれなかった不快な車内は、その瞬間大爆笑に包まれ、快適な空間へと変化しました。その後、車内放送に合わせた大合唱が、しばらくの間続いたことは言うまでもありません。
よく「インドネシアの人たちは明るい」と言われますが、それはこんなところにも表れています。貧富の差が激しいこの国では、庶民の暮らしは決して楽ではありません。けれども、そんな人たちが、「私の車内での立ち位置」にまで気を配ってくれ、最後には身動き一つできない空間で全員が「大合唱」しているのを見ると、人々が連帯して、支え合って暮らしているのを実感することができました。
ジャカルタの「ぎゅう詰め電車」、それは庶民の奇妙な連帯を体感できる、貴重な空間でした。
冒頭写真は、パルメラ駅に到着した下りエコノミーAC、パルンパンジャン行き538列車、旧東京メトロ7000系7117編成、右上写真は、混雑する車内(スルポンで半分の乗客が降車した後の状態)
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