ジャムおばさんのニコニコ日記

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2007夏の章

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10年ほど前になるでしょうか。

整形外科の名医が帯広にいらっしゃるということで、知人もいない帯広へわざわざ出向き、

4ヶ月の入院、股関節の手術を受けた。

その後の経過は順調で「こんなに良くなるとは思わなかった」と思う程に良くなった。

そんな大恩のある、現在は上士幌町で「はげあん診療所」を経営していらっしゃる安藤御史先生が、

ロシアのチェルノブイリから2名の男子小学生と、通訳のご婦人を同行して来園された。

チェルノブイリ原子力発電所での大惨事は、当時はまだソビエト連邦時代。

それはそれは悲惨なものとニュース等で報じられてから、どのくらい経ったでしょうか。

今でも放射能に汚染された自然は、何も知らない子供達を蝕み続けているという事実を知り、

その恐ろしさを改めて思い知らされました。

元気に生まれてきた子供でも、その地に育ったものを食する事によって、身体が弱ってくる。

夏休みの間だけでも日本に来て、日本の新鮮な汚染されていないものを食べる事によって

元気になって帰っていくという事を先生から教えられ、日本にも点在する原子力発電所のことを

憂慮せざるを得なかった。

まずは彼等を標高500mの当園の畑へ案内することにした。

ジャムの原料になるラズベリーは真っ赤に熟し、ハスカップの実は収穫したあとの小さな実が

まだたくさんついており、それを次から次へと手のひらにためて、美味しそうに食べている姿は

あどけなく、可愛かった。

あちらは日本の50〜60年前の生活のようだと伺った。

我々の子供の頃はよく裏の畑にあるグーズベリーやカリンズをとっておやつにしたもので、

今の日本の子供達はそんな事をしない程に恵まれている。

そして今度は自分の背丈の2倍もあるトラクターによじ登って、ハンドルを回してみたり、

ペダルを恐るおそる踏むマネをしたり、次から次へとさわってみる。

その姿は見て「どこの国の子も同じものだなぁ」と微笑ましく眺めていた。

毎年このようにチェルノブイリから子供達を受け入れ、お世話をしている安藤先生に

敬意を称すると共に、私達は漫然とこのような現実を眺めていて良いのだろうかと

改めて考えさせられた1日でもあった。

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今年も「富良野 北海へそ祭り」への参加が無事に終わった。

ここ数年は会社として「へそ祭り」への参加を決め、社員が中心になりアルバイトの若い皆さん方の

協力を得ながら、どうにかやって来ました。

しかし人の気持ちとは恐ろしいもので「会社の宣伝のため」とか「みんなやっているんだから」

という強制の要素が少しでも入ると、やる気も半減してしまうようで、私としてもその事が

とても残念に思えてなりませんでした。

そんな様子を見ていて「今年は参加するのはやめよう。もし若い人達が本当にやりたいという

自発的な声が上がったら、彼等に任せる事にしよう」。

そして「その上でもって社員も後押しする体制を整え、フォローもし、会社としてもバックアップ

しよう」ということで進められました。

そんな中で若者達のエネルギーは見事に爆発した。

まずアルバイトの有志2名が参加への責任者として名乗りを上げ、率先して会を盛り上げてくれた。

7月は、1日おきくらいのペースでその準備をみんなで行い、仕事で疲れた身体にも

臆することなく、遅くまで残ってキャラクター作りや、踊りの練習に燃えていた様子は、

ハタ目から見ていても楽しそうであり、、またそれをバックアップする側からしても

とても嬉しい事であった。

そして、7月29日(日)「へそ祭り」への参加と相成ったのです。

今回のテーマは「ビリー&シェリー」。

今流行の、筋肉モリモリのダイエット体操のメンバーの仮装のようだ。

祭り本番でも若者達は盛り上がりで、その後日「へそ祭り」を運営していた市の職員からも

「ジャム園さんの踊りはすごかったですね。審査員席の前に来てアピールしていたり(笑)」

と言って頂けたほどでした。

その詳しい様子については当園のホームページの「スタッフ日記」のコーナーでアルバイトのコが

書き記しているので、そちらを是非読んでみて下さい。

http://furanojam.com/stuff_kako2007.html#31

若者の「やりたい!」という「自発的な意志」はすごいエネルギーを生むものだという現実を

まざまざと見せられた出来事でした。

※写真は祭り後の宴会でも大いに盛り上がるアルバイトとスタッフ達

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7月19日、再び我が故郷増毛へ行ってきた。

今回のメンバーは、売店でジャムを売ってくれている名和真美さん、それに前回のブログで紹介した

アメリカはフロリダからボランティアに来てくれた寺田遼太君。そして前回も同行してくれた

沖縄出身でプロのカメラマンの伊藤明宏さんの4人。

遼太君はジャム園でのボランティアを終えたら、いったん生まれ故郷の神戸に戻り、それから

フロリダに帰る事になっている。

彼は今回の訪問で増毛の大ファンになってしまった。

どこまでも続く青い空、穏やかな夏の海、よせてはかえす波の音、透き通って見える波間の丸い石、

威風堂々とした暑寒別岳、すずなりになっている真っ赤なさくらんぼの木。

実は当ジャム園のジャムのうち「さくらんぼジャム」の原料は増毛から来ている。

ここでちょっと「さくらんぼジャム」の誕生秘話について書きたいと思う。

「さくらんぼジャム」は当園のジャムの中でも特に女性に人気があり、味覚の鋭敏な方々からの

評価が高いジャムでもある。

ある時ソムリエの田崎真也さんと作家の内舘牧子さんが当ジャム園へお越しになり、

当時30種類のジャムを試食した中から「一番のお好みは?」と聞いてみたところ、お二人とも

「さくらんぼジャム」と答えられた程でした。

あれは15年近くも前の事である。

増毛で果樹園を経営している同級生の仙北(せんぼく) 登さんという人がおり、彼がある時

「さくらんぼが真っ赤に熟して、さぁ出荷しようと思った時に雨にあたってしまってさぁ、

実が割れてしまったンだぁ。これジャムになンないかい?(増毛弁)」と持ってきた。

私は「え〜!?さくらんぼのジャムはやったことないけど…。でも同級生の頼みなら

無碍に断ることも出来ないなぁ…」と思いながら、とりあえず造ってみることにした。

「う〜ん…、この種取りはどうしようかなぁ?」

生のまま種を出そうとしたが、出しにくい。

そこで少し砂糖を加えて火にかけてから種とりをしてみた。

「おぉ!なんと出しやすいこと!」これで解決。

あとは当園流ジャム造りの基本、強火にかけて短時間で手早く、且つじっくりと煮詰める。

仕上げに少しリキュールをを入れて大人の味に仕上げてみた。

「うん!すっごく美味しい!」

これで「さくらんぼジャム」の出来上がり。

早速販売してみると、これが予想以上の好評を得たためにレギュラー化する事に決定。

しかしその翌年、仙北さんに「あの割れたさくらんぼが欲しいんだけど」と言ったら、

「もうないよ」とあっさり…。

「今年は雨にあたンなかったからねぇ、ああいうさくらんぼはもうないんだぁ」

と、口調はやさしく、しかもちょっと訛りながらゆっくりと話すので、

少々救われる気にはなったが、しかしやはり原料が揃わない。

がっくり…。

でもこんな事ではくじけないのが私。「それでは」と他を当たる事に。

「そういえば、昔住んでいた実家のお隣が増毛農協だったな…。

茶の間の窓から、いつも若いお兄さんやお姉さん達がキャッチボールをしているのが見えたなぁ。

あの時の人達はもう今はいないんだろうなぁ。」

などと考えていえると親しさがこみ上げてきて、思わず電話をしてしまった。

するとうれしい答えが!

「広い敷地に成っているさくらんぼが、あっという間に真っ赤に熟して美味しく育ったのに、

収穫が間に合わず、雨に当たってしまって割れてしまったものもあって…。

割れていても味は保証出来ますよ!」

というさくらんぼを集める事が出来た。

さすが増毛の果樹園は大きい!

こうして今では当園にはなくてはならないジャムの一つになった。

その帰り道、北海道で一番古い醸造所である「国稀酒造」に寄り、ここでみんなと一緒に記念撮影。

お酒の試飲もまた格別であった。

それに山崎菓子店の「三角もなか」。

この白あんが甘さを抑えてじっくりと煮詰めているのでおいしい!

前回、5月の末に訪れた時には、りんごの花がとても可憐で、幼い頃には味わった事のなかった

感動を受けたが、そのりんごの木には小さな青い実がぶら下がっていた。

「りんごが真っ赤になる頃にまた来てみたいなぁ」と思った。

※上の写真 〜 仙北さんの果樹園になっていたプリプリのさくらんぼ
 真ん中の写真 〜 その同級生である仙北さん
 下の写真 〜 国稀酒造にて名和さん・遼太君と記念撮影(撮影は伊藤さん)

フロリダから富良野へ

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それはまだ昭和の時代。

1983年にまだ独身であった高松芳江さんが、その当時神戸からお友達と三人で

ゴールデンウィークに、はるばるボランティアに来てくれていました。

その芳江さんも間もなく結婚し、一女一男の母となり、ご主人様のご都合でアメリカに渡る事に

なってから、もう17〜18年くらい経つでしょうか。

今はフロリダ半島の付け根、メキシコ湾から少し内側にあるゲーンズビル(学園都市)に住んでいる。

向こうでも芳江さんが中心となり「真味の会」料理教室を開催し、アメリカへ移転して来た

多くの日本のお母さん達や、アメリカ人を対象に「正しい食生活の啓蒙に」と力を注いでいる。

アメリカの高校では4年間の在学中に40時間のボランティアを行う事が必須課目とされているそうで、

3年前には長女の民子さんが、昨年・今年にはその弟の遼太君が、はるばるフロリダから

この北海道の富良野までボランティアで駆けつけてくれました。

お母さんの芳江さんも遼太君を富良野に送りがてら、当ジャム園に立ち寄ってくれ、

今のように、観光客を全く受け入れることのなかった時代の様子を懐かしげに語ってくれました。

「上の広大な畑は山々に囲まれた盆地のような地形にあり、そこまでの往復は今にも

止まりそうなオンボロ中古車(車検なし)で送迎してくれましたね。

その砂利道を上る時もかなりの振動で、都会育ちの私はそれも面白い体験で…。

春の強い吹きさらしの中での農作業は肉体的に厳しく、帽子を被っていても土が目や鼻に入り

いろんな種類の豆を手押しの機械で、押しながらカランカランと蒔きました。

その時は友人二人と共に作業をしていましたが、私はとうとう鼻血がたくさん出てしまい、

その日は母屋の近くの農作業小屋で、種いもにするためのジャガイモ切りに変更になりました。

今でも忘れられないのは、畑で種を蒔く作業中、ひばりが天高く昇って、振り絞るように

その美しい声で鳴きながら、まっすぐ下に降りてくる様子は何度見聞きしても飽きませんでした。

また遠くの森の近くには鹿もいて、私達をよそに悠々と草を食べていました。

本州と異なるスケールの大きい自然に驚嘆させられることばかりでしたね。

当時、農場主だった大久保尚志さんは朝3時頃から起きて、農作業をして、よくきれいな

澄んだ明るい口笛を吹かれながら作業をされていましたよね。」

と、今は亡き夫、大久保尚志を懐かしんでくれました。

※上の写真は1983年に農場を訪れてくれた時のもの(左から2番目が芳江さん)
※下の写真は今年、神戸のお母さんと息子の遼太君と3人でジャム園を訪れてくれた時のもの

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7月7日、今夜は七夕。

青い空にぽっかりと浮かんでいる白い雲、今宵はこの雲も切れて天の川がくっきりと現れ、

織り姫と彦星が無事ランデブー出来ますようにと願いつつ…。

毎年、アルバイトに訪れてくれる若者達を連れて、夜の麓郷展望台へと出かけるのが何よりの楽しみ。

あれはさそり座のアンタレス。

あれははくちょう座。

と持参した懐中電灯で教えてあげられるのは、大変なよろこびにつながる。

星を観ていると宇宙というこの限りない財産がほんの瞬間だけ自分のもののような錯覚に陥る。

そして自分が大切に大切にしていたものを分けてあげられるような気分になる。

不思議なもので、とてつもなく豊かな気持ちになれるのです。

そういえば、あれはもう十数年前の事だったと思う。

その日、いつものようにアルバイトの若者達を連れて星を観に出かけた。

降るような満天の星々。頻繁に降り注ぐ流れ星。

あの一瞬のうちに消えてしまう流れ星に願いを…というのが昔からあるらしく、

「次に流れ星が現れたら願いをかけよう」という事になった。

しかし流れ星が現れるのは、ほんの一瞬。

その一瞬のうちに願いをかけるとしたら、モタモタと願い事を唱えてはいられない。

彼女たちは賢かった

それならば「一言で願いをかけよう」ということになり、恋人が欲しい人は「男、男、男!」。

お金が欲しい人は「お金、お金、お金!」と連呼したのである。(笑)

良く考えたものである。

そんなジョークを交わしながら、北国の短い夏の束の間の楽しい時を…と考えると

今宵も楽しみである。

※写真は今年の7月7日に星を観にいったメンバー

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