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今日は快晴です・・・ 我が家の庭の梅の木も今が満開です。 6月頃には5キロ程の梅の実をつけてくれる優秀な木。 さっき庭に行ったらミツバチたちが盛んに飛び回っている音が聞こえました・・・。 青い空・・・ 空はどこまでも続いているなあ・・・ 自分の抱える悩みは、本当はちっぽけなものなのかもしれません。 時には弱くなる自分の心と どう向かいあったらいいのかな・・・ 自分の心をちゃんと見つめて 頑張ってきたことには、頑張ってきたよね!と言ってあげて 辛かったことには、ほんと辛かったよね・・・と言ってあげる。 そういう中で 自分の中にある心の傷・・・というものが 少しづつ癒されていくそうです。 私が不妊の期間に感じた感情は もう大丈夫だと思っていました・・・ その後、子どもを授かって幸せに生活しているから。 でもその期間感じた感情は 私が自分で思っていたよりも、もっと深い傷となって 心に残っていたんですね・・・ 子どもができてからも最近までは よく夢を見ました・・・ 子どもと一緒にどこかへ出かけていて ふと気が付くと子どもがいないんです! 色んな所を探し回っても見つからない・・・ よく泣きながら目が覚めたものです。 テレビのニュースで子どもが虐待されたという報道を聞くと その場面を想像してしまって 心がわしづかみにされる程苦しくなって 動機も激しくなって動けないほどショックを受ける・・・ こういうことは不妊時代の辛い感情と関係があるとは思っていませんでした・・・ でもマタニティーブルーがあるように 産後うつがあるように 不妊のためにうつになったりすることも有り得るな・・・ そう認められました。 私の今までの人生の中で 最も心が弱っていた時期だった・・・・ そう思います。 その時期を越えて今 新しい出発をしていかないといけないようです。 その当時の自分を押し込めてはいけないんですね・・・ シュタイナー教育で言うと 人は7年のリズムで成長するそうです。 私の場合は35歳から42歳の「第2期・・・魂の成長」期間で 「第3期・・・精神的.霊的成長」の期間へ移行する時なんですね・・・ 「おうちでできるシュタイナーの子育て」 クレヨンハウス 本文からの抜粋・・・ 42歳で大人として完全になるためには、自分で自分の人生を 引き受けられるように魂が成熟していくことが課題です。 今の私は過去の傷を負った心を 自分自身で少しずつ癒してあげながら 今までの自分の人生を引き受けていかないといけない・・・ そんな人生の一つの岐路に立っているんだ・・・ そう思ったのでした。 |
不妊・・・コウノトリを待ち続けて
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子どもを授かれる日を待って待って・・・6年間。
不妊の苦しみを乗り越えることは容易なことではありませんでした。
二人の子どもに恵まれた今になっても癒されていない心の傷が残っていることに気付きました・・・
少しずつ心の傷を癒すため、整理させるためのカテゴリーです。
不妊の苦しみを乗り越えることは容易なことではありませんでした。
二人の子どもに恵まれた今になっても癒されていない心の傷が残っていることに気付きました・・・
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イメージトレーニングというと今ではスポーツ界などでは メジャーになっているのではないでしょうか? 私が始めてイメージトレーニングというものに出会ったのは 高校時代のテニス部でのことでした・・・。 自分がこういうフォームでサーブを打ちたい!という はっきりしたその姿をいつもいつもイメージしていると そのフォームに近づいていく・・・というコーチからアドバイスを受けました。 その後、もう一度イメージトレーニングという言葉を聞いたのは 6年の不妊期間中に熟読していた 森本義晴 著 「赤ちゃんができた」 ごま書房 という本の中ででした・・・ 受胎のためのイメージトレーニングを 各疾患別にアドバイスされてあって その他、受胎気孔などはとてもリラックスできて良かったです・・・。 この本の中で特に印象的だったのが 排卵される卵子の「質」とう問題でした・・・。 「受精に適した成熟卵は輝く太陽のよう・・・」 という表現で表されていて、写真もまさしく太陽・・・ 私は水晶のような完璧な清さを感じました!! 普通は成熟した状態で毎月一個か2個の卵子が排卵されますが 体外受精などをするときに、より多くの卵子が採れるように 排卵日に合わせて注射を毎日打っていくわけです。 それでも15個と卵子が沢山採れても その内、成熟卵が何個ぐらいになるか・・・それが問題だということです。 女性の年齢と共に卵子の質が落ちてくるのは 仕方のないことなのですが。 実際、私はそれを知ってから いつも水晶の指輪を身につけていました・・・ それを見ると成熟卵の太陽のような輝きをイメージしやすかったからです。 そして一つの精子と出会って受精し、きれいな分割をして着床いく様子もイメージしてました。 もし家庭を持って当たり前のようにすぐ子供が授かっていたら 男性と女性の体のしくみ 新しい命を授かるための精子と卵子の神秘・・・ そして受精してからも、受精卵(胚)が子宮に抱かれているように 安心して着床しないといけない・・・などなど こういうことなど考えもしなかったでしょう・・・ 本当に不思議な人間の体!! 命の誕生の不思議・・・・ しかもそうやって生まれてきた命は
愛を受けるために誕生したのだ・・・というのですから! そして愛を受けて育った大人たちは 愛を残すために生きていくというのですから・・・ |
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みんなが家族 みんな私の子供たち これは娘を妊娠する1年ぐらい前に私が至った心境です・・・ ここに住んでいて親しくしている日本人の家庭、その子供たち。 同じような環境の中で暮らしている私たちは 色んな意味で本当の姉妹のように助け合って暮らしています。 色んな情報を提供しあったり 家族ぐるみで遊びに行ったり来たり・・・ 電話では愚痴もたまにはこぼしながら さあ、また頑張ろうねーという気持ちになるのです。 自分に子供ができない間 養子まで考えた私たち夫婦です。 妊婦さんや、赤ちゃんを見るのが辛かった何年も・・・ でも最終的にたどり着いた心境は みんなが私の家族 みんなが私の子どもたち。 だから今もその気持ちには変わりがありません。 自分の子どもに何か買ってあげる時は、 他の子どもたちのことを考えてしまいます。。。 日本の母が助けてくれることがあれば、 親しくしている友人たちのことを考えてしまいます。。。 近所に親が離婚しておばあちゃんと住んでいる男の子がいますが、 その子を見ると声をかけずにはいられません。。。 近くにカンボジアからお嫁に来た人がいるんですが 旦那さんが良く尽くしてあげてるのかなーと心配になってしまいます。 私ができることってないだろうか・・・いつも思います。 私がつつましい暮らしの中で幸せを感じると すべての友達の幸せを祈ります。 だって、私たちは運命共同体のようなものですから。 2年ほど前から我が家の屋根裏部屋に リサイクルショップ?のようなものをつくりました。 新品もありますが、子供服、レディースの古着がメインです。 小物も少しあります。 殆ど日本から取り寄せています。 それを始めたのも、ハドンに住む友人たちが利用してくれれば・・・ という思いからでした。 子供時代から親戚のお姉ちゃんのお下がりが好きで 自分に似合った物を着れば、例えそれが古着でも心が豊かになる・・・ そんな私でした。 韓国に来てからは、自分が欲しいと思う物はとても高くて買えないので 日本のオークションで探しました。 勿論、家の子の子供服はほとんどが古着です。 そこにもポリシーがあるんです。 まだまだ使える物を提供してくれる人、それを使う人 エコはそういうもったいない・・・という気持ちからも始まりますよね。 それに子供は成長が早いので新品はもったいない・・・ だからこそ古着でも状態の良いものだけを選んでいます。 子供たちの好みに合わせて探せば、十分喜んで着てくれるものです。 これからも私ができる範囲で続けていきたいです。 売り上げとかは殆ど考えてないのですが 自分の小金ができるのも嬉しいものですよね。 友人たちが必要とする物を聞きながら細々と・・・ みんなの癒しも考えてハーブとかも置きたいな・・・と思ってます。 それは生活に追われるだけでなく 少しのお金で 旦那さんのために自分が綺麗になること、おしゃれすること・・・ そして気持ちが豊かになること・・・ 生活にもゆとりができるように・・・ 私が大切な友人たちのために何ができるかを
これからも考えて生きたいです。 |

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まだ人生40年だけど、 振り返ってみて、後悔すること・・・ってあります。 日本にいた時は、後悔しない人生・・・が私のテーマだったのに。 その、一番心に引っかかって、ひきずってきた思いを 最近やっと降ろしました。 私が実家で同居してた期間は 旦那さんの当時小学4年になる姪とも一緒に暮らしていました。 姪のご両親は(旦那さんの長兄)は事故で亡くなっていました。 旦那さんは6人兄弟の末っ子ですが、2番目のお兄さんは未婚でソウルに住んでいて 1年に1,2回しか実家には来ません。 それで自然と私たちが同居という形でした。 しかし私自身が、姪も一緒に暮らすことに対して 考え自体が甘かったな・・・と思います。 子供ができない・・・ それなのに姪の親のような立場を要求される・・・ ずーっと心がもがきながら 「私は子供ができないのに、わかるわけないじゃないーー」 そういつも心で叫びながら 外的には義務感で母行をこなしていました・・・。 特に思春期は大変でした。 中学3年ぐらいまで一緒でしたが 目も合わせない・・・ 返事もろくにしない・・・ ストレスが募りました。 愛してあげられない自分が苦しいのです。 彼女がどんなに傷をおって生きてきた人生なのかを知っていながら・・・ それが私の心に重くのしかかって 分家して別々に暮らすようになり 姪も高校は、都市に住む旦那さんの3番目のお姉さんの家に住みながら 通うことになりました。 その間、高校までの費用は我が家で負担しました。 旦那さんの偉いところは、一度責任を持ったら、 それを全うするというところです。 小学、中学と塾にも通わせました。 その頃は経済的にも大変だったのですが・・・ 姪を引き取ることに決めた時 お父さんと、お母さんと姪に対して 自分が長男としての責任を持つと決めたそうです。 それからそれを実行しています。 私は旦那さんのそういう姿は本当にすごいと思って ついてきました・・・ 専門学校は本人が親が残した保険もあったのと 旦那さんのお姉さんとの協力で出しました。 自分が自立できるために勉強をして 今は釜山で働きながら友達と一緒に住んでいます。 私は妊娠、出産、子育てなどの体験を通しながら 幸せを感じていました。 でも、自分が幸せを感じれば感じるほど 姪に対するすまない思いがフツフツと沸いてくるのです。 成人を迎えた時 私は名節のさいに帰省した姪に対して 腕時計をプレゼントしました。 そして 「一緒に住んでいた時、私は自分のことで精一杯で あなたにしてあげられなかったことが一杯ある。 ごめんね・・・ 私は私で精一杯だったけど、 後悔が残ってるんだよ。 あなたが結婚して子供を産むときには ここに来てね。 産後の世話は私がしてあげるから・・・」 そう言いました。 私にとってはものすごい心境の変化が 姪にその時、話している中で起こったのです。 私の産後に日本から母が来てくれたことで 本当に心情的にも、助かったのです・・・ それを思い出して、姪は帰る家もなければ 面倒をみようと言ってくれる、母親がいないんだ・・・ と思ったのです。 そしたら湧き出てきたんですね・・・ 彼女を愛してあげたい思いが。 ここまでの思いは初めてでした・・・ 義務感ではないんです。 本当に母親のような存在になってあげたいと思ったのです。 それから私たちの関係は変わってきました。 そして気が付いたら、心の重荷はとれていました。 愛したい・・・その思いが溶かしてくれたのだと思います。 思いを言葉にする・・・
それはある時にはとても勇気がいることだけれど。 |

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https://www.blogmura.com/ にほんブログ村] 今日は清々しい秋晴れ。 暖かい陽だまりの中でソファーに寝そべって 私の側でゴロゴロ喉を鳴らすくろねこを思い出す。 私が韓国に来て2年目の春 くろねこは他の兄弟たちと一緒に家にやってきた。 やってきたといっても買ったわけでも貰ったわけでもない 旦那さんが中古で買った機械の中に入っていたのだ・・・ 中を掃除しようと手をつっこむと ふわふわと暖かい手触り びっくりして手をひっこめてもう一度恐る恐る手を入れてみると そこには4匹ものまだ目も開いていない赤ちゃん猫が・・・ 旦那さんと二人、途方にくれる・・・ 「どうする?」 「どうするって・・・捨てたら死んじゃうよ・・」 「じゃあ・・育てる?」 ・・・ということで育て始めた。 その頃の韓国はまだペットに猫を飼う人はめったにいなかった。 幸い家では畜産をやっていたので牛の乳はあった。 ペットショップに行って小動物用の哺乳瓶を買って飲ませた。 おしっこなども本来は親猫が舐めてあげるものなので 手でなでてあげながら出してあげた。 何時間おきに授乳などもしてあげないといけない。 お家の人たちにはあきれられた・・・ でも私にとっては喜びだった。 母になりたい気持ちで押しつぶされそうだったから・・・ 旦那さんをアッパ(パパ)と私をオンマ(ママ)と言った。 4匹のうち一匹は弱くて死んでしまい、二匹は貰われて行った。 残ったのは一番生命力の強かったくろねこ 名前は韓国名でナッシッコリ(釣り針の形のしっぽ) 彼は私にとって最初の息子。 彼が子供を愛する喜びを教えてくれた・・・。 彼がいなければ現実の生活だけでは私は駄目になっていただろう・・・。 赤ちゃんの時はベッドに川の字で寝て 私の指をおっぱいを吸うようにちゅーちゅー吸った。 私たちが分家するときに泣く泣くお父さんに預けた。 お父さんにもなついていたし、引越し先はアパートだったから飼えなかった。 10年は生きただろう・・・ 猫は死ぬ姿を見せないのではっきりいつ死んだのかはわからないけど・・・ おじいさんになってからも 実家に行くと娘の横で寝そべって一緒に寝ていた。 私が死んで霊界に行ったら一番会いたいのはナッシッコリ・・・ 自然に囲まれた中でまた一緒に暮らしたいなー。 今日みたいな暖かい陽だまりの中で息子のナッシッコリを思い出す。
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