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それはまだ昭和の時代。
1983年にまだ独身であった高松芳江さんが、その当時神戸からお友達と三人で
ゴールデンウィークに、はるばるボランティアに来てくれていました。
その芳江さんも間もなく結婚し、一女一男の母となり、ご主人様のご都合でアメリカに渡る事に
なってから、もう17〜18年くらい経つでしょうか。
今はフロリダ半島の付け根、メキシコ湾から少し内側にあるゲーンズビル(学園都市)に住んでいる。
向こうでも芳江さんが中心となり「真味の会」料理教室を開催し、アメリカへ移転して来た
多くの日本のお母さん達や、アメリカ人を対象に「正しい食生活の啓蒙に」と力を注いでいる。
アメリカの高校では4年間の在学中に40時間のボランティアを行う事が必須課目とされているそうで、
3年前には長女の民子さんが、昨年・今年にはその弟の遼太君が、はるばるフロリダから
この北海道の富良野までボランティアで駆けつけてくれました。
お母さんの芳江さんも遼太君を富良野に送りがてら、当ジャム園に立ち寄ってくれ、
今のように、観光客を全く受け入れることのなかった時代の様子を懐かしげに語ってくれました。
「上の広大な畑は山々に囲まれた盆地のような地形にあり、そこまでの往復は今にも
止まりそうなオンボロ中古車(車検なし)で送迎してくれましたね。
その砂利道を上る時もかなりの振動で、都会育ちの私はそれも面白い体験で…。
春の強い吹きさらしの中での農作業は肉体的に厳しく、帽子を被っていても土が目や鼻に入り
いろんな種類の豆を手押しの機械で、押しながらカランカランと蒔きました。
その時は友人二人と共に作業をしていましたが、私はとうとう鼻血がたくさん出てしまい、
その日は母屋の近くの農作業小屋で、種いもにするためのジャガイモ切りに変更になりました。
今でも忘れられないのは、畑で種を蒔く作業中、ひばりが天高く昇って、振り絞るように
その美しい声で鳴きながら、まっすぐ下に降りてくる様子は何度見聞きしても飽きませんでした。
また遠くの森の近くには鹿もいて、私達をよそに悠々と草を食べていました。
本州と異なるスケールの大きい自然に驚嘆させられることばかりでしたね。
当時、農場主だった大久保尚志さんは朝3時頃から起きて、農作業をして、よくきれいな
澄んだ明るい口笛を吹かれながら作業をされていましたよね。」
と、今は亡き夫、大久保尚志を懐かしんでくれました。
※上の写真は1983年に農場を訪れてくれた時のもの(左から2番目が芳江さん)
※下の写真は今年、神戸のお母さんと息子の遼太君と3人でジャム園を訪れてくれた時のもの
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すばらしいえにしですね・・
2007/7/18(水) 午前 11:40
えにしとはドラマティックな表現ですね(笑)。でも30年近くもやっていると色んな縁に恵まれて、皆さんがそれぞれジャム園に思い入れを持ってくれていて…。本当にうれしい限りです。
2007/7/18(水) 午後 0:01