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こんにちは、ゲストさん
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どうもお久しぶりです。
またブログを再開させて頂きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
我が家の朝食は結婚後30数年間変わる事なくパン食であった。
それがある時突然パン食に飽きて来てしまい「ご飯が食べたいなぁ」「煮物が食べたいなぁ」と思い始めてしまい、居てもたってもいられなくなって早速作ることにしてみた。
寮での食事当番の一線から退いて10数年にもなるが、幼い頃に母親が作ってくれたあの味が無性に食べたくなり、ジャガイモ、人参、レンコン、こんにゃく、シイタケ、筍、昆布、等をしっかり取った濃いめのダシで、酒・みりん・砂糖・塩・醤油を加えて煮込む。
あのおふくろの味。今でも舌は十分覚えている。
そういえば昔は「お正月三が日は台所に立つものではない」と、大みそかになると母親が店を閉めてから「うま煮(筑前煮の事を北海道ではこう呼ぶ)」を作り始めていた。
それを石炭ストーブでぐつぐつ煮込むのを、その周りに姉妹達で集まって楽しみに見ていたものだった。
私が少しお姉さんになった時は母の大変さを思い、具を切っておく手伝いをする事なども覚えた。
北海道はお正月のご馳走を大みそかに食べる。そしてお正月になるとお雑煮の他はおせちの残りを食べる、というおかしな風習がある。
電気炊飯器もない時代なのでご飯は冷ごはん。それをグラグラに煮だてた湯の中で竹の濾しザルで冷ごはんを湯洗いし、暖かい湯浸けにする。
ごはんはおかゆ程柔らかくなく、それを茶碗によそってさらさらと音を立てながら、塩引き鮭やこのうま煮と一緒に頂く。
これが何とも言えずおいしかった。
時々その事が思い出される。
さて話を元に戻すが(^^;)、温かいうちの味見には注意が必要で、ここでちょうど良い味に整えてしまうと今度は冷めた時に薄味でもの足りない。すこし濃いめに仕上げておくと、翌日・翌々日は実においしい。
このうま煮を冬から春にかけて3回くらい作った。
一度作ると4〜5食位食べられる位の分量をつくるので、食べたいという人にはお裾分け。しかし基本的には人に上げることを意識すると自分の好みの物が出来にくいものだが、本当に上手に出来た時は誰が食べても美味しい。
この味は私だから満足するのだろう、と思う時もある。
これが4日目あたりから味が変わってしまいマズくなるので今度は一度に食べる量を小分けにして冷凍してみた(もちろんジャガイモは除いて)。
一回だけ解凍して食べてみたが、こんにゃくがスポンジ状に…。
ここまで来ると、思いがすっかり果たせた感…。最近はおふくろの味の煮物が食べたいと思わない。
まだ冷凍庫で2食分の煮物が出番を待っているのに、日々の食事で結構満足してしまっている。
女って徹底的に思いを果たせたら区切りをつけられるのではないかと・・・・・・。
いやぁ、女で良かった。
老後の福祉施設が充実して来ている昨今、小さくても調理室のついている施設ならいざ知らず、あてがいぶちの食事で我慢している人がいたら本当に可哀そうに思う。
特に女はそういう点で小回りが利くが、男性の場合は可哀そうかなぁと思う(台所に立つのを苦としない一握りの男性を除いて)。
そういえば夫が亡くなってもう10年。
「もし私が先にあちらの世界に行っていたとしたら、夫は色々と可哀そうだったろうなぁ」などと思う事もある。
あれからの10年は本当に大変な10年ではあったが、そんな事を考えながら、うま煮にちなんで人生に思いを巡らす日々である。
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皆さん、お久しぶりです。
私も元気にしております。
先日の6月4日(土)に「庄ちゃん」こと根本由紀子さんが、旦那さんと2人の子供さんと4人でここ共済農場に1泊していかれました。
この庄ちゃんをご存じの方はいるでしょうか?
平成6年にアルバイトとして、徹っちゃん(水野さん)、橋倉君、馬場君らと同じ年に来られていた子です。
あの頃はまだ結婚前で名前が「小原さん」だったのですが、なぜ「庄ちゃん」というニックネームに変わっていったのか?
それはこんな事が始まりでした。
当時の母屋で夕食を済ませて一休みをして、リビングへ行くといつも徹ちゃんと橋倉君と彼女の3人でお酒を酌み交わしておりました。
徹ちゃんと橋倉君は盛んに熱く語り合うなか、彼女は静かにニコニコ笑いながら、ただひたすらにお酒を飲みながら2人の話に耳を傾けて居るというのが常でした。
ある時に「この中で一番お酒が強いのは誰なの?」と聞いてみると「小原さんだよ」と。
「そうか小原庄助さんだものね」といってみんなで大笑い。
それから「庄ちゃん」という可愛らしいニックネームがついてしまったのでした。
庄ちゃんはその後看護士と助産婦の資格をとって、今は主婦業をしながら出来る範囲内で本業をこなしているようですよ。
自然分娩プラス母乳育児を推奨しながら、お母さんとしてもがんばっている姿に接し、とてもうれしく思いました。
「おっぱいを沢山出すには何を食べたらいいの?」のとの問いに、やはりお粥が良いそうですよ。
「でも今の人はお粥に親しんでいないので食べたがらないんです」と嘆いておりました。
もっともっと色々な話を聞きたかったなー。
下のお子さんは福音(ふくね)ちゃんと言ってとっても可愛らしい女の子。
アンパンマン大好きの当園スタッフの幅美(はばみ)お姉ちゃん・吉田お兄ちゃんと一緒にサンサン体操を踊って盛り上がりました。
お父さんと共に少し遅れてこちらに着いたお姉ちゃんの笑咲(えさき)ちゃんは妹思いの優しいお姉ちゃん。
その夜は福音ちゃんのお茶目で可愛らしい振る舞いに我が家は盛り上がりました。 |
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長くて暑かった夏も終わりかと思いきや、初秋がなく、中秋がなく、一気に晩秋になってしまった。
今年の紅葉は今一というが、それでもやはりそれなりの美しさがある。
ひらひらと舞い落ちる枯葉がふと目に止まった時には「きれいだなー」と、何とも言えない季節のうつろいを日々の生活の中で味わえるこの幸せに感謝しつつ過ごさせて貰っている。
今日は11月も4日、従来であれば私にとって一番嫌いな季節。
昼がだんだんだんだん短くなるこの季節、4時が過ぎたらもう外は暗い。
この辺りから寒さが日に日に増して来る。
そしてやがて雪が降り、長―い冬の到来を迎える事となる。
そんな私の季節感が一気に変わる出来事があるのです。
昨年も、一昨年も、そして今年も、わくわくする出来事が来年も再来年も!
それは何かというと、来年の麓郷展望台のお花畑の設計です。
考えるだけで気分はもう春です。
今年も富良野市内の観光施設を中心に、麓郷展望台の花情報を一週間に一回ずつメールで送信していた。
撮影はやはりなんといっても澄み切った青空の日に限る。
今が撮り時という時に、まさにカメラマン気取りで展望台へ出発。(迷カメラマンですよね…)
何枚も撮った写真の中から良いモノを選び出すのだが、如何せん技術が追いつかない。
そこで今年も静岡から夏の間だけ応援に来てくれている伊藤明広さんにデジカメからパソコンヘ、パソコンからメール送信の方法を学んだ。
同じことを何回聞いたことか…。
同じことを何回聞いて忘れた事か…。
この年になって新しい事をすることのむずかしさを、いやという程感じさせられた。
それ以上に教えてくれる人の大変さを考えると、いやな顔ひとつせずに何回でも教えてくれた伊藤さんに心から感謝している。
其のお陰で今年は自分の手ですべての花情報を送信する事が出来るようになった。
来年は麓郷展望台をどんな風にしようかと佐藤さん夫婦と語り合いながら、日々わくわくしている。
ふりかえってみると、今春は最初っから大きなショックがドカーンと来た事を思い出す。
ラベンダーに新芽が出なかったのだ…
「なぜだろう?」と考えあぐねた末、地球温暖化の影響がここまで及んでいる現実に直面し驚いた。
昨年の初冬はいつもの年より積雪が遅れたまますごい寒気の到来を迎えたため、ラベンダーの株が氷ついてしまったようなのです。
「雪が少なくしばれが強い帯広はラベンダーが育たない」と言うが、まさにその現象。
新しい株の購入もまた大変な出費。
全部は更新出来ず寂しい思いをせざるを得なかった。
これらの事も人の努力でなんとかならないものかと思いめぐらしている。
と言いながらも、あの展望台の畑一面にラベンダーが咲きそろった情景に心を躍らせている日々でもある。
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今年の4月20日、富良野市清水山に「六花亭」がオープンした。
そのニュースを初めて聞いたのは確か2年くらい前であったと思う。
更に六花亭の包装紙のデザインをしている「坂本直行」さんのギャラリーも同時に出来るとの事で、興奮してしまった。
というのも、私にとって坂本直行さんは、悩み多き青春時代の1コマの忘れられない思い出でもあるからである。
あれは短大を卒業して建築資材の商社に勤務していた21〜2歳くらいの頃だった思う。
まだ私が社会人一年生だった頃です。
社会人になることに大きな夢を抱いて就職したものの、当時はまだ高度経済成長の過度期で、東京オリンピックの少し前。
建築関係は元気があり、特に男子社員は溌剌(はつらつ)と仕事をし、会社の経営状態も右肩上がりの、現在の中国を思わせるような時代背景であったように思う。
男性社員はいつも遅くまで残業が続き、仕事の後にはよくススキノに繰り出しており、時々女性社員らもその恩恵に浴す機会などもあった。
当時の女性の仕事といえばコピー、宛名書き、使い走り、お茶くみ、たまに定山渓で販売店招待イベントでの受付接待など、晴れがましい仕事もあった。
いわゆる普通の女の子であれば、結構それで満足していたのかも知れない。
でも私はその事に何かしら満足出来ずにいた。
「もっと全身をぶつける事の出来る仕事があるはずだ」と悩みの多い生活を送っていたある日、新聞のコラムで「歩歩(ぽっぽ)の会」というものがある事を知った。
これは山歩きをしながら絵を描くというサークルで、この主催者があの坂本直行さん。
興味を持った私は早速手紙を書いてみた。
なんて書いたのか、今となっては全然思い出せさえもしない。
その数日後、会社の中で突然坂本直行さんのお顔を拝見!
なんと手紙を読んで私を訪ねて来てくれたのだ。
詰め襟の国防色の洋服を着て真っ黒に日焼けした、新聞でお目に掛かった通りのお顔を目の当たりにした時には、びっくりしたと同時にとても感動した。
その時の感動は今でも鮮明に思い出される。
そうして、日曜日にはスケッチブックとお弁当を持って「歩歩の会」に出掛ける事になった。
仕事の事や、自分が絵が下手な事など何もかも忘れて、何の躊躇もなくいざ出発!
当時の札幌はまだまだ郊外に行くと自然がいっぱい残っていた。
みんな親しみを込めて「チョッコウさん、チョッコウさん」と呼び、絵の先生だなんていう感覚が全くなく、ただただ楽し時間を過ごしていた。
当時のメンバーの中には歯科技工士の人がいて、スケッチブックの他になぜか西瓜を1個ぶら下げている。
何が始まるのかと楽しみにしていると、昼の食事の後にその西瓜を大きくカット。
そして本人自作の出っ歯の入れ歯をおもむろに取り出し、それを自分の歯に装着して豪快に食べ始めたのである。
それが可笑しくて爆笑!
そんな楽しい場面も、忘れられない思い出となって残っている。
多少疲れて帰っても、翌日は気分がリフレッシュ!
考えてみると、自然が与えてくれるものの素晴らしさを最初に教えてくれたのが坂本直行さんであったようにも思う。
その何年か後、坂本直行さんの個展が時々札幌で開かれていた。
その頃は既に営んでおられた農業に見切りをつけ、画家としての道を歩まれていた頃であったと思う。
会場に飾られている絵はどれも素晴らしかった。
日高の山々の春の雪解けと、共に咲く高山植物の鮮やかな赤・黄・紫・白・緑の葉。
残雪の日高山脈等、いつもワクワクした気持ちで拝見する事が多かった。
残念なことに個展会場では直行さんにお会いすることはなく、その後六花亭の包装紙に直行さんの絵が取り上げられていた事を知り、さらにその後お亡くなりになった事も知った。
それから私は青春時代の最後になってこの富良野の地に嫁ぐ事となり、それからは自然と共に生き、またその素晴らしさを多くの若者達に伝えるような立場となっている。
さかのぼって考えてみると、それは坂本直行さんとの出会いにルーツがあったのかも知れない。
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