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先日地元メディアに、ジャカルタのパークアンドライドに関わる取材記事が掲載されました。取材は主に、スルポン線のジュランマング駅を対象に行われています。この駅は、市民にパークアンドライドを奨励するため、インドネシア鉄道とKCJが、新興住宅地の近くに、広い駅前駐車場を確保した新駅を2009年に開業させたものです。その後、一部の急行電車も停車するようになり、今日に至っています。それでは以下に、記事の抄訳を掲げましたのでご覧ください。
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年々悪化する交通渋滞の中で、ジャカルタ郊外居住者は、市内へ通勤するための費用対効果の高い手段が求められています。そのひとつが、個人の乗り物と公共交通機関を組み合わせた「パークアンドライド」です。
通勤者は郊外駅で自家用車を駐車、そこからジャカルタ中心部へは電車で向かいます。これは単に渋滞のイライラを解消するだけでなく、コストと時間の節約にもなります。
「私はこの方法で2時間の時間と、幾ばくかのお金を節約しました。」
そう語るのは、南タンゲランのチプタットからの通勤者Zさんです。彼は午前6時に家を出て、スルポン線ジュランマング駅まで自家用車を運転し駐車、そこからタナアバンまで電車を利用しています。運賃は5,000ルピアです。タナアバンから北マンガドゥアの勤務先までは、約15,000ルピア支払ってオジェック(バイクタクシー)を利用しています。彼は以前、もっと多くのお金をかけて通勤していました。
「かつては、一日に60,000ルピアも通勤交通費にかかっていましたが、今では40,000ルピアで済みます。」
と52歳の彼は語りました。
南タンゲランのビンタロジャヤに住む女性、Dさんは、パークアンドライドで多くの利便性を享受しています。
「市内の道路は込んでいて駄目です。ストレスが溜まるだけです。電車に乗れば、早く帰宅でき、子供たちとの素晴らしい時間を過ごすことが出来ます。」
そう語る彼女は42歳、クバヨランラマの製薬会社に通っています。彼女は、ジュランマングから乗車してパルメラで下車、そこから職場まではオジェックを利用しています。一日の通勤交通費は25,000ルピア、以前自家用車通勤していた時は、70,000ルピアもかかっていました。
パークアンドライドの最も魅力的な点は、何と言ってもそのコストです。駅前駐車場では、一日当たり、たったの5,000ルピアを支払うだけで駐車できます。市内中心部の駐車場代が、1時間あたり2,000ルピアであることを考えれば、その低価格は際立っています。もっとも、最近の需要の高まりによって、郊外の駅前駐車場の利用料金は上昇傾向にありますが。例えば、ジュランマング駅では、最初の3時間まで2,500ルピア、丸一日駐車して6,500ルピアです。
(注) 1ルピア=0.0107円
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いかがでしたか。日本人から見れば、ジャカルタ中心部の駐車場代が、1時間あたり2,000ルピア(約21円)というのは、それでも十分に魅力的です。しかし、問題は都心へ続く道路の大渋滞です。例えば上記のジュランマング駅の場合、スルポン線に併走する道路は、有料の高速道路のみ、しかも毎朝大渋滞しています。時間の節約を考えれば、鉄道利用の方が優れているのは明らかです。
それでは、何故もっと爆発的にパークアンドライド利用者が増加しないのでしょうか?理由はいろいろあると思います。「電車への乗り換えは面倒」、「電車は本数が限られている」、「エコノミーに乗車すると、混雑が激しい」、「エコノミーでは、スリなどの犯罪に遭遇するリスクが高い」、「そもそもパークアンドライドに関する情報が少ない」などでしょうか?スルポン線は比較的輸送力にゆとりがあり、変電所容量の増強などで、まだ電車増発余地もあると思います。あとは、都心側の接続交通手段が、もう少し充実すると良いのですが・・・。
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施設
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ジャカルタ首都圏の駅構内で、発車案内表示の設置が進められています。
最初に設置されたのはタンジュンバラット駅(冒頭写真)、2009年5月、KCJ(PT KAI Commuter JABODETABEK)がインドネシア鉄道会社から分離独立した際、同駅で開催される記念式典に合わせ、駅舎内とホーム上に設置されました。エコノミー・エコノミーAC・急行の各種別が「何分後に到着するか」と、「今、どこを走行しているか」が示されています。何しろ(おそらく)インドネシア初の導入であり、多くを望むことは困難ですが、表示が見にくいという難点がありました。
次に設置されたのは、ジャカルタコタ駅コンコースと思われます(下写真)。この表示は、日本の多くの駅と同じく、発車時刻、行先、種別となっており、左から2列目のコラムに列車番号も掲示されているのが、強いて言えば日本と異なる点でしょうか。当初は中・長距離列車の発車案内のみ表示されていましたが、後に電車の案内も加わりました。画面の左側半分では動画を見ることが出来ます。インドネシアの鉄道史、インドネシア鉄道会社の宣伝などが常時放映されています。難があるとすれば、掲示位置が高すぎて見にくいこと、発車番線表示が無いことでしょうか。
3番目の設置は、タナアバン駅コンコースと思われます(下写真)。この表示は大型LED画面から成り、日本の一昔前の表示に最も近い印象を受けました。種別、行先、(到着および)出発時刻、の他に、発車番線も表示されています。
最後に、おそらく最近設置されたと思われるブカシ駅ホーム上の表示をご紹介します(下写真)。この表示は発車順序、発車時刻、列車番号、行先、種別(あるいは列車愛称)が表示されており、電車と中・長距離列車の双方が案内されています。空港の出発便案内に近い印象です。雨除けのためアクリル板で覆われているため、見にくいのが難点です。
以上、ジャカルタ首都圏に導入された、発車案内表示についてご紹介してきました。ジャカルタにも発車案内表示が出現し、かつ、多くの駅で導入が進んでいるのはうれしいことなのですが、駅によっては、まだまだ工夫の余地もあると思います。例えば、「掲示位置が高すぎて見にくい」、「表示内容が理解しにくい」、「発車番線表示が無い」、「発車済みの列車は表示から消去してほしい(あるいは、出発済みと表示してほしい)」、「規格を統一してほしい」などです。
近い将来、さらにソフィスティケイトされた表示が進むことを願っています。
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ブカシ線のブカシ駅は、ジャカルタ中心部からの電車線終着駅です。また、ここから先、バンドン・スラバヤ方面への非電化区間を行く中長距離列車との共同使用駅となっています。ホームは島式2面4線、内側2線をKCJ (PT KAI Commuter JABODETABEK) の電車が、外側2線をインドネシア鉄道の中・長距離列車が使用しています。頻繁な電車・列車の発着に伴い、駅構内の線路容量は限界に近い状態にあります。
しかし、この駅には利点もあります。それはホームが長いことです。20m車でおおよそ14両分の有効長があります。その結果、電車の「縦列停車」が可能なのです。冒頭写真は、同駅2番線手前に旧都営地下鉄三田線6000形6281編成6連、その先に旧JR東日本103系E20+E22編成8連が停車しています。前者は折り返し後発のエコノミーACタンジュンプリオク行、後者は折り返し先発のエコノミーACジャカルタコタ行です。空きとなっている3番線には、この直後にジャカルタコタ発のエコノミーが到着しました。
この日はダイヤが乱れていたための臨時措置かと思われますが、分割併合を伴わない2つの列車が縦列停車するシーンは、日本ではほとんど見かけません。特に、8両編成と6両編成電車という比較的長い編成の電車が縦列停車するというのは、聞いたことがありません。
多くのことに言えるのですが、(良く言えば)フレキシブルと言うか、(悪く言えば)いい加減と言うか、何でもありなんですね。
下の写真は、同一番線で顔を合わせた、旧JR東日本103-384車と旧都営地下鉄三田線6281車
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ジャカルタ首都圏の鉄道が来月24日で電化開業86周年を迎えます。JABOTABEK RAILNEWSでは、これまでジャカルタ首都圏における鉄道の歴史について、詳しい解説をしたことはありませんでした。そこで、これを機に今回は、ジャカルタ首都圏鉄道史について述べたいと思います。
インドネシアにおける鉄道の歴史は古く、その開業は日本より5年も早い1867年まで遡ります。しかし、当初の開業区間は現在の首都ジャカルタ近郊ではなく、中部ジャワ(現・第4地域事業部管内)のスマラングダン – タングン間の延長25kmでした。その後、1871年9月15日、現在のジャカルタコタ – ガンビール間に、ジャカルタ近郊としては初の鉄道が開通、続いて1872年にガンビール – ジャティネガラ間、翌1873年にはジャティネガラ – ボゴール間が一気に開通、現在の中央線が全通しました。
続いて開通したのは、タンジュンプリオク線のジャカルタコタ – タンジュンプリオク間で1885年、さらに、ブカシ線のジャカルタコタ – ブカシ間が1887年、タンゲラン線のドゥリ – タンゲラン間が1899年1月、ドゥリから西線タナアバン、スルポン線、パルンパンジャンを経由してランカスビトゥンまでが同年10月、西線タナアバン – マンガライ間が1922年、そして環状線北部のアンケ - カンプンバンダン間の開通が1923年などとなっています。
上記のとおり、現在のJABOTABEK鉄道線が、非電化でほぼ全線開通した後、オランダ植民地政府は1923年から電化工事に着手、翌1924年12月24日、タンジュンプリオク – ジャティネガラ間が電化完工、電気機関車牽引による客車列車が運行を開始しました。当時活躍した電気機関車には、スイスSLM、BBC社製3000型、ドイツAEG社製3100型、そしてオランダWelkspoor社製3200型があります。このうち、現存するのは3200型3201号機1両のみです。また、同じオランダWelkspoor社製、Westinghouse社製およびGeneral Electric社製電車も運用されていました。電化工事は、その後、タンジュンプリオク – ジャカルタコタ間が1927年、ジャカルタコタ – ボゴール間が1930年に完成しています。
このように、当時アジアでは先端を行く電気鉄道システムを作り上げたジャカルタ首都圏でしたが、インドネシア独立後は新たな電気機関車・電車の導入もなく、次第に輸送力が低下してゆきました。そんな中1976年、インドネシア政府は、日本製電車、現在のKL3-76系を導入し、近代化に着手しました。その後は、引き続き新型電車の導入に努める一方、2000年には都営地下鉄から冷房付き中古電車72両を贈呈され、現在の日本製中古電車全盛時代の礎が築かれたことは、ご存知のとおりです。
冒頭写真は、ジャカルタ首都圏で最も早く開通したジャカルタコタ - ガンビール間(現在は、高架線)2007年12月1日撮影、下写真は、ジャカルタ首都圏の電化に伴い導入された電気機関車3200型3201号機、2009年4月18日タンジュンプリオク駅にて撮影
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先日、JABOTABEK RAILNEWSをご覧いただいた、ある日本人の方(仮にO氏とします)から、思いがけないメイルを頂戴しました。O氏は私の「歩き鉄」を記録したフォトギャラリーNo.20をご覧になり、その中の護輪軌条の写真に注目、インドネシアには同様の「古レール」が、他にもまだ色々とありそうなので、折りに触れて紹介して欲しいとのことでした。
私は、「古レール」というものの存在について、薄々は知ってはいました。例えば、電車通学していた少年時代に、京王井の頭線の下北沢駅(あるいは明大前駅だったかもしれない)のホーム支柱に「KRUPP 190X(Xの部分は失念)」と刻まれたものがあり、これがドイツ、クルップ社で190X年に製造されたレールであると何かで読んだことがあったからです。しかし、その支柱は、いつの間にか撤去されたため、すっかり記憶の彼方に消え去り、その後、私が「古レール」を意識することはありませんでした。ところがO氏によれば、日本国内には氏を始め「古レール」に熱心に取り組む愛好家の方々がおられるとのことです。その日本の古レール研究は、昭和54年(1979年)頃から本格的に開始され、既に相当のレベルまで達しているとのことでした。ただ最近ではやや行き詰まりを示しているとのこと、これを打破するには海外の古レールとの比較研究が必要とのご意見です。
ところで、フォトギャラリーで紹介した写真には、「KRUPP 1880」と刻まれており、これを、「ドイツ、クルップ社1880年製ではないか」と記したのですが、研究歴10年のO氏によれば、概ね間違いないようです。さらに、私が撮影した写真が他に何枚かあったため鑑定をお願いしたところ、驚くべきことが分かってきました。例えば、冒頭の写真は「KRUPP 79.10.」と刻まれているように見えますが、これはクルップ社で、1879年10月に製造されたもののようです(西暦の上2桁省略は頻繁に見られるとのこと、10が10月を示すかは議論の余地あり)。そして何と、日本国内で見られるクルップ社製レールの最古の物は1880年製であり、これより古い物は見つかっていないとのことでした。つまり、冒頭写真のレールは非常に貴重なものである可能性があります。
一方、本欄一番下に掲げた「鉄製枕木」写真中の「H-WENDEL 1926」の刻印については、フランスのヴァンデル(ウェンデル)社のもので、日本でも1920年代になってから入ってきたメーカーだそうです。鑑定では他に、ベルギー製の鉄製枕木も確認されました。
思えばインドネシアの鉄道は日本に遡ること5年早い1867年に開業、その後近代化が遅れたことから、相当量の古レールが残されている可能性があります。O氏によれば、インドネシアの鉄道はオランダ主導で建設されたものの、オランダ製のレールというのは聞いたことがなく、イギリスやドイツあたりのレールを導入していたのではないかとのことです。そして、記念すべき初代レールは、開業2年前くらいに製造されたはずと推定、これが正しいとすれば、インドネシアでは1865年製の古レールが発見される可能性があります。
私はO氏の古レールに関する知識に感心するとともに、日本の古レール研究の行き詰まり打開のために、海外の古レールに目をつけるという「発想の転換」に心を打たれました。同時に、インドネシアの鉄道を楽しむための、新たな「ツール」を身につけた嬉しさで、とても満たされた気分になりました。「古レールのどこが楽しいの?」と思う方もおられるかもしれません。しかし、レア物から年代物まで、何かを収集して分類し、その歴史を知ることは、とても楽しいことなんだろうなあと、私は思いました。
鉄道趣味とは、本当に奥の深いものがありますね。
冒頭写真は、ドイツ、クルップ社で1879年に製造されたと推定される「古レール」(現在は護輪軌条)、下の写真は、フランス、ヴァンデル社1926年製造の現役「鉄製枕木」、いずれもボゴール-スカブミ線で撮影
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