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前回の記事(書庫:主人の病気・入院当初〜)では、シャント手術の時の様子を書きました。
その後の様子です。
術後数日してから、しゃっくりが半日以上続いていました。
この時期、お義母さんの妹さんが大たい骨の骨折で入院していてご主人が見舞いに来ていたり、親戚の人達が見舞いに来てくれていました。
この時期は、友人宅へお茶をしに行ったりしていました。
この時期、下痢便をしていて原因が分かって個室に移されていました。
障害児の余暇活動のボランティア活動が4/18にあり午前中参加しました。
しかし、藤枝市と岡部町とで合併したばかり。
『きすみれ』(社会福祉協議会)のちびっこルームを今まで使わせていただいたのですが、合併後は使用禁止に。
子供達には理解できません。
泣き出す子もいました。
大人の狭い心で使用禁止。犠牲になるのはいつも子供たちです。
柔軟な対応をしていかなければと感じた日でした。
四月なのでたけのこ掘りもしていました。
4/12に行われたたけのこ掘りのイベントの様子が、4月の中旬に分けられた広報の表紙に載っていました。
看護師さんが足湯をしてくれたのをきっかけに、枇杷の葉を煮出して枇杷エキスづくりをしました。
そのエキスで足湯をしました。
玄米も1時間半くらい炒ったものを歯磨きに使いました。
この時期は、インフルエンザが流行りだして受付のところが厳しくなった時期でもありました。
メロンの搾り汁をスポンジブラシで口に含ませたこともありました。(むせない程度ですけど。)
5月に入り、お茶の草取り、お米作りをするためにモミ浸けをやりました。
画像は、お茶の草取りをしながら、自分のやれることがほんの少しだけで、なにも主人に力になってあげられないことを思って泣きながら草取りをしていました。
ふとお茶を見ると、テントウムシの脱皮している最中を見ました。
こんな小さな虫でも頑張っているんだな〜って余計に涙しました。
こんな小さな虫で自然が励ましてくれている事を感じました。
ありがたいことです。
このテントウムシの写真をコピーして病室に貼りました。
5/9〜10 息子が部活を休んでくれてお茶刈りを一緒にしてくれました。
練習試合があったんですけどね。
息子が監督さんに休みを伝えると部員たちで手伝いに行くから、その時に入ってくれって話していたそうです。
主人が倒れた時にも部員たち全員で病院のある方に勢ぞろいして祈ってくれたそうです。
ありがたいことです。(´;ω;`)
新茶で歯磨きもしました。
5/11 隣組のお爺さんが亡くなり組の人たちとお悔やみに行きました。
食べ物をのどに詰まらせて亡くなられたそうです。
その時に、その家の親せきの人がみんなの前で『車いすや寝たきりにならないで良かったや〜。』と言っていました。
悪気は無いにしても。
このことでそれ以来葬式に行けなくなりました。
主人が倒れた現場は、家のすぐ前でした。
道路の拡幅工事をしていました。
しかし、このごろ作業していない様子で、隣のおばさんが回覧板を持ってきてくれた時に話してくれたのですが、
主人が倒れたあたりの反対側で、別な業者の従業員が指を切断したと話してくれました。
そのために一時作業中止しているとの事でした。
この道は、カーブがあり、よくバイクや車が横転する事故がたまにありました。
しかし、不思議なことにけがはなし。
息子が小学校の時には、道のすぐ下あたりにお墓が捨てられてあったと言っていたので、島田の土木事務所の人たちに話したことがあるんです。
しっかり供養してからやったほうがって。
私のブログの画像の黒猫も主人と同じ場所で事故にあってなくなっています。
色々な事がいっぺんに起こっていた時期ですね。
この時期に農作業があって無心になれた時や自然に励まされたり、思いっきり自然の中で泣いていた時期でもあります。
あの時(主人が救急車で運ばれた時)、手術をせずにそのまま逝かせた方が良かったのか?
主人の目がそういう目で私を見ていたみたいでしたので。
色々と自分の中での葛藤があった時期でもありました。
マニュアル通りの言葉かけでは心の中にまでしみ込んでこないんですよね。
そういう人が身近にいなかったこともそうでした。
自分で感じて答えを見つけるしかなかったんですよね。
シャントの時の夢から、また見るんじゃないかと思ってしまい、睡眠が出来なくなっていた時期でもあります。
1時間横になればよかったかな〜?
ずっと座椅子に座ってぼーっとしていました。
頭が眠らないんですよね。
眠っていても音は聞こえていましたからね。
手帳にも『うつかな〜?』って書いてありました。
今だから言えること。
主人は宿命だということ。
一つの試練を乗り越えるためのもの。
この状況でも家族のきずなや幸せを見つけること。
簡単に書きましたが、これを感じるためには苦しんだ時もあります。
知識のない中で苦しんでいたことも確かです。
しかし、その時に知識があっても自分だけではどうにもならない現実も確かにありました。
それに向き合う事が、これから先乗り越えるきっかけになりました。
まだまだ続く介護ですが、主人が先に逝くとは限りません。
何があるか分からないですが、私自身主人や母の看取りを意識して・・・しかし、接し方は変わらずに生活していくと思います。
せっかくならば、苦しんで生きるよりかは、苦しくとも笑いを交えての方が良いかな〜って感じます。
『人を看る』という事は、試行錯誤でありますが、その時その時の自分で出来る事をしてあげることでもあります。
いつまで続く介護かは誰にもわかりませんが、人それぞれ生き切る事だと感じます。
長い文章になってしまいました。すみませんでした。m(_ _"m)
病気をした人、介護をしている人、それに関わっている人、身近に同じような人が居る人、それぞれに何か感じるものがあれば幸いです。
人を思いやる心はいつか自分に還ってきます。
大事にされていってくださいね。
ありがとうございます。m(__)m
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主人の病気(入院当初〜)
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2010.4.24
療養病棟がある病院に入院していた時のものです。
糀屋さんの順番待ちで、この時期に味噌作りをしました。
出来上がった味噌をビニール袋に入れて毎日1日3回モミモミして、1か月くらいで使えるようになります。
1か月で食べられるという事で少し取り置きして、主人の手のリハビリに使ってみようって思いました。
力の入れ具合がちょうどよくって両手でモミモミしています。
この時期のお父さん(夫)は、目の前に居る人のまねをして食事も自分で食べられるようになっていました。
それを見て、私も向かい合ってモミモミしています。
『お父さん、こうやってみて。』っていう感じで声掛けしています。
1か月して本人の目の前でお味噌を作れれば尚良かったですが、それは出来ませんでした。
自分がやっていたものを使うのを間近で見ればやる気も違ってきますよね。
ふと思いついてやってみました。
『これリハビリに使えるかも〜。』という発想は大事ですね。(o^―^o)ニコ
記憶障害は考えようによっては幼稚園児と同じくらいになっています。
だから、この時期のお父さんは目の前の人のまねをしてやろうとしていたみたいなんです。
それをうまくやる気にさせることを見逃さないことが大事かなーって思いました。
色々な入院患者さんを見ていたからこその気づきがあったのかと思います。
少しずつでも周りを見る余裕も必要ですね。
気づかずに勿体ない事をしているのかもしれませんものね。
周りにいる人たちや、目に見えない存在はいつも必要な時にいてくれるんですよね。
ありがたい存在です。
『いつも、ありがとうございます。』
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人工骨・シャント手術をしてから14日目の様子です。
少し前回の記事(4/3)の様子と違います。
少し脂汗のような顔と、明らかに元気がない様子です。
4/614:00にリハビリ室にてリハビリをやりました。
リハビリをしていた時は良かったのですが、リハビリ室に出て数歩車椅子を押して出たとたんに、
ガタガタ震えだしました。
リハビリの先生が来て緊急に病棟の看護師さんを呼んでいました。
これほど数秒で高熱が出ている瞬間でもあります。
その時は内心びっくりしましたが、主人が不安になるといけないので『大丈夫だよ。』
というのが精一杯でした。
当時の手帳には、36.6℃→38.9℃→39.3℃ と書いてありました。
とりあえず病室について座薬を入れました。(18:00に39.3℃)
またまた一気に熱を下げたので汗びっしょり。(20:30に36.6℃)
下痢便4回。
7日も高熱が出ている。
家にいるときは何も手につかず掃除をしていた。
8日。
朝から体調不良で午前中横になっていました。
横になっている時に夢を見ました。
大きな液晶テレビの画面があり、その前で先生がいました。
手術の説明をしていました。
その時の画像が生身の人の画像で説明していました。(頭のところを半分にした映像)
生々しい夢を見て、変な夢を見たな〜っていう感じで目が覚めました。
それがちょうど12:00のタイマーが鳴って直ぐに病棟看護師さんからの電話が鳴った。
『緊急手術をしますから先生の話があるのですぐに病院へ来てください。何分くらいで来られますか?』
あの時は、夢を見た直後だったから体が震えたな〜。
支度して20分くらいで着いた。
高熱の原因がシャントの感染。
その除去手術をやるとのことを簡単に看護師さんから教えられる。
電話してくれた看護師さんが付き添ってくれて外来で診察している先生の所へ行った。
待合室で待っている最中はドキドキしていた。
それを落ち着かせるように看護師さんが話しかけてくれた。
お義父さんが結核で入院していた時にお世話になった看護師さんだったので話しやすかったけど。
顔は覚えていなかったけど名前は印象に残っていたので分かりました。
先生からの話は、夢で聞いたことと同じでした。
ある意味では冷静に聞く事が出来た。
病棟に帰るときには体がふわふわしていて看護師さんが腕の所に手を添えてくれていた。
主人に話をした。
15:30頃、主人のお姉さんの姑さんが見舞いに来てくれた。
『あんた、正○(姉)は正○(弟)のとこへ来てるだかや〜。何にも言わないからわからないだよ。』
笑ってごまかした。一応はたまに来ている。しかし、『だれだれが入院しているから帰りに寄った。』とか『今日は歯医者さんの予約があったから、その帰りに寄った。』とかだった。
条件がないと来れないのか!!←心の声
19:00に手術が始まる。
部屋で待っていると誰か来ると嫌なのでナースステーションの前の待合室のかどっちょにいた。ここは見えづらいからね。
20:15に帰ってきた。
首に太いチューブが入っていた。
体の震えは一番弱いところに最初に出るんだな〜。首から左腕に力が入りづらくなっていた。それが左足までになっていたので、立ち上がりに時間がかかった。きつかったな〜。
9日の5:30まで付き添っていた。
それから息子の送りがあったのでいったん家に帰った。
11:00頃に病院へ行き、看護師さんから夕方からチームが変わる事を伝えられる。
『チームって何?』
看護師さんからの話では、療養と急性期とでチームに分かれているそうです。
なので担当の看護師さんも変わった。
今日は、主人のお姉さんのご主人の弟のお嫁さんが見舞いに来てくれた。
『お姉さんまめったいから毎日来てくれるでしょう!!』
明るく言われた。
毎日は来ないこと、あまり来ていないことを伝えた。
『うちの夫が入院していた時に、酒屋なんで私の代わりに毎日来てくれていたから、てっきり毎日来てくれていると思ったっけ。』
『・・・』
なんかさ〜、こういうこと聞くとばかばかしいよな〜。親が入院した時も付き添いに来なくて、見舞いに行って洗濯物があっても持って来なくって、電話で『洗濯物があるから取りに行ってやって。』とか『オムツが少ししかないから買って持ってってあげて。』こういう人だ。弟がこうなっても何の変化もなかった。←心の声
看護師長さんから話があった。
ちゃんと寝ているか?ちゃんと食べているか?家ではどうしているか?
ほかに付き添いをしてくれる人はいないか?
ちゃんと食べてこなかったら見舞いに来ちゃダメ!!っても言われた。
そうだよな〜、主人が入院してから食べ物がのどに通らなくなっていた。
朝ヨーグルト一個、お昼ヤクルト一個、夜だけは息子と食べていた。
入院したばっかりに食事の支度をしようとして、息子に怒られたことがある。
『お母さん、何人分作ろうとしているの!!二人しかいないんだからそれだと多いでしょう。』
確かに材料が三人分手に持っていた。
いつもの習慣だ。(笑)
10日
髄液の管を取り付ける。軽めのリハビリ。
11日と12日
しゃっくりが止まらない。
12日に骨髄液検査。
日曜日なのでリハビリがなかったので、指先だけマッサージをしてみた。
12日は、親子でたけのこ掘り体験を裏山でやった。
約30人参加。
山の平らな場所にて炊飯とお味噌汁を作った。
前日に、フキの煮物とセリを茹でて麺つゆで和えたものを作ったので、それをみんなに出した。
炊飯は2升炊いた。
みそ汁は中鍋で作る。
13:00解散。
14:00まで一緒にたけのこ掘りを担当してくれたMさんと話す。
14:30には病院へ。
13日までしゃっくりが続く。
まだまだ熱が安定していない。
14日
しゃっくりが止まり、目がぱっちりとしていた。
帰り際に、むくみ・腕の所赤い発疹・鼻からのチューブに血?
看護師長さんが入ってきたので、このことを話す。
次の日に、先生から髄液のチューブを抜くとの話があった。
17日
下痢の原因が菌という事で個室に隔離。
その時の説明が副院長先生。主人が救急で運ばれた時に最初に診た先生でした。
ちょっとフラッシュバックで体調不良。
この時期は、色々なことが次々と起こっていた。
正直しんどかった。
主人の方がものすごい試練があったんだと思います。
変わってあげたかったけど、精神的なきつさは私が経験しているので、これは誰にも変われないんだと思いました。
その時その時で対処するという事を強く感じた出来事でした。
知識を知らずにやるっていう事はある意味幸せなのかな〜?
どうなのだろう。
今だから考える事だけどね。
心の葛藤があるってことは仕方ないよね。
しんどいけど乗り越えなければいけないことってある。
それから逃げるか逃げないかで人は変われるのかもしれない。
巡り合わせで難を請け負う人が居るんだからね。
逃げずに、今自分がやれることをやる事が大事だと感じます。
長々と読んでくれて、すみませんでした。m(__)mm(__)m
ありがとうございます。m(__)m
今生かされている事に感謝です。
『ありがとうございます。』
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8/19から書いていましたがようやく書けました。
【2009.4/3の様子】
100均で買ってきたボールを持たせる。
中は綿が入っているが、それだけでも握力がなかった。しかし、手のリハビリになるかな〜って持たせていた。
本人は、ミカンだと思って口に運んでいた。
私『お父さん、ミカンじゃなくって残念!!』
少しにっこりした。
早く食べたいんだろうな〜。
この頃は、作業療法をすることが多くなってきました。
今日は、ベッドに座らせていました。
こうなってしまうと、座る事も自分でできなくなってしまうんですよね。誰かが支えていないと倒れていきます。
体重測定をするということでリクライニングタイプの車いすに座らせていただいた。
少し廊下を散歩しました。
その時に自分から足をあげてどのくらい動くか確かめていました。
左足を10センチくらいしか動かなかったけど、なんて思ったのかな〜?
4月の第2日曜日に、親しい仲間内でたけのこ掘りをすることを主人に話した後での出来事だった。
毎年楽しみにしていたからな〜。
生きる希望になってほしいな〜て思った。
【3月までの振り返り】
2月に倒れてICUに2週間入っていました。
その時気づかなかったのですが、知人のご主人もいました。
通路ですれ違った時に気付き、ご主人が大動脈瘤とのこと。
精神的に自分も辛かった時でもありますが、何とか励ましの言葉が出ていたと思います。
ほどなく転院していきました。
主人のこれからの治療方針を聞くために主人のお姉さんにも連絡を取りました。(2/7)
その時には、お義母さんの妹の旦那さんと隠居のおばさんを連れてきていた。
私は『一瞬なんで連れてきたの?』って思ってしまった。
隠居のおばさんは、主人と同じくらいの年の息子さんを介護中でした。
管につながれている主人を見れば、自分の息子さんの事を思い出してフラッシュバックしてしまわないか心配になってしまった。
なので、『ICUには入らずに待合室で待ってて。』と言った。
しかし、おじさんのほうがうまく看護師さんに言って勝手に入ってきてしまった。
(心の声:お姉さんと言いおじさんと言い、どういう神経出来ているの?)
この件があってから見舞い制限をかけていただいた。
それでも悪いかと思ってお姉さんだけは良しとしましたが、入ってくる時の名字が旧姓で言っていました。(今の名字で言いなさいよ〜。)
息子の高校の担任のK先生が千羽鶴を持ってきてくれました。ありがたかったです。『お気遣い、ありがとうございます。』
いつ何が起きても分からない状態でしたので、携帯電話の着信音が怖くなっていました。
そして、家の前で倒れたので玄関を開ける音も怖かったです。
必要以外は玄関の鍵を閉めるようになっていましたね。
テレビをつけて水戸黄門を見せたり笑点を見せたりしましたが見たことないと。
完全に記憶から消し去られていました。
2/20に一般病棟5階A病棟に移りました。
見舞いに行ったら一般病棟に移るということでした。
しかし体位交換の時に頭蓋骨を外している左側に思いっきり顔を向けていたので左目のあたりが真っ青になっていて看護師さんが慌てて顔だけ真上に向けていました。(殴られたような色だった。)
まずは個室に。
そしたら主人の二個後輩と言う看護師さんがそのことを話してくれました。少しホッとしました。
2/24にベッドをエアーマットに変えた。看護師さんから、この病院で褥瘡になったことはないんですって言っていた。
担当の看護師さんから『今後の事をどのように考えているのか?』と聞かれたが、全く知識もない中でどのようにって言われたも答えられなかった。
相談する人もいなかった。
息子の高校の部活の保護者は知られていましたが、私の身近な人はまだ伝えていませんでした。
2/26に親子を対象に味噌作りをしました。
お味噌屋さんのお嫁さんと担当になっていたので、参加しました。
母親クラブの会長さんには伝えましたが、ほかの人には伝えませんでした。
みんな楽しく作っていました。煮た大豆をビニールに入れて足で踏みつぶすので子供たちは楽しんでいました。
やって良かったです。
でも3/2に一緒に担当になっていたお味噌屋さんの知人が家にやってきました。
味噌つくりをする前の一週間前から知っていたという。
涙を浮かべながら、私が普通にしていたので余計につらかったと話してくれました。
2月はこれだけしか予定に入れてなかったから出来たと話した。あなたと一緒だったから出来たという。
余計に泣かせちゃった。『ごめんね。』
3/2に、息子の同級生が転院してきて、足元のベッドに。
びっくりでした。
無免許でバイクを乗り、誤って田んぼの中の水路に友人と落ちてしまって、寝たきりになってしまっていました。
頭は手術せずにそのままと聞きましたが、脳が動いたせいで体を動かせなくなっていました。
友達が来たりしていましたね。
そういう時には、カーテンをしていました。
知っている親御さんは声をかけてくれていました。
このくらいになるとちらほら近所の人たちがお見舞いに来てくれました。
3/24の手術の説明を18日に聞いた時には少し不安になっていた。
同意書もすぐには書けなかった。
付き添いの人とは少しずつ話が出来るようになってきたけど、このころは看護師さんとの話はまだぎこちなかった。
心にバリアをしている感じかな〜?
精神的にきついと、人が風景と一体に見える。
この時は誰かと話す以外は感情がなくなっていた。
唯一足元にいたNさんが看護師さんの呼ぶ声が大きかったので笑えた。
付き添いをしていると看護師さんの足音で誰だか分かるようになってきた。
背の小さい看護師さんはパタパタ歩く。存在感をアピールしているみたい。
背の高い看護師さんは静かに歩く。
主人は体温調整が出来なくって一番涼しいベッドのところにいたので私は寒かった〜。
ホッカイロはICUから手放せなかった。
今回はここまで。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。m(__)m
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人工骨とシャント手術(3/24)をした9日後の様子です。
コップを持たせると飲みたいのか?コップを口元に運んで飲む真似をした。
スポンジブラシをお茶で含ませて少し飲ませた。
髭剃りをした時に剃り残しがないか確かめていた。
このころはまだ剃るのに慣れていないので結構剃り残しがあったっけ。
毎日やっているとコツがつかめますね。(笑)
右の写真は、熱があるので氷枕をしていたのですが、溶けて冷たくなくなっていたので、私が『看護師さんに変えて来てっていうさ〜。』って話しかけたら、自分でこうしました。(笑)
それを見た看護師さんが笑いながら変えてきてくれました。『ありがとうございます。_(._.)_』
数日前から下痢便なので、この日は流動食を一時休止。
1日4回の輸液。
リハビリはベッド上にて行っていた。
少し明るい兆しが見え始めてきたかな〜。
私はといえば、朝は息子を駅まで送り、午前中はたけのこ掘りをしていた。
午後には付き添いに行っていた。
【気づいた事・気づかされた事】
先生が回診に来て主人の手の甲を見て『水分が足りてないからもう少し水分を入れて。』って言っていたので聞いてみた。
手の甲に立て筋が出ている時が水分不足ということでした。
手や腕を触った時の感触。
水分を入れてからの感触。
明らかに違っていた。
少し乾燥気味だったのが、水分を入れてから、しっとりとした感触になってきていた。
これは今でも役立っている。
目で見てわからない時には手で触れる。
暑さ寒さ、乾燥やしっとり感などが手で分かる。
『手当て』ってまさにこれだな〜って気づかされる。
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